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こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。先日の記事にも書きましたが自己受容って何だと思いますか?漢字の通りで自分を受け容れるってことですね。私が以前akikoさんの講座を受けたときも自己受容は繰り返し繰り返し言われました。先ずそこがスタートだったから。でも私は自己受容が苦手で自分に厳しすぎていつも鞭打ってばかりいたんです。人には激甘でいきましょう♪なんて言いながら自分は全然出来なくて本当にもがきました。でももうこんな苦しいのはイ
こんばんはいつもありがとうございますパートナーさん、今日からお仕事開始。はじめは、毎日は体力的に厳しいから体調と相談しながらだね。自分一人でしているので調整できるからまだいいよね。仕事が特殊だから私は手伝えないの。重いもの持ったりが出来ないので主にシャッター開けたり閉めたり荷物を詰んだりしかできないけど2週間くらいは、昼間必要なら往復してヘルプマン尚さん夫婦がリヤカー一台で店はじめてから70年使っている昔ながらのシャッターがね。スゴイ音と力がいるのよねなんで直さ
不意に訪れる悲しみやショック。深い悲しみは、そう簡単に癒されるものではなく、悲しみやショックな出来事を機に、体調を崩される方が少なくありません。悲しみやショックのレメディに出会ったことを機に、ホメオパシーに興味を持たれる方も多いように思います。人間だれしも、多かれ少なかれ人生の中で悲しみ・ショックを経験することがあります。人は、あまりにも大きな悲しみに出会うと、かえってその中にいつまでもとどまっていたいと思うもの。あの時のことを忘れてはいけない、そんな思いも手伝って、悲
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。それは4日前のことでした。お母さんの夢を見たんですね。夢を見ながら忘れないように忘れないようにしっかりと夢を覚えておこうとする私がいたのですがその夢が変なんです。お母さんがお布団も掛けずに寒そうにしているのにお母さんを自分の寝室に入れることをすごく躊躇っている私がいるんです。現実なら躊躇うどころか早く暖かい寝室へと手を引っ張って連れて行くはずなのにどうしようかと躊躇っているんです。私らしくない変な
よんちゃんとの予定。ついに最後の火葬のみとなりました。朝のピクニックを終えた私たち6人は、家に帰ってからそれぞれの髪の毛と爪を切りました。爪は、夫がお父さん指、私がお母さん指、長男がお兄さん指、長女、次女がお姉さん指です。地域によって風習があるそうですが(私の住む地域にもその風習はなく、したことはありませんでした。)『亡くなった方が淋しくないように』という意味があると聞いたので、私たち家族はすることにしました。そして代わりに、よんちゃんの爪と髪の毛を切って胎毛箱に入れました。ちなみに
こんばんはいつもありがとうございます私のことではないけどこっちが落ちついたら今度は、落ち着いたのを待っていたように別の報告がある私だけではなくて人生はいろいろですね。パートナーさんの手術中に待合室で座っていると杖をついた前屈みで歩くおじいちゃんをソファーに座らせてから何処にいった女性がいました。しばらくすると、杖を両手で持ってどんどん前屈みになってウトウトしているおじいちゃん。そして、女性が戻ってくるとおきるが受付が混んでいるのかまた一人になる。前屈みでウ
生前、娘から、『ママ。この出来事はブログに書いてくれた?』と、よく聞かれていました。辛い気持ちや治療の記事は娘本人には見せていませんでしたが、楽しい出来事の記事は一緒に見てもらっていました。娘も楽しみにしていたブログ。大阪モケケの旅から、その続きの娘との物語を、今日から綴っていこうかなと思います。【2023年1月30日の出来事】この日は、大阪の病院で採血と血小板の輸血の予定をしていましたが、訪問医から、在宅で両方出来ます。と、仰ってもらったので、在宅でお願いする事にしました
