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2015年冬からずっと自宅療養出掛けるとトイレの心配ばかりなので・・・食事についての読書が増えましたとても分かり易い!”人は生まれ変わる“”体は常に新しい細胞と置き換わっている””胃は数日””心臓は22日””筋肉60日””骨3年”私の体、働いているんだね、えらいね!挿絵が良いです。アニメ「はたらく細胞」ファンですしね~何がNG食かと思い、こちら↓”体内に現れたがん細胞私に食べろと言っている”恐っ”極端に○○が食したくなったらご用心”とありました大変丁
今、お世話になっている病院を初めて受診した日は2018年5月29日で今日でちょうど5年になります。先生、看護師さん、検査や事務の方々、いつもありがとうございます同じ月の5月初旬に個人病院を受診して乳がんと診断されてがん告知はされていましたが転移の有無やがんのタイプステージなど全く分からなくて今の病院にかかる日は本当に不安で怖くて5年生存率や10年生存率いろんな情報が入ってくるし何年先のことなど未来のことは何も考えられないなと思っていました。肋骨に転移があ
硬化性苔癬のことから話そうと思っていたのに、先日の婦人科の先生の診察でショックな一言を言われてしまい…それについて書きたくなっちゃった…私は今、婦人科、形成外科、皮膚科の三人の先生に診てもらってるんですが、がんの告知を受けたのは形成外科の先生から。話し方も穏やかで、手術だけで済みそうだということで本当にホッとしました。気持ちをしっかり持って、頑張っていこうと思えました。でも…今日、婦人科の先生に「がんは死ぬ病気だから」って言われた!!!私は香港在住20年、香港で正社員として仕事
ずーっとずーっとかゆくてかゆくてしょうがなかったあそこ。それが約一年前(2017年9月)から灼熱感がある痛みを感じるようになりました。腫れている感じもあったし、かき傷からバイ菌が入っちゃって、炎症を起こしたのかなぁ〜…って思いました。もちろん婦人科に行きましたが、抗生物質の飲み薬や塗り薬をもらっても治る気配なし…あまりにも長い間痛みが引かないので、ちゃんと検査をしてみましょうということになり、今年の1月に香港の病院で生体検査を受けました。それで、やっと…本当にやっと、長い間苦
私は軽度肥満である。思春期の頃から太り始めて基本的にずっとぽっちゃり体系だ。若い頃はそんな自分が嫌で過酷なダイエットをしたりして、摂食障害のようになったこともある。30代を過ぎたあたりから極端なヤセ願望もなくなって、ほんの少しぽっちゃりな方も魅力があるなあと思い始めたそれでも自分のことは認められなくて極端な体重増減をし、そんなことを繰り返してたら鬱になって…本当に辛い10年間を過ごした精神障害者としてではあるけど、なんとか社会復帰も出来てさあ、ここから!と思った矢先に乳がん
昔から思っていた事ですが女性は強い方が多い。男は女性には、かなわない。がん治療に関しても言えると思います。がん治療中の女性の方が、仕事へ行ったり、主婦業をこなしているブログを読むと驚きます。治療で辛いのに、食事の用意や、ご主人の世話など多くの男性にはきっとできないと思います。少数派だと思いますが、優しい旦那さんもいらっしゃるようで、尊敬します。優しい旦那さんを持つ女性は恵まれていますね。女性がん患者さんが無理を押して、食事を作っているなど、なんだか悲しくなります。ご本人が
癌は治る時代と言われるようにたくさんの方が寛解を勝ち取っていますねでも寛解が癌のゴールではまだまだないのかなとも思います抗がん剤や放射線治療外科的手術沢山の治療方法があってそれらに挑戦して結果僅かに寿命が延びただけでも癌と闘っただけでも人間としては癌にも死にも抗った最高の人生なんじゃないかな私はそう感じます人間は細胞で出来ている以上癌になるんでしょうねこれからの未来どうなるかなんてわからないけどより良い未来のために何か出来ることを見付けて行動していきた
