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話は病気発覚の5年前に遡ります。病院の定期健診で、母のすい臓に影が見つかりました。母は健康そのものの人で、大きな病気をしたことがありませんでした。この時影が見つかったと聞いても、どうせ大したことはないだろうと私はタカをくくっていました。そして、再検査の結果・・・病院の診断の結果、影は害のない嚢胞(のうほう)と診断され、悪性化・がん化の心配は一切ないと断言されました。院長先生はそう言い切りましたが、看護師さんは「ちゃんと経過を見ておいたほうがいいですよ?」と念押ししたそうです
こころの開放私と今後の治療を引き受けてくれる病院と何より大切な主治医が決まった。有難い。手術に向かって3週間・・・この期間に仕事の対応や職務の配分をしなければもしかしたら、1日も早く手術ができるようにあの先生なら掛け合ってくれるかもしれない1週間早くなっても良いように動いていこうこうなってみて初めて自身の身体の悲鳴が聞こえるようになった「もう、これ以
癌は治る時代と言われるようにたくさんの方が寛解を勝ち取っていますねでも寛解が癌のゴールではまだまだないのかなとも思います抗がん剤や放射線治療外科的手術沢山の治療方法があってそれらに挑戦して結果僅かに寿命が延びただけでも癌と闘っただけでも人間としては癌にも死にも抗った最高の人生なんじゃないかな私はそう感じます人間は細胞で出来ている以上癌になるんでしょうねこれからの未来どうなるかなんてわからないけどより良い未来のために何か出来ることを見付けて行動していきた
私の目に飛び込んできた文字この文字が目に写った時には一瞬、何も聞こえなかったのかもしれない私は音のない世界でこの文字を見た気がします病名:耳下腺癌第1に唾液腺導管癌を疑うステージ:Ⅳ正直、これだけでかなりのインパクトでしたそして、確定診断は、摘出による病理診断となります耳下腺、顎下腺、舌下腺のあたりが図解してあり転移しているリンパ節に数か所赤い印が・・・【手術をする】メリット:腫瘍の摘除ができ、病理診断がつけられるデメリット:手術による体へ
よくガンの方は特有の臭いがするようになると言われますが、母の場合もそうでした。失礼ですが、大体年配の方は口から臭いがするようになります。母の臭いも加齢のせいだと思っていました。その臭いは母の母、死んだ祖母の臭いにそっくりでした。やっぱり親子だから加齢で同じ臭いになるのかと、そうやく母にも老いが始まったのか(母は年齢よりかなり若く見えた)と思いました。最初はなんとなくでしたが、ガン発覚前はかなり口臭がするようになり、歯周病用のうがい薬を渡したりしていましたが全くの見当
食道がんの治療について母のこれまでの食道ガン治療についてはこれからも何回にも分けて書いたりはしないのでこのページと次のページだけに書きますこのブログはあくまで闘病記録ではなくこれからの未来、食道がん自体がもっと認知され早期発見・早期治療が当たり前の病気になるために何か私にも出来ることがないかと始めたブログですいつか必ず国が推奨する5大ガン検診に食道がんも組み込まれるまで頑張ります国が推奨する規定も読んでいるので5+1ぐらいの推奨イメージでも嬉しいな5大検診+食道がんも率先し
ずーっとずーっとかゆくてかゆくてしょうがなかったあそこ。それが約一年前(2017年9月)から灼熱感がある痛みを感じるようになりました。腫れている感じもあったし、かき傷からバイ菌が入っちゃって、炎症を起こしたのかなぁ〜…って思いました。もちろん婦人科に行きましたが、抗生物質の飲み薬や塗り薬をもらっても治る気配なし…あまりにも長い間痛みが引かないので、ちゃんと検査をしてみましょうということになり、今年の1月に香港の病院で生体検査を受けました。それで、やっと…本当にやっと、長い間苦
