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松本零士さんがまもなく80歳を迎えます。そのお祝いの記念本(小学館発行)の為に、松本さんの家で対談しました。二人は、十代からの友達。漫画家になったばかりの新人の頃は二人とも、貧乏でいつもいつもおなかがへっててねー。松本さんは、いつか原稿料が入ったら、座布団くらい、でっかいビフテキを食うんだ、というのが口ぐせでしたよ。いろいろ、懐かしくて楽しい話が続いて尽きなかったけど・・・そうそう最後に、昔、松本さんの下宿でインスタントラーメンをご馳走になった時、ワシの丼に、例の「サ
☀️今、出ている「ビッグコミック」の『ひねもすのたり日記』です。58年も昔の話、手塚治虫さんがワシの家に遊びにきてくれた時の思い出を描いてみました。みんなで楽しく、でも、真剣に・・マンガの表現の問題などとっても大事な話をしていた時に・・酔っぱらった漫画家仲間のひとりが、手塚さんのサインが欲しいなんて言いだしてねー・・・しかも、同じく酔っぱらっていた他の連中までもが調子に乗って・・・あっという間に我が家は、手塚治虫御大のサイン会場に。手塚御大は、イヤな顔ひとつ見せな
松本零士さんが、2月13日、心不全で亡くなりました。ワシは松本零士さんとは十代の頃からの長い長いお付き合いです。二人とも、新人時代はいつもお腹をすかせていてねー。松本さんの口癖は「いつか漫画家で成功したら、座布団のようなステーキを食ってやるっ」・・でした。二人はその後、必死に頑張って締め切りに追われる、命懸けの毎日。松本さんは大好きなステーキの座布団を十枚は食べたと思います。マンガを描いたりアニメを作ったり、講演会や展示会を開いたり、旅行をしたり、超、忙しい充実した
友人の北見けんいちさんが、自分の師匠の、赤塚不二夫さんや漫画家仲間のことを、思い出すままに語った楽しい一冊が出版されました。楽しい・・というより、とても貴重な、と言った方が正しいかなー。あのトキワ荘に住んでいた先輩や漫画家仲間たちのクセや記録、お付き合いがあった、名物編集者さんたちの人物像など等・・・。まあよくそんなエピソードを覚えているなあと感心するエピソードがいっぱいです。赤塚不二夫、高井研一郎、古谷三敏、藤子F、藤子A、石ノ森章太郎、つのだじろう、さいとう・た
「ひねもすのたり日記」の最後です。林家一門のおかみさん海老名香葉子さんは・・・・毎年、上野の寛永寺のお坊さんに来ていただいて・・・・79年前の1945年の春先、あの悲惨な東京大空襲があった日を決して忘れてはならないと、慰霊祭を開いています。上野公園、西郷さんの銅像のすぐ近くに「時忘れじの塔」を建立。その、塔の前で戦争の悲惨さを伝えるお話しをしたり、集まったみんなで、童謡や反戦の歌を歌うのです。これが「時忘れじの塔」愛と悲しみの、母子像です。いつも集まってくれ
先日、漫画家仲間のあだち充氏と武論尊氏が主催する⛳ゴルフコンペのあとの宴会に、お呼ばれして行って来ました。我が家のすぐ近くのお店だし、古い顔馴染みの編集さんもいっぱい居るから「ちょっと顔見せなよう」と北見けんいちさんが言うので、ママチャリでひとっ走り。行ってみると、コロナ禍あけ、なん年ぶりかのコンペだそうで、みーんな久しぶりに会う懐かしい顔ぶればかり。左から、やまさき十三さん、武論尊さん、ワシのすぐ後ろがあだち充さんで、一番右は北見けんいちさん。みんなもう、すっ
昨日はねー、ゴルゴ・・じゃない、「ゴルゴ13」の作者、さいとう・たかをさんが生前、愛用していたゴルフクラブが届きましたよ。ほら見て、これは「ゴルゴ13」のドライバーのヘッドカバー❗❗奥さまの輝子さんがクルマで、わざわざ練馬の我が家まで、持って来てくれたのです。感謝。ワシが右手に持ってるのはたかをちゃんが生前、とても大事にしていたヒッコリー(木製)のパター。今度ゴルフのとき、これを使ってプレーしたら、たかをちやんと一緒にラウンドしている気持ちになって楽しいだろうなー
ワシの体調や、コロナのこともあり、ここ数年会えなかった、漫画家の親友「丸出だめ夫」の森田拳次さん。お見舞いに海老名香葉子さんの知人の車にのせてもらって横浜の施設まで会いに行って来ました。途中、おしっこタイムで、何度も高速道路をおりて、熱中予防の為に水分を取りながらの、休み休みの旅。やっと着きましたーーっ。オオー、森田さん、ひげを剃ってさっぱりしてしまったけど元気で食欲も旺盛、みんなで大好きな和菓子や貝柱をモリモリ食べてとてもごきげんでした。森田さんが描いた色紙です。
