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皆さま♡こんにちは!お立ち寄り頂きありがとうございます◡̈⃝˖*•─────❋─────•今までの治療記録●20229月腹痛と排尿痛で泌尿器科を受診回復が見込めず紹介で総合病院を受診病理診断のため腹腔鏡手術&入院リンパ鼠径部に遠隔転移腹水からガン細胞発覚腹膜播種ありで高異型漿液性癌ステージⅣbと診断●10月化学療法スタートTC療法(パクリタキセル+カルボプラチン)2クール目よりアバスチン追加●11月TC療法3クール後CT
手術を終えて病室に戻りどれくらい経ったのか異常な口の渇きに目が覚めましたどう表現したら良いかわからないほど口からのど、全体が砂漠のようくちびるから舌、のどが干上がり歯や舌の裏まで一滴のうるおいもない!!カラカラ過ぎて、苦しくて干上がってしまったのどの奥が痛む何とか少しでも唾が出てこないものかと咳払いをしてみても、くちびるを舐めてみても、もう、どうにもこうにも、おおげさではなく一滴の唾もでないうるおいが恋しい・・・とにかく少しで良いか
残念ながら悪い細胞が出てますねと先生は言ったえ〜、やはり。いや?まさか自分が癌になるなんて思ってもいなかった。2024年3月に市のがん検診で、子宮頸がんの検査だけしました。その時に子宮体癌の検査オプションでしませんか?と勧められたけど痛そうだし、余計にお金もかかるしやりませんでした。すると2週間位たった頃病院から電話がかかって来て早く結果を聞きに来る様にと言われました。なんか嫌な予感はしたんだけど、、結果を聞きに行くとAGC(腺系の細胞に異常がある)と言われました。その後コルボ診と細
#悪性リンパ腫原口一博衆院議員が明かす「私が“がん闘病”を告白した理由」ウィッグ姿への中傷で痛感した“患者の現実”、「当初は“逃げよう”と思っていた……」/デイリー新潮●今年4月、悪性リンパ腫治療中発表●「がん患者は“終わった人”と見なされる」→情報発信していくhttps://www.dailyshincho.jp/article/2023/07161104/?all=1正直言いますと、私は立憲民主党は嫌いな政党です。その立憲民主党の顔である原口議員が、悪性リンパ腫のご治療中であ
私の家族は私の夫と息子達もものすご〜く運がいいです🎵夫と息子達の場合はものすごくくじ運が良いです夫と息子の名前で応募するとなぜか懸賞がバンバン当たります❗ブログに書いてませんが部屋で着ているTシャツとかリビングに置いてあるデッカいビーズクッションは、懸賞で当たりました。この3人はジャンケンも強いのですが、実は家族でジャンケンが一番強いのは、私です(←負け知らず)それだけではなく夫はなんだかものすごく間のいい人です。だから私は何かの決断や旅先での行
気がつけば、飛行機に乗って坐骨あたりの痛みを感じてから季節が一巡。(放置しすぎ!)この少し前に別の病気で入院していた私は、実家で療養という形のグータラ生活をしばらく送っていたのですが、徐々に何もしなくても痺れや痛みが出るように、、、ある日、痛みや痺れが強くて一睡もできないという事がありました。それを母に話すと、病院行って来たら?と言うので、じゃ行ってみるかな、、、と軽い気持ちで近くの総合病院の整形外科へ。最初に異変を感じて診てもらったのと同じ病院。以前
術前というものは酷な時間1つ1つの説明を受け自分の今の状況を理解し身もこころも手術を受ける準備を重ねていく次の科でもまた新たな説明を受けました医師によって、科によってことばの選び方が微妙に異なり、ショックの受け方もまた異なります【病名と現在の症状】病名:耳下腺癌実施予定日:2022年●月●日手術術式:顔面神経麻痺に対する静的再建術、神経移植術※こちらは吻合可能であった場合のみ↑ここに赤い波線が引いてありました口頭でも、かなり強めに「残念ながら、非常に
