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実家から戻り数日経ち仕事も家事も通常運転へ私の乳がんファーストラインは『ページニオ服薬再開決定』私の乳がん治療ファーストラインホルモン治療薬アナストロゾールと分子標的薬ページニオの併用療法は治療開始4週間後の血液検査にて肝臓の数値爆上がりでページニオ休薬…ameblo.jp分子標的薬ページニオを減薬(150mg→100mg)して再開し数回トイレ駆け込み案件に見舞われたけれどその後はすっかり落ち着いて今はページニオの副作用をほぼ感じずに過ごせている『主役はアナストロゾール?』昨日の
「来年のクリスマスにはいない…」3度の結婚とがん告知の66歳《20歳下夫の献身と"ご機嫌療法"》で絶望を克服できたワケ「来年のクリスマスにはいない…」3度の結婚とがん告知の66歳《20歳下夫の献身と"ご機嫌療法"》で絶望を克服できたワケ「来年のクリスマスにはいないから」。乳がん告知を受けた作家・三松真由美さんの人生が一変します。がんを宣告された日常の中で、彼女が見つけた"ご機嫌療法"とは?toyokeizai.net
ご無沙汰してます。2026年6月1日に健康診断結果が出て、肺と肝臓に影があるからと、いきなり紹介状を渡されて総合病院へCT。クリニックに行くと詳しく調べる為大学病院へ紹介状渡されました。数日後、大学病院へ消化器内科でも担当医は部位が違うらしく会わせてくれない。知らない医師がCTの予約と採血。予約が上手くとれてなくて暫く待ちです。で戻ると女医さんに呼ばれ、MRIと超音波をと。造影剤のヨードアレルギーを伝えると紙に書いた悪性を何度もペンでグルグルして苦笑い😅ドア近くにいた看護師に見えないように
今日もお寄りいただきありがとうございます。^^004_妻の実家では、どうだったのか今となっては..今から25年前、11月のことです。妻が末期の大腸がんであることが判明しました。妻は、三姉妹の末っ子です。私は意を決して、妻の実家へ電話をかけました。電話に出たのは、一番上の姉の夫である義兄でした。「妻が末期の大腸がんです。」そう伝えた瞬間、私は涙があふれ、それ以上何も話すことができませんでした。嗚咽しながら電話を切って
⑰病名を隠した結果子ども達に病気のことを伝えたものの、私は相変わらず元気そう😅病人らしさなんて全くなく、いつも通りの日常を過ごしていました。次は姉です。遠方に住んでいるので、LINEで軽く伝えました。「入院して手術をすることになったので、一応伝えておくね👍先生からは手術で治せると言われているので、心配しなくて大丈夫だよ🙆♀️」すると返ってきたのは、「何の手術?」という質問。私は、「腸にでっかいポリープできた😂」と返しました。すると今度は、知り合いの医療ミスの話
⑯旦那くん以外の家族にどう伝えるか…旦那くんにはさすがにすぐに話し、病院にも同伴してもらいました。でも悩んだのは、子ども達や両親、姉にどう伝えるか…。子ども達には、最初は包み隠さず話そうと夫婦で話していました。でも、話そうと思っていた前日。トイレに行った瞬間、突然ひらめきました💡がんって言わなくても、嘘をつかずに説明できるんじゃない?「ママのお腹の中にできちゃったものが、うんちの穴を塞いで出にくくなってるの。だからママは入院して、手術して、それを取らなきゃいけなくなっちゃ
最初にお伝えしたい大切なこと🍀✨ガンはみんな違います。顔が違うように、体質、性格、考え方、価値観、生活習慣、体験してきたこと、みんな違います。ガンもなんのガンか、部位、進行度合い、原因、いろいろあります。要するにがんへの取り組み方も様々になってきます。なので、私のブログ(ガン体験)が断片的にでも反面的にでも皆様の何かのお役に立てたなら心からの喜びです。よろしくお願いいたします🙏💓✨私の場合、発症は今年の一月。ガンと診断されたのは二月。四月末に手術してそこから三ヶ月。今は8月、ここまではなか
