ブログ記事1,085件
5.教団改革◆2002年~2003年この頃は、ミロクという部署で、コンサートのかたわらサマナの相談に乗ったり、お供物と呼ばれる食材を分けたり毎日の夜礼などをしていたと思います。依然意識は社会に対しては閉鎖的でしたが、住民の方などと会うと、個人的にはわりと親しく話せる気がしました。それは、第4サマディでの経験があったからだと思います。音楽においては、松本サリン事件の被害者である河野さんに宛てて曲を作って、それを受け取っていただけたことがとても嬉しかったです。河野澄子さんのお見舞いに行
●麻原の獄中メッセージ一九九五年の十月に偽証・偽造の罪で逮捕された。容疑は明らかで否定できないものであり、私は、いたずらに争う意味はなく、早く受刑し早く出所した方がよいと思ったが、麻原への依存が依然として深く、自分では決められなかった。そうする中で、麻原が、いわゆる「獄中メッセージ」を弟子達に出した。その要点は、①自分は、今、食事等を厳しく制限しつつ、ヨーガの呼吸法や密教の瞑想の極限的な修行をしており、②その修行で、陽神(仙道における不死の身体)を作る。それにかかる時間は遅くとも
(1)オウムへの入信と修行オウムの犯罪の原因となったのは、麻原・オウムの教えと修行である。そこでまず、私自身の体験を要約して述べた上で、今の時点で、私が、それをどのように反省しているかについて述べたいと思う。●入会(入信):1986年、23歳の時私がオウム真理教の前身団体であるオウム神仙の会に入会したのは、一九八六年の夏、23歳の時だった。当時は早稲田大学の大学院の修士課程の2年目。動機は、以前から超能力や超常的なことに関心があり、ヨーガに関心をもっていたからだ。私
■インド各地を訪問、使命を託されたと主張1986年1月、麻原はインドを訪問し、各地でスワミ・アガンダナンダ師やパイロット・ババ師等の「聖者」といわれる人物と会い、日本救済の使命を託されたとしています。これは前年12月に、「私はヒマラヤに住んでいる、マニクラチューという完成者で、お前のグルだ。インドへ来い。ヒマラヤへ来い」との「啓示」があっての行動とされています。しかし今では、調査によって、パイロット・ババ師は1986年の時点から麻原の行動に批判的であったということがわかってい
■オウム真理教の前身組織の設立松本智津夫死刑囚は、1983年夏「鳳凰慶林館」を設立し、初めて「麻原彰晃」と名乗り始めます。続く1984年2月には、東京都渋谷区でヨーガ道場「オウムの会」を設立、同年5月には、株式会社「オウム」を設立しました。■初の「空中浮揚」――誇大宣伝の始まり麻原は、1985年2月、初めて空中浮揚をしたとされています。そして空中浮揚の写真が『プレイボーイ』などの一般雑誌に掲載され、それが後々の教団で大きく宣伝されていくことになります。このうち、
■「タントラヤーナの年」と位置づける麻原は1988年について、「今年、私は、大乗からタントラヤーナのプロセスについて説きたい。」と述べました。タントラヤーナについては、いろいろな定義がありますが、ここでは文脈上、大乗(マハーヤーナ)の中でも、さらに後期に成立した「密教」について指しているものと考えられます。一般に、インドやチベットでの密教の歴史においては、グル(導師)への帰依によって修行を進める=グルイズムが説かれるとともに、後期密教では世界の破局予言が説かれることがありました。
■違法行為を一旦停止、マハーヤーナ路線へ1991年になると、国土法違反による2度の強制捜査と複数の幹部信者の逮捕のために、教団は大きな打撃を受け、それまで続いていた武器製造等の違法行為がいったん中断されます。その後の武器製造の再開は、翌1992年の半ばとなりますが、それまでは、教団の勢力を回復させるために、しばらくはヴァジラヤーナの活動は控え、「マハーヤーナ(大乗、合法)路線」を教団は歩むことになります。もっとも、大部分の信者にしてみれば、教団の裏での武装化活動――いわゆ
■大量殺戮、国家との対決意図を強固に示す1994年は、ますますヴァジラヤーナ活動が加速化し、武器製造や暗殺等の違法行為が教団の裏で本格化していきました。麻原は、この年の2月、その意図を一部信者らに明確に示しています。判決では以下の通り認定されています。被告人は,かねてから自己の前生は中国を宗教的政治的に統一した明の朱元璋であるなどと公言していたが,同年2月22日から数日間,村井,新實,井上,早川,遠藤,中川ら教団幹部や真理科学技術研究所のメンバーその他の出家信者ら合計約8