🛐最近、描いたイラストです。オリンピックみたいに胸に日の丸をつけていますが・・・・ご先祖様や戦没者たちの慰霊をし、深く感謝している二人の子供の姿です。どうか、日本の国の近未来がこの子たちが、幸せだと思ってくれる、しっかりした国になりますように。😡💢🔥NO・WAR❗❗
次の『ひねもすのたり日記』の予告です。近ごろ、ずいぶん暑くなりましたけど、皆さんお元気ですか?ところで・・・・またまた、今回も海老名香葉子さんのお話しです。その香葉子さんはね・・・・ただ、終戦の年、香葉子さんがまだ幼い小学生の時、すぐ上のお兄ちゃん一人だけは助かりましたが、あの大空襲・・・・でおじいちゃん、おばあちゃん、ご両親、それに、たくさんいた兄弟たちをいっぺんになくしてしまいました。まあ、それはそれはずいぶんつらい体験をされたようです。でもね。なくなっ
何週か前に、尾藤イサオさんが、TVクールと一緒に我が家に取材に来てくれました。お会いするのは久しぶりです。半世紀も昔、テレビや映画になった頃の「あしたのジョー」をめぐる想い出話しをいろいろと・・。対談を終えて、二人が立ち上がりかけた時TV局のプロデューサーが、尾藤さんに、「ジョーの主題歌を歌ってくれませんか」とお願いしてね。「えっ、今ですか・・」尾藤さん、一瞬ちょっと困った顔をされたけど、ゆっくり深呼吸をひとつして・・・・歌い始めました。「サンドー・・バッグに
1945年、79年前の終戦の年。中国大陸から引き揚げる時は、まだまだ生まれて間もない弟。ワシは六歳だから、けつこう重いリュックを背負って歩かされましたが末の弟はいつも母親の胸に抱っこでした。その旅の途中、ときどき怪しい男が近づいて来てね・・・・すっかりやせて顔色の悪い弟を指さして、付きまとうのです。そんな男を振り切って、家族みーんな栄養失調になりながらもほぼ一年かかって、何とか無事に日本に帰国できましたが・・末の弟はもう少しで失明寸前の危険な状態。でも、おばあち
今日はとても忙しかったです。まずは3時頃、銀座の東京会館で、作家の伊集院静さんの、お別れの会が開かれていてね。ワシ、うっかり遅刻して駆けつけたんだけど、みんなて献花した後、阿川佐和子さんが司会をして作家仲間の大沢在昌さんや北方謙三さんがお別れのスピーチ。最後に篠ひろこ夫人と佐和子さんが、伊集院さんの想い出話、人となりを掛け合い漫才みたいにやって、本当は悲しい会なのに、微笑ましく閉めてくれました。そのあと大急ぎで如水会館へ移動して、ワシが今連載している「ビッグコミッ
✨ワシの四人兄弟の一番末の弟、千葉樹之(しげゆき)が、昨年12月30日18時30分に旅立ちました。ここしばらく体調を崩しておりましたが、自宅でワシら家族、沢山の孫たちに見守られての、79歳の幸せな人生でした。先日、豊島区落合斎場で家族、親戚たちだけで見送ったことをここに、ご報告いたします。生前は、七三太朗(なみたろう)のペンネームでマンガの原作者として、また、ちばあきおやワシのストーリーのアドバイザーとしても頑張ってくれました。晩年、そっくりになってワシ、自分の
すみません、また又私(わたくし)ごとですが・・昨年の、暮れも本当に押しせまった令和5年12月30日の晩、樹之は79歳でした。・・その弟の人生や人となりを兄として偲びながら、(樹之が生まれたばかりの家族写真)彼との想い出話を、次回の『ひねもすのたり日記』に描いてみました。(続く)🛐震災の支援が早く届いて1日も早い復興が叶いますように。😡💢🔥NO・WAR❗❗
今日は秋晴れ、とっても良い天気。久しぶりに光が丘公園の草野球に参加してきました。ワシ、ちゃんとユニホームを着てスパイクもはいて行ったのに・・・みんな、ワシのおめめを心配してか、試合には出してくれませーん。仕方ない、ベンチの中で応援団長で頑張りました。首に巻いてるのはアイスノンが入った手ぬぐい。もう十月なのに、残暑が厳しく暑い暑い。チームの仲間に差し入れで買っていったガリガリ君をかじりながらの応援です。「ありゃ、またエラーして・・・」「よーしそうだ、打て打て!」「ランナー走
「あした輝く」「アリエスの乙女たち」「あすなろ坂」「天上の虹」など、1964のデビュー以来、数々のヒット作品を生み出してきた天才少女、里中満智子さんが画業60年を迎えたことを記念して、『漫画を描く』という素晴らしい自伝を出版されました。漫画界の黎明期の話、手塚治虫さんや石ノ森章太郎さんたち大先輩の人となりやエピソード、デジタルの時代、これからのマンガの世界はどうなって行くのか?大事な「表現の自由」について・・等々、内容も読みごたえも充分です。「ちばてつやは○○かと思