術前というものは酷な時間1つ1つの説明を受け自分の今の状況を理解し身もこころも手術を受ける準備を重ねていく次の科でもまた新たな説明を受けました医師によって、科によってことばの選び方が微妙に異なり、ショックの受け方もまた異なります【病名と現在の症状】病名:耳下腺癌実施予定日:2022年●月●日手術術式:顔面神経麻痺に対する静的再建術、神経移植術※こちらは吻合可能であった場合のみ↑ここに赤い波線が引いてありました口頭でも、かなり強めに「残念ながら、非常に
話は病気発覚の5年前に遡ります。病院の定期健診で、母のすい臓に影が見つかりました。母は健康そのものの人で、大きな病気をしたことがありませんでした。この時影が見つかったと聞いても、どうせ大したことはないだろうと私はタカをくくっていました。そして、再検査の結果・・・病院の診断の結果、影は害のない嚢胞(のうほう)と診断され、悪性化・がん化の心配は一切ないと断言されました。院長先生はそう言い切りましたが、看護師さんは「ちゃんと経過を見ておいたほうがいいですよ?」と念押ししたそうです
初孫誕生!|あんべさん♪(ameblo.jp)これまでの辛く苦しかった「がん闘病」これまでの辛く苦しかった「がん闘病」①~白金製剤の抗がん剤「シスプラチン」治療と副作用~|あんべさん♪(ameblo.jp)これまでの辛く苦しかった「がん闘病」②~「放射線治療」の副作用で辛さと苦しさの極み~|あんべさん♪(ameblo.jp)これまでの辛く苦しかった「がん闘病」③~喉が痛い…味覚障害…手足の痺れ…冷え性…束の間の安心~|あんべさん♪
先週、外陰ガンであると告知を受けました。検査結果が出る前から、その可能性が高いと言われてはいましたが、そうじゃない望みも捨てきれていなかっただけに、やっぱりショック…でも、幸運なことに転移はなく、切除手術だけで済みそうだということ。抗がん剤等の治療も必要なさそうで、最悪の中の最高の結果!!私は本当にラッキーだと思います。外陰ガンは女性がかかるガンの中ではとても珍しいガンで、本やネットから得られる情報はとても少ない…私の場合は硬化性苔癬(こうかせいたいせん)という病気から外陰ガンに
2015年春頃会社従業員が受ける健康診断がありました。診断結果の中に「要再検」とあった。それでも全く気にしていませんでした。だって、体調が悪いって感じたことがないのだから。何年もネグレクトしていました。再検査をしたのはそれから数か月後。大腸カメラ検査の結果、「小さいポリープならここでとるのだけれど。」と、いうことで病院の紹介状を持たされました。そこには、「がんセンター。腹腔鏡外科☆先生」宛。ここで初めて「がん」なんだと知りました。衝撃はじわじわじわじわと胃の付
もうすぐお迎えがくるころだろう。吐き気が止めどなくやってくる…休日ということもあり、古い古い邦画が流れている。たまたまだが、地方公務員が公園を建てる話だ。(調べたところ、黒澤明監督の「生きる」だった)私の父は公務員、町内の公園を設立していたがそんな篩話はどうでもいい。そして、医者の見立てでは、そろそろおむかえがくるころなのだ。そうだね、担当医の悲しげな顔を見てから、3年くらい経つのだもの。何故だか腹の底から笑いがでるくらい、辛いのが、滑稽なのだ。そう、腹の底から気持ち悪い癖に
私の目に飛び込んできた文字この文字が目に写った時には一瞬、何も聞こえなかったのかもしれない私は音のない世界でこの文字を見た気がします病名:耳下腺癌第1に唾液腺導管癌を疑うステージ:Ⅳ正直、これだけでかなりのインパクトでしたそして、確定診断は、摘出による病理診断となります耳下腺、顎下腺、舌下腺のあたりが図解してあり転移しているリンパ節に数か所赤い印が・・・【手術をする】メリット:腫瘍の摘除ができ、病理診断がつけられるデメリット:手術による体へ