水野愛子2017年2月改訂■1,現時点での麻原・オウムに対する見方のまとめまず、現在の時点での麻原とオウム真理教に関する私見を簡潔に述べさせていただき、その後に、それに至る経緯を詳しく述べたいと思います。1)現在の麻原に対する見方麻原は、幼少期からの人格形成における歪みから、被害妄想・誇大妄想の人格障害を持っている人だと思います。行者としての資質があったた
細川美香2017年2月改訂■1,現在の麻原・オウムに対する見方のまとめまず初めに、現在、私が麻原をどう思っているかについて述べたいと思います。麻原は自分の欲望、そして被害妄想、誇大妄想によって、オウム事件といわれるさまざまな事件を起こし、無差別大量殺人である松本サリン事件、地下鉄サリン事件を起こした首謀者であり、そうしたところから、麻原は主張したように神の化身ではなく、ただの人間です。オウム時代
■ヴァジラヤーナ路線の宣言これは、あまり知られていない事実ですが、1989年が明けると、大師といわれる教団幹部らが麻原のもとに集まって、会議を開きました。この会議の場では、ヴァジラヤーナ(金剛乗)の構想が話し合われ、後に科学技術省の大臣として武装化計画の中心となる村井秀夫氏は、「私の役割は全ての魂のポワだと思います」と語りました。■麻原個人崇拝的な修行教団ではこの頃までに『グルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーション』という瞑想法を信者らに伝授し、実施させていました。
2008年9月2日小林由紀1.オウムと出会う私は、24歳の頃には「どこかの寺に出家して尼さんになりたい」と思っていました。それは、不毛の恋愛に疲れたことが大きく、本気で魂の救いを求め、また、地球の平和と人々の心の平安のために生きて行きたいと思いました。お付き合いしていた男性とは、遠距離になり、電話ではまだ話していましたが、もはやそれが苦痛になり、もう他の人と付き合う気力もなく
ここでは、オウム真理教を反省・総括し、オウムの教訓を残していく上で、有益な資料をご紹介します。特に、これまで「ひかりの輪」の団体を挙げて、オウムの総括を行った過程で、参考になった書籍などを中心に、ご紹介します。――――――――――――――――――――――――――――――――――――■「仏教」関係の参考資料●『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経』中村元訳※内容(「BOOK」データベースより)原始仏典の中にはブッダの生涯はほとんど記されていない。だが彼の死は、信
◆1992年「ロシアツアー」「スリランカツアー」「キーレーン」92年3月頃「死と転生」のロシアツアー、5月にはスリランカツアーがあり、その後歌の編曲や「26曲集」という、オウムの歌の楽譜本の制作をしました。その頃私は無言の行をしていたのですが、それにはいきさつがありました。その頃にはすでに、例の担当の大師(以下U師)に愛着していて、そのせいで腹が立つことが増え、ある日ちょっとムシャクシャしていた時に、その師と2人で新しい曲を聞いてもらうために麻原の部屋に行った時のことです。私が部屋に
3月24日~7月までの上祐史浩出演のトークイベントの日程です。すべて、ネット配信もございますので、ご自宅、会場、でお待ちいたしております■3月24日(月):新宿ロフトプラスワン「専門家大集合で激論!サリン事件30年、どうなる今後の宗教・カルト・政治!上祐史浩VS宏洋VS小川寛大」オウム真理教サリン事件からちょうど30年の今、大好評につき第3弾!今激震走る宗教界を、専門家が大集合して白熱討論。幸福の科学教祖の長男で反カルトで政界進出の宏洋氏、元オウム・アレフ幹部の上祐
『上祐総括:オウム入信から現在まで』目次これは、上祐史浩個人によるオウム・アレフ時代等に関する反省・総括文です。この文章のもととなる総括文は、すでにアレフ脱会時の2007年には書かれ、公表されていましたが、その後さらに改訂されたものを以下に掲載しています。【1】入信と麻原への帰依(1)【2】入信と麻原への帰依(2)【3】オウムの犯罪と武装化:1988年~1989年【4】オウムの犯罪と武装化:1990年(1)【5】オウムの犯罪と武装化:1990年(2)【6】オウムの犯罪と武
