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前回、元連合赤軍の植垣さんについての記事を書いたが、植垣さんのことを思うと、つい反射的に元オウム真理教の最高幹部だった上祐さんのことも思い出してしまう。自称フリージャーナリストを名乗っているだけあって、歴史的事件をしる人物とは直接会ってみたいという興味がありもう7年ほど経つが、上祐さんのところ(ひかりの輪)に個人的取材へゆき、上祐さんとふたりで30分から1時間ほど対話したことがあった。(詳しくは2017年2月28日と3月2日にアメンバー記事『J』で書いてアップしている。これ
葬儀前の青木はお姉さんの亡骸を前に号泣。そしてお葬式。喪主は青木。青木を見て、卒倒しそうになる薪さんを背後から支える岡部さん。青木は葬儀に参列する薪さんを見つけると「捜査から外さないでください」と土下座して懇願します。青木の母親がそんな青木を叩く。「お前が死んだ人の脳なんか見てるからこんなことに!あんたが!あんたが!」泣きながら青木を叩き続けるお母さん。このシーンは辛い。青木も、青木のお母さんも、薪さんも。他のみんなも。観ていて泣けた。薪さんの夢。拳銃を自分の頭に向けた鈴木と青木
(1)オウムへの入信と修行オウムの犯罪の原因となったのは、麻原・オウムの教えと修行である。そこでまず、私自身の体験を要約して述べた上で、今の時点で、私が、それをどのように反省しているかについて述べたいと思う。●入会(入信):1986年、23歳の時私がオウム真理教の前身団体であるオウム神仙の会に入会したのは、一九八六年の夏、23歳の時だった。当時は早稲田大学の大学院の修士課程の2年目。動機は、以前から超能力や超常的なことに関心があり、ヨーガに関心をもっていたからだ。私
●麻原の獄中メッセージ一九九五年の十月に偽証・偽造の罪で逮捕された。容疑は明らかで否定できないものであり、私は、いたずらに争う意味はなく、早く受刑し早く出所した方がよいと思ったが、麻原への依存が依然として深く、自分では決められなかった。そうする中で、麻原が、いわゆる「獄中メッセージ」を弟子達に出した。その要点は、①自分は、今、食事等を厳しく制限しつつ、ヨーガの呼吸法や密教の瞑想の極限的な修行をしており、②その修行で、陽神(仙道における不死の身体)を作る。それにかかる時間は遅くとも
■大量殺戮、国家との対決意図を強固に示す1994年は、ますますヴァジラヤーナ活動が加速化し、武器製造や暗殺等の違法行為が教団の裏で本格化していきました。麻原は、この年の2月、その意図を一部信者らに明確に示しています。判決では以下の通り認定されています。被告人は,かねてから自己の前生は中国を宗教的政治的に統一した明の朱元璋であるなどと公言していたが,同年2月22日から数日間,村井,新實,井上,早川,遠藤,中川ら教団幹部や真理科学技術研究所のメンバーその他の出家信者ら合計約8
カルト教団オウム異聞---"美女信者たち"飯田エリ子の罪と罰飯田エリ子は、文化女子短大を卒業後、三越に就職した。だが、1ヶ月で辞め損保会社・日産火災海上保険へ転職する。そのころ彼女が何を悩んでいたのか知る由もないが、あるヨガサークルに入門した。もちろん、その団体がカルトであるとは、知らなかった。教祖・麻原彰晃に悩みを見透かされ、彼女は、教祖の霊的能力を信じてしまった。損保会社の同僚に「石井久子」がいた。『ヨガ道場に凄い人がいるのよ。今度行ってみない?』石井久子は、家庭が面
【0】はじめに【1】オウム・麻原信仰からの転換・脱却のプロセス(1)1転機となった出来事――宗教テロの原因への気づき2オウム脱却のプロセスを振り返って(1)上祐代表によるアーレフ発足(2000~2001)(2)麻原彰晃とわたしの魔境――ヴィジョン至上主義という問題(2001~2003)【2】オウム・麻原信仰からの転換・脱却のプロセス(2)(3)新しい宗教観の始まりと教団改革(2002~2003)(4)オウム・麻原信仰からの転機――教団から
諸般の事情によりAmebaブログの更新を停止し、今後はgooブログテレビが広めたオウム真理教第2部https://blog.goo.ne.jp/mpproject002として記事を更新していくことに致しました。当ブログを読んで下さった皆様には感謝申し上げますと共に今後も時々見て頂ければと思います。皆様誠にありがとうございました!
