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スグルとミートくんの絆が生まれた瞬間。これは読み切り作品「キン肉フラッシュの巻」の一コマである。このコマを見ると、ミートくんはキン肉マンになくてはならない存在なんだなと、しみじみ思う。スグルにとって、弟のようでもあり、お目付け役でもあるミートくん。時には漫才コンビのような2人だが、その絆はほかの誰よりも強い。この二人の表情がいいではないか。キン肉マンが七人の悪魔超人と闘ったのは、チャンピオンベルトのためなんかではない。すべてはミートのため。だからあのシリーズ
2016年5月31日、私は久しぶりに東京を散歩した。まず、銀座にあるインド料理(インドカレー)の名店「オールド・デリー」で、腹ごしらえした。その後、銀座駅から東京メトロ日比谷線に乗ると、降りた所は恵比寿駅である。恵比寿駅の割合近くには、ミケランジェロの傑作彫像ダビデ像の原寸大レプリカがあるという。以前から1度見たいと思っていたので、行ってみたのだ。ダビデ像の原寸大レプリカは、PAPASというアパレルメーカーの本店に置かれているらしい。
昔、中国の画家が壁に描いた龍にひとみを描きいれたところ、その龍は、たちまち壁から抜けだし、天空高く飛び去ってしまったという。画竜点睛-つまり物事がすべて完成することをいうのだが、この最終巻をだし終えた今、まさに龍に睛を描きいれた感じがする。中国の画家ほどの名作ではけっしてないが、少なくともオレの手から、龍は確実に飛び去った・・・。車田正美日本武道館の大勢の観衆の中、左ジャブを打ち合う竜と剣崎。志那虎は竜と剣崎が二度目に戦った聖華学院での練習試合を思い出していた。左を
台風の影響が気になります。九州地方の皆様、沖縄や対馬、ご無事でしょうか?台風10号の進路!9号と同じコースをたどりそうな(≧Д≦)記憶にあるのは、まだ生まれる前の、伊勢湾台風、第一第二室戸台風。実際に体験はしていないが、その恐ろしさを、小さい頃から両親に繰り返し言われた。私の頭には、太平洋からまっすぐ本州に上がって来る台風は、非常に危ない、という教えがインプットされている。9号も心配したが、この10号も、相当危ないと思って見ている。滋賀県は進路から、今回は外れているが、こ
この季節はどこもかしこもハロウィン一色。100均には、カボチャやら髑髏のオブジェがたくさん売られている。上の写真は、セリアで買ってきた黒い髑髏に、白いスプレーを吹きかけてツートンカラーに仕上げたもの。スカルボーズのスカルは「髑髏」という意味。その髑髏に、デビル・マジシャンの外見と同じツートンカラーをほどこした。つまり、この髑髏はこれひとつで宇宙一凶悪コンビを表している。彼らのシンボリックデザインというわけだ。私が決めたのだ。画像検索してみたのだが、髑髏をこのように塗り分けたデザイン
ブロ友の「e6rwb」さんに言われて、もうしばらくリンかけネタを続けていこうと思います。それでとりあえず、ネタを氏より頂戴したのですが、車田先生には名言録的なものがございますので、まずはリンかけの主要キャラの私が思う名言みたいなものをまとめてみました。まずは私のブログのタイトルにもなっているこの言葉・・・主人公竜児の永遠の宿敵である剣崎が、竜児との戦いを前に言ったこの言葉・・・「一回きりの人生長い短いは問題じゃねぇ・・・本物の男ってのは、自分のそういう一度っきりの
押し花絵作品2007の書庫はハイジが毎年個展をする2007年分の中の数点です。毎年50~60点多い時は70点ありますが写したのどこいっちゃったんだろー・・・・というのがかなり、、、見つけ次第UPします^^
