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昨日のブログで「現存三重櫓」12基を全てお届けしました。「弘前城丑寅櫓・辰巳櫓・未申櫓」「江戸城富士見櫓」「名古屋城清洲櫓(西北隅櫓)」「彦根城西の丸三重櫓」「明石城巽櫓・坤櫓」「福山城伏見櫓」「高松城月見(着見)櫓・艮櫓」「熊本城宇土櫓」以上12基は、下記URLをクリックしてご覧ください。https://ameblo.jp/highhillhide/theme-10112595030.html本日は、番外編として、「会津若松城御三階」(福島県会津若松市)という
本日も「”家康”のでき事と所縁ある”お城”を振り返ろう」シリーズをお休みにして「お城紀行」を投稿します。先日(12/5)「筒井城」に訪城した後、「筒井駅」から近鉄「橿原線」の一つ北の駅「近鉄郡山駅」で下車して続日本100名城の「大和郡山城」(奈良県大和郡山市)に向かいました。「大和郡山城」の跡地(二の丸跡)に「県立郡山高校」があるので、丁度期末テストの終了時間と鉢合わせになったのか、生徒が駅に向かって下校してきて「大和郡山城」に向かう道が一杯でした。暫く続くだろうと思い、駅近に
JRグループの「鉄道開業150年記念秋の乗り放題パス」で、10/18(火)〜20(木)にかけて、山陰、山陽地方の「城巡り」に出掛けました。本日は「米子」に宿泊していたホテルを6時45分に出て、「米子城」(鳥取県米子市)がある「湊山」を目指しました。流石にヒンヤリと肌寒い朝でしたが、「湊山」の麓に着くまで約10分超歩くと身体もホカホカしてきました。「米子城」に入城する前に、少し「米子城」の歴史と城主についてお話をしておきましょう。室町時代の応仁の乱の頃に、「山名宗之」が砦を築
本日も、関八州内のお城である「館山(たてやま)城」(千葉県館山市)に訪問します。「館山城」といえば、江戸時代後期に「滝沢馬琴」によって書かれた長編小説「南総里見八犬伝」で有名です。室町時代後期の「安房里見家」のお姫様と神犬「八房」の縁で結ばれた八人の若者(八犬士)を主人公とした小説です。戦国時代も「里見家」は安房国と上総国を支配して、1580年頃に「館山城」を築城しました。「豊臣秀吉」の小田原征伐時に、「里見義康」が「秀吉」から不興をかい、「安房国」一国に縮小されました。関ケ原
安芸高田市から広電バスで約1時間半、「広島城」(広島県広島市中区)を目指します。外観復元コンクリート造りの天守(南面で走櫓と南小天守を繋ぐ連結式天守だった)「広島城」の歴史と城主についてをお話しておきます。「毛利元就」の長男「隆元」が「吉田郡山城」からの移転を決断し、その子の「輝元」(元就の孫)が、当時京都にあった「豊臣秀吉」の居城「聚楽第」を参考にして築城しました。縄張りは、「聚楽第」と相似形であると言われています。しかしながら、関ケ原の戦いに敗れた「輝元」は、「広島城
11月11日(木)と12日(金)の2日間、JR西日本の企画切符「関西どこでもきっぷ」を使用して5城巡りをしてきました。今回は11月12日(金)に訪城した3番目のお城「有子山城」(兵庫県豊岡市)をお届けします。「有子山城」は「出石城」で記載したように、「お城坂」の延長上にありますが、一応「稲荷曲輪」跡の脇から「有子山登山口」となり登山に関する注意事項の表示と杖の用意がされています。「有子山登山口」に立つ「史跡有子山城跡」碑日本城郭協会では、「有子山城」と「出石城」セット
こんにちは。おととい更新した『【奈良】いざいざ奈良』こんばんは。奈良に来てます(´◡͐`)東大寺小学校の修学旅行以来の奈良。50%インバウンド、25%修学旅行、遠足など、残りが日本人って感じでしょうか。奈良…ameblo.jpこちらの記事にもたくさんのアクセス、ありがとうございます(´◡͐`)通常、2日前に更新した記事はランキング上位に上がってこないんですが、有難いことに2位に。嬉しいです♡奈良の旅行記事は、沖縄ほどではありませんが、ちょこっと書いていくので、お付き合いください
ひこにゃんです。笑笑❣️ルナ🐈⬛姉さん昼呑み友達の仲良しさんと🚌バス旅行で彦根城の🌸桜まつりに行って来ました。minomiと、ペンペンを連れて行ってきましたよ!🌸さくら満開でした。なんなら、今朝の雨で☔花びらちっました💦ルナ🐈⬛姉さんの田舎は🌸まだまだで、やっと咲き始めたばかりですがやっぱり西日本は早いですね〜🌸🚌バス旅行日帰りですから彦根城滞在は2時間余り‼️(短💦)朝6時00分頃長野を出発🚌ひたすら高速を走り、5時間くらい❓お昼を食べて、彦根城見学して