この文書「オウム真理教時代(1983~1999年)の総括」は、ひかりの輪として、オウム真理教時代(※1983~1999年)を時系列的に振り返り、その経緯を総括・反省するとともに、その反省に基づいて、今後ひかりの輪が進むべき道について述べたものです。なお、この文書は、ひかりの輪の専従会員が会合を重ねて2008年に作成し、同年7月10日の記者会見においても、マスコミを通じて広く社会に公表しています。〔※教団名が「オウム真理教」になったのは1987年ですが、便宜上、前身団体の時代を含め
(1)麻原の人格の心理学的な分析私達が2007年に、麻原信仰を払拭し、アレフを脱会する上で大きな課題となったのは、麻原彰晃という人物をどう理解すればよいのかということだった。一般の人から見れば、麻原は人殺しの狂人にしか映らないだろうが、それだけならば、信者になるわけがないし、また、事件発覚後も、信仰を続ける人がいるわけがない。つまり、信者にとっては、自分達が麻原に帰依する理由となった、自分達が体験した彼の能力と人格と、彼の犯罪に関する狂気が、なかなか同じ一人の人間のものとは思えな
この「上祐史浩個人の総括」のコーナーは、上祐史浩(「ひかりの輪」代表)個人が書き記した、オウム真理教・アレフ時代を総括・反省する文章を掲載するコーナーです。文章が書かれた時期は、2007年3月の、オウム真理教の後継団体「アレフ」(現aleph、旧アーレフ)脱会時から、2012年末までの時期です。(※以下は、このコーナーの目次となっています。それぞれの項目の表題をクリックすると、該当のページに移動できます)1.『上祐総括:オウム入信から現在まで』上祐史浩がオウム真理教の前身・オウ
細川美香の総括目次【1】『オウム・アーレフの反省・総括と今後の抱負』(1)【2】『オウム・アーレフの反省・総括と今後の抱負』(2)
誤解されている部分が少なからずあるので、「ひかりの輪がよく分かる7つのポイント」をまとめてみました。実際の理解にお役にたてば幸いです。1.ひかりの輪は、宗教ではありません。仏教哲学・瞑想・心理学などを学ぶ教室です。詳細はこちら。http://www.joyu.jp/hikarinowa/overview/05/0041.html2.ひかりの輪は、麻原・オウムを脱却し、反麻原・反オウム(現アレフ)の活動を行ってきました。この事実は、第三者の識者による監査や報道機関にも認められてき
石井紘基刺殺事件2009/01/1021:4510上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。石井紘基(いしいこうき、1940年11月6日-2002年10月25日)元民主党衆議院議員2002年10月25日、世田谷区の自宅駐車場で指定暴力団山口組系の右翼団体『守皇塾』(構成員は本人一人のみ)代表・伊藤白水に柳刃包丁で左胸を刺されて死亡。享年62。■事件2002年10月25日(読売)25日午前10時35分ごろ、民主党の石
『公教育の問題点』TBS日曜劇場「御上先生」をご存知でしょうか?今週のエピソードに現代教育の問題点が凝縮されていました。以前時浦さんから「自ら考える教育が根付かないのはどうし…ameblo.jpでも取り上げたTBS日曜劇場「御上先生」の最終回で難しい問題を抱えた生徒の為に行った授業での問いです。優等生的な解は「論理的思考」「私はこう思う。何故ならばこうだから」受験の論述で問われる能力だが、限界でも有ると御神先生は言う、そして、「戦争は悪か?」を「正しい戦争はあるか?」と言
このブログは、ひかりの輪とその会員が、地下鉄サリン事件をはじめとする数々の犯罪行為を行った「オウム真理教」について反省・総括して、その教訓を残すとともに、オウム問題の解決の一助になればと願い、開設されたものです。(※主に2008年以降に作成した反省・総括文を十数年前から公開していた「ひかりの輪」運営のサイト「オウムの教訓ーーオウム時代の反省と総括の概要」を、このたび〈2022年4月に〉移設したものです)この試みを通じて、麻原彰晃こと松本智津夫(2018年7月6日に死刑執行)と、麻