甲状腺がんの告知を受けて1週間経ちました。こんなに元気なのに、がん?なんで私なんだろう?何が原因だったんだろう?考えても仕方ない疑問ばかり、繰り返しています。がんと告知される前と後で、人生が一変してしまったかのように感じました。いつも通り過ぎていく日常の、ふとした瞬間に、「あ、わたし、ガンなんだ」と思い出します。悪性の可能性は5%って言われたのに、まさかその5%に自分が入るなんて、想像していませんでした。私はこんな人です41歳女性二児の母(8歳、5歳)喫煙・飲酒なし
おはようございます。鑑定歴15年のタロット鑑定士・Ryuseiです。8月最初の週がスタートした、月曜日の朝。真夏の眩しい日差しが街を包み込む中で、人生の予期せぬ出来事に直面し、誰にも言えない不安と悲しみを抱えて一人静かに耐えている方もいらっしゃるかもしれません。特に自分の健康や身体に関わる告知は、これまでの当たり前だった日常を一瞬で奪い、暗い部屋で一人スマホの画面を見つめ続けるような苦しい時間をもたらします。「突然の病気の告知。周りに心配をかけたくなくて平気を装っているけれど……『
Part3からの続き…意外な展開に戸惑いながら…名前が呼ばれた〜いよいよがん告知かぁ…診察室に入る「そこに荷物を置いてカーディガンを脱いでください」と、Y先生。ええっ❗️告知じゃないの❓️待合室寒くって薄めのカーディガンを羽織っていたんだけど〜まさかの展開…「そこに横になってください」何なにナニがはじまるの❓️「上の服をめくってください」どうして❓️説明してよね⁉️超音波検査なん?Y先生「ごめんなさいね、ちょっと冷たいです」「ごめんなさいね。ちょっとチクリとし
⑪知るのが怖かった。2025年の終わり頃から、血便が続いていました。もちろん気になっていました。「きっと痔だろう。」そう思っていたのも事実です。でも正直に言うと…「大丈夫かな…。」そんな気持ちもありました。その頃の私は毎日が本当に慌ただしくて、自分のことはどうしても後回しになっていました。母の介護。父のこと。子どもたちのことや家事。仕事のこと。毎日をこなすだけで精一杯でした。「病院へ行かなきゃ。」そう思いながらも、なかなか足が向きませんでした。今振り返ると
私のがんが見つかったきっかけは健康診断でした。医師の問診で、首の触診をしたとき、「甲状腺、腫れてますね」と言われたのが始まりです。言われるまで、全く気づきませんでした医師からも、「病院に行くのは、健診結果が出てからで大丈夫ですよ~」と言われ、問題ないだろうと勝手に想像していました私はこんな人です41歳女性二児の母(8歳、5歳)喫煙・飲酒なし花粉症とハウスダストアレルギー持ち目次1.近所の専門医を受診2.紹介状を持って総合病院を受診3.検査結果
⑧家族を同伴してください。「次回は、ご家族も一緒に来てください。」そう言われて迎えた診察の日。この1週間で、もう3回目の山梨大学病院です。まずは消化器内科で、CT検査と病理検査の結果を聞くことになりました。先生は一つひとつ丁寧に説明してくださいました。「CTで見る限り、明らかな遠隔転移はありません。」まずその言葉に少しホッとしました。続いて先生は、「細胞の検査の結果、やはり、がん細胞がしっかり出ています。」と静かに伝えてくださいました。その瞬間、「あぁ……やっぱり
検査の結果はパートナーと聞きに行きました。先生からはマンモトーム生検まで進んだ方のうち、大体10%〜20%くらいの方が悪性と診断されると伺っていたのですが、この日を迎えるまえに自分なりにAIで調べまくっていたので、おそらく自分は10%〜20%に入る可能性があることを何となく覚悟はしていました。先生に呼ばれ、パートナーと一緒に先生の話を聞くことになりました。さすがだなと思ったのは、まずは私のパートナーに先生から詳しく状況を説明してくれ、分からないことなどないか確認してくれました。先生がパー
前回は、前立腺生検の話を書いた。当時は前立腺がんのことなんて全く知らなかったのも同然だった。だから生検がどんなことをするのかも知らないし、その結果がどうなるかも知らなかった。まさかピストルを撃ち込まれるような衝撃があって、終わったら血尿がいっぱい出てなんて、全くの想定外の話だった。この生検を受けた日から一週間後にその結果を聞きに大病院に出かけた。そして、とうとうその日がやってきた・・*お断り*本文中の医療用語や表現は15年前当時のものです。現在とは異なる場合がありますので、