明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城紹介を行っています。「薩摩藩」「長州藩」を中心とした明治新政府が、幕末に「京」や「江戸」で受けた取締りの報復もあって、「会津藩」と「庄内藩」を“朝敵”にしました。新政府に“朝敵”の赦免嘆願するべく東北諸藩が一丸となって結成されたのがこの「同盟」でしたが、それを拒否されたことから「同盟」が軍事化していきました。今回は、「黒川陣屋」(新潟県胎内市黒川)と「三日市陣屋」(新潟県新発田市三日市)をお届けします。
今日は松本へ行く用事が有り、久しぶりに国宝松本城を見に行って来ました国宝松本城松本の桜は満開を過ぎて、散り始めていましたね
今日は諏訪市の高島城へ桜を観に行って来ました高島城も満開を過ぎて桜が散っていました来年は満開の桜を観たいですね
今回からのブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞ってお届けしようと計画しています。過去に、全国「復元、復興、模擬」の「天守シリーズ」「三重櫓シリーズ」「二重櫓シリーズ」「櫓門シリーズ」をテーマに掲載してきましたが、その後「平櫓シリーズ」をテーマに立ち上げようと思っていたのですが、なかなか機会がなく暫くの間ペンディングとなっていました。『ブログ上段に『全国の「二重・三重櫓」を巡る』の「メニューバー」を貼り付けました』ブログ上段の『メニューバー』の中に『全国の「二重・
明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城紹介をしているシリーズです。当同盟は、「薩摩藩」「長州藩」を中心とした明治新政府が、幕末に「京」や「江戸」で受けた取締りの報復もあって、「会津藩」と「庄内藩」を“朝敵”にしました。新政府に“朝敵”の赦免嘆願するべく東北諸藩が一丸となって結成されたのがこの「同盟」でしたが、それを拒否されたことから「同盟」が軍事化していきました。今回は、「磐城平城」(福島県いわき市)をお届けします。塗師櫓石垣元々は
次回からのブログテーマを「櫓」に絞ってお届けしようと計画しています。昨年のブログで「各方向から見た現存三重櫓」12基をお届けしましたが、「現存二重櫓」もかなり存在するのではないだろうかと思い、ネットで調べたものの代表的な「櫓名」は掲載されていますが、全て網羅されてはいないようです。また、「復元、復興、模擬」の各「二重櫓」数となると皆目見当がつきませんでした。私の好きな「二重櫓」の一つ「金沢城菱櫓」(重文)「各方向から見た現存三重櫓」各方向から見た現存三重櫓の顔・姿|シロスキ
本日の「天守台シリーズ」は、いよいよ四国に渡り第78弾「徳島城」(徳島県徳島市)です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象
紀伊勝浦にある「ホテル浦島」は竜宮城みたいなところで、亀のお舟に乗って行くんですよ。対岸の桟橋で待ってたら、ほら、いま迎えにきました。ホテル浦島公式HP|大洞窟温泉忘帰洞南紀勝浦温泉HotelUrashimaResort&Spa亀のお舟に乗せられること約10分、「ホテル浦島」に到着。収容可能客数3000人(!)という「ホテル浦島」は驚くほど敷地が広く、建物内も迷宮のように広がっています。あまりに巨大、かつ外界から隔絶されている世界ゆえ、敷地内には某コン
イースターホリデー最後の3日間は北ウェールズにあるポートマドックと言う小さな港町でキャラバン泊をして過ごしました。私達が滞在したホリデーパークから歩いてすぐのところにビーチもあり↓ちょっとしたビーチホリデー気分を味わうこともできました。寒かったけど…ポートマドック周辺エリアをいくつか見て回ることもできたのでさささっと記録しておこうと思います!まず見に行ったのが滝↓アバフォールズAberFallsウェールズと言えばお城↓ハーウィック城HarlechCastl
攻城日:2023年8月26日↑長福寺山門↑夏見城は、千葉県船橋市にある城跡デス♪↑長福寺入口↑城跡は、JR総武線東船橋駅の北西およそ1.5kmにあり、現在は寺院や森林などになっています。↑長福寺本堂↑船橋市というと千葉県の中でも都会なイメージ(あくまでも個人的に)ですが、ワタシにはあまり縁の無い土地で、"船橋"と聞いて思いつくのは...↑wikiより借用↑今は亡きザウス(屋内スキー場)かアンデルセン公園くらい?どち
3日目上田城〜龍岡城長野お城巡り旅3日目の朝。ここまで良いお天気に恵まれていて、本日も雨の心配は無さそう。澄んだ空気に包まれる上田の朝本日の一城目は上田城。信濃の雄、真田一族の真田昌幸が築城した堅城。カリスマ的な人気を誇る真田幸村のお父さんですね。二度にわたる籠城戦で徳川陣営を退けた逸話は有名ですよね。どんなお城なのかとても楽しみです!早速向かいましょう!上田城へ続く二ノ丸通り上田駅から徒歩で15分程。上田城入り口に到着です。復元された東虎口櫓門が迎え入れてくれる
5/9(火)に「二条城」(