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毎年会っている元同じ会衆の友達がいます。JW2世、元開拓者で、海外奉仕もしていた彼女。毎年会っていたのですが、去年の早い時期に会った時、「ピモログちゃん、私、集会いってないんだよね」と告白された。その時びっくりしたし、え?なんで!と思ったけど引き止めたいとかいうより、「理由があるはず」と思ったんです。彼女は周辺のJW2世より考え深い人だったので、「人につまずいた」とか「誰かに何か言われた」とかで離れる(辞める)人ではないと思っていたから。彼女から連絡をとってくることはほとんどな
年末年始に帰省していた次男が、また戻っていきました来る時はあんなに嬉しいのにね。何を食べさせてあげようかな…お布団を干して、気持ちよく寝させてあげないとね…そんなことをあれこれ考えて、来る前は楽しみで仕方ないのに、帰っていく姿を見送るのは、やっぱり寂しい残された人生の時間の中で、社会人になった息子や娘と、いったいどれくらい一緒に過ごせるのだろう。一緒に過ごせる時間は本当に貴重な時間だから、できるだけ大切にしたいと思うご飯はちゃんと食べているのかな…野菜はきちんと摂れているのかな…
エホバの証人の宣教者といえば、雲の上の存在。ひと昔前の宣教者は特に、本当に貧しい生活をしながら宣教に打ち込んでいた人たちだった。今ではJW2、3世が宣教者の割合を占め、ほぼ組織の寄付で渡航、家賃、出費を賄ってもらって海外で宣教奉仕に没頭できるラッキーな方々、親からの援助もあり、そこまで貧しい生活はしていない、むしろパートタイマー開拓者より裕福な印象。さらにノルマがあるの?か?会衆に引っ越してきてすぐに研究生があてがわれる。長老の子供達とか、何もしなくてもバプテスマ受けるだろうね、とい
エホバの証人にとって、1914年はすべての土台です。西暦前607年にエルサレムが滅びた↓そこから預言の2520年スタート↓1914年、イエスが天で王として統治を開始↓1919年、聖書研究者たちが神の組織を導く「忠実で思慮深い奴隷」に選ばれた↓現在の統治体こそ、その奴隷である――つまり、1914年の計算が崩れると、その先の「神に選ばれた組織」という話まで崩れてしまうわけです。私はJWとして30年間、1914年を疑ったことなんて一度もありませんでした。ところがある日、
こんにちは。一応まだ現役のエホバの証人のピモログです。ここ1年ほどの「PIMQ(疑問期)」を経て、現在は100%清々しいほどの「PIMO(組織には所属しているけれど、心は離れている状態)」として過ごしています。皮肉にも、JWが出版している雑誌のタイトルをそのまま叫びたい気分です。「目ざめちゃったヨ!」30年近くエホバの証人として過ごし、疑うことなく信じてきました。でも、自分で聖書を読み、自分で調べ始めると、それまで見えていなかった矛盾や違和感が次々と見え
JW1世の母世代にとって、聖書はもちろん、ものみの塔の出版物こそがバイブルでした。ところが最近の出版物を読んだ母から毎回毎回、「文章がなってない!」「接続詞がないから話が飛んでる!」と苦情が😂昔の「聖書研究」は、聖句を本の聖書から引き、JW出版物ではあったものの、他の本も引っ張り出してきてかなり本格的に「研究」していましたよね、元JWの皆様。それが今では……「聖書レッスン」と呼ばれています。研究とレッスンって、同じじゃないですよね。辞書によると、「研究」は
子どものころは、よく鞭(おしりペンペン)されたものです。小学低学年のころがいちばん多かったと思います。ほとんど毎日、鞭をされていましたね。鞭というのは、文字通りの道具の鞭のことではなく、子どもを矯正のために打ち叩くことを総称して言っていました。聞くところによると、ベルト、ホース、洋裁に使う竹の物差し、布団たたきなどあったそうですが、うちの場合素手でしたので、まだ不幸中の幸いかもしれません鞭をされる理由としては、嘘をついた人のものを盗った友だちを殴った(どんな子どもだったんでし
母は、私より約半年後に目覚めました。40年近くエホバの証人として生きてきた母が、どうやって目覚めていったのか。今回から実録で書いていきます。母はJW1世。1980年代、ママ友だったエホバの証人から聖書研究を勧められたのが始まりでした。「子育てに役立つことが学べる」というのも魅力だったそう。そして意外にも、聖書研究を後押ししたのは母自身の母、つまり私のおばあちゃんでした。「聖書は人生に一度は読んだほうがいい」祖母自身は聖書を読んだことがなかったらしいのですが(笑)、こ
ご存知の通りエホバの証人は組織内(バプテスマを受けた)の男女でのみ結婚が許されます。しかも、姉妹(女性)のほうが圧倒的に多い。以前は、「トラックの荷台いっぱいの姉妹に対して、兄弟1人」なんて言われていました。お分かりだろうか、、、このアンバランス差。中国の男女比よりひどい。1.年に3回の大会は婚活会場みんなものすごいおしゃれしてきますアフリカではプリンセスみたいなドレスで着てますね!日本でも流行らないかな!(アフリカ現役JWTikTok参照)2.
53歳になった今、ふと自分の人生を振り返りたくなり、19歳の頃の失恋を思い出した。断片的な記憶ではあるが、これ以上断片的になる前に、ここに記録しておくことにする。そして、この記録をあの頃の自分と彼女に捧げる。・・・あれは1991年、今から34年前の夏だった。当時、俺は専門学校生で、とあるドーナツショップで、アルバイトに精を出していた。アルバイトを始めて1年ぐらい経った頃だろうか、仲の良い、先輩アルバイトKさんにこう声をかけられた。マイケル(俺の仮名)、今度花火大会に彼女と行くからさ、