昨日で100日が経ちました。100か日法要の意味としては声を上げて泣くことを卒業するということらしいです。たしかに最近は泣くことも少なくなりました。相変わらず赤ちゃん言葉で娘に話しかけていますし、写真に向かって冗談言ったり、動画を見たりしています。ママ泣いてないから娘は喜んでると思います。「そうそう、笑ってるママが好きなんだ😘」って。友人からの連絡もほとんど無くなりました。でも特定の友だちからは遊びの誘いがあります😊いわゆる親友的な友だちです!私を思い出し
居原田麗さんが亡くなられた。まだ40代で、4人のお子さんのママですよ。早すぎます。しかし、その旅立ちを早すぎるで済ませてはいけない。余命1年と言われてから居原田さんは丸4年闘病されました。すごいことです。その4年間はご家族にとってかけがえのない、素晴らしいときだったと思います。実はインスタで居原田麗さんに一度メッセージを送ったことがあります。父は標準治療をしていましたがそろそろ終わりが見えてきた頃でそのときの私は必死で免疫療法を含め治療法を探していました。居原田さ
死産の記録です多くの方は不快になるとおもいますので、必要のない方は読まないことをお勧めします同じ経験をされる方へもしすこしでも参考になれば(病院により、個人により、それぞれだとはおもうけれど)2泊3日の入院中、産着2着つくりました。お空でお友達に自慢してね☺︎(産院で布をくれ、型紙とはさみと針と糸を貸してくれました)中期人工死産の入院記録淡々と、産着を縫うように、ただ綴っておきます1日目14:30入院着替えて即ラミナリア5本を子宮口に入れる痛い悶絶(ラミナリアとは
初めてお越し頂いた方はまずはコチラをご覧下さると嬉しいです🙏家族性膵臓疾患について『初めてお越し頂いた皆様へ』初めましてクマちゃんですブログにお越し頂き有難うございますこれまでクマさん(夫)が膵臓癌に罹患した事をきっかけに闘病ブログ、死別後死別ブログを入院闘病ジャンル…ameblo.jpテーマ別に投稿してます関心のあるテーマをご覧ください膵臓癌の予兆はコチラ『《追記2》膵臓癌の予兆〜経験談より』初めてお越し頂いた方はまずはコチラをご覧下さると嬉しいです🙏『初めてお越し頂
我が家の四女。2歳よりてんかん発作を起こし、服薬治療でも中々発作のコントロールが難しく、小学校1年の時に、呼吸停止を伴う大発作を起こしてからは、後遺症と多剤服薬の副作用による認知機能の低下、発達の遅れも大きく。。。5歳上の三女は、小さい時から妹を可愛がり、献身的にお世話をしてくれた。四女が困っている事にアンテナを立てて、私に知らせてくれる。四女が言いたい事を代弁して言ってくれる。私が言葉足らずで、四女に伝わってない内容も、ちゃんとわかる様に説明してくれる。中学生になり、四女は知的
死産から6日後、火葬しました。予約の流れとしては、産院に死産証書をだしてもらい、市役所にそれを持って行き、火葬許可証をもらい、火葬場の予約もその場でとってもらうという流れでした。火葬は、わたしたち夫婦と、わたしの父母にも悲しい想いをさせたので、父母にもきてもらいました。(できれば、住んでる市ではなく、わたしの実家の近くでしたかったのですが、市外で火葬を行うと3000円が60000円ほどになることを知り、諦めて父母にこちらに来てもらうことにしました。)当日朝、家を出る前に、棺のなかを
よんちゃんとの同室が始まってからは、朝昼晩、一回ずつ授乳をしました。もともと母乳の出が良い体質のため、母乳がにじむ程度にマッサージをします。あまり分泌させると、吸ってくれる相手はいないのにバンバン張ってしまうからです。医師から、母乳を止める薬も処方されました。しかも、1錠だけ。たったひと粒で効果を出す薬。4人目の授乳が、こんな形で終わることが悲しくてなりませんでした。助産師さんから、この薬は、私のタイミングで飲んでいいですよ。と、言われたので、お別れするまでは飲まずに過ごそうと思い
お義父さんが胆石の手術。お義母さんがその時に一人で無理をして腕を捻挫。お義姉さんが実家に帰ってずっと手伝っていた。妹が居たらなあ。時々そう思ってしまうってLINEが来たけど、お義姉さん、ワタクシ、毎日毎時間毎秒欠かさずずっとそう思ってますけど・・・。とても心配してるし、何かお手伝いしたかったけど、残念ながら、ワタクシは嫁さんの実家では、あくまでお客さん、だ。takashiくんが来ると、頑張っておもてなしをしようとするので、遠慮して欲しい、とお義姉さんに言われたら、従わざ