病室を出たわたしはエレベーター前で家族の代表1人と合流し手術室のあるフロアへと向かっていく静かにドアがひらき、看護師が先導する後ろを一緒に手術室の入り口を目指して歩くあゆみは若干遅めにお互い無口でもそれぞれの覚悟が伝わる「がんばれよ」「うん、頑張ってくる」にわかに点滴棒を携えた同じ術衣をまとったたくさんの仲間と大勢の看護師の姿人だかりが見えるああ、ここね。大きな総合受付のような待合に到着辿り着くと患者の
母のすい臓がんは発覚する1年ほど前から大きくなっていたそうです。発覚が2017年12月だったので、出来始めは2016年12月、はっきりとした自覚症状が出始めたのは2017年9月の終わりくらいだったと思います。私にも食後にみぞおちの上あたりが痛むと相談がしていました。ちょうど季節の変わり目、暑→寒に切り替わる頃だったのでそれが原因と考えました。職場にも母と同年代で似たような症状の人がいるーと軽く返してしまいました。その痛みは座っているとマシだけど、横に寝ると痛むとい
がんサバイバー中路正恒です。がん闘病中です。中路正恒土下座グランプリDogeza-1開催中飲尿家中路正恒から「大切なご報告と謝罪」「バカでごめん、本当に申し訳ありませんでした」_人人人人人人人人人人人人_>飲尿家養成中路正恒< ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄中路正恒公式飲尿会メンバー募集中nakajimange@excite.co.jp小便飲んで健康に、幸せになりましょう。小便を飲む事で健康に開運します。飲尿でがん闘病しましょう。みなさん小便飲みまし
癌の治療費だけじゃない出費お金と生活のはなし日本の医療については癌に限らず本当に進歩し続ける時代を私達は生きてます。ありがたいことです医療費も時代を追うごとにどんどん変化してきましたね。母は現在72歳闘病開始は71歳でした。年齢の恩恵でもある高額療養費限度額認定証のお陰で物凄く医療費は助けられました現役世代で癌になった場合の医療費は今の時代でも本当に大変と耳にしましたでも私も母の医療費は助けられたとはいえそれなりに費用はかかっていて、また母の看護につきそうために
「残念ながら、ステージⅣの進行がんです。治療は手術しかありません。」そのひとことを聞いた時、私は正直ほっとしました。なぜなら、もう手の施しようがありません、と言われる覚悟をしていたから・・・いつものように何ごともない顔で仕事を続けなければいけない環境でも、実は毎日眠れずに苦しみながら過ごす毎日に疲れきっていた私は本当に嬉しかった。だって、まだ戦う余地があると思えたから次に悩んだことは命を託すことになる病院と医師をどう選べば良いのか、ということでした。短い時間に決め
怒涛の検査ラッシュそして仕事や様々な手続き・・・落ち着かない中で「やっておけばよかった」と反省したことがいくつかあります。まず、一番は歯科治療私は歯が弱く、かぶせてある歯、いわゆる「銀歯」が多いまた、虫歯の治療がそのままになっていたこともすっかり忘れていましたしかし、挿管することもあり術後に放射線治療をすることも想定され開口障害のことも考えると・・・時間のかかる治療を断念しリスクを伴う歯と判断された歯を半分抜歯することになってしまいました(泣)
2015年夏紹介状の病院の「腹腔鏡の☆先生」の診察を受けました。クリニックからの内視鏡画像を見て、「腹腔鏡対峙の範囲外」的なご説明を頂き、直ちに終了。「大腸外科」へ送られました。次第に、「これは現実なんだ」と思えるようになりました。「大腸外科」では。「斬るべし」「斬るべし」「斬るべし」の解説を頂いた。「列は(手術順)3か月が最後尾です。並んでいないと、手術室へ行くのが遅くなります」私は重症?重篤?もしかしてまずいやつ?
