ブログ記事2,826件
欲しいものは何でも買ってしまう夫はそんな男でした。洋服はもちろんの事アクセサリー靴ベルトバッグサングラス(殆ど度がはいっていない)眼鏡とにかく必要以上にありました。スーツも、多分20着以上あったと思います。礼服でさえ、5着ありました。カフスも3つありましたし、靴に至ってはシューズボックスの3分の2は夫のものでした。クローゼットも夫の服ばかり。そして安いものはありません。クローゼットに入りきらなくなるとこっそり捨てます。そして新しいものを買います。これ
事の始まりは2023年秋に夫が受けた健康診断50代後半にもかかわらず前年までは全く異常なしなので少し貧血の結果が出ていても気にしないで普通に暮らしていた会社の健康保険組合から再三受診を促され渋々受診貧血の原因を探る検査が始まったその過程で撮ったCT画像クリニックからすぐにがん治療が出来る病院を紹介され生検膵臓がんステージ4の告知を受けた化学療法での治療になるとの事だった
ブログ題名変えました。膵臓がん告知されてから、これからの生き方について悩みました。9年前、法人を作り、社長として、管理者として育ててきたステーションの管理業務、交代する事にしました。看護師として、病棟で10年間働き、色々な技術や看護を学ばせてもらいました。病棟で、忙しい処置の中、温かいタオルで丁寧に身体を拭いた時、術後何日も洗髪出来なかった方を洗髪した時の嬉しそうな患者さんの様子を見て、私がしたい事って、こういった何気ないケアなんじゃないかと思い、介護保険の始まる(2000年)前に在宅看
怒ってかんの!こんにちは、ひろパパです。令和5年3月2日(木)今日、初めてママへ病名を告白しました。次女の受験や、長女の大事な教育実習が続いており、何より家族全員が楽しみにしていたジプリパークの旅行やコンサートがありました。前回の検査の時に、本当はママに伝えるべきだったのかも知れません。でも、私は今日まで伝えない、結果この選択肢を選びました。今日11:30からの消化器内科の予約外来にて、一週間前の超音波内視鏡下穿刺検体検査の結果(病名確定)の告知を先生から受ける予定でした。病院の
『わかってると思うけど、肺がんだね。ステージ4❗️転移もあるからねこれはね〜治りません❗️』夫を含めて家族4人の前で医師は言いました。滑舌良く、大きな声で。一通りがんセンターでの検査が終わると、病院から呼び出しがあり、結果が言い渡されました。その医師はわたしは検査結果を伝えるだけが任務。今後の治療には一切関与しない。と、言いました。『だからね〜わたしはハッキリ言うよ』はい???随分と乱暴ながん告知でした。これにはみんなびっくり‥‥がん告知があの医師
婦人科(腫瘍内科専門になるのかな)に紹介されて行ってきました。で、内診。「局マ」←※局部麻酔。というワードがカーテン越しに聞こえてガチで震えましたエコー見ながら腹水溜ったお腹に針刺されました。部分麻酔って、なんかあんまり効かないじゃないですか。やってるのモロにわかるというか。。。脇腹に地味にエグい痛みが走りました。結果は悪性(後日わかった)でしたけど。で、「家族の人は今日来てないの?」って言われたんですが、いやいや、まだそんなに大ご
右乳癌告知から365日目早いものでちょうど1年前の2022年5月16日(月)右乳癌の告知を受けましたその日は普通に仕事にも出勤し17時~18時30分の間で1週間前に取ったマンモトーム生検の病理検査結果を聞きに行きました不思議とそこまで不安はなくて…告知1週間前に見ていたエコー画像やMRI画像からネットで乳癌画像を検索して「ほぼほぼ悪性だろう」と思っていましただから病理検査結果が分かる迄の1週間は自分が今後手術・治療を受けたい病院を探して決めていましたコ