こんにちは本日は受診の日血液検査して、問題なければ明日からまた抗がん剤内服開始です結果は腫瘍マーカー、CEAもCA19-9も基準値内いつもながらドキドキしますが、、、明日からまたUFTユーゼル療法4クール目開始ですUFTユーゼルは4週間内服、1週間休薬ですが、、、4週目あたりに前回吐き気がでて、1日お休みしたのですが、職場の上司から今の状態を主治医に診断書書いてもらえと、、、まぁ、結局、無理して働かして何かあった時に責任問題になるのが嫌だからなんだろうけど診断書代だってかかる
今から書くことは前に上のブログにも一部だけ書いておりますので、よろしければ併せてご覧下さいエンゼルケアが終わって看護師さんが部屋を出ると、入れ替わりにすぐさま小さなお葬式の方が部屋に入って来ました。母のエンゼルケアは1つ前のブログに書いた理由でものすごく手間がかかった為、初めから終わりまで1時間近く費やしました。申し訳ないことに小さなお葬式さんはその間ずっと外で待っていてくれた訳です。担当の方は全身にアトピーがありました。実は我が夫もアトピーです。
病室を出たわたしはエレベーター前で家族の代表1人と合流し手術室のあるフロアへと向かっていく静かにドアがひらき、看護師が先導する後ろを一緒に手術室の入り口を目指して歩くあゆみは若干遅めにお互い無口でもそれぞれの覚悟が伝わる「がんばれよ」「うん、頑張ってくる」にわかに点滴棒を携えた同じ術衣をまとったたくさんの仲間と大勢の看護師の姿人だかりが見えるああ、ここね。大きな総合受付のような待合に到着辿り着くと患者の
お久しぶりです今年は年始より、こころが痛む出来事が多い年となりましたねあっという間に三寒四温の日々が訪れ、春はもうすぐそこまで来ていますあと少しで手術から2年が経ちます2年前の今頃、色々な思いを抱え眠れない毎日を過ごしていたことを思い出していますそろそろ振り返ってみようかなこれからこの2年間の思いを少しずつ綴ってみようと思います
先週、外陰ガンであると告知を受けました。検査結果が出る前から、その可能性が高いと言われてはいましたが、そうじゃない望みも捨てきれていなかっただけに、やっぱりショック…でも、幸運なことに転移はなく、切除手術だけで済みそうだということ。抗がん剤等の治療も必要なさそうで、最悪の中の最高の結果!!私は本当にラッキーだと思います。外陰ガンは女性がかかるガンの中ではとても珍しいガンで、本やネットから得られる情報はとても少ない…私の場合は硬化性苔癬(こうかせいたいせん)という病気から外陰ガンに
今日はガン研有明病院の初診の日息子がわざわざ付き添ってくれた。自分では緊張していないつもりでも、昨日は夜何度も目が覚めるし、その後寝付けないし。だから息子が付き合ってくれたのはほんとうに心強かった。知らないうちになんだかよく気がきく優しい、頼もしい大人になったなぁと感心した。今日は何をやるのかなーと思っていたら、前の病院でもやった細胞診と組織診(痛かったし、少し出血した。)をやり、経腟エコーと術前検査のレントゲン、心電図、採血(感染症含む)呼吸機能やって終わりだった。その後息子とお昼を
おはようございます😃いつもブログを読んで下さりありがとうございます(^^)2017.6に直腸がんステージ3bを宣告された母。2019.3.12再発。この日からステージ4に。そして2021.9.8今日は元気に久しぶりのがんセンターへ定期検診へ出かけました。何も異常ない事を願ってます。乳酸菌酵素抽出液クリアリブとアガリクス2019.3.13再発が分かった翌日、すぐにクリアさんへ駆け込み乳酸菌酵素抽出液クリアリブとアガリクスを手にして母へ届けたのだろうか。私ってそん
『母が亡くなってすぐの、上の妹夫婦』ものごころついた時から、私はほんの少しでも良くない事を言ったり、どんなに些細な事でも良くない事をしたり心の中で良くない事を考えたりしただけで、後ろのどなたなの…ameblo.jp『母の火葬式』小さなお葬式さんの小さな火葬式プランでの1月17日の母のお別れ式は、1日一組限定の小さな森の家さんという斎場で営まれました。初めてお伺いしましたが外観も中もま…ameblo.jp『母の火葬式での、上の妹夫婦』火葬式の時は上の妹家族と私達の間には何ごとも起こりませ
