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(タウシュベツ川橋梁20235.11撮影)林道を通って行く。赤と白の車止めが置かれている所は、昔、士幌線が走っていた。狐がいた。(写真を撮ったけれどしっぽしか見えない)ゲートがあり、鍵がかかっている。鍵を持っていないとこの先に車は、入れない。ガイドツアーのワゴン車3台に分乗した。このツアーの定員は18人だった。タウシュベツ川橋梁の近くに車を停めて、少し(100m~200mぐらい?)歩く。今、走ってきた林道車を停めたところから糠平湖まで歩く道(流木が
(ネモフィラ畑と武庫大橋武庫川右岸2020年3月29日撮影)昨年まで菜の花が植えられていた武庫川の河川敷花壇(兵庫県西宮市)に、今年はネモフィラが色鮮やかに咲いていました。(ネモフィラ畑と武庫大橋武庫川右岸より2020年3月29日撮影)うららかな春の昼下がり、白亜のアーチ橋武庫大橋にネモフィラのブルーがよく映えます。(プライバシー保護のため一部画像加工しています)橋のたもとには、友達とトランペットの練習をする地元の高校生と思しき
多々良川を渡る600形電車を撮影当時は3両編成の運用も見ることができました写真後方に博多臨港線の線路が見れます写真の600形電車も置き換えの話が出ているとのことですこちらは300形電車2007年まで活躍していました写真の鉄橋は「名島橋橋梁」と呼び、1923年に完成したアーチ橋(橋長211.8m、径間12.0m、16連アーチ橋)とのことです同橋は、土木学会から土木遺産に指定されているとのことです
【23年3月5日探索・6月23日公開】現在地はこの辺埼玉県秩父市浦山この日の私は電車遅れにより予定変更を余儀なくされ、浦山ダム方面にやって来た。この辺って確か廃集落がいくつかあった事を思い出したので行ってみようと思う。この橋は浦山大橋、平成5年(1993)竣工の中路アーチ橋だ。200m程進むとトンネルがある。山掴トンネル、銘板が紛失しているが、以前通行した際に平成8年(1996)竣工とされる銘板は見ている。県道の旧道とは言え好き好んで平成に入ってからこの狭いトンネルは無い
探索日2010/01/11宇佐八幡駅と豊後高田駅を結んでいた8.8km/軌間1067mmの非電化私鉄廃止は1965年8月21日宇佐神宮境内に保存されてる26号蒸気機関車この右の駐車場が宇佐八幡駅跡宇佐八幡駅跡からのびてくる線路の跡右へ曲がっていく宇佐参宮線跡側壁と道路の間のスペースが廃線跡道路脇に路盤跡が残るここは、道路と宇佐参宮線が平行していた水路に残る石積み橋台側溝の左沿いに線路があった右下のやつは鉄道時代の標識か?道路右のあぜ道が廃線
信濃川支流の穂高川にはかつてRCローゼ橋がかかっていました。現在は鋼製の桁橋に架け替えられましたが、どのような場所なのか確認しに行きました。詳しい地図で見る常盤橋東詰から。下流側に側道橋が併設されている。北東から。なんとも面白みのないサイドビュー。写真からでも全体に完成してからそれほど年月が経っていないことが感じられる。南東から。側道橋は先代のときに建設されたと思われる。側道橋にはセンターラインの跡があった。自転車の対面走行用かな?現在の常盤橋には上流
【23年8月16日探索・8月31日公開】現在地はこの辺親柱は、右岸側の2本だけが残存している。何か文字が刻まれているっぽいが、何と書いてあるのかはわからなかった。それはもう1本の親柱も同様だ。上流側を見る。が、特にコメントは無い。下流側はもっとコメントが無い。とりあえず渡橋し、左岸側に行ってみる。で、サイドビューを撮影したんだが、構造がよく見えない。石造りなのはわかったが。で、もう一度右岸側から少し下りて
探索日2013/02/10高梁川橋りょう架け替えにともなう線路移設橋は二度架け替えられているつまり、初代線/二代目線/三代目線(現行線)が存在するということ最初の架け替えは1924年2月、二度目は1968年9月ここで紹介するのは二代目線のほう玉島駅は現在の新倉敷駅現行橋は上下線一体やけど、二代目橋は別個の橋が架かっていたひとつは1891年山陽鉄道開業時、片方は1924年複線化時に追加されたものか最初の架け替えは、複線化による橋梁増設のことを言っているのかもしれない
