ブログ記事2,338件
しばらく野球観戦もライブ参戦も予定が無いので、千葉遠征時の観光、グルメ記事がしばらく続きます。今回行きたかった場所の一つが靖国神社でして、5月31日の朝に東京駅に到着し、その足で初めて参拝してきました。警察の方や警備の方がそこそこ配置されてて、まあまあ物々しい雰囲気ではありましたね。実際、僕が行った日かその次の日辺りに中国人が神社の壁に落書きをしたとかでニュースになってましたし。遊就館という建物でゼロ戦、ロケット砲、機関銃を見てきました。無料と
以前も見たけど、詳細な内容は忘れていたので、2度目。佐伯健太郎(三浦春馬)と、姉の慶子(吹石一恵)が、特攻で戦死した祖父の宮部久蔵(岡田准一)について、当時の生き残りの元戦友から聞き取りで調べていく話し。祖父は、家族のために生きることに執着していたのに、なぜ特攻に志願したのか。その辺りが徐々に解き明かされていく。宮部久蔵(岡田准一)が飛行訓練所の教官で、その時の教え子の以下証言が特に印象に残った。「学徒出陣の名のもとに、駆り出され」「最初から、特攻の訓練と知っていた訳
ゼロ戦にまつわるお話。名前の由来や、ゼロ戦が登場する不思議だけれど泣けてくる話や、『撃墜王』と呼ばれた坂井三郎海軍中尉についてのお話です。パイロットたちは、常に生死をかけて戦っていたのだろう、どんな思いで戦ったのだろうか、想像し胸が熱くなりました。米軍が恐怖に震えた白き零戦(ゼロ戦)伝説!『日の丸も真っ白だった…』[海外の反応-日本人に誇りを!]11:32まで、以後は繰り返しになります。※元動画削除の為差し替え内容書き起こしです米軍も恐怖した白き零戦◇白きゼロ戦の伝説◇今回は、海
株式会社バンダイが販売した零戦52型のプラモデルです。ゼロ戦のプラモは各社から様々な製品が販売されていますが、バンダイのものは1/24スケールと非常に大きいのが特徴です。最初に発売されたのは1970年代のようで、今回のものは1996年頃の再販品になります。箱絵の拡大印刷が見切れているものの、「S.Komatsuzaki」の文字から描いたのは小松崎茂氏。箱の側面STマークの印刷から1995年に玩具安全基準の申請を行った製品のようです。解説。実機は全長9.12m、全幅1
グランキコーナ堺のグランドオープンから5日が経ちました。昨日のデータも見ましたが、正直言ってグランド直後とは思えない落ちっぷり。盛況っぷりはすっかり鳴りを潜め、総回転数が2000を切る台も多数あり。というか、これ店舗差枚どうなってんだろ?ヘタすりゃ黒字じゃない?さすがにこのレベルの店舗の数値を737台分纏める気力はないわ・・・。誰か纏めてくれてる人とかいないかなー・・・(このままじゃ本気でヤバイんじゃないのと思っていたのですが、どうやらここ2日出していなかったのには理由があっ
今日は、私が子供の頃夢中になってプラモデルを組み立てた、大東亜戦争時に大日本帝国海軍の〝空の花形〟として活躍した零式艦上戦闘機の記念日、ゼロ戦の日なのだそうです。海軍から委託を受けた三菱重工業が堀越二郎氏(↓)を中心として設計に携り、今から85年前の今日・1939(昭和14)年7月6日に試作機の試験飛行が行われたことに因んだ由。『零戦』ジブリ・アニメとしては史上初めて実在の人物を描いた作品として話題となり、2013年に公開された『風立ちぬ』・・・ご覧になった方も多い