30年前の1995年3月20日(am8時)は、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった日である。思えばこの年は、事件の2ヶ月前の1月17日に、阪神大震災という、未曾有の災害が起こった激動の年でもあった。地下鉄サリン事件については、先ほど21時から関西テレビで2時間ドラマ(主演津田健次郎)として放送していたが、明日3月22日(土)17時30分からのTBS「報道特集」ではドキュメンタリーという形で報道される。なので、あらためて、この日のホロスコープを検証してみたいと思う
「在日信者を通して北朝鮮に潜水艦を売った統一教会(4)」の続きです。<北朝鮮に旧統一教会信者が潜水艦を仲介>【TBS・報道1930】2022年10月12日(水)放送(19分からご覧ください)*****************1990年4月11日、文教祖はソ連崩壊前にモスクワでゴルバチョフ(※オランダ系ユダヤ人)と会談します。(ソ連崩壊後、エリティン政権下、アメリカ主導でオリガルヒ(ユダヤ系)がロシアの国有財産の民営化・経済自由化推進し、富を独占した結果、ロシア経済崩壊危機)http
(1)麻原の人格の心理学的な分析私達が2007年に、麻原信仰を払拭し、アレフを脱会する上で大きな課題となったのは、麻原彰晃という人物をどう理解すればよいのかということだった。一般の人から見れば、麻原は人殺しの狂人にしか映らないだろうが、それだけならば、信者になるわけがないし、また、事件発覚後も、信仰を続ける人がいるわけがない。つまり、信者にとっては、自分達が麻原に帰依する理由となった、自分達が体験した彼の能力と人格と、彼の犯罪に関する狂気が、なかなか同じ一人の人間のものとは思えな
パート2までの内容は、かなり前から知っていました。今年の3月くらいでした。私の構想を、オウム真理教の麻原彰晃さんが20年も昔にすでに描いていて、愕然としました。占いを続けるか続けないか悩んでいた時期でもありました。「麻原彰晃さんはお金に走りすぎて自滅した。だから、僕は占いで儲ける気はない」と、5月中頃に思いつきました。ドネーション制にする、と決意しました。麻原彰晃さんの弱点を、自滅した原因を、徹底的に排除する狙いです。これを公表することによって、集客ができなくなってしまいますが
テレビでオウム真理教の地下鉄サリン事件から30年とやってましたあの、宗教がらみの大事件あの、オウム真理教が東京の地下鉄がサリンでテロを起こして騒然としてその事件のせいで駅にゴミ箱が無くなったりしましたあれから30年あの頃朝、会社で大騒ぎしたっけ・・・教祖は麻原彰晃、山梨県の上九一色村(今は名前が変わってる)にサティアンという巨大建物を作ってアジトにして色々活動してました麻原が逮捕される瞬間も話題になったりしてサティアンに籠ってる麻原が大勢の捜査員が乗り込んでとうとう捕ま
当団体「ひかりの輪」は、オウム真理教犯罪被害者支援機構との間で2009年に締結した新たな賠償契約に基づき、本日(2025年3月17日)、被害者賠償金50万円をお支払いさせていただきました。これにより、当団体発足後の被害者賠償金のお支払いは、以下の通りとなりました。・2007年6月13日200万円・同年9月26日200万円・2008年3月20日200万円・同年7月9日200万円・同年10月2日200万円・同年12月26日
とんねるずの生ダラ「麻原彰晃の青春人生相談」(1991年12月上旬放送)たけしのTVタックル「祈りの丘」(1991年12月下旬放送)とんねるずの石橋貴明、木梨憲武の両名は、まるで腫れ物に触れるかのような気の使い方で麻原に接している様子が見てとれる。生ダラという番組の中の約15分ほどのコンテンツという位置付けだったと思われるが、話題となるには充分だった。一番の決めゼリフは麻原の言った「シャンプーはベビーシャンプーを使っています。」という一
