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論語陽貨第十七の十九漢文子曰、予欲無言、子貢曰、子如不言、則小子何述焉、子曰、天何言哉、四時行焉、百物生焉、天何言哉。書き下し文子曰わく、予(わ)れ言うこと無からんと欲す。子貢(しこう)が曰わく、子如(も)し言わずんば、則(すなわ)ち小子(しょうし)何をか述べん。子曰わく、天何をか言うや。四時(しじ)行なわれ、百物(ひゃくぶつ)生ず。天何をか言うや。英訳文Confuciussa
トレーナーズ・トレーニングを始めると、オリジナルセミナーという自分たちの自己啓発セミナーを作らなければならない。これが一番大きな比重を占めていて、2年間のうちに4回あり、このセミナー作りにほとんどの時間を割かれる。受講生はこのセミナーを作りたくて、このコースを受けるわけではない。「セミナー作りを通して、自分の人生のパターンを自覚し、それを癒すと、人生が進む」と、教えられるので、その言葉を信じて特に問題だと感じることもなくセミナー作りや勧誘活動に没頭している。だが実際は、セミナー作りから何を
灰の手入れ篩風炉用100~120目(初めは80目程度う)炉用8目<目の粗さについて>ふるいの目の粗さの単位には、本目とメッシュの2種類があります。違いは、下記のとおりですので、ご確認の上お求め下さい。●本目・・・・1寸(約3.0cm)の中に目がいくつあるかを表示します。●メッシュ・・1インチ(約2.5cm)の中に目がいくつあるかを表示します。したがって、本目数×80%程度がメッシュ数になります。風炉灰は、炉で使用した【炉灰】を篩って生成します。使われた炉灰はサラサラに
まだまだ暑い日が続いていますが、手話の勉強も頑張りましょう今回の参加者は10人でしたプリントの単語や文章からプリントに載っているもの以外の表現方法●得意●間違えるダメ、バツ、間違っている、いけないなどの時は右手人差し指で「×」と空書きする●お見通し●なるほどはプリントに2つ手話表現が載っています(文章)◎今から手話を始めます◎いつもお世話になっております◎得意なことは絵を描くことです◎お待たせしました→こちらにどうぞ◎会議は何時ですか?●簡単●お大事に手の向きに
和食は出ないの?昨日の朝日新聞に「宮中晩餐会和食は出ないの?」という疑問投稿に対して、答えが載っていました。「宮中晩餐会」とは国賓として来日したVIPを皇居・宮殿に招き、天皇、皇后両陛下が主催して催される宴席です。晩餐会を担当する宮内庁式部職によると、メニューはフランス料理が基本です。明治期以降、日本も他国にならい、現在も、その慣例を引き継いでいます。(2015.6.3フィリピンのアキノ大統領来日時の宮中晩餐会)料理は両陛下や皇太子家の食事を作っている宮内庁大膳課が担当します。
風炉の灰を作る風炉の灰は炉の灰から取り分け、風にあてて乾燥し、ふるって雑物を除き、粒をそろえ、乳鉢に入れて、すって作ります。尉とともに元の灰に戻すことができるが、増えることは少なく、とこどき補充する必要がある。上げたらそのまま瓶などに保存して繰り返し使います。風炉の灰の粒度は、灰匙で押して、灰が締まって形が固定する程度が好ましく、粗ければ崩れやすく、細かすぎては押して固まりにくいものであります。炉の灰を作るにはかまどなどにできる生灰を集め、、一度ふるいにかけて雑物を除き、水に浸
忍の一字は衆妙の門(にんのいちじはしゅうみょうのもん)意味:耐え忍ぶことを身につければ、どんなことでも成功のもとになるというたとえ。由来:呂本中『東莱集』より忍耐の忍の一字があらわす精神を常に持つことが、あらゆることを行う上での出発点であり、それが成功に繋がるということ。「衆妙の門」とは、全てのすぐれた道理の入り口のこと。呂本中(りょほんちゅう、1084年-11
