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2022/9/29(木)昨日のDr.の説明より…やはり卵巣がん、だと。…でしょうねぇ…。もう1週間前から耳にしてる病名。改めて聞いたところで自分の中では何ひとつ変わらない。動揺もショックも何もない。卵巣がんには変わりはない。じゃ、どうするか!でしょ。昨晩…この話を長女にTEL。こちらが淡々としてるからなのか、娘も思ったよりも冷静に思えた。思ったより、…なだけでやはりショックは伝わってくる。「ママがこれだけ元気やのに落ち込んでどうするん!」って励ましておいた。◕‿◕
盲腸がん告知こんにちは大腸内視鏡検査が終わり約1時間回復室にてじゅさーん、フラフラしたり変な感じありませんか?全くないですー!…あのー鎮静剤って使ったら寝れると思ってたんですけど…(昨日も寝てないし)あとめちゃくちゃ痛かったです…こればっかりは体質だからね。一般的にはお酒強い人は効きにくいとかいわれてるみたいよ。ほぅ…そうなんですね…(納得!!!)じゃ先生の話聞きに行こうかー!旦那さん来てたもんね、今は車?一緒に診察室入ろっかーいや、結果だけですよね?別に
※8ヶ月ぶりに読み返してみたら、ブログに慣れていなかったので大変読みづらく、誤字もありましたので補足訂正をしました。はじめまして。胸腺がんという珍しい病気になられた方の、少しでも参考になればとブログを始めてみようと思います。私は51歳の女性です。26歳と20歳の娘をもち、やっとこれから主人と自分達の時間を持ちたいなぁ。。と思っていた矢先の病気の発覚です。だいぶ前から背中に痛みがありありました。でも、パソコンを使う仕事柄、肩こりからきてるのかなぁ。。と思っていました。指圧に行ったり、湿
12月29日主治医となる先生は私達を真っ直ぐに見つめ、画像を見ながら丁寧に症状の説明をしてくれました。がんの事を旦那に打ち明けてもらってから、ネットで下調べはしていたものの、そこは素人。旦那の状況やこれからの治療などはどうなっていくのかは全くわかりません。私は先生に今の状況を聞きました。「今の状態ってどんな感じなんでしょう?」「今はというか、これからは何もしなければ色々な症状が出始めると思います。」「手術とかは無理なんでしょうか?」「肝臓に遠隔転移という形なので手術はで
1/767kg排便50cc8:30に執刀医が顔を出してくれてモチベーションが上がって来た。女房が8:45に来てくれて、病棟の看護師が準備した早変わりの衣装の様なマジックテープだらけの手術着に着替えてオペ室まで歩いて行く。休み明け且つ朝一番の手術なのでみんなピリピリしている。ドアは全てフットスイッチで自動ドアの様に次々と開いて行く。手術室の前で自己紹介されたが、オペ室の看護助手は3人中2人が新人の様だった。全員が確認作業をしている喧騒の中手術台に横になり、麻酔医と話しながら背中を丸
病理診断結果説明の日になりました。外は年末寒波の影響で昨晩から15㎝を超える雪❄️が降り積もり一面真っ白でした。そのため早めに夫とA病院🏥に向かいました。病院に到着し受付を済ませると程なく呼ばれました。T先生に夫同伴できたことを伝え二人で診察室に入りました。T先生は言葉を選びながら、手術で切除した腫瘍の病理診断結果を私達に説明してくれました。病理診断結果は、悪性の線維肉腫だった。今までに線維肉腫を4例診ているが、腫瘍の塊に浸潤増殖型の腫瘍を伴うものは初めてである。
まず、はじめに…〜私の乳がんプロフィール〜2022年2月7日左乳房上外側部乳がん告知2022年3月3日乳房温存手術+センチネルリンパ節生検---術後病理検査結果---------𓍲ステージ2B・25×24×24mmホルモン受容体=3b(陽性)・Her2=0(陰性)Ki67=59.6%・ルミナルB・グレード3センチネルリンパ節転移(1/2)------------------------𓍲202
