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こんにちは。いつも訪問、ありがとうございますわたしたちの”快”と”不快”について。このふたつは、セットなので、”快”を求めると同時に、”不快”もセットでついてくる、ということです。わたしたち生きているこの世界は、2極の世界。「いい・わるい」「高い・低い」「多い・少ない」など、どちらか一方では成り立たない世界です。相対的な概念がそこにはあるので、いつも何かと比較し、判断しながら生きています。たとえいま、”
ご訪問くださいまして、有り難うございます。れっつごうです(^^)世界的なスピリチュアルリーダー、エックハルト・トールさん(監修は飯田史彦さん)のロングセラー、さとりをひらくと人生はシンプルで楽になるの内容で、私が有益だと感じたところを、私の考えも交えながら、紹介・解説しています。今回で最終回です(^^;前回は、「時間」は幻である。時間には、「時計時間」と「心理的時間」がある。という考え方を紹介しました。今回は、
牛カルビがどっさり入った熱々鍋焼きうどん最高(^○^)ツールド御朱印で高崎行くから旨い店教えて~ってつぶやいたら鍋うどんの専門店があると鍋うどんいいねー上中居諏訪神社で御朱印をいただき高崎名物のおやつを食べてさーいよいよあれ鍋うどん処さとり@高崎開店時間30分前についてポールゲットでも続々と並びが増えて開店時間には満員御礼外待ちが出来てましたあぶね_(_^_)_十分すぎるほど予習してきたのでお座
全譯『大方廣佛華嚴經』巻上(江部鴨村訳,昭和9年)241〜243頁手に楊技(ようじ)をとる場合には、衆生とともに心に正法をえて、おのづから清らかになりたいと願うがよい。朝、楊枝を嚼(か)む場合には、衆生とともに調伏の牙(きば)をえて、もろもろの煩悩を噬(か)み砕きたいと願うがよい。大小便をもらす場合には、衆生とともに汚れを除きさって、婬欲・瞋恚(しんに)・愚痴を無からしめたいと願うがよい。事をはって水にのぞむ場合には、衆生とともに無上の道にむかって、世を出づる法を得たいと願うがよい。
前回のブログで触れましたが、「今までエゴと一体化していたんた!」と気がついて以来、私の内側はどんどん変化しています。何が一番変わったか、それはいつも明るくいれるようになった事です。明るくいるように心がけているのではなく、ただただ軽いんです。いろんな事が気にならないのです。以前の私はとても繊細で人の顔色が気になるし、自己肯定感も低く感情の取扱に本当に苦労してきました。セラピーやヒーリングにどれだけお金を費やしてきたことか…それが今では、
はじめまして。さとこと申します。去年の年末、ハッ!と気付きがありました。「今まで私は、エゴと一体化していたんだ!!!」その瞬間から不安や恐怖がどんどん無くなり、日々、楽に過ごせるようになっていっています。私の人生、ネガティブな思考や出来事ばかりでしたが、幸せに生きれる兆しを感じています。ブログを書くのは不慣れですが、これから私の変化を記していこうと思います。よろしくお願いします。
全譯『大方廣佛華嚴經』巻上(江部鴨村著,昭和9年)序9〜11頁華厳経の内容華厳経が仏陀の大覚を主題とする以上、その教説の内容が仏陀の大覚及び大覚内容の宣表以外に出でないことは言うまでもないことである。しからば華厳経はそれを何(ど)んな風に宣表しているかというに、何よりも大覚の具現者たる仏陀という具体的の人格を中心として、これを果位と因位との二面から仔細に観察し推求し玩味し、而してその観察し推求し玩味したところを概念的論理的に説明することの代りに、象徴的芸術的に表現しているのである
泣ける漫画って良いですね。心に響きます。続けて3作紹介しましたが1位を書きます。3作ともに昭和時代の古い作品ですが私的に最高に泣ける作品です。鬼滅の刃も久しぶりに泣ける作品でしたがまだこの3作品のには届きませんでした。『うしおととら』ブランコをこいだ日単行本の19と20巻に収録されてます。少年サンデー連載の漫画でした。この作品は妖怪物語であります。主人公の宿命とパートナーとなる大妖怪のとら、主人公の武器となる獣の槍。この登場するものたちの(槍も)それぞれの深い物語が実に壮大で深
ウエイン・W・ダイアー著『スピリチュアルライフ』の中に、「七つの特別プログラム」があります。以前ブログの中で『イソップ物語』を用いて、考察していきました。日常生活でとても大事な心がけとなるものなので、もう一度、確認していきたいと思います。「七つの特別プログラム」は以下のようなものです。①『委ねる』…「自分は無力だ」と認める。②『愛する』…神の本質は「愛」と知る。③『無限』…宇宙エ
法華経に「等覚一転名字妙覚(とうかくいってんみょうじみょうかく)」ということばがあるらしいです私の名前に「妙」の文字があるので「妙」のつくことばや名前には独占欲的な反応をしてしまいますがやっぱりこのことばにも過敏に反応します妙覚(みょうかく)というのは究極の覚り(さとり)のことで覚りというものがあるという言葉や意味を知り道を登って行きいよいよ覚りまであと一歩、ほぼ究極の覚りというところが等覚(とうかく)なんだそうです等覚の先に