即中斎好南紀桧籠掛花入即中斎好南紀桧籠掛花入熊玄斎作口径約4.3cm、最大幅約10cm、高さ約19cm20年程前の和歌山の全国大会の記念品桧篭シマアシ京カノコミヤマオダマキ
【花入れの格】一真(格が高い):唐物の、古銅(こどう)、青磁、染付、赤絵、など。掛軸が真の位なら、花入も真の物を、使います。二行(普通):釉の掛かった、焼き物など。国焼物では、釉の掛かった「瀬戸」・「丹波」・「膳所(ぜぜ)」・「高取」・「信楽」・「萩」焼き等楽焼は、<草>の扱いをしますが、その形状によっては、<行>の扱いをする事もあります。(例えば、大樋焼の「大鶴首花入」や、宗旦好みの薄端鯉耳花入など)三草:素焼きの焼き物、木や竹(籠、瓢)で出来た物など。
蝉籠花入蝉籠花入(せみかごはないれ)は、藤組で短い手が付いています、掛花入として使われます。久田宗全好みで、床に掛けた姿が蝉に似ているところからの名といわれます。『茶道筌蹄』に「ト(藤)組蝉籠宗全好、トの手を油竹の手にかゆるは啐啄斎也、竹組にトの手を付たるは宗全也」とあります。
唐物籠花入霊昭女霊昭女(れいしょうじょ)は、やや長い目の胴に提げ手がついた唐物籠花入です。霊昭女の絵に描かれた籠からこの名があります。「霊昭女」とは、中国唐代の龐居士の娘の霊昭のことで、龐居士に劣らぬ禅学者でしたが、貧しいため竹籠を売って生計を支えていたと言われる人物です。霊昭女は、古くより禅宗の画題として用いられ、多くは少女が竹籠を下げた姿に描かれています。『居士分燈録』に「龐居士。諱蘊。字道玄。襄陽人。父任衡陽太守。士建菴修行。於宅西數年。全家得道。後捨菴下舊宅為寺。唐貞元間。用
老子第四十八章原文爲學日益、爲道日損。損之又損、以至於無爲。無爲而無不爲。取天下常以無事。及其有事、不足以取天下。書き下し文学を為(な)せば日々に益(ま)し、道を為せば日々に損(そん)す。これを損して又(ま)た損し、以(も)って無為(むい)に至る。無為にして為さざるは無し。天下を取るは、常に無事を以ってす。その事有るに及びては、以って天下を取るに足らず。英訳文Themoreyoulearn,
宗全篭花入宗全作手付置籠花入仙叟籠絵幅添宗全籠(そうぜんかご)は、久田宗全(ひさだそうぜん)好みの置籠花入です。宗全籠は、女竹を用い、底が長四角で、口は丸く編み上げ、底と四方に細い女竹を当てて藤蔓で粗く結び、口縁は真竹を廻して藤で止め、丸篠を二本合わせた手がついています。女竹:メダケ(雌竹)は関東地方以西の本州、四国、九州、琉球まで広く分布する多年生常緑笹の一種。主に川岸や海辺の丘陵などに群生する。稈の高さは2〜8mほど、直径1〜3cm程度で笹としては大きい部
毎年のことながら、S陽新聞にはベスト8しか載っていないので、苦労して1回戦からの結果を載せます。大会の様子は「sssuuuの囲碁日記」http://blog.goo.ne.jp/sssuuu0706に詳しく書かれています。前者が勝者、カッコは岡山市以外の人です。今年は福山など広島県と大阪!(山陽新聞の販売エリアの岡山、香川、広島以外からは参加資格がないはずですが?)からたくさんの参加がありベスト8に4人入りました。2日目の組み合わせは再抽選されます。1組勝ち残り上野哲1回戦上野哲(
静岡県静岡市駿府区丸子駿府匠宿には招き猫さんもしっかり居ます!おみやげ処「鞠子楽市」に・・・可愛い~~!!真ん中より右は陶器?左は張子?のような感じです。ここで作られてるようです・・・金谷土人形の招き猫さん、見事に昔ながらの趣があります!MADEINしぞ~かの民芸品です。福が訪れますように!