怒涛の検査ラッシュそして仕事や様々な手続き・・・落ち着かない中で「やっておけばよかった」と反省したことがいくつかあります。まず、一番は歯科治療私は歯が弱く、かぶせてある歯、いわゆる「銀歯」が多いまた、虫歯の治療がそのままになっていたこともすっかり忘れていましたしかし、挿管することもあり術後に放射線治療をすることも想定され開口障害のことも考えると・・・時間のかかる治療を断念しリスクを伴う歯と判断された歯を半分抜歯することになってしまいました(泣)
今日は「さくらの日」なのですね若干風の強さは残るものの、とても暖かくなって今年も「春」を感じられることにこころから感謝ですさて、思い出すのはあの日のこと。PCR検査を行い、いざ病棟へ・・・手術前日に病院入りをして様々なひとの訪室が終わり夕方近くになった頃術前の準備不足に嘆いたことがありましたうっかりしたけれど、ショックだったことそれは「剃毛」!!手術する側の耳の周りの毛髪をカットし、バリカンで短く短く刈らなければならなかったのですもちろん、施術者は看護師さ
先週、外陰ガンであると告知を受けました。検査結果が出る前から、その可能性が高いと言われてはいましたが、そうじゃない望みも捨てきれていなかっただけに、やっぱりショック…でも、幸運なことに転移はなく、切除手術だけで済みそうだということ。抗がん剤等の治療も必要なさそうで、最悪の中の最高の結果!!私は本当にラッキーだと思います。外陰ガンは女性がかかるガンの中ではとても珍しいガンで、本やネットから得られる情報はとても少ない…私の場合は硬化性苔癬(こうかせいたいせん)という病気から外陰ガンに
「残念ながら、ステージⅣの進行がんです。治療は手術しかありません。」そのひとことを聞いた時、私は正直ほっとしました。なぜなら、もう手の施しようがありません、と言われる覚悟をしていたから・・・いつものように何ごともない顔で仕事を続けなければいけない環境でも、実は毎日眠れずに苦しみながら過ごす毎日に疲れきっていた私は本当に嬉しかった。だって、まだ戦う余地があると思えたから次に悩んだことは命を託すことになる病院と医師をどう選べば良いのか、ということでした。短い時間に決め
術前というものは酷な時間1つ1つの説明を受け自分の今の状況を理解し身もこころも手術を受ける準備を重ねていく次の科でもまた新たな説明を受けました医師によって、科によってことばの選び方が微妙に異なり、ショックの受け方もまた異なります【病名と現在の症状】病名:耳下腺癌実施予定日:2022年●月●日手術術式:顔面神経麻痺に対する静的再建術、神経移植術※こちらは吻合可能であった場合のみ↑ここに赤い波線が引いてありました口頭でも、かなり強めに「残念ながら、非常に
個人医院から紹介状を貰い、大きな病院に腹部CT画像を持って行くことになりました。この時点では膵炎あたりと考えていました。母はこの日、車で1人で病院に行きました。仕事から帰ると、いつもは駐車場にまっすぐ停めてある車がひどく曲がって停まっていました。この時点でとても嫌な予感がしました。この後のことは断片的にしか思い出せません。母は「長生きしたかった」「もうダメやわ」「あんたは強く生きていって」など言っていました。先生はガンと明言はしませんでしたが、「非
2018.11月に遠く離れた場所に住む友人から連絡があり。俺はガンになった!明日胃の全摘手術だ!お前は元気で頑張れよ!と突然のLINEその後何度かお見舞いに行ったり、手術後に元気になってこちらへバイク🏍で遊びにきた時は一緒に食事をしたり最近では連絡しても返信がなくインスタなどでは新しいバイク🏍を買った事など元気な姿も更新されていたので便りがないのは元気な証拠と安心していました2021.7月突然のLINE俺もう手の施しようがない。。。どのような治療を行なってきたのかは知りませんが。
2023年12月14日明日から抗がん剤点滴2クール目始まります。前日の今日は夕方から娘を見に行く日娘が風邪ひいて今日は学校休んてるとのこと心配なので、14時過ぎにスーパーでバナナとお粥とばら寿司買って娘を見に行く。まさかの娘にお家の中に入ってこんといてと言われる風邪が移ったらあかんからとなんとか買ってきたものだけ置いていくと言い、お家の中に入れてもらって、バナナとお粥、ばら寿司、何でもいいから食べれる時に食べるようにと、本当にしんどくなったら電話してくるように約束するお家出た所