⑦造影剤が入ると、体の中が熱くなる大腸カメラの2日後。今度は造影CT検査です。造影剤を使う時の注意として、喘息がある人は、使用後に発作が起きることがあり、少し危険なんだそうです。私は子どもの頃に小児喘息があり、風邪をひくと気管支炎になりやすく、ここ半年ほどは、子どもの頃と同じような息苦しさを感じることも増えていました。そのことを医師とCTの技師さんに伝えると、医師は「その程度なら大丈夫でしょう。」との判断。一方で、当日の技師さんは少し慎重な様子でしたが、予定どお
⑥何をどう話したか覚えていない…医師からさらっと、がん告知をされ、車の中で泣いて、スーパーで食材を買って帰り、何事もなかったように、自分のお昼ご飯の支度を始めました。そんな私の近くに旦那くんが来て、「どうだった?」と、一言。もう……何をどう話したのか覚えていません。ただ、涙だけがポタポタと溢れて止まりませんでした。
⑤そんな簡単に⁉️不穏な雰囲気だったラズベリーちゃん。その正体は……どうやら、只者ではありません。ポリープというのは、ぷっくりとして表面がツルッとしていて、マッシュルームのような形をしているそうです🍄でも、私のラズベリーちゃんは……その名の通り、ラズベリー。表面がボコボコしていました。病変がだんだん腸の壁を通過し、根を張り始めると、表面がくぼんでくるのだそうです。先生は淡々と説明を始めました。「くぼんでるんですよね。これは、がんで見られる形なんですね。基本的には腺
暑くて少々バテ気味です🥵そんな最近、思ったこと。某芸能人の方が、大腸がんを公表されましたね。最近は公表する方も増えましたが、いいことだと思います。一般人がブログやインスタで発信するのと、著名人の方がニュースになるのとでは、やっぱり影響力が違いますよね。「へぇ、自分と歳が近いあの人も?」と不安になるのも悪いことではないと思うんです。それをきっかけに受診する人もいるはず。それと、がん告知ハイ分かる気がします( ̄ー ̄)もう怖いものない!頑張るしかない!みたいな。実は少し前に、知
④大学病院のカメラの精度ったら大学病院に到着し、いよいよ大腸内視鏡検査です。前に検査をした時は痛かったので、「今度こそ、寝ている間に終わるやつにしてもらおう!」と思っていたのですが……大学病院では、それはしていないんだって😭お尻の部分がパックリ割れた検査用のズボンを履き、検査台へ。少しくらい注射やら何やらあるのかと思っていたら……何もしない😅カメラが入っていく入り口に、麻酔のゼリーを少し塗ったらしい。それだけです😂とはいえ、感覚はそこまで変わらず。やっぱり痛みはあ
7月21日(火)こんにちは毎日暑いですね~暑さに弱い私は部屋を涼しくして過ごしています。外に行ったら具合悪くなってしまいそうで…なかなか外に出る気になりません💦さて、普通は病気の告知は病院の医師からされるものですよね。しかし、私の場合は夫くんからでした。何故?2025年4月14日に遡りましょう。内科では肝臓に何かうつっている。おそらく血管腫でしょうと言われた私は紹介状を持って、近くのS病院に朝から行きました。初めての造影剤CTをして、結果を待っていました。長らく待ち診察室に呼ばれると医師
がん告知を受け自分のこれからが見えなくなっていた時は根拠のない強さが湧き上がってきて必死に怖さを隠しながらも前を向けって自分に言い聞かせてきた。治療も終わり自分は運良くがん告知されてから2年半再発転移もなく生かしてもらえている。いまだに後遺症、ダンピング症候群、しんどい日々は続いているけど…明らかに今の方がこころが弱い前を向けない。恐怖心は今の方が強い。自分は弱い、情けなくなる。吐き出してしまいたい気持ち、でも生かしてもらえてる自分はなんで
