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娘がホロコーストの勉強を始めて、その存在を知ったミラノ中央駅の21番線プラットホーム。1943年、第二次世界大戦中のヒトラー統治下において、ミラノ中央駅からアウシュビッツ強制収容所への電車が発車していた場所とのこと。結果的に4月に学校からの校外学習で行くことが分かったのですが、分かる前に予約していたこともあり(予約したのはもう2ヶ月ほど前、予約がいっぱいでそんな先までしか予約できなかったのです。)学校から行くしキャンセルしようかと思いながらも、私も行ってみたい気持ちがあり、そのままにしていた
我が家にある我が家の最古の漫画。海をまもる36人の天使。丘けい子さんは1947年生まれの漫画家さん。昭和30年にあった出来事を漫画にしたと書かれていて実話なのかな・・・と調べて見たら若干の設定の違いはあるけれど実話を元にした話だそうです。丘けい子海をまもる36人の天使実際の水難事件を元にした実話(premium-goma.com)この単行本には他に2作品収録されていて発行。初版は1968年。
アウシュビッツ写真の続きです。写真が多くて、詳細を載せるのも一苦労。それゆえに更新が遅いのをお許しください・・・;今回は簡易裁判所~ガス室一歩手前まで。簡易裁判所の写真アウシュビッツのなかでも、一応ルールはあったそうです。簡易的でも多少のルールがないと、施設内の風紀乱れてしまうからです。ということで、一応の裁判所。脱獄を試みた収容者、脱獄しようとした収容者グループの連帯責任を問う場所。裁判の
写真掲載最終回です。この暗いテーマもようやく終わりです;;やっと大まかな写真を全て載せることができました。実際は10倍くらい写真を撮っているので…選定もかなり時間がかかります。掲載している側もですが、読んでくださっている方にもかなり重たい内容ですよね…読者登録していただいている方には更新の通知が行ってしまうのであまりショッキングな写真を頭に載せないようにはしていますがもし気を悪くされたらごめんなさい。そして、いつも読んでくださっ
持ち駒を切らし、別れたとはいえ心の支えだった元カレからの連絡は途絶えた。元カレからはなんだか避けられているようだ。彼の中に何かしらの心境の変化があったことは確実だと思う。この1ヶ月色んなことがあった。毎日辛くて、動悸や食欲不振、不眠症に悩まされた。精神科にも通って薬飲んで、治療も受けて…それでも辛い毎日は続いている。でも、少しだけ気持ちも落ち着いてきた自分もいる。薬が効いてるのかもしれない。もしくは、時間が少し癒してくれたのかもしれない。なぜこんなに私ばっかり苦しまなきゃいけないのか。
ポーランド旅行記3日目は、朝9時からの岩塩ツアー。訪れたのはヴィエリチカ岩塩坑というポーランド世界遺産の岩塩採掘場。壁も床も全部塩。体育館並みのホールで、圧巻。1044年から採掘作業を開始して1950年まで稼働していたこの岩塩洞窟。1044年からって、相当です。日本がまだ平安時代の「やんごとなき~」っておじゃる丸の世界ですよね。そんなときから採掘してたって…すごいですね。いたるところに、歴史に関する彫
アウシュビッツについては、心を落ち着かせて書きたかったのですがどうやら私は感傷的になると、日本語での執筆よりも英語での執筆の方が進む傾向があるらしく英語で書いて、自分で翻訳するという訳の分からない状態になりました。大学院に行けたら、こういう状態を何と呼ぶのか、第2言語習得の資料を探してみたいと思います。今回は少しの写真と文章のみ。少し時間をおいてから、説明付きの写真をアップしていきます。Ithasbeenalon
この世界を見ると、あなたは悲嘆にくれます(distressedディストレスト)。自分の心をのぞき込むと、あなたは鬱のようになります(depressedデプレスト)。もし神様を見るなら、あなたは平安になります(restレスト)。↑の言葉は、アウシュビッツの地獄を、希望を持って生き抜いた伝説の女性、コーリー・テン・ブームの言葉です。英語の末尾が「レスト」になる3つの言葉を使って、「外、内ではなく、上を見て!」と、なおも苦難の時代の中にある私たち一人一人に彼女は呼びかけます。その言葉は、まるで
旅行から帰ってきたので、ようやく更新できます。アウシュビッツの写真を、ガイドさんから伺った情報とlebebeが個人的に調べた内容と共にアップします。気を悪くされるかもしれませんので、ご覧になる方は一部ショッキングな写真があることを承知の上でよろしくお願いいたします。アウシュビッツ入り口こうした看板も、当時の収容者が強制労働の一環で作っていたそうです。働けば救われる、という意の門。
第2次世界大戦中、ナチス・ドイツはユダヤ人だけでなくポーランド人も強制収容所に送りました。『ソフィーの選択』の主人公、ソフィー(メリル・ストリープMerylStreep1949-)もその一人です。アウシュビッツに着いた時、彼女は二人の幼い子どもと一緒でした。しかし、戦争が終わり、アメリカに渡った時、子どもたちの姿はありませんでした。彼女は人生で何を選択したのでしょうか?<あらすじ>※ネタバレ注意作家志望のスティンゴ(ピーター・マクニコルPeterMacNicol19