チャック・スペザーノは、1979年にセミナー講師として独立するとともに、ボブ・トラスクのARAS財団でもセミナーの講師を担当するようになる。栗原英彰と弘美も、ある時期まで、ビジョン心理学のトレーナーであると同時に、ARAS財団のARASティーチャーを名乗っていた(参照:「こころのビタミン」現代書林刊)。ARAS財団は、アメリカのセミナートレーナー、ボブ・トラスクが作ったセミナー会社である。このARAS財団は何者なのか、あまり情報がなくて謎であるが、ある一時期、日本人の間で流行したセミナーで
この日は、新規の方、他サークルからの参加者など総勢11名でしたまず、米子の手話サークル「あおぞら」に見学に行ったメンバーが、紹介してくれた「グーの手で表現できる手話」を私たちもやってみましたたくさん出てきましたよ「頑張る」「休み」「病気」「作る・壊れる」「印鑑」「テニス」「残念」「良い」「工夫」「大変」「面白い」「ドラマ(演劇、芝居)」「朝」「サークル」「年」「的」「認める・認めない」※負けるの表現として、「認めない」と同じ手話表現をされた方もおられました「逃げる」※災害時、
駐輪場は早朝にもかかわらず、満杯状態でした。駅ビルはリニューアルがなされて、平成後期らしいデザインになっています。このモニュメントは何を象徴しているんでしょうね。バスターミナルの外側を回り込む形で、軌道は進んで行きます。そして、次の大きなカーブで街中に入り込んで行きます。日の出の時間になりつつあり、随分と明るくなって来ました。旧来からの商店街の通りの真ん中に入り込んで行きます。
(前の記事から続く)★今回の目的は、阪急三番街のキディランドに寄って、そのあと十三の女装スナック「芸ばぁ」に行くこと。大阪駅を降りたら阪急三番街に向かうのですが・・その前に、梅田ヨドバシをバックに自撮りしてみました。↑梅田ヨドバシをバックに自撮り。この画像と次の画像は、キヤノンのコンパクトデジカメ・PowerShotSX130ISで撮影。↑今回のコーディネートは、先週ナイスクラップのセールで買ったバックリボンブラウスと、だいぶ前にOlivedeOliveのセールで買った、チェック柄の
いやぁ~、家にある藤子・F・不二雄作品の資料を全部確認してスキャンするのに時間がかかってしまったよ。貴重で折り目を付けられない物もあるのでデジカメで撮影して画像修正したり・・・お金にならないのに、よくやるよね、俺って・・・・・では早速始めましょう。藤子・F・不二雄のGUN世界第1回「ドラえもんワールドのGUNリアル・西部劇編」作者の藤子・F・不二雄(本名:藤本弘)先生は大の西部劇好きであられた。それは様々な作品にも現れており、特に一番の作品数を残された「ドラえも
で、続きです!馬路山ちょっとだけ使ってみました。まず、キンデラ#1000で砥いで包丁を砥いでおきます。土佐の和式ペティというかアジ割きというかまあ、小さい包丁です。土佐山田のZAKURIってブランドのものです。ネーミングはお洒落ですが、かなり深いエクボがあって、簡単には、全体に砥石が当たらないので、とりあえず、ベタに当たるところだけで砥石の様子を見ます。拡大するとこんな感じですかね。ぼやっとしていますが、流石にキンデラ#1000は、傷が浅く、とても#1000とは思えないですね。で
みなさま、こんにちはーっ♪「もし、昭和の時代、ウルトラセブンの、最終回のあと、ゾフィのTVシリーズが、始まっていたら?」の、妄想ストーリー偽・ゾフィです♪ですがー…今回もまた、1月のフリートークと言う事で、お題は、【ウルトラセブン第26話『超兵器R1号』】から、「なぜギエロン星獣は、ノドを切られたくらいで死んでしまったのか?」と、「ギエロン星獣は、本当に復讐のために地球に来たのか?」です♪☆*゚¨゚゚・*☆*゚¨゚゚・*☆*゚¨゚゚・
松平左近―高松藩を救った英才―香川県立ミュージアム高松松平家の一族として生まれながらも、尊皇派。絵を描き、詩を詠み、仏法を説く。その人物像にせまる。慶応四年(明治元年1868)の鳥羽伏見の戦いで高松藩は旧幕府軍につき、その結果、朝敵とされてしまいます。藤澤恒太郎(南岳)が強く恭順を求めたとき、松平左近の一言で、十一代藩主頼聰(よりとし)が恭順を決定し高松藩は戦場とならずに現在の香川県があるのです。ミュージアムトーク、歴史講座「松平左近―高松藩を救った英才―」も開かれます。この機会