※作品評価は◎=おもしろい○=ふつう△=う~む×=よくない珍=珍作3月前半の民放は8本。番組改編期で本数は少ないものの、“ドキュメント九州”ではまたまた鹿児島テレビから年間ベスト級の良作が出てきました。鹿児島に本拠を置く“ラグーナ出版”にかかわる人々を映した『こうして僕らは生きている』。FNS九州8局共同制作「ドキュメント九州」こうして僕らは生きているドキュメンタリー。www.kts-tv.co.jp精神保健福祉士の川畑義博さんが設立し、精神疾患・障がいがあるスタッ
本日、オウム真理教の松本死刑囚への刑が執行されたそうです。それ以外にも6人、計7人への刑が執行されたとのこと。現時点で執行はまだのようですが、私は広瀬健一死刑囚と一時期、同じ職場で働いていました。新宿にあった塾で、私も彼も講師として働いていました。どちらも数学と理科を担当していましたが、私はどちらかと言えば数学、彼はどちらかと言えば理科を担当していました。とにかく真面目で純情な人でしたねえ。中3の女子に、「ねえ先生、キスしたことある?」なんてからかわれて、顔を真っ赤にしているような人でした
この「上祐史浩個人の総括」のコーナーは、上祐史浩(「ひかりの輪」代表)個人が書き記した、オウム真理教・アレフ時代を総括・反省する文章を掲載するコーナーです。文章が書かれた時期は、2007年3月の、オウム真理教の後継団体「アレフ」(現aleph、旧アーレフ)脱会時から、2012年末までの時期です。(※以下は、このコーナーの目次となっています。それぞれの項目の表題をクリックすると、該当のページに移動できます)1.『上祐総括:オウム入信から現在まで』上祐史浩がオウム真理教の前身・オウ
(2)反省1:麻原が最終解脱者という妄信次に、ここまで述べてきたことを前提にして、麻原・オウムの修行において、いかなる盲信の仕組みがあるかについて、多少述べたいと思う。まず、麻原が最終解脱者という主張について、私こそが知る話がいくつかある。●最終解脱者を自称したに過ぎないこと麻原は、私が入信する直前の一九八六年七月に、ヒマラヤで「最終解脱」したと主張した。しかし、当時において様々な海外の高僧の称賛の言葉があったが、よく調べてみれば、現地の高僧などに認定されたものではなく、麻
ヒロインAmazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}ある宗教団体の幹部が起こした「渋谷毒ガス事件」。この事件にまきこまれた女性信者の、17年にわたる逃亡の物語。これはどう考えても、オウム真理教による「地下鉄サリン事件」を下敷きにしているのだけれど、本作「ヒロイン」は、あくまでも桜木紫乃さんによるフィクション。カルーセル麻紀さんをモデルにした「緋の河」「孤蝶の城」でも、桜木さんは、確固たる人物を描ききり、桜木ワー
※作品評価は◎=おもしろい○=ふつう△=う~む×=よくない珍=珍作3月後半のNHKは23本。前半と合わせると月間44本とかなりの多作で、年明けからの総本数も107本と、昨年より1か月早く100本越えとなりました。年間ベスト級作品も3本。その中でも完全なダークホースだったのは、3月21日に放送された『運転席からの風景』スペシャル版からの続きで、山口県の錦川鉄道沿線にあり、3月で歴史に幕を閉じた岩国高校の分校に通っていた最後の卒業生を映す『最後の卒業式岩国高校広瀬分校の12人』。
「日本政府は知っていた。」「地震津波の8日前に知っていたんですよ。」日本の元政治家、井戸川克隆氏による311についての証言です。#東日本大震災#地震#津波#政府#電力会社#Twitter拡散pic.twitter.com/Urov9quQFt—すずめQAJF(@suzu_suzuchi)March11,2024「ベントする時、東電はためらわなかったのか」〜井戸川前双葉町長の訴えwww.labornetjp.org2013年12
早いものでオウム真理教による地下鉄サリン事件から30年が経ちました。北海道新聞に掲載されたジャーナリスト・江川紹子氏による事件を振り返ったコラムから、「なぜ、人はカルトに惹きつけられるのか?」、「何が彼らを引きつけたのか?」を考えてみました。コラムの中で江川氏は事件の犯人達は、教団と出合う前は、我々の隣にいてもおかしくない、ごく普通の人だった、と書いています。そして彼らの多くは大学で学び、大学院を出た優秀な者も何人か、かといって、とっつきにくい頭でっかちでもなく、家族や友人に好
