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今日の南伊豆は朝から雨模様。外作業は諦めて、昨日のシナチクの後片付けから始めましたよ〜2つの鍋に纏めて置いたシナチクをジップロックに詰めて冷凍保存にします。このジップロックで10袋になりましたよ〜大量だぁ!(笑)😙✌️9袋を冷凍庫に入れ、一袋は今日から頂きますよ〜この作り方のシナチクは水分の少ない処を使っていますので、冷凍保存が効きます。今回は薄味に仕上げ、食べる時にラー油や七味で頂く事にしました。それと、空豆さんに収穫出来そうな物がありましたので、収穫して、つまみにしょう
これまで、コニファーや海外旅行、陶芸など書いてきましたが、本当に書きたかったこと、それはこの陶芸家のことです。この陶芸家が過小評価されているとは決して言いません。そんなこと言ったら、私が本人に怒られてしまいます。特に九州、福岡県では名が知られています。しかし、全国的にはあまり知られていません。そこで、真面目に陶芸に取り組み、優れた作品を生み出す陶芸家をぜひ紹介していきたいのです。少しずつ、合計10回くらいに渡って、このブログで人物像や作品など紹介していきたいと思います。前置きがと
味付け手羽元を電子レンジでチンして、レタスとトマトを添えて一皿。インゲンの生姜醤油和え、茄子と厚揚げの炒め煮で、母は、晩御飯。私は、晩酌でした。Siiさんからの萬歳樂で晩酌開始しました。ぐい呑2杯1合呑んでいたら、ハナが、一緒に、とキャットフード。晩酌酒のまんさくの花超限定にリレーしました。ゆっくり、ゆっくり木曜日の晩酌。日本酒2合の晩酌でした。では、また。
昨日は歯医者でも麻酔をしてボワ~ンとしたお口のまま膝の病院行きましてまたまた注射〜今回めちゃ痛くって〜思わずいた〜いって言うてまった今でもまだ痛いし〜〜写真撮ったんだけどね血が出ちゃってるんで〜生々しいから載せませ〜〜んおはようございます〜〜〜クイズにたくさんのご参加ありがとうございました〜〜〜答えは〜じゃ〜ん!!ひろりんちゃんがお皿とお茶碗私はぐい呑みとお茶碗ってことで〜私は①の方でした〜〜①って書いてくれたの
新商品旦那さん令和5年度商工会議所青年部会長の責務を終えお疲れ様記念に登山シューズを新調しました靴が届いたもんですからそれはそれは山に行きたすぎて山愛全開の新商品も制作しちゃいました北見八郎平商店オリジナルぐい呑み【Hike(はいく)】テーマは街と酒蔵をめぐる旅のようにその土地の酒を楽しむうつわゆったりしたシアーな色合いです前作【peaks(ピークス)】のテーマは峰々を想い吟醸酒を楽しむうつわこちらははっきりしたマットカラーハイキングからのピークス(山頂)へ色彩ま
またまた砥部焼です💓道後温泉のアーケードの伊織で買いました。絵柄の違う豆皿を一枚ずつ。最初に目に入ったのは、陽貴窯さんのものでした。すてきな波柄🌊は「青海波」というそうです。きれいなブルーです。他の2枚は梅山窯さんでした。微妙に形が違いました(笑)砥部焼観光センター炎の里でも豆皿を。手前は森陶房さん。左は陶房遊さん。右はどちらだったかなぁ💦砥部焼陶芸館で19日からやっている、春の窯出し市ではぐい呑みを2つ。なんだか古い感じのデザインに惹かれました💓上から見ると梅の花の
先日友人に誘われて待ち合わせした飲み屋なんだか、大ジョッキがやたら『大』このお店、なかなか手の込んだ料理を出してくれますあ、これは、そうでもないか😅ジョッキ2杯飲んだら日本酒へ和歌山の地酒、黒牛純米吟醸これを大きい一合ぐい呑みでこのぐい呑み、欲しいな…料理はそれなりに食べたんだけど、話に夢中で画像なし楽しい夜でした
気持ちの良い季節になりました水垣力焼酎カップ本日の箸置き黒澤有一織部箸置本日のアテ紀州金山寺味噌ハラダマホ練り上げ角皿、同豆皿小生がガキの頃幼少の砌に度々食卓に上ったのがこれ。醤油発祥の地、和歌山県湯浅町で元禄時代に創業された、あみ清数見商店さんの紀州金山寺味噌この味や~お取り寄せしてヨカッターお酒が進むぅ酢の物小畑裕司山桜文丸小鉢ホウレンソウ玉子中川自然坊黒唐津五寸皿鶏ももと砂ズリの唐揚げ豊福博備前皿
あの日以来、某政権にどんどん壊されていく日本…そして明日は日本の行く末を占う衆院補選の投票日気になるぅ平岡仁マンガン釉大酒呑本日の箸置き種田真紀色絵華文豆豆皿本日のアテ揚げ餃子、中華クラゲ坂口健白化粧掻落向付北野勝久白瓷花弁小付ホタテ、ホタルイカ沖康史焼締六寸皿揚げてない酢豚小畑裕司桜文中鉢麻婆厚揚げ大澤恒夫備前擂鉢味が絡んでンまい花椒油もポイント高し本日の酒器たち丸田宗彦朝鮮唐津ぐい呑
今回は酒器🍶を題材にした書籍(古本)を紹介します❕北辰堂「現代ぐい吞集」初版本で1995年9月10日で、29年程前の書籍となります。数年前に古本屋さんで1000円で購入しました。当時の定価3200円❕こう言った趣味の専門書は高いですね・・・😅💸1995年当時の全国の陶芸作家、希少な物故作家のぐい吞が紹介されています❕この本の中からボクが厳選したお気に入りの作家さんのぐい吞を紹介しますね。どれも日本有数の焼き物産地、瀬戸と美濃周辺(多治見・土岐・可児・瑞浪・・・)の