食事療法のために、これまで小麦粉製品、甘いもの、豚肉、牛肉はシャットアウトしていました。特にすい臓がんは甘いものは黒砂糖、蜂蜜を含め厳禁と本に書いてありました。糖分の分解は膵臓が行うからでしょうね。しかし母が元気を取り戻して、欲しいというものを止めることは出来ませんでした。いや、止めましたが私の発言権はあまりに弱かったです。がん発覚する前は、我が家では毎朝食パンにバナナやナッツやチーズ、はちみつを盛ったトーストを食べていました。(通称母パン)発覚後は禁じて
今日の内容は上のリブログと内容が重なるところと違うところがありますので、よろしければ併せてお読み下さい私と妹は母が6回目の息をするかとしばらく待ちましたが、いくら待っても母が息をしないので、「ママ、◯んじゃったね…」とどちらともなく言いました。その後、妹は妹の夫に電話しました。すると、妹の夫はお酒を飲まずに連絡があったらすぐに車で駆けつけようと、待機していた事がわかりました後になって妹は「今日ママが亡くなるとわかっていたら、みんなを家に帰さな
2023年12月14日明日から抗がん剤点滴2クール目始まります。前日の今日は夕方から娘を見に行く日娘が風邪ひいて今日は学校休んてるとのこと心配なので、14時過ぎにスーパーでバナナとお粥とばら寿司買って娘を見に行く。まさかの娘にお家の中に入ってこんといてと言われる風邪が移ったらあかんからとなんとか買ってきたものだけ置いていくと言い、お家の中に入れてもらって、バナナとお粥、ばら寿司、何でもいいから食べれる時に食べるようにと、本当にしんどくなったら電話してくるように約束するお家出た所
膝を曲げた時に痛みを感じるようになり気づいた小指の爪位の大きさのしこり。時間が経つにつれ、少しずつ大きくなり何故か膝を良くぶつけるようになりました。「大丈夫って言われても、おかしいと思ったら再度診てもらうか、別の病院に行かなきゃ」と今ならそう思うけれど、無知で若かった私はレントゲンまで撮ったんだから大丈夫!って信じていたんだと思います。気づけば、しこりは外から見てもわりと目立つようになり、ミニスカートを穿いてる時に他人から指摘される事もありました。そして、長い時間歩いた
もうすぐお迎えがくるころだろう。吐き気が止めどなくやってくる…休日ということもあり、古い古い邦画が流れている。たまたまだが、地方公務員が公園を建てる話だ。(調べたところ、黒澤明監督の「生きる」だった)私の父は公務員、町内の公園を設立していたがそんな篩話はどうでもいい。そして、医者の見立てでは、そろそろおむかえがくるころなのだ。そうだね、担当医の悲しげな顔を見てから、3年くらい経つのだもの。何故だか腹の底から笑いがでるくらい、辛いのが、滑稽なのだ。そう、腹の底から気持ち悪い癖に
硬化性苔癬のことから話そうと思っていたのに、先日の婦人科の先生の診察でショックな一言を言われてしまい…それについて書きたくなっちゃった…私は今、婦人科、形成外科、皮膚科の三人の先生に診てもらってるんですが、がんの告知を受けたのは形成外科の先生から。話し方も穏やかで、手術だけで済みそうだということで本当にホッとしました。気持ちをしっかり持って、頑張っていこうと思えました。でも…今日、婦人科の先生に「がんは死ぬ病気だから」って言われた!!!私は香港在住20年、香港で正社員として仕事
3年半も放置してしまったしこりががんだとわかった時、取り返しのつかないことをしたと思いました。淡明細胞肉腫は悪性度が高く初発時に転移していることも多い難治性のがんです。全身検査の結果、幸いなことに転移は見つかりませんでしたが毎日、目に見える場所にあって存在に気付きながら長い期間、放っておいてしまったことはその後も、常に後悔と不安の元になりました。もっと早く二度目の病院に行けば良かった、、と。(注意!以下、淡明細胞肉腫の生存率の記載あり)最近は希少がんの一例としてこの病気に