たくさんの方に読んで頂いてありがとうございます困っている仲間にどうか届きますように。。。情報を集めようと思った時、どこに行っても誰に聞いても、欲しい情報に出会えずに彷徨いました自身の異変に気付き、検査を重ね、結果が出るまで私には、この期間が一番苦しかったです手術という一筋の光、可能性を信じて現実と向き合い、手術をするという選択をし病院と未来を託す医師を決めて歩み出すまでが二番目に苦しかったです「宣告」を受けたその日、私はその場で決意し、手術の承諾書を書き、前
2023年12月2日連投すみません🥲抗がん剤点滴した日の夜は眠れない昨日歯朝から夜まで抗がん剤点滴ふくめでお出かけしてたのでしんどくなって23時に寝たが、1時に目が覚め、そこから眠れない眠れなくでも明日は何も無い明日以降もずーっと何も無い嫁さんは勤務予定教えてくれない娘がいつ一人で困ってるかもわからない
細見恭司㈱第一建設ホテルアカデミー学長さんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/me昨年末にステージ4の膵臓(すいぞう)がん闘病を公表し、尿管結石で再入院した経済アナリストの森永卓郎氏(66)が22日、ニッポン放送「垣花正あなたとハッピー」(月〜木曜前8・00)に電話出演。尿管結石の手術を無事終えたことを報告した。番組冒頭、「モリタク元気予報」のコーナーで術後の体調を問われた森永氏は「もう絶好調です。昨日、午後2時半くらいから1時間半かけて石を砕く作
母のがん発病は2016年の秋頃、ちょうどそれと同じ頃合いに母は「もう一つ」病気をしていました。「バセドウ病」甲状腺ホルモンが過剰に作られるため新陳代謝が活発になり過ぎ、疲れやすく、体重が減り、動悸がするようになります。母は急激に痩せたのにびっくりして「ガンではないか」と心配しました。検査の結果、ガンではなくバセドウ病だと診断されたので、みんな非常に安堵しました。幸い薬がよく効き、すぐ体重が戻り出しました。この時、私はこのバセドウ病が母の生涯で一番重い病気になるだろうと思って
私は軽度肥満である。思春期の頃から太り始めて基本的にずっとぽっちゃり体系だ。若い頃はそんな自分が嫌で過酷なダイエットをしたりして、摂食障害のようになったこともある。30代を過ぎたあたりから極端なヤセ願望もなくなって、ほんの少しぽっちゃりな方も魅力があるなあと思い始めたそれでも自分のことは認められなくて極端な体重増減をし、そんなことを繰り返してたら鬱になって…本当に辛い10年間を過ごした精神障害者としてではあるけど、なんとか社会復帰も出来てさあ、ここから!と思った矢先に乳がん
もう病院は暗く、看護師さんもあまりいませんでした。先生は若い先生でした。消化器内科です。先生は私たちが二人だけであることに驚いていました。兄たちや親戚は来ていませんでした。まさか検査当日中に最終告知までされるとは思っていなかったからです。そして告知が始まりました。母の腹部の各部のCT画像を見せながら、一気に説明されました。①進行したすい臓ガン。②肝臓にも転移、かなり進んでいる。③肺にも転移の可能性。④多発転移のため手術は不可能、抗がん剤治療になる
食道がんになりやすい人食道がんは遺伝より環境因子が原因と言われている癌です環境因子では主に喫煙と飲酒が良くない中でもお酒を飲むと顔が赤くなる人は食道がんになりやすいそうアルコールの代謝が悪いからそもそも体に合ってないものを受入れ続けるからなんでしょうねちなみに、日本人の約半数が該当するらしいです母も多量の飲酒とヘビースモーカーでした食道がんのハイリスクグループ1.多量飲酒者(お酒を飲むとすぐに顔が赤くなる人)2.喫煙者3.50歳以上の男性4.食道アカラシアの患者5.