たった一度の今日という日-どんな人間にも「オレは、これをするために生まれてきたのだ」と、思う日が必ずくるはずだ。どんなちっぽけなことでも、その人じゃなければできないなにかが必ずやってくるはずだ。それは明日ではもうおそい。今日でなければできないことなのだ。そのたった一度の今日という日に全力を尽くせたら、その人の一生は、きっと光り輝くすばらしいものになるはずだ。車田正美ジーザスはダウンから立ち上がり、剣崎を最強の戦士と認め、秘儀をくりだす。「はじめ天も地も宇宙のすべて
1983年15号に掲載された、「勇者ビッグボディ」。これは第11回ジャンプ愛読者賞の読み切り漫画だ。愛読者賞は、ジャンプ作家陣が普段の連載では描けない、新たな境地を発表する場でもあった。ちょっと毛色の違うモノを描く事が出来る、実験の場だったのだ。われらがゆでたまご先生は、前年の1982年15号では「闘将!!拉麺男」を発表し、それが後にフレッシュジャンプでの連載へと繋がった。実験作品で読者の反応を見て、好評ならばブラッシュアップして連載作品へと。それが愛読者賞の利点でもあった。
大徳寺336世大寧宗兆(だいねいそうちょう)-(~1757)68才。大徳寺337世元叟宗厚(げんそうそうこう)-(~1755)72才。大徳寺338世梁堂紹掄(りょうどうじょうりん)-(~1769)79才。大徳寺339世真叟妙常(しんそうみょうじょう)-(~1755)71才。(臥雲)大徳寺340世安禅紹賢(あんぜんじょうけん)-(~1769)78才。◆大徳寺341世大龍宗丈(だいりゅうそうじょう)-(~1751)58才。(大乗正宗禅師・蓑庵)
1977年12月15日。伝説の大流血試合。蔵前国技館で行なわれた世界オープン・タッグ選手権大会の最終戦はブッチャー、ザ・シーク組とドリー・ファンクジュニア、テリーファンク組(ザ・ファンクス)の同点トップの2チームが争う事になった。この試合がめちゃくちゃで、ブッチャーがフォークでテリーの右腕をメッタ刺し!過激な流血試合になったのである。だがテリーは不屈の精神で反撃し、観衆の拍手喝采を浴びた!最後はブッチャーとシークが仲間割れして、シークがブッチャーを火炎攻撃!騒然とした
ハイジの押し花絵個展2007より
河鍋暁斎地獄太夫図河鍋暁斎の「地獄太夫図」ですが、何とも変わった絵です。豪華絢爛な着物をまとった遊女の横で、骸骨が踊り、三味線を弾いています。しかもドクロの上で踊っているのは一休禅師です。狂画を得意とした明治の浮世絵師である暁斎の代表作とも言える作品です。同じような作品が複数存在する事でも知られています。(真贋含めて)地獄太夫の美人画という物は浮世絵を趣味にしていれば、時々見る機会があったので知っていましたが、実
淡路島光り輝く波音も匂うあなたに去り難き空春の淡路島は風薫り潮風匂う季節。今でも気が向いたら明石海峡大橋を渡る。仕事の関係で淡路島に住んでいた頃はよく海へ出かけた。職場で同じ部署の女子とある日、仕事上の理由で海辺に行く時があった。陽春の瀬戸の海はきれいだったが彼女の匂いに陽炎のようにクラクラしたのを覚えている。匂い、たまらん。仕事しろ、俺。
昨年度は殆ど放置の人形年末、涼しくなり始めてから少しづつ修正と改良を加えました。各部分の修正、仕上げはありますが「原型」としてはこのくらいにしておいて、暖かくなったらFRPマスター制作に取り掛かります。まだまだ全行程の半分にも満たないでしょう?「エロが前面に出ると下品になる、知性と気品が混在するところに美しさが生まれる。」・・・・らしい。では「知性と気品」とは?なんぞや?という自問自答になる。エロスを感じる前に美しいと感じる作品があるヒントはその辺りにありそうだ。球体関節