遂に来てしまった手術の時が…あんまり眠れずに朝を迎えました私は一番目の手術です。昨晩から水しか口出来てないのでお腹空くかなって思いましたが、全然そんな心境ではなく。ただ緊張だけがありました。主人とは面会できませんが、術後の説明に来るので一瞬だけ会えましたお部屋が歩道橋の近くだった為、『行って来ます』程度は出来ました盲腸か?って位の軽いバイバイこの後に、伊藤病院から近いので明治神宮へ参拝に行って来てくれました(←私からお願いして)全ての神様にお願いしたい位な気持ちですよ。本
2023.2.4組織生検から2週間たち、一番最短で結果を聞ける日で予約をしていましたこの日は朝から上の子の授業参観があって、PTAのお手伝い→楽しそうなお手伝いボランティアだったので参加その後、夫にこどもたち二人をお願いして、結果を聞きに行きました。こどもたちを誰かに頼んで、二人で結果を聞きに行くこともないだろうと判断してひとりで行きました。むしろ、ひとりで行きたかったある意味、わたしは結構調べ尽くしていたので、悪性の可能性が高いと思っていたんです。だから、夫と一緒に結果を聞いた
2022年5月20日元気いっぱいで総合病院に再訪。診察室が普通の部屋ではなく、廊下の一番奥の目立たない部屋だった。その時点で何か不穏なものを感じ取ればいいのに、元気すぎて気づかない私。診察室に入るなり、T医師が少し驚いた顔をした。T医師「お一人でいらしたんですか?」私「(·∀·)?はい」前回の検査の時、「5月20日に組織診の結果が出ます。ご家族といっしょに来られますか」とは聞かれていた。「あ、じゃあできたら来てもらいます」と私は適当に答えた。なにぶんこの時点では元気いっぱい
ベランダでミニトマトを作っています毎日少しずつ成長する姿を眺めてはうれしくてしょうがないですほんとは昨年もベランダ栽培していたんだけど。昨年の今ごろは抗がん剤と放射線治療を始めて10日ほどで一気に副作用が出て、食べることも水を飲むことも難しくなり、1日に10回以上のひどい下痢で水を飲んでもお腹を下して緊急入院していたのでしたトイレ以外は寝たきりで動くことも話すこともままならず心身ともに人生で最もつらい時期でしたなので、今のふつうの日常が本当にありがたいし幸せで
めっちゃ愚痴。苦手な人は見ないで💦癌が発覚した時、言われて傷付いた言葉。あくまで私の場合だけど。「健康診断受けてなかったの?」「癌検診受けてなかったの?」この2つ。お恥ずかしながら、妊娠を機に前職を退職して以来、実に5年近く健診受けてませんでした。唯一、子宮頸がん検診だけは受けていましたが。。えぇ、私が悪いんですよ。。健診受けてなかったから、癌検診受けてなかったから、卵巣がんになったんですよね。って、そんなわけあるかーーーいあほか。健診もがん検診も大事です
※過去の振り返り日記です。2020年10月2日。入院1日目。夕方、主治医から話があると言われる。ご主人も一緒にと。見た目は強そうなのに、メンタル極弱の夫。義姉と高校生の長男を連れて来た。長男も連れて来ちゃったのかよ大丈夫かなー主治医と看護師さん。夫、義姉、長男、私。コロナ禍なのに、狭い面会室に6人。息苦しい。重い雰囲気。主治医からの話。膵臓に腫瘍があり、がんだと思われます。食事が摂れなくて嘔吐していたのは、十二指腸閉塞を起こしていたためです。すぐに腫瘍を取る手術をし
12/14外来通院。2年前に手術した虫垂炎の手術痕の辺りの違和感、胃の不快感と胸焼けと説明すると胃腸炎と診断され処方されたPPI(ネキシウム)、胃粘膜修復剤(テプレノン)、ビフィズス菌(ビオスミン)を毎日服用していた12/19昼食の味噌ラーメンを食べた後から、胃がキリキリと痛み始めた。水を飲むと沈静化するので騙し騙し帰宅した。夕食は食べられず、悪寒がするので葛根湯、ロキソニンを服用して就寝したが、激痛で眠れず。12/2071kg下痢便嘔吐前に2回(約100ml)未明から胃の激
はじめまして。今日も良い天気です。わが家はいつも変わらず平穏な暮らしです。高3の息子は朝早くサッカーの練習に出かけました。娘と奥さんはまだ寝てるかな。いつもと違うのは、私がALK肺腺癌ステージ4なだけなんです💦痛みもなく。咳が出る訳でもなく。頭が痛い訳でもなく。運動もできるし、ビールも呑んでOK。でも肺がん患者なのよねー。2月中旬の健康診断(会社で年1回受診しないといけないやつ)から3月中旬で突然のがん告知。。でも痛くないし、しんどくないし、元気やし、逆にどうしよう。。