2023年12月2日連投すみません🥲抗がん剤点滴した日の夜は眠れない昨日歯朝から夜まで抗がん剤点滴ふくめでお出かけしてたのでしんどくなって23時に寝たが、1時に目が覚め、そこから眠れない眠れなくでも明日は何も無い明日以降もずーっと何も無い嫁さんは勤務予定教えてくれない娘がいつ一人で困ってるかもわからない
元HELLOVENUSユ・アラ、がん闘病を告白「緊急手術を受け回復中…1人でつらい思いも」MYDAILY2024年06月12日17時08分写真=マイデイリーDB元HELLOVENUSのユ・アラが久々に近況を伝え、注目を集めた。ユ・アラは11日、自身のInstagramを通じて「こんにちは、ユ・アラです。皆さんお元気でしたか?」という挨拶から始まる長文のコメントを投稿した。彼女は「本当に死んだと思ってる方も多いようで……。私は前からよく疲れを感じ、体調が優れない時が本当に多かったです
「残念ながら、ステージⅣの進行がんです。治療は手術しかありません。」そのひとことを聞いた時、私は正直ほっとしました。なぜなら、もう手の施しようがありません、と言われる覚悟をしていたから・・・いつものように何ごともない顔で仕事を続けなければいけない環境でも、実は毎日眠れずに苦しみながら過ごす毎日に疲れきっていた私は本当に嬉しかった。だって、まだ戦う余地があると思えたから次に悩んだことは命を託すことになる病院と医師をどう選べば良いのか、ということでした。短い時間に決め
(過去の体験を綴っています)人生で初めての大学病院、、、整形外科の腫瘍外来を受診。診察室には医師が2人と医学生が4人もいました。MRI結果を見て、触診・問診の後、先生が「悪性の可能性がありますね」と。この時の先生の言葉は時間が経った今もとても鮮明に覚えています。ある意味、病名を告知された時よりも衝撃が大きかったなぁと思います。全身の力が抜けて心臓がバクバクして口の中がすごく乾いて。細胞の検査をすると言われ他の患者さんの診察が終わるまで待つことになりました
こんばんは今日はなんだか眠れなくて。桜の開花のニュースを聞き春を感じるこの季節2年前のこの時期を思うと、眠れなくなる夜があります耳下腺癌cT2N2bMO第1に唾液腺導管がんを疑いますそんな表記から始まる同意文章でした強そうで、怖そうな、そんな名前・・・既にリンパ節に複数転移しており絵には大きな印が複数ありました全摘、そしてS字切開の説明図私はかなり大きく開かなくてはならず頸部郭清と顔面神経麻痺再建術は可能な状態であればとの注釈付き、気管切開の可能性など様々書
癌の治療費だけじゃない出費お金と生活のはなし日本の医療については癌に限らず本当に進歩し続ける時代を私達は生きてます。ありがたいことです医療費も時代を追うごとにどんどん変化してきましたね。母は現在72歳闘病開始は71歳でした。年齢の恩恵でもある高額療養費限度額認定証のお陰で物凄く医療費は助けられました現役世代で癌になった場合の医療費は今の時代でも本当に大変と耳にしましたでも私も母の医療費は助けられたとはいえそれなりに費用はかかっていて、また母の看護につきそうために
明朝の手術室への入室予定時間は朝8:30前日に入院PCR検査や様々なひとの訪問を受けて除毛に剃毛、そしてパスの説明時間は刻々と過ぎていく日没をゆっくりと眺めいつの間にか夜景になった外の景色を見ながら術後の自分を想像し、必要そうなものを使いやすく配置ああ、こんなこと昔もあったなぁ・・・あの頃をふと思い出すそう、思い起こせば30代前半私は甲状腺乳頭がんでこの病院で手術を受けた忘れもしないクリスマスシーズン人生初6日間の入院でした18時になると今回初の
4月になり、抗ガン剤投与開始から4ヶ月目、アブラキサンをやめて1ヶ月が経ちました。4月最初の血液検査では肝臓の数値、γGTが65→38、ほぼ正常値。すい臓の数値CA19-9は1037→530。こちらは正常値が37なのでまだまだ高いですが前回と比べて半減しています。アブラキサンをやめたことで数値が上がることを恐れていましたが、この時点では大丈夫でした。この時期は完全に癌をなめていました。このまま本格的な抗ガン剤治療はやめて、癌を休眠させるような治療をできな