こころの止まり木3田中珈琲京都今出川通りに田中珈琲がある。初めてこの店に入った時、ショーケースに沢山の抹茶茶碗が飾れれていたのが不思議だった。上の棚を見ると「清水保孝展」のカタログがあった。この抹茶茶碗、全て京都府無形文化財保持者の清水保孝さんの作品か!ここではいつも私はモーニングセットのスクランブル・エッグを注文する。コーヒーはサイフォンなのに何故かとても濃厚。見ているとサイフォンを何回も何回も異常にかき回せている。だから濃くは
加藤高宏1972年名古屋市生まれの陶芸家。祖父に瀬戸が生んだ伝説の陶工加藤唐九郎(1897年~1985年)、父は唐九郎の三男で陶芸家加藤重髙(1927年~2013年)、そして叔父に唐九郎の長男で孤高の陶芸家と言われた岡部嶺男(1919年~1990年)を持つ、現代陶芸界のスーパーサラブレットであります❗愛知県名古屋市守山区翠松園で邸宅ならぶ高級住宅街の一画で、祖父の加藤唐九郎が数々の名品を焼いた窯を使って焼いている人気陶芸家、加藤高宏先生の「瀬戸黒ぐい吞」
「加藤唐三郎作陶展」2024.4.19~4.28の金・土・日曜日10:00~17:00(最終日~16:00)織部・黄瀬戸・御深井の大皿・花器・酒器・食器などを展示・販売しますご来場をお待ちしておりますギャラリーの二階の窓からアケビの花が風に揺れています
2日間過ぎてしまいましたが・・・4月15日で33歳になりました🎂ここ数日、仕事と休日も用があってブログの更新ができませんでした😅スミマセン・・・👆はボクのオリジナル・かえるさん🐸絵の丸皿です❕自作の陶芸作品です👍カワイイデショ陶芸教室で余った時間で作ったもので、タタラ状に伸ばした粘土を、円状にカットし内側に反らしています❗あえて無骨な雰囲気にするために、側面をヘラで削り落としました。千枚通しでボクのオリジナルかえるさん🐸を彫り描き、彫った部分に白化
2024年4月25日(木)、残りの信楽赤土を3.5Kg程にリサイクルの土を0.5Kg程足して、荒練りを40分して、菊練りを5分弱する。電動ロクロに信楽赤土4Kg程置き、土殺しをしつつ、ベースを作成する。土の状態は、水がやや少ない感じ。。。ベースが、下の方は14Cm、中間は13Cm、上の方は12Cm程になる。上の方は、整ってない様子。1作目を作陶する。半筒形に作りたい。。。親指を入れてくと、すぐふらつく。こりゃ駄目だ。。。しっぴきで切る。2作目を作陶する。親指を入れて、浅めに底を
岐阜県東農地域の多治見市で活躍する美濃を代表する陶芸家、七代加藤幸兵衛先生の最高級の酒器🍶を紹介します🤩(七代)加藤幸兵衛先生は(本名:裕英)、1945(昭和20)年7月7日生まれの陶芸家で、おじいさまは岐阜県重要無形文化財保持者🏅であった故五代加藤幸兵衛先生(1893年~1982年)、お父様は国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)🏆の故加藤卓男先生(1917年~2005年)であられます。若い頃は七代幸兵衛先生はスーパーサラブレット✨と言われてたそうです❕
桃山時代に瀬戸窯、現在の美濃で生まれた黄色の焼き物「黄瀬戸」に心酔し、長年に渡り本歌の黄瀬戸を追い求め続ける陶芸作家、原憲司先生の新品未使用ぐい吞の紹介です❕ですが、、、今回紹介するのは黄瀬戸ではなく「志野」です😂ハハハコメントでこの作品の名前をいっぱい考えて頂いてありがとうございました🥰←追記名前は白ねこプリンさんに考えて頂いた「款冬(かんとう)」と名付けました❗「款冬(かんとう)」とは何ぞや❓調べたところ・・・フキノトウの別名で、つまりフキだそうです!
冬の初めの時期となりました翠店内も冬の装い美しい椿の花がいっぱい✨【和紙焼小黒陶三展】始まりました!和紙焼とは和紙が消えてなくならないように加工し陶器に焼成した陶芸品です『金椿角小皿』『金椿碗』『金椿ぐい呑』『金椿マグカップ』他にも華やかな作品が沢山届いています!『陶版画窓の風景紅梅』『桜マグカップ』『しぼり染め長角皿』『しぼり染め角小皿』『桜角小皿』等等華やかで美しい作品たち是非ご高覧ください!11月30日まで開催予定です。
追悼衝撃💥の話を聞いた👂…ある瀬戸の80歳過ぎの陶芸家👴さんから、最近、五代加藤作助(加藤伸也)先生が急死されたとのことでした…💦信じられず所属する瀬戸陶芸協会に連絡📞し間違いないとのこと😢💧日本伝統工芸会のサイト加藤作助のページにも没年2022年と変更されていました💦💦加藤作助先生は愛知県瀬戸市赤津町で江戸末期から現代まで脈々と続く窯元🔥で、その当代として瀬戸だけでなく東海陶芸界を長く牽引💪されてきました❗加藤作助先生の陶歴は…1940年(昭和15年)