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1948年6月1日新たな指令が届いたエアハルトさんはドイツに対する関心はなくなっていたが共産主義に興味を持つようになっていた当時米国内では共産主義者狩りが激しくなっていたバルビーを引き渡したフランス国内はどうなっているのだろう既にフランス国内には新政府が成立していたが政府内にどれだけ共産主義者がいるの知りたくなっていた
ある日エアハルトさんはバルビーがユーゴスラビアの通信社の記事を複写しているのをみつけた「そんな情報は誰でも集められる極秘の情報が必要なのだ」とバルビーに言ったこの期間バルビーが残した情報のなかで重要なものはドイツのチェコ国境近くでロシア人がウランを採掘していることだけだったやがてエアハルトさんはバルビーが大物の戦争犯罪者であることを知ったとりわけフランス国内での殺戮の首謀者として連合国軍特にフランス軍がバルビーを追っていた
大した戦争犯罪者を相手に仕事をしているのはご存じですか?と上司に問い合わせた。すべてわかっているだが貴重な人間であることに違いはないやがてフランス軍に引き渡すことになるだろうと上司は答えたその後米軍はバルビーに引き渡さないでボリビアに逃亡させたボリビアでバルビーはのうのうと生きニュースでも報じられその後フランスに送られたバルビーが「リオンの殺し屋」という異名を持っていたことを知ったのはその後のことだ
なぜ即刻逮捕しないのかとも考えたがそれなりの事情があるのだろうと推測したバルビーの事務所をダウンタウンに構えさせて秘書もつけた毎日数ページの報告書を作成し提出するようにと言われバルビーは膨大な情報を提供した一カ月が終わると上司がバルビーに渡せと刷りたての米ドル札を1700枚が入った封筒を差し出したバルビーは情報を流すことでこんな大金の報酬を得ているのだ相応の内容でなければとエアハルトさんは思った
ドイツ東方研究所は東プロシアのケーニスベルクにあり30人の法律学者大学教授裁判官親衛隊幹部などが所員だったエアハルトさんはソ連人を皆殺しにする考えに懐疑的だったので彼らと一緒に話そうとは思わなかったエアハルトさんは文化人類学教授としてクラウス・バルビーと親交を深めるようになるとクラウス・バルビーから情報を引き出すようにと令じられた