ブログ記事577件
2023年7月12日上の写真はダートラリー仕様のXV02-PROで、下はこの夏以降にリリースされるターマック仕様のRS-PROとなる。見た目の違いでは前後のダンパー長を短くしていることと、タイヤをラリーブロックからセミレーシングタイヤに変更しているのが分かる。あとはシャーシの材質をカーボン混入樹脂製にして硬くしている。日本国内向けにも発表された。3.5mm厚のカーボンダンパーステーと、TRFダンパーが標準となるRSプロ。前後同じ仕様変更となる。シャーシはカーボン混入樹脂製が標準
そういや、こんな事もありましたな。ニスモがグループA仕様のR32GT-Rを5500万で販売していたんです。確かレイニック製のRB26が800万でしたっけね?もちろん、走るためのホイール&タイヤを用意しなけりゃならないけど、億でお釣りが来る値段でこの走り方が実現できる(腕によりけり)んだから、まあまあ安いんじゃないでしょうか?こんな素性もわからん中古車に6000万払うよりかは、だいぶマシだと思いますよ。
「JGTC開始当時のGT2(現在のGT300)クラス参戦車はなかなか闇が深そうでネタになるかも?」とアホな顔して見つけたのが、こちらのランテックスカイライン。どう見てもグループAそのままなうえに、バンパーにはBee-Rのステッカー。ホイールはBBSのメッシュと、なかなか闇が深そうだったんですが…1990年JTC開幕戦と第2戦で優勝して退役したカルソニックGT-Rが種車だとわかり、「別に面白くねぇな。」ってことでボツ。一応グループA仕様からGT2仕様として、ドアの内張りなどがカーボン化された
WRCグループAラリーカーのすべてという雑誌が発売になりましたSUBARU乗りの皆さんの中でもある一定の年齢層の方にはピン!とくるフレーズ「グループA」だと思います世界ラリー選手権(WRC)の参加カテゴリーの一つでSUBARUが積極的にWRCに挑戦した段階がこのグループAが最高峰クラスになっておりました※現在のRally1のようなものですワークスでの挑戦は初代レガシィ(BC5)に始まり、インプレッサ(GC8)で華を咲かせてSUBARU=Rallyのイメージを世界に示せた
グループA創成期には「デートカー」と称された、二代目プレリュードが明和MSCから出場していました。この「明和MSC」ってのは、本田技研の社内クラブであり鈴鹿製作所での「チームヤマト」のようなもので、栃木を拠点としていました。「西のヤマトシビック、東の明和シビック」なんて感じで、TS規格のレースや耐久レースにも参戦していました。そんな明和MSC(たぶんモータースポーツクラブの略…のはず)によるプレリュードのディビジョン2への参戦でしたが、この頃はホイールもセンターロックでないし車両もほぼN1
全日本ツーリングカー選手権(JTC)は大人気の最中・1993年に終了を迎えることになった。国際的にGr.Aツーリングカーが終了したためだ。人気を博したのはひとえにスカイラインGT-Rの参戦によるところが大きい。しかし、JTC-2クラス、3クラスのバトルも見応えがあった。当時は東京に住んでいたのでJTCを観戦するなら筑波か富士が近いのだが「一人で行っても寂しいし…」ということもあり、大阪の友人の誘いで鈴鹿スーパーツーリングカー500㌔に観戦に出かけた。季節も初夏で観戦しやすか
LM04C/日産スカイラインターボC85年5月富士1000キロLM04C最後のレースだが助手席側に計器類が積載されているようだ。DR30後期型のイメージカー的デザインが施される。イメージスケッチここからは1984年の全日本耐久選手権を戦ったLM04C/スカイラインターボCについて記述します。FRのスカイラインターボCから大幅なモデルチェンジを敢行。ルマン商会制作のミッドシップCカーに生まれ変わったスカイライン。当初ローラ製シャーシ購入も検討されたが前年フェアレディZターボCとして制