こんにちは。昨日は、総合ジャンルランキングで14位でした。おおおっ!!!少しランキングアップ♪嬉しいです。有難うございます!!!公式ハッシュタグランキングは100位内に、#ウーパールーパーが47位、#マルタが56位、#握手会が81位、#ペチュニアが89位、#ギリシャが90位、#ガーランドが93位にランクインしました。(前日比)前日からのランキング外になったハッシュタグはありません。一進一退ですね!いつも訪問やいいね!を本当に有難うございます。これからもぼちぼちやっていきま
【19年11月3日探索・20年5月16日公開】群馬県甘楽郡南牧村大字小沢11年ぶりに見た昭和8年架橋・長瀞橋を見て、そこからさらに約700m、県道45号線を進んだ。現在地はここ弁天橋の手前を左に入って行く。目的地は、この先にあるはずの磐戸鉱山の跡だ。左折るといきなり坂道がキツイ。この沢沿いを進んでいく。沢の名は弁天沢という。沢の底面が特徴的なんだが、人工的に石を埋め込んでいるような造りはあまり見かけたことがない。これも砂防事業の一環であるよう
山形の世界遺産山形県大江町日本一公園2024.6「歓迎日本一公園」の幟旗を偶然目にして、ずいぶん大きく出たな、何が日本一なんだろうと思いました。細い車道を進むと間もなく誰もいない展望地に着き、目の前に絶景が広がりました。正式名称を「左沢(あてらざわ)楯山城史跡公園」といい、豪族大江氏の居城があった場所のようです。眼下には悠々と蛇行する最上川と輝く町並み、遠方には朝日連峰の山並みも見渡せます。ひとしきり景色に見とれた後で、「何だか見たことがあるような風景だな。ヨーロッ
U&C橋百選「平安の風わたる公園」内にある人道橋美しい3連太鼓橋形式:コンクリート造アーチ橋橋長:107,0m
タウシュベツ川橋梁北海道遺産にも登録されている「タウシュベツ川橋梁」は北海道河東郡上士幌町にあるコンクリート製のアーチ橋のこと。このアーチ橋の上には、1955(昭和30)年まで国鉄士幌線が走っていたのですが、糠平ダム建設に伴い糠平湖の湖底に沈むことなり、線路切り替えのため廃線になったものです。しかしながら糠平湖は季節によって貯水量が変わることから、貯水量が少なくなる1月頃から姿を現し、水位が上昇する6月頃から沈み始め、8~10月頃には湖底に沈むとされています。また湖底に沈む
三好橋(みよしばし)世にも奇妙な大変身当時、東洋一の吊り橋からアーチ橋へ吉野川に架かる最長老橋「架け変えず改造で・・・」池田大橋右岸交差点を上流方向(三縄方面)に右岸を走行していると右手に重みがある歴史を感じる橋が現れます。『三好橋(みよしばし)』です。普通のアーチ橋のようです。吉野川・右岸下流側からの風景です。池田ダム湖は吉野川の水で満たされています。この辺りを境に上流側は川幅が狭くなり小歩危峡~大歩危峡へとつながり美しい渓谷美を醸し出します。下は、右岸か
旅二日目は早めに阿蘇高原の宿を出発し、宮崎・高千穂へ高千穂は夢に出てきてからずっと行きたくて焦がれた場所。行くにあたり、いろいろと調べたのですがどうも頭に入ってこない。地図や順路もいまいちピンとこず、どこを巡るかもどうにもはっきりしてこない。とりあえずは高千穂峡と天岩戸神社へだけは行きたい。これだけを決めて、あとは注意すべきことを調べよう。そう思っていたら、SNSでちょうど高千穂峡に行かれた方の「これに注意」や「ここがおススメ」などの投稿が次々にあがってきたので、そちらを参考
今回から四回連続で長野県民のソウルブリッジ、コンクリートローゼ橋を紹介していきます。第一回は伊那市の水神橋です。以前に紹介した長野県の同形式の橋には木曽福島町の大手橋、広胖橋、駒ケ根市の松木平橋があります。詳しい地図で見る見るからに時代を感じさせる3連のコンクリートローゼ橋、水神橋。古い橋らしく車がすれ違うのは難しいため、手前で対向車を確認する必要がある。西側のみ親柱が設けられているが、何度もぶつけられた跡があり銘板もなくなっている。西側のアーチの横
【20年9月21日探索・21年1月8日公開】現在地はここ藤木橋バス停があり、そのすぐ先にも赤い欄干の橋が架かっている。30mほど下流に架かる富士屋旅館に至る橋と兄弟のような橋だ。たぶん架かった時期も同時期なのだろう。残念なのはこの橋も個人所有と思われ、渡る事が叶わない事だ。仕方がないので、見られる範囲で観察しようと思う。木製の方丈ラーメン・・・いや、方丈ではあるが、桁橋になるのかな。上流側からも見てみる。もう少しこの橋の素性が知りたい気はしたが、