☺️松本零士さんが、本郷の下宿屋でご馳走してくれたのは「即席ラーメン」。何かキノコのようなものが乗っておりました。お腹ペコペコのワシは、何も疑わず夢中で食べ始めました。・・・・・熱くて、メガネが湯気でくもるのもかまわず、いやあ、美味しかったよー😃でもその夜、なぜかちょっとお腹がゆるくなったような・・・。☺️ところで、来る6月3日(土)東京フォーラムホールB7で松本零士さんとのお別れの会があります。(午後2時から一般のフアンの方にご献花いただいくとのこと)零士さ
🌄『ひねもすのたり日記』「ビッグコミック」5月10日発売の予告です。本郷にあった、松本零士さんの下宿に遊びに行った時、彼がその頃、新開発、新発売されたばかりの「即席ラーメン」をご馳走してくれる・・ということになってね。熱湯をかけてたったの2分、・・いい匂いです。いざ、ワシが食べようとしたら、「ちょい待ち、具を入れないと」と言って、押し入れの襖を開けこっそり何かを入れてくれましたよ。さっきから腹がへってるワシは、もう、早く食べたくて、よだれを垂らしながら、ドキドキわ
なんでもないファーストゴロだったのに、足がもつれて・・エラーしちゃった。エラーついでに、仲間にあやまっているところ。今度はしっかり守ってファインプレーして見せるぜい‼️
🌒漫画家、松本零士さんが亡くなりました。・・彼のご冥福を祈りながら、松本さんの思い出を、3月25日発売「ビッグコミック」の『ひねもす日記』に描きました。昔、松本さんが東京へ出てきたのが、18歳の時。年が近いこともあって、松本さんとはすぐ意気投合してね。お互い、出版社に持ち込むために描いたマンガを見せっこしたり・・とても充実した、楽しい晩でした。この、松本さんとの出会いのエピソードの続きは『ひねもす日記』にもうしばらく描く予定です。
あした発売のビッグコミック「ひねもすのたり日記」の予告です。またまた、最近のワシの日常生活を描いてみました。ち、近ごろは・・・・そう、体力は落ちても運動不足のままではいけない、と勇んで近くの公園に出かけました・・が・・・途中で、肌がかゆくなったりいろいろ、やつかいなことが次つぎと・・。(続きます)💢😠💢NO・WAR❗❗❗💢😠💢
東京大空襲で、いっぺんに家族を失ってしまった香葉子ちゃんの前に救いの神が現れました。当時、日本中で有名な落語家だった三遊亭金馬師匠です。えくぼのカヨちゃんは、養女となり・・いつの間にか、お年頃のかわいい娘になっていました。その落語家のタマゴは、初代の林家三平さんでありました。もーう大変なんすから❗❗人生、いろいろあって紆余曲折。その後も頑張ってえくぼのカヨちゃんは今でも笑顔で林家一門を引っ張っています❗❗😡💢🔥NO・WAR❗❗🛐被災地の1日も早い復興をお祈りし
先日、17歳のジローを見送りました。この写真はまだ、ウチに来たばかりの、生後三ヶ月のジローです。散歩が大好きだったジロー。暑い時は奥ちゃん特製の保冷剤いりの上着を着てね・・。同居している、ひとつ年上の猫ユナちゃんはいつも怖い存在でした。でも、マロちゃんとは大の仲良し。でも、マロは今年の五月に・・・・。ふたりの祭壇です。今ごろ、一緒に遊んでいるだろうな。😡💢🔥NOWAR❗❗💢💢💨
先日、さいとう・たかをさんの奥方が送ってくれた、懐かしい写真です。何の企画で撮られたのか、まったく記憶にないのですが・・上左は(故)石ノ森章太郎さん。その隣は(故)・・じゃなかつた、まだまだお元気で、世界で一番長く、しかも世界で一番ページ数を描いている現役劇画家のさいとう・たかをさん(83)。真ん中は最年長の藤子不二雄Aさん(86)。そう、石ノ森さんがなくなって、もうふた昔だから、20年以上前の写真になります。いやー・・本当に懐かしい。
🙆今回の『ひねもすのたり日記』昔、ワシも松本零士さんも十代の新人漫画家だったころのお話。下のイラストはその頃、世間の雑誌界で大流行の、人気マンガのヒーローたちです。そんな新人時代の二人のエピソードを、今「ひねもす日記」に描いています。ある日、ワシが出版社に原稿を見せに行った帰り道・・「・・・」偶然、都電の中で松本さんを見かけました。ウフフ・・彼がこっそり、楽しそうな本を見ていたので、つられたワシはこのあと、松本さんの住む下宿先に遊びに行くことに・・・。同世代
🌅えーと。隣のひとはねー。ワシのガールフレンド・・いやいや「おばあーフレンド」がこの度、自分のおじいちゃんの思い出を本📙にしました。これがその本です・・・。松成さんは、ワシと同い年の84歳。おじいちゃんは、な、なんと昭和の文豪、菊池寛さんです。彼女は、会うとおじいちゃんの思い出を楽しそうに、懐かしそうに話すので、それはちゃんと記録に残した方がいいよ。・・・・と、勧めていた関係上、(抱っこされているのが松成さん)ワシが表紙のイラストや挿し絵をお手伝いすることになりま