『上祐総括:オウム入信から現在まで』目次これは、上祐史浩個人によるオウム・アレフ時代等に関する反省・総括文です。この文章のもととなる総括文は、すでにアレフ脱会時の2007年には書かれ、公表されていましたが、その後さらに改訂されたものを以下に掲載しています。【1】入信と麻原への帰依(1)【2】入信と麻原への帰依(2)【3】オウムの犯罪と武装化:1988年~1989年【4】オウムの犯罪と武装化:1990年(1)【5】オウムの犯罪と武装化:1990年(2)【6】オウムの犯罪と武
1988年8月某日オウム真理教富士山総本部道場開設式典において、チベット密教カギュ派のグルであるカール・リンポチェを招き記念行事が行われ、リンポチェ師による説法、次いで麻原らによるイニシェーション等が行われた。このイベントに私(筆者)も在家信徒として参加した。夕方に集合し夜から翌朝までぶっ通しで行われ、途中で食事も振る舞われた。〝オウム食〞という言葉が盛んに言われるようになったのもこの頃からだった。相当な人数が集まり、結構広い富士山総本部道場が人でごった返した。約300人はい
このブログは、ひかりの輪とその会員が、地下鉄サリン事件をはじめとする数々の犯罪行為を行った「オウム真理教」について反省・総括して、その教訓を残すとともに、オウム問題の解決の一助になればと願い、開設されたものです。(※主に2008年以降に作成した反省・総括文を十数年前から公開していた「ひかりの輪」運営のサイト「オウムの教訓ーーオウム時代の反省と総括の概要」を、このたび〈2022年4月に〉移設したものです)この試みを通じて、麻原彰晃こと松本智津夫(2018年7月6日に死刑執行)と、麻
朝霧高原は1年中来てます冬でも雪は❄️積もるほどではない夏は牛🐄の放牧でいい景色ですさてここは、、、、ここから見る富士山🏔️は違う気持ちがしますオウム真理教のサテアンがあった場所🏟️今は公園になってますブログに書くのは初めてですここでサリンが作られた警察👮がカナリア🐤の籠🧺を持って突入した映像は衝撃的だった大勢の信者が暮らし最後、麻原が捕まったのもここ以前は上九一色村とよんでました慰霊碑が建っているんです麻原が捕まってから今年で30年何度かテレビで放映されるのを
どっかで聞いた話。占い師に資格は不要らしい。真偽は不明。ジャーナリストもとくに資格はいらず、自己申告でいいのだろうか。だったら素人のオレがジャーナリストを名乗っても問題はない。このブログのプロフィールに「自傷フリージャーナリスト」と示してあるが別に誤字ではない。‘自虐的な’という意味も込めて、自称フリージャーナリストではなく、自傷フリージャーナリストとしておいた。もちろん正式にそれでメシを食っているジャーナリストではない。ブログ開始当時の自己紹介には自傷フリージャーナ
(10)1994年、ロシア滞在中の出来事●94年の日本におけるヴァジラヤーナ活動裁判等の資料によると、1994年は、①麻原一行がオーストラリアに旅行してウランの発掘調査、②10月には清流精舎で麻原が、教団が毒ガス攻撃を受けていると説法、③11月中旬にサリンの試作に成功、④秋頃はマイクロ波兵器、レーザー兵器開発を検討、④11月・12月には創価学会の池田大作氏に対してサリン暗殺未遂事件、⑤第3サティアンに硝酸プラントを作る作業があったなどとされている。しかし、これらはいずれも、自分が、
■毒ガス製造隠蔽のために第三者を攻撃1995年1月1日、『読売新聞』朝刊は、上九一色村でサリン残留物が検出されたと第一面で報道しました。記事には、前年の松本サリン事件が発生した長野県松本市と、隣接する山梨県の上九一色村の位置関係が図示され、事件の犯人は、オウム真理教と印象づけるものでした。これに麻原ら教団の上層部は危機感を持ち、教団への疑惑をそらすための記者会見を開きました。毒ガス攻撃を受けているのは教団の方であるとして、信者に生じている健康被害のデータを公表するとともに、教団へ