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■代表派(上祐派)の形成と反上祐派の反発2005年3月、上祐代表や代表派のリーダー達が、修験道や山岳仏教の聖地として有名な長野県・戸隠神社一帯で修行をしたのですが、これが5月頃になって反代表派の知るところとなりました。反代表派は、このような修行は、麻原の教義に照らして、外道・魔境であると批判しました。もともと戸隠神社は、明治以前は顕光寺という名のお寺もある山岳仏教の聖地でしたが、麻原の説いた教え以外のものは、外道・魔境と否定する面がありましたので、反代表派はこれを代表派に対する格
(1)転機となった出来事――宗教テロの原因への気づき――――――――――――――――――わたしの場合は、95年のサリン事件の後から、脱会した2007年までの12年間の期間の中で、本当の意味で、オウム・麻原信仰の過ちに気づいた転機は、2003年になってからでした。それまでは、本当の意味では気づくことができなかったのです。その時やっと、オウムの行った宗教テロの原因と恐ろしさに気づき、内省がはじまり、宗教観が大きく変化することになりました。その気づきまでのプロセスの概要は以下の通りでした。
■上祐代表の教団復帰と運営方針の転換1999年の12月、上祐代表(当時はまだ代表ではありませんでしたが、本文ではこの呼称で統一します)が、服役していた広島刑務所から出所、オウム教団に復帰しました。そして、当時の横浜支部に居住しながら、地域住民やマスコミ・当局の激しい批判や団体規制法にさらされた教団の立て直しに入りました。上祐代表の個人総括にもある通り、この時点での上祐代表は、麻原への信奉は依然として残しつつも、麻原の予言をそのまま信じることは非現実的だと考えている状態でし
この文書『アレフ時代(2000~2008年)の総括』は、『オウム真理教時代(1983~1999年)の総括』に続き、アレフ時代(2000~2007年)についての総括を、2008年に、ひかりの輪として行ったものです。目次【1】2000年、上祐代表の出所後からアーレフの設立まで【2】2000年~2001年、被害者賠償契約の締結など【3】2002年、上祐代表就任とその新たな宗教的活動の始まり【4】2003年初頭、上祐代表の教団改革の試み【5】2
誤解されている部分が少なからずあるので、「ひかりの輪がよく分かる7つのポイント」をまとめてみました。実際の理解にお役にたてば幸いです。1.ひかりの輪は、宗教ではありません。仏教哲学・瞑想・心理学などを学ぶ教室です。詳細はこちら。http://www.joyu.jp/hikarinowa/overview/05/0041.html2.ひかりの輪は、麻原・オウムを脱却し、反麻原・反オウム(現アレフ)の活動を行ってきました。この事実は、第三者の識者による監査や報道機関にも認められてき