8月3日(日)しりべしなんでも百姓くらぶ主催の第18回ファーマーズ・チャリティー・コンサートが、余市町内の滝下農園にて開催されました。受付、カンパ箱を置いて、福島の子どもたちを道内に受け入れている団体に全額チャリティーしました。5万円ほど集まりました。18年前チェルノブイリの子ども達を余市で受け入れるためのカンパを集めるために始めたコンサートです!コンサートに先駆け、屋台村開催。メンバーの食材を使った数々のメニューが格安にて楽しめます。山川恵さんは農園の無農薬果物を使ったお菓子が得意。昨年は
今年の蝦夷和紙プロジェクトは、フキの和紙づくりに挑戦いたします!なぜ、フキを選んだのか…?今回はただフキの紙を作るだけではなく、みなさんに、釧路市音別町の「富貴紙(ふきがみ)」をご紹介したく思っています。富貴紙は音別町の第三セクター音別町振興公社が音別町産のフキで町おこしができないかと模索、特産物のフキの加工品の製造の際に大量に廃棄されるフキの皮に良質な繊維(パルプ)が含まれていることを究明、1991年に新たな特産品として開発されました。薄緑色のフキ繊維が躍る美しい和紙が評価さ
今回作ってもらった小屋は、天井を高くしてとお願いした。その一部屋にホームセンターで買ったカラーボックスを置いてみようとふと思った。カラーボックス一個と床から天井までの高さの寸法を測った。合計3個積めるだろうか・・・・計算上は3個積むと、ぎりぎりだった。本当はどうだろう・・・・。カラーボックス3個を実際に積んでみた。最後に積んだカラーボックスの一個はほとんど天井へぶつかった。しかし、椅子に載って一番上に積べきカラーボックスが斜めに傾かない様、水平にしてスライドさせたら天井の間に具合よく移動して何と
「年の瀬ですね、一年というのは本当に経つのが早いですね」と先生が言われた。「来月は、もう新年ですよ、年が明けたら初釜ですが、また嶋台のお茶碗やブリブリ香合を用意しなくてはなりません。本当にお茶の先生というのは、忙しいです」と先生が笑われた。「そこで、お出合いを二年生の方たちに、して頂くのですが、そのブリブリ香合の扱いとして、客向きに回したり、亭主向きに回したりするには、”角回し”という回し方をします」と先生が言われた。「角回しというのは、読んで字の如く四角い物を回す
黒柳徹子は多くの出会いによりその人格を形成してきた。〇好奇心と度胸と元気が人との交流を深めるための源泉「徹子ザ・ベスト」(写真)の冒頭に「私は『好奇心』で出来ています」とあるように、彼女はいつも子どものようなフレッシュな気持ちで、人の話を聞いたり、時代背景を調べたり、好奇心のままに行動していた。そして、好奇心を保つ秘訣は「人でも自分でも、無理に『こうだ』と決めつけないことだ」という。そして、ここで本人が述べているように、「好奇心」だけでなく、「度胸」と「元気」が彼女の専売特許だという
今から8年前の平成14年夏、ファーストウエストンとして購入したのがこのキャップトゥー。ラストは300番。あちきのコレクションでは少数派のスクエアトゥー。こいつを購入した平成14年当時、骨董通りのウエストン青山店は大丸系の時代。泣く子も黙る「タイトフィッティング教」の総本山だった。プレタシューズは未完成品。自分自身の足を木型として最後の仕上げをしなければならない。すなわち、きつめの靴を履き、自分の足の形に合わせて革を伸ばし、世界にただ一つのジャストフィットシューズを手に入れる、という
僕が子供の頃、昭和40年代は都内では縁日が盛んだった。現在はどこの縁日や祭りでも全然見かけないが、砂絵屋という露店があった。いろいろな色の付いた砂とアラビア糊の粉末をセットで売っていた。砂絵屋のおじさんは砂絵のセットを売るために、砂絵の描き方を実演する。画用紙に、溶いた糊を筆で塗り、色砂をかける。また筆で糊を塗って、今度は違う色砂をかける。それを何度か繰り返すと、画像のような砂絵が出来上がる。たった数分で完成だ。父に買ってもらった砂絵のセットは無くしてしまったが、買った記念におじ