母のすい臓がんは発覚する1年ほど前から大きくなっていたそうです。発覚が2017年12月だったので、出来始めは2016年12月、はっきりとした自覚症状が出始めたのは2017年9月の終わりくらいだったと思います。私にも食後にみぞおちの上あたりが痛むと相談がしていました。ちょうど季節の変わり目、暑→寒に切り替わる頃だったのでそれが原因と考えました。職場にも母と同年代で似たような症状の人がいるーと軽く返してしまいました。その痛みは座っているとマシだけど、横に寝ると痛むとい
明朝の手術室への入室予定時間は朝8:30前日に入院PCR検査や様々なひとの訪問を受けて除毛に剃毛、そしてパスの説明時間は刻々と過ぎていく日没をゆっくりと眺めいつの間にか夜景になった外の景色を見ながら術後の自分を想像し、必要そうなものを使いやすく配置ああ、こんなこと昔もあったなぁ・・・あの頃をふと思い出すそう、思い起こせば30代前半私は甲状腺乳頭がんでこの病院で手術を受けた忘れもしないクリスマスシーズン人生初6日間の入院でした18時になると今回初の
診断を確定させるため、膵臓の細胞の組織検査をすることになりました。組織検査の実施日は12/26、この日は偶然父の命日でした。その日までまだ日があったので、とにかくお寺や神社に行きまくりました。その時点ではまだガンと断言されていなかったので、とにかく何かの間違いであってほしい、せめてガンでなく、すい臓炎で済ませて欲しいと厄除けやガン封じや、患部を撫でると病気が治る像など、思いつく限り行きました。そしてその日から母と同じ部屋で寝ることにしました。いい
お久しぶりです今年は年始より、こころが痛む出来事が多い年となりましたねあっという間に三寒四温の日々が訪れ、春はもうすぐそこまで来ていますあと少しで手術から2年が経ちます2年前の今頃、色々な思いを抱え眠れない毎日を過ごしていたことを思い出していますそろそろ振り返ってみようかなこれからこの2年間の思いを少しずつ綴ってみようと思います
ひと段落こんにちは。やっと戻って来られました・・・というのも、治療に専念し過ぎて・・・治療一色の生活を送っていました無我夢中とは、きっとこういうこと今年は年明けに頸が腫れて、検査を受けて告知から手術、そして放射線治療とあっという間に8か月が過ぎていこうとしています1年て早いなぁ・・・これからどうしたら良いかどうすべきなのか治療がひと段落した今、考える時にきたんだなと思います現状としては、開口障害・味覚障害・唾液がでない・涙目・角膜性乱視、皮
初孫誕生!|あんべさん♪(ameblo.jp)これまでの辛く苦しかった「がん闘病」これまでの辛く苦しかった「がん闘病」①~白金製剤の抗がん剤「シスプラチン」治療と副作用~|あんべさん♪(ameblo.jp)これまでの辛く苦しかった「がん闘病」②~「放射線治療」の副作用で辛さと苦しさの極み~|あんべさん♪(ameblo.jp)これまでの辛く苦しかった「がん闘病」③~喉が痛い…味覚障害…手足の痺れ…冷え性…束の間の安心~|あんべさん♪
手術を終えて病室に戻りどれくらい経ったのか異常な口の渇きに目が覚めましたどう表現したら良いかわからないほど口からのど、全体が砂漠のようくちびるから舌、のどが干上がり歯や舌の裏まで一滴のうるおいもない!!カラカラ過ぎて、苦しくて干上がってしまったのどの奥が痛む何とか少しでも唾が出てこないものかと咳払いをしてみても、くちびるを舐めてみても、もう、どうにもこうにも、おおげさではなく一滴の唾もでないうるおいが恋しい・・・とにかく少しで良いか
2015年冬S状結腸のがん部分を20CM切除がん部分周りのリンパ節39個+を除去の手術後7日目には自宅で横たわっていました食事⇒消化⇒排泄が、どうにもよろしくありません(このようなお声は多いことを知り自分だけではないと。異常なことではないと。がんで不具合なのに安堵。変です)食事について本を読むようになりました何しろ食物が停滞したり、決壊のごとく流れたり・・・薬を飲めば痛いし・・・ところで、味覚嗅覚も変わったようです一言でいうと、”鈍くなった”です