老境スイ、・・・誤字った(マジで)。東京スイカツリーです。諸事情により、ブログはちばらく(また誤字った)しばらくお休みしてました。。皆さんお元気ですか?先日、7月13日(月)。僕はとうとう、「乳がんを告知」されてから9年が経ちました。長いような、あっという間のような。あっという間かな?僕は、がんが告知されてからすぐにちゃんとした写真館に行って、自分の【遺影写真】を撮ったんですよ。抗がん剤治療をされると思ってた。
7月2日告知の前夜父は6月下旬に肺がんの疑いのため各検査を行い7月3日に結果を聞くための通院に行きました。その前日は私だけ実家に向かい両親と夕食を摂りそのまま実家に泊まりました。父も母も精神的に凹んでないかな?と思って泊まって翌日一緒に病院へ向かおうと考えてのことでしたが2人とも思いのほか元気はありました。コープが配送してくれたお惣菜がメインながら私がそれほど手伝わなくても母が手際よく夕食の準備をしてくれて食事の後はあれこれ話をしました。当然翌日の結果が[がんです]と告知されることは
夫が上顎歯肉癌の告知を受けて丸一年・・・1年前の今日定期的に通院しとる街の歯科医院からの紹介状で市内の病院へ・・・「大学病院へ紹介状書くから、緊急でこっちで予約を取る・・・日付け決まったら電話します」そう言われた日口腔内の癌の知識は無くとりあえず病名を検索・・・1年前のこの時は意外と夫とふたり知識が無さすぎてショック・・・とか無かったただネット検索しても、上顎歯肉癌の情報が少なく口腔内の癌でも稀な方・・・ってコトだけがわかった感じでした。あの告知日から1年今日
M.Sのブログ:私は、一昨年の9月15日・・・「子宮頸癌」の告知をされました。抗癌剤と放射線治療の結果・・・現在3ヶ月毎の経過観察となり、数値も安定、転移も無く普通に暮らしています。体験談・・・なんて大袈裟な物では有りませんが、ガン告知から現在までのお話を、シリーズで少しずつ綴って行こうと思います!=====「患者は嘘をつく!」正確には、私は嘘をついた訳では有りませんが・・・胸が痛くて最初にかかった町医者では、問診の際、胸の痛み以外の
最後の検査しました。肺に直接針刺すやつ。この大きな総合病院に通院して、1年と5ヶ月定期的に検査を繰り返しましたが、いよいよ最終段階を迎えました。この検査も色々不安を煽られたけど、なんて事無かったです。そしてこの検査からまた2週間後に結果発表の為来院。今回は事前に、家族同伴で来るようにと指示されてました部屋に呼ばれて、まず主治医の顔を見た瞬間に、嫌な予感はしました。先生の表情が既に物語っていた主人と椅子に腰かけると、おもむろに「検査の結果、癌でした。」と、、、やっぱりね。と言う
朝ドラ「風、薫る」、本日、山本さんが大腸がんで旅立たれました。先に触れましたが、明治の当時は、大腸がんは1000~2000人程度が患う希少疾患でした。日本では有史以来、「がん」といえば「胃がん」が大半を占め、毎年4~5万人程度が亡くなっていたと推定されています。しかし、現代、大腸がんは15万人超が患う、国民病といえる病気になっています。そして5~6万人が亡くなる、胃がん(3万5000人前後)を大幅に抜いて、日本人の命を2番目に奪うがんになっています(1番は7万人超の肺がん)。それにして
がんで余命宣告を受けてから今日まで生かされてきてわかった事。≪人生は短い!≫健康な人は考えもしないだろうけど(自分もがん宣告、余命告知されるまで考えもしませんでした(笑))、人生は永遠に続かないし、あっという間に終わるということ。その終着駅は誰にも公平に必ず、時には突然訪れるかもしれないということ。少し早いか遅いかだけなのです。だから宣告されても必要以上に悲観することはありません。『人間100年生きてもたったの36500日。その中で健康に不安なく新しいことに挑戦できるのは半分くらいです
丁度、去年の今日、、ガン判定をされた、、ここから、10月まで地獄の日々が続くんだな、、この日を境にお酒を飲まなくなった、、厳密には飲めない、、と、、いうことは判定を受けるまでは飲んでたわけで洋酒好きのオイラは、ジムビームとオールドを好んでた、、お正月に思いきって飲んでみたが、直ぐに小腸に流れるお酒は、気持ち悪くなるだけで飲まなくなった、、そんな話をバイク屋社長と話していたら飲まない酒があるんだったら欲しいとのこと、、さ