先日セイントセイヤ関連の書籍が3冊発売されていたので、私は毎回購入してるんで続きを買ってきました。その壱、ロストキャンバス外伝8巻。今回の主人公は乙女座バルゴのアスミタ!なんと敵側にベヌウの輝炎も登場!?その弐、エピソードG最終20巻。アイオリアとクロノスの最終決戦終了!ラストに出てきたポントスが続くのか?と微妙な流れになっておりますが(苦笑)その参、ネクストディメンション7巻。表紙は紫龍です。こちらはフルカラーで700円超と高いですが、大人なのであまり関係なく買えるかな
小板と敷瓦について小板は塗物で敷瓦は焼物小板は、風炉の敷板のことで、大板・長板に対する名称だそうで、炉を向切りにするときは、炉縁の向うに入れる板も小板と呼ぶようです。角型と丸型があります。角型には「真塗」「掻合」「荒目」「鉋目(かんなめ)」などがあるそうですが、茶巾を載せてよい敷板は「荒目板」に限られているみたいです。小板の場合、真塗は唐銅風炉に、掻合塗は唐銅にも土風炉にも、荒目板は土風炉に用いるみたいです。一般的に用いられているものは九寸五分四方のものです。五
ひとつの連載が無事終了する時はいつも、長い航海を終えたような気持ちになる。連載とは海図も磁石もない暗闇の大海原を手さぐりで進んでいくようなものだ。今またひとつの長い航海が終わった。見守ってくれた多くの人々にありがとう。車田正美-富士樹海-黄金の日本Jr.の5つの墓前に麟童と伊織。石松と志那虎の納骨に2人は来ていた。石松は麟童の育ての親であるし、志那虎は伊織の実父でもある。伊織は父・一城の遺志を継ぎ、志那虎道場を守っていく事を決めた。だからこれ以上は麟童の援護射
これが悪魔将軍の元となったバイキングマンだが、よ~く見てみると、頭部と左手を除けばほぼ今のデザインと同じという事に気付く。この時点ですでにデザインは完成されていたのだ。ゆでたまご先生がデザインをこねくり回した結果、こんなありさまになったわけだが、さすがにマズイと思ったか、翌週にはデザインが変更された。いや、変わったというより、元のバイキングマンのデザインに戻された。NHKの「達人VS達人」という番組で、漫画家の浦沢直樹が言っていた。「最初に漫画の元となるネームを
雨音と夜のしじまに我が身落つ誰が知らんや詠えぬ恋を今年の春は雨が多いですね。
ニュースを読んでいたら最近はコロナ禍で通信販売の利用が増えたせいでしょうかか、全国の消費者センターなどに寄せられた60歳以上からの通信販売の相談件数が過去最多になったとの事でした。これは高齢者には分かりにくい内容の物が多くあるからで、サプリなどは良く読まないと定期購入になってしまう物など、ある意味ワザと分かりにくく表示している所もあります。相変わらず高齢者を狙う詐欺電話にしても、今の世の中は高齢者や弱者を騙そうとする手口が、はびこっている風潮のようです。高齢者に優しい世
6月25日の「ラスボスは悪魔将軍」という記事で書いた予想が、ズバリ当たった。試合の勝敗予想は外れる私だが、ストーリーの読み解きは、たまーにキン肉アタル、いや当たるのである。その当たった予想とは、「魔界は超人墓場を模倣して創られた」という部分。やはり悪魔将軍には、古巣の完璧超人のやり方が染み付いているのだ。そして、気になって気になってしょうがなかったジャスティスマンだが、その正体はラーメンマンに似ても似つかない、トンデモ別物デザインだった。からの弁髪に見え
ブランクーシ現代彫刻の父究極の単純化による究極の形。ブランクーシ作世界のはじまりコンスタンティン・ブランクーシ(1876~1957年)ルーマニアの農民の子として生まれ育ち、芸術に目覚め、フランスのパリを徒歩で目指す。どれくらいの距離があるか判らないがそれを徒歩で辿り着く。パリに到着後。モジリアーニと交友があり二人で彫刻を始める。モジリアーニは彫刻家から出発して絵画へと移る。そしてロダンと