みなさんは、島根県松江市にある黄泉比良坂(よもつひらさか)ってご存知でしょうか?古事記で「あの世」と「この世」の境界として描かれています。その伝説の地とされるこの場所に亡くなった大切なあの人に宛てた手紙を投函できるポストが設置されています。この場所に、両親が行ってくるそうで、長男にお手紙を書いたら投函してくるよと声をかけてもらいました。長男がお空にいってしまってから、私が長男にお手紙を書くのはこれで3回目です。1回目は告別式の前日、斎場に宿泊したのですがそこで
うちの天使パパは、私よりひとつ年上です。夫もまた、よんちゃんが亡くなったことで相当な悲しみに暮れていました。よんちゃんが亡くなった日から、夫は忌引として1週間の休みを貰いました。お陰で、よんちゃんが生まれてきてから火葬するまでの数日間を家族で過ごす事ができました。夫は、よんちゃんが亡くなってしまったのは自分のせいだったと自分を責めていました。私は元々、家のことをなんでも自分でこなしてしまう馬力のあるタイプです。夫は、夫婦の期間が長くなるにつれ、家のことを任せたきりで仕事に打ち込む事が
タレントのアンミカさんがご自身のお父様について語っていました。「経済的に困窮した中で育ってきたので、お金を貯めることを厳しく言われていました。そんな中、危篤状態から戻ってきた父が意外なことを言いだしたのです」「俺は一回死んでみて、本当に人生を走馬灯のように振り返ったんだ。あれって本当なんだな。そんな中で一生懸命に金を貯めようとしている自分を見たよ。そして思ったんだ『あぁ、つまんないことしてきたな』って」そのお父様の変わりように、家族は驚かれたそうです。そしてそれ以来、アンミカさん
5月第一日曜日はInternationalBereavedMother'sDay(国際遺族母の日)海外ではこの日に子供を亡くされたお母さんへ周囲の方がその子の名前を書いてあなたはその子のお母さんであることあなたを想っているよ…とメッセージを書いてカードを送られたり亡くなったお子さんのお名前で寄付をされたりする日だそうですこうした温かな寄り添いはきっと当事者の社会復帰の一助となり救いとなると思います日本でも広まることを願いますSingformyAngelで
エンジェルナンバー数字の力偶然目にする数字いえ偶然ではなく必然です愛する人のエンジェルナンバーをあなた様が意識することで偶然とは思えないタイミングでナンバー数字を見ることになりますそのエンジェルナンバーは天国の大切な人からのメッセージ天国のスピリットさんはみんなで協力し合って家族にわかりやすい数字を使ってメッセージを伝えてくれます私は息子を亡くして数字のMiracleサインを確信してい
少しのスイッチですぐに涙が溢れてしまう。そんな日々もあっという間に過ぎました。長かったような早かったような。記憶の中から、あの出来事がスッポリと抜けているようです。あれは、夢だったんじゃないか?そんな気持ちさえします。5月のカレンダーには「38週」とか「妊娠検診」とか「赤ちゃんのお誕生日(予定帝王切開だっため)」とか「退院予定日」が記載されていました。これを書いていたころの私は、とても幸せだった。会える日が指折りとなり、ワクワクしていた。あれはどうしよう、これはどうしようと考え
昼過ぎ、部屋の移動がありました。産婦人科病棟の一番奥、個室の、静かな部屋でした。いろいろな配慮があっての事だと思います。夫も、昼過ぎに来てくれました。夫とよんちゃんと、3人で過ごします。助産師さんの提案で、手形足形を取ったり、沐浴や授乳をすることになりました。手形足形は、病院にキットがあったようで、それを使わせていただきました。夫が、ビデオを持ってきたので、その様子を撮影しました。手が真っ赤っ赤だねー。なんて、話しながら撮影しました。手と足が真っ赤になったよんちゃん。今度は