2014年6月16日(月)13日(土)の乳癌健診後に入れていただいた同病院の乳腺科外来受診。今はがんセンターに移られたT先生に、エコーで診ていただきました。診ていただきながら、淡々と穏やかな、分かりやすい説明も受けました。明らかにギザギザの、素人目にも癌と分かる異形の(円くない)しこり。リンパ節も3つ、大きな丸いギザギザが、「山」の字のようにポコポコ映っていました。「明らかに乳癌です。リンパ節もですね。細胞診をしてもいいけど、結果が出るまで、2週間くらいかか
2021年3月末49歳の誕生日目前に前立腺全摘出術し166日経過まもなく6ヵ月経とうとしています再発の恐怖と戦いながら最終的に病気との戦いに勝つ体力をつけるべく日々精進しているつもりです同じ病気の疑いがあり検査結果待ちの方や告知され治療方法を検討されている方からアクセスがありました個人的な見解で偏りがあるかもしれませんが自分なりのアドバイスをさせていただきます病気の情報は書籍やネットで集めることが多いかと思います
今日から12月なので、先月のことになりますが、外陰がんと告知を受けました。一通りの検査がやっと終わり、今結果を待っているところです。まだ今の時点でわかっているのは、外陰がんになったということ、尿道を閉じる可能性が高いということ、この2点だけ。自分の記録として残しておくことはもちろん、不安で押し潰されそうになるこの気持ちをここに吐くことで、自分が少し楽になれないかな?と思っているところです。同じ病気や希少がんで苦しんでいる方、同じ病気を疑っている方と情報や気持ちを共有できたら嬉しいです。診断
こんにちは昨日は外出していましたが一気に夏になったような暑さにグッタリしたnyanです月曜日はだるいですが……やらなきゃいけない事がいっぱい。ん~がんばろっ私が精神科に通院し始めて数ヶ月経った頃かな…。何がきっかけだったか忘れたけど夫が義父を病院に連れて行った時に『癌』が見つかったんだけどその時夫は『手術はしません』と言い医師も『その方が良いと思います』と言うことで夫と医師の考えが一致。(義父には告知なし)この頃の私はうつ病の薬を1日4回飲んでいました
「やだ~、ゴーカートじゃないのよ~」🤣好きピが、私の車椅子を押してレントゲン室まで連れて行くことに。「車椅子運転、生まれて初めてや~」ええっ、そうなの~(≧▽≦)?🤣「ブレーキ付いてるんかな?ま、ええわ、俺の体で止めるし」ええっ、大丈夫?関西弁全開になってるよ~「任しとけ、運動神経抜群やから」「絶対当てへんし、大丈夫」いやいや、スピードレースじゃないのよ。🤣目が回るぅ~(≧∀≦)ノ🤣🤣ポルシェみたいに運転する好きピ。いくら無人の廊下とは言えテクニック出しすぎ~(≧
こんにちは。あもんです待合室で隣の方と話に花を咲かせていると、とうとう呼ばれました。こんにちわーと挨拶を交わした後の開口一番👨⚕️:こないだの結果からね、手術が必要です。:(手術?なんで?手術???)👨⚕️:でもね、全然大したことないから。こないだのね:(先生を遮る)あの!すみません。手術って、なんでですか?乳がんなんですか?👨⚕️:あ、そうそう←超さらっと告知:えー👨⚕️:でもね、ほんとこんな初期で見つかるの稀ってくらい超初期だからここで紙を出してきて、「こんな状態
写真の説明などテキストを入力本文テキスト2月末日乳癌を告知され人生が急転直下。まさかの癌人生の幕開けです。これまで病気とは無縁で風邪すらひくこともなく、子供がコロナやインフルエンザになってもうつらない元気が取り柄と思っていた自分が…毎週10キロ以上走り運動もして、食生活も気をつけていたのに…どうして…。気持ちがぐるぐる回ります。1週間後紹介状を持って乳腺クリニックから手術を受ける病院へ。紹介状の結果とエコーをしての判断はルミナールAおそらく7〜8年前からあって、ちょっとずつ
1月21日の13時30分にレディースクリニックへ。時間も遅いので、待ち合い室には私と会計待ちの人が1人だけ。呼ばれてお部屋に。医「ん〜とねぇ…腺癌で出てるんだよね」私「えっ…はい…」心の声「ガン…やっぱりガンかぁ…えっ、腺癌?腺癌って…なに?」無知な私はまだ何も知らなかったし、どこか他人事みたいな感じで聞いていました。医「これは手術、治療が必要になるから、大きな病院に行く事になるんやけど、どこがいい?医療センター?」私「そうですね、医療センターでお願いします」医療セ