早期発見・早期治療が当たり前に母が食道がんになった時ネットに散見している情報を見てとても怖かったのを思い出しますいざ闘病生活が始まってみたら母の場合水も飲めない、食べれない、呼吸が苦しい、あっという間に人間の生命を維持するための基本が出来なくなりました想像を絶する苦しさです水も飲めない食べれない唾も飲み込めなくなって9ヵ月喉だけは潤してあげたい目標にしてた天ぷらそばを食べさせてあげたかったそんな思いに苦しくはなりますが感傷には浸れないと強く思うのが今後こんな苦
母のがん発病は2016年の秋頃、ちょうどそれと同じ頃合いに母は「もう一つ」病気をしていました。「バセドウ病」甲状腺ホルモンが過剰に作られるため新陳代謝が活発になり過ぎ、疲れやすく、体重が減り、動悸がするようになります。母は急激に痩せたのにびっくりして「ガンではないか」と心配しました。検査の結果、ガンではなくバセドウ病だと診断されたので、みんな非常に安堵しました。幸い薬がよく効き、すぐ体重が戻り出しました。この時、私はこのバセドウ病が母の生涯で一番重い病気になるだろうと思って
こころの開放私と今後の治療を引き受けてくれる病院と何より大切な主治医が決まった。有難い。手術に向かって3週間・・・この期間に仕事の対応や職務の配分をしなければもしかしたら、1日も早く手術ができるようにあの先生なら掛け合ってくれるかもしれない1週間早くなっても良いように動いていこうこうなってみて初めて自身の身体の悲鳴が聞こえるようになった「もう、これ以
昨日、ダビンチ手術を受ける大病院での初診察に行ってきましたとは言っても、生検を受けた病院に、この大病院の医師が週一で来ておられ、既に一度お会いしている医師なので少し安心です昨日の診察の目的は手術とリスクの説明などがメインと聞いており、家族の同行を求められていましたので、カミさんと2人で出向きました具体的な手術内容や輸血を行う可能性などの説明は説明書も用意されており、説明を尽くそうという姿勢が感じられて好印象でしたが、私は性格的に「ここまで来たら、もうお任せします」という
今日は「さくらの日」なのですね若干風の強さは残るものの、とても暖かくなって今年も「春」を感じられることにこころから感謝ですさて、思い出すのはあの日のこと。PCR検査を行い、いざ病棟へ・・・手術前日に病院入りをして様々なひとの訪室が終わり夕方近くになった頃術前の準備不足に嘆いたことがありましたうっかりしたけれど、ショックだったことそれは「剃毛」!!手術する側の耳の周りの毛髪をカットし、バリカンで短く短く刈らなければならなかったのですもちろん、施術者は看護師さ
たくさんの不安がありましたが一番は顔面神経麻痺術後で極端に唾液が少なくなるためこまめに歯磨きをするのですがその度に鏡の前まで行って座りまじまじと自分の顔を覗き込むわけです一部、つないで頂けたということでしたがやはり患側の顔半分が全く動かない・・・顔はパンパンに腫れあがっているのでまだ、あまり実感はありませんが口元もがガーゼの下の目元も下がり顔面神経麻痺の影響はすさまじく気持ちは落ち込んでいました耳は全く感じず、ついているか不安なほど患側
母に関わってくれた病院と先生のお話病院の先生って治療になかなか前向きになれない患者に怒りを感じてるなってちょっと感じることがあってそれは数えきれない生死の瞬間を見たからこそ生きることへの執着を持って欲しいんだろうなぁと思ったり※(これはとても良いお医者さんの場合ですね、母の主治医はそういう人でした)東京で最後に紹介された病院で主治医になる先生が母に治療方針を説明したとき弱気の発言ばかりする母に一発渇をいれてくれたんです(笑)私はその場にいなかったんですが姉から聞いたら
2018.11月に遠く離れた場所に住む友人から連絡があり。俺はガンになった!明日胃の全摘手術だ!お前は元気で頑張れよ!と突然のLINEその後何度かお見舞いに行ったり、手術後に元気になってこちらへバイク🏍で遊びにきた時は一緒に食事をしたり最近では連絡しても返信がなくインスタなどでは新しいバイク🏍を買った事など元気な姿も更新されていたので便りがないのは元気な証拠と安心していました2021.7月突然のLINE俺もう手の施しようがない。。。どのような治療を行なってきたのかは知りませんが。
皆さま♡こんにちは!お立ち寄り頂きありがとうございます◡̈⃝˖*•─────❋─────•今までの治療記録●20229月腹痛と排尿痛で泌尿器科を受診回復が見込めず紹介で総合病院を受診病理診断のため腹腔鏡手術&入院リンパ鼠径部に遠隔転移腹水からガン細胞発覚腹膜播種ありで高異型漿液性癌ステージⅣbと診断●10月化学療法スタートTC療法(パクリタキセル+カルボプラチン)2クール目よりアバスチン追加●11月TC療法3クール後CT