今日の天気、小雪。ただ今気温+1度。今朝、ストーブの火が大きくならないとの事で、電話があり、いま出張から戻りました。ちゃんと夏に分解清掃してない人からの電話が、だいたい毎日1件はあります。以前製作した隼3型です。これです。3mmのエナメル線でプラグコードを追加。出来上がったコクピット。フットペダルの足掛けバンドをなまり板で追加。翼端燈と・・・尾燈はクリアパーツ化するので、ピンバイスでえぐっときます。最後に3分間エポキシクリアで再現しま
豊原国周「侠客白浪松竹梅見立競」部分豊原国周「侠客白浪松竹梅見立競」三枚続きの内浮世絵の役者絵の着物にゾウの絵が描かれています。今日はゾウの絵について見てみようと思います。もともと日本には旧石器時代にはナウマンゾウがいたのですが、約2万年前に絶滅しているので古来の日本人には象は馴染みのない動物でした。しかし存在自体は仏教を通して中国などから伝わり知られていました。普賢菩薩像平安時代(東京国立博物館蔵)
「竹とんぼに夢をのせて」と言うタイトルで川上治徳さんが紹介されていました。熊本県人吉市人吉クラフトパーク石野公園で2005年に取材があったようです。平成6年の全国大会で高度34メールトル24センチの記録で日本一となり、そしてギネスブックで世界一と認められた川上治徳さん。名人芸とも言われる竹とんぼ作りを教えています。川上さんは元巨人軍の監督だった川上哲治さんの実弟だそうです。素晴らしい!>>制作者からのコメント自作の竹とんぼで、最高高度34メールトル24センチの記録で日本一となり、そしてギ
透木釜すきぎがま透木釜(すきぎがま)は、茶の湯釜の形状のひとつで、平たくて羽がついている形の釜です。透木釜は、五徳を用いないで風炉または炉に釜を掛けるとき、通風をよくするために風炉または炉と釜との間にすきまをつくるために、風炉または炉の縁に置く拍子木形の木片のことを透木(すきぎ)といい、釜の羽をこの木の上に乗せて釜を支えるところから、透木にあててかける釜のことをいいます。http://verdure.tyanoyu.net/kama_sukigigama.html表千家で
横須賀の浦賀でマンホールの蓋を探していた時に、目立つ青いトタン民家の玄関先でアルミ缶風車が風に乗って、楽しそうに踊っていました。アルミ缶風車の材料は、コカ・コーラ、ビール、チューハイなどの空き缶でした。浦賀では、アルミ缶以外にペットボトルを利用した飛行機の風車を見ました。このペットボトル風車は、飾っていた家の知り合いの方が作られたとのことでした。馬明(まーみん:Mamin)の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。ブログの開設から、12月7日で8年
昔の東映まんが祭の長編映画を彷彿させる作品した。絵が綺麗です。よく動いています。ヴォーカル曲が印象的で美しいと思います。昔だったら大スクリーンでアニメを見ると人物の枠線やセル画の汚れが目に付いてしまいますが、CG技術の進歩にそれらの事を全く意思させなくなりました。でもね。観終わって一番印象に残ったのは「宮崎駿は偉大だ」。解説:少年アギトの成長する姿をとおして、人間と自然のあるべき姿問うファンタジー・アドベンチャー。本作で監督デビューを飾る杉山慶一のほか、主人公アギトには『亡国のイー
禿(かむろ)は江戸時代の遊郭に住む遊女見習いの童女をさします。なかなかユニークな髪型をしています。本来はおかっぱの髪型からつけられた名ですが、時代と共に髪を結うようになってからも、遊郭に住み込む幼女のことをかむろと呼びました。7-8歳頃に遊郭に売られてきた女子や、遊女の産んだ娘が該当しました。最上級の太夫や、または花魁と呼ばれた高級女郎の下について、身のまわりの世話をしながら、遊女としてのあり方などを学びました。引