動物が旅立った時にご遺体を即行で火葬されることが多いけど動物はいつまでに火葬しなくちゃいけないとか早く火葬しなくちゃいけないとかないのさ。動物が旅立った後に即行で火葬しなくてもいいからね。人は亡くなると24時間以内は火葬しちゃいけないみたいだけどその後即行でお通夜、葬式、火葬になるよね。
今日はしゅんの誕生日。生きていたらなんと11歳夫に聞いちゃった、何歳だっけ?お互いちょっと考える...早生まれってちょっとわかりづらいよね。何年か前だったらね、指折り数えてた「生きていたら年齢」だけど、だんだん意識しなくなったなぁ。生まれてから亡くなるまでの、たった4年の間に愛情を注げるだけ注いだから、意識しなくなった?って今までは思ってたけど、三男(現在4歳)に、「ママ、◯◯(自分)のこと好き?」って聞かれるたびに、だーいすきって答えると同時に※中学生長男も低い
今年の連休は、パートと母の介護。今日、母を施設に送ってきました。母は、痩せてしまって、歩くのもやっとになってしまいました。もうダメだ〜って、泣きそうなんです。今までできていたことが出来なくなるのは、悲しいことなんだと思います。私も悲しんでる母を見るのが悲しいです。でもね、我が子を失うことは人生で一番つらいことだと思う、、母は精神薬を何個も飲んでいます。それを飲み込むのも辛そうで…生きるって大変なのだと感じます。息子みたいに若くして還ってしまう命もある。人生を考えちゃいま
体の記録死産当日分娩直後から、急に体が軽くスイスイ動けた。これは産後ハイだったのか。子宮収縮の痛みもなく、助産師さんに、それはそれでよくない…と言われる。薬は、出産後の夜から、子宮収縮止血剤と、抗生剤と、痛み止めがでた。入眠剤も出してもらった。痛くなかったので、痛み止めは飲まず。子宮収縮止血剤と抗生剤を3日間飲む。翌日この日も腹痛なく。出血もおさまりそうな気配。こんなに早くおさまるんだ。とおもった。3日目子宮収縮の痛みを感じはじめる。止まりかけた出血も復活。痛み止め
最近、モヤモヤすることが多くて。ちょっと気になることが続いていますそれは…職場の同僚や関係者の利用者さんとの関わり方です。あの利用者さん…突っ走ってるよね。細かいよね。話が長くて止まらないよね。すぐ怒るよね。〇〇すぎるよね。医療者のそんな言葉が気に止まってしまいます▧▦▤▥▧▦▤▥▧▦▤▥▧▦▤▥私も、ちゃーこのママとして闘病中はそうに言われていた保護者だったと思います。(良い保護者であるよう、気を遣って言い方には工夫をして配慮したつ
【2023年2月14日〜17日の出来事】娘を家に連れて帰り、すぐに決めないといけない事がありました。それは、葬儀の事。悲しんでいる時間もなく、急いで葬儀場の手配をしないといけませんでした。家から割と近くで、それなりに広いところがいい。と、思っていたので、候補にあった中から、ある葬儀場にお願いしました。早速、自宅に来てくださり、ドライアイスを持ってきてくれました。そして、担当の方から、『今、予約がいっぱいで葬儀が立て続けにありまして、早くても葬儀が19日の日曜日になります。すみま
思い出したら何か腹立ってモヤモヤするお祝い膳のお話などあくまで私が感じた産後の天使ママに対する病院側の対応に疑問をもった事を書きます。“どうして欲しいか”というのは個人で違うので希望を聞く事の大事さを感じました。私がお産した病院はご飯の良さが評判で入院中のご飯も凄く凝ったメニューでいつもメインが2つお肉系とお魚系両方あったHPには退院の前日に出されるお祝い膳の紹介まであって、妊娠中は食べられない生ハムやスモークサーモンが使われた豪華なメニューが書いてあって死産ってなるまでは楽しみのひと
今日はスマホがマナーモードになっていて、お昼頃まで着信に気付かなかった。お友達よ、ごめんね。まとめてLINEを既読にして、ふと気が付いた。息子のLINEのアイコンが消えていることに。ピン留めしているので、上の方に上がってくる。「メンバーがいません」慌てて息子のLINEを開くと、「他の端末で同じアカウントを利用したためこの端末に保存された情報はすべて削除されます」と出ていました。そして、LINEが初期化されてしまいました。驚いて、Googleで検索してみると息子が使っていた電話番号