2019年(R1)7月、僕は自分自身予想もしない突然の「前立腺癌宣告」を受け、普段の平穏な生活から奈落の底に突き落とされた。健康オタクと言われるほどに健康には特に気を付けていたんだが・・・突然そんな癌宣告なんかされると、実際のところ本当に頭の中は真っ白になるわ…慌てふためくわ…とにかく泣き叫びたい気持ちを必死で抑え、何からどうしてよいのか、頭の中は文字通りのパニック状態だった。そして数日経って冷静になると、「座して死を待つは選択肢にない!!」と、自分自身の中で整理と覚
12/3165.5kg排便なし流石に大晦日には入院患者が少ない。私の居る6人部屋に2名、重症のトイレ近くの老人部屋に3名、女性部屋は2名と0名(閉鎖)。相部屋が出来ない認知症レベルの老人が個室に4名。定員30名の消化器科病棟に全部で11名しかいない。今日から点滴のカロリーが上がった。経腸栄養剤と合わせると2,500kcalと一般成人男子の基準値なので太る理屈である。ネットに気になる情報があった。2017年3月放送のためしてガッテンで、虫垂炎手術の1.5〜3.5年後は大腸がんの
乳がんを告知されたとなると、さすがに家族に話さなければ。クリニックを出てすぐに、母と姉にメッセージを送った。"右側のおっぱいに自分でしこりを2つ見つけて、いつもの駅のクリニックの乳腺外科で1週間前にマンモグラフィーと超音波と針生検で組織を取った。実際にはしこりは3つあった。今、結果を聞きにきた。心配かけたくないから、今日まで言わずにいた。ごめん。乳がんだった。"母にはその後電話した。話しながら涙が出てきた。昨年は父が突然倒れて、意識が無い父を母が発見し、救急車で運ばれた先の病院で、くも
2023/11/6(月)本人へ膵臓がん告知の日、主治医は急遽病欠になってしまいました。主治医の他にサブ担当医がいて、そのサブ担当医から朝方、本人に少し深刻な病状であることを、それとなく伝えてもらえたようです。■午後15時頃、私と本人と(主治医が病欠のため)サブ担当医と、その上司の医師の合計4名で別室にて話をしました。・検査結果から現状報告◇膵臓がん告知・今後の治療方針◇「十二指腸ステント」又は「胃と腸のバイパス手術」の後に、抗がん剤治療。◇カンファレンスの結果「胃と腸のバ
生き方って、なかなか変えられない。仕事中毒を自認するわたしは、捨てられないものをたくさん抱えていた。一方で、定年も楽しみにしていた、辞めたら、あれしよう、これしよう。でも、定年を一年半残した冬のがん告知で、これから手にいれる予定のものが、全部流れた、全部終わった。と、その時は思った。でも、違った。結論から言うと(これ仕事でよく使ったフレーズ)、終わったのではなく、次に行った。死の手続き関係を物心共に計画・処理して(たぶんまた計画は何度も練り直すのだろ
皆様、お久しぶりです。最近物凄く忙しく、バタバタしておりなかなかブログを更新する事が出来ませんでしたさて、そろそろお話しのペースを上げようとと思います。前回の細胞診で「高度異形成」と言われた私。精密検査の「コルポスコピー検査」というものを受けに行きました。検査当日まで物凄く怯えていました。痛いとかよりも、「もしこの検査の結果でガンだと言われたら…」「もし子供を諦めないといけないと言われたら…」みたいな事ばかり考えていました。でも、まだ心の中では「私は大丈夫
がん告知の時にもらったデエビゴ錠効能効果:覚醒を促す伝達物質(オレキシン)の働きを抑えることにより脳を覚醒状態から睡眠状態に移行させ睡眠を誘発しますだって。昨夕、生まれて初めて眠剤と言うものを飲んでみた。手術前の夜にも飲んだことあるのかな?5〜10分ぐらいすると眠くなってきた。と同時に暗闇に引きずり込まれるような恐怖を感じ飲まなきゃよかったと思いながら、いつの間にか眠っていた。ぐっすり4時間ほど眠れた。効能効果に驚いた。でも、あの寝入る前の怖さが怖い😱慣れてくるのかな?