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中子修。三重県尾鷲市出身の元レーシングドライバー。鈴鹿サーキットをホームコースとしてフォーミュラカーを中心に活動し、業界きっての「理論派」として知られる。しかしフォーミュラカーではステップアップするごとに伸び悩み、そんなときに出会ったホンダ・シビックでの走りが彼の経歴を動かすことになる。全日本ツーリングカー選手権(グループA)では、4度のシリーズチャンピオンを獲得。その後のJTCCではアコードに乗り、1997年にシリーズチャンピオンを獲得した。FFの走らせ方には定評があり、前輪は両方と
JTCのためにテストしていたギャラン。どうやらノバ・エンジニアリングが関わっていたそうで、もしかするとエンジン担当でHKSとも?とか思っちゃいますよね。その双方の関与がコッソリ報じられていた(ロゴマークなど一切貼られていなかった)のが、スタリオンの頃。そうなれば、あの強さもうなづけますね。とはいえ、持ち前の「やる気のなさ」ですぐに撤退(n度目どこ製なのかもわからない三菱のスリーポインテッドスターに塗られたホイールなど、不可思議な点を数多く残したまま消えていきました。ギャランに代わって
高橋国光黒沢元治北野元(順不同)言わずと知れた「日産ワークス三羽烏」ですよね。その3人がワークス解体後、ふたたびサーキットであいまみえる?一歩手前まで行っていたことがありました。カテゴリーはグループA。スタリオンに乗る高橋国光選手。レイトンハウスベンツに乗る黒沢元治選手。ほら。黒沢選手はレイトンハウスつながりでシビックに乗り、マカオGPにも挑戦してましたね。そして北野元選手はレイトンハウススカイライン(DR30)で復帰後、カルソニックスカイラインでレギュラー参戦を果たしまし
浅野自動車がグループA終焉まで使ったAE92。実はこれが3台目なんです。初代は前期AE92。プラモ化もされたこの前期ね。そこから後期にチェンジ(トヨタとしての販売戦略上いろいろあるからね)。しばらく戦ったあとレース中のクラッシュにより炎上、それも全焼だったそうで。タイミング的には「そろそろ新型AE101にスイッチする」あたり。新型が供給されるまで待つ(欠場する)のもスポンサーへの手前などありますからね。AE101はボディーがさらにデカくなり、新機構とはいえスーパーストラットも「使える
ドリキンこと土屋圭市選手がTRDとともに製作したN2仕様のAE86。その後進化を続け「これ本当にN2か?」って思わせるような姿になってますが、その「N2」の姿って指定部品しか使っちゃいけなかったワンメイクレースのC/SGC「カローラ/スプリンター・グランドカップ」なんですが…ちょっと腑に落ちなさもありますけどね。さて…そんなC/SGCをやっていた時代、土屋圭市選手はつちやエンジニアリングからグループAドライバーとして抜擢されていました。そのつちやエンジニアリングからC/SGCへ出ていたのが
じゃあアテーサEーTSの使い方を見てみましょうか。ええ突然ですが何か。アテーサEーTSとはR32から搭載されたFRベースの4駆切り替えシステム…でいいのかな。全てはグループAで勝つために造られたクルマです。レースありきのクルマ。4駆は曲がらない、サーキットでは使い物にならないと言われたら時代に、時代を変えた最強のマシンとして君臨しましたナツい。つまりアテーサをどう使うか、どう作動させるかがドライビングのキモです。いわゆるタイヤの限界とはまた別のところで、もうひとつのツールがある。や
グループAのスープラが話題に上がると、二言目には「重たい」と言われるわけですが…参戦初年度のトムス車で1325㎏だったようです。これに対してノーマルは1500㎏(Wikipediaによる)。ボンネットをFRPにしたりリアウインドウをアクリルにせずとも175㎏の軽量化は、さすがレーシングカーの製作に長けたトムスだけありますね。ロールケージにガゼットもサイドのクロスバーも無い時代なので今とくらべれば軽く出来てはいますが、1100㎏台のライバルたちとくらべればやはり「重たい」んですよね。でも、
オーストラリアのGM系自動車メーカーで2017年まで自動車を生産していたホールデン。オーストラリアにはほかにフォードとトヨタの現地法人があったがそれぞれ2016年と2017年に自動車の製造を終了していて現在オーストラリアで自動車の生産は行われていない。日本人に馴染みのあるオーストラリアの車両といえばU12ブルーバードの5ドア、オーズィーギャランの幅広仕様マグナマグナワゴンK45ディアマンテワゴンこれ乗ってました。いかにも大陸のクルマだった。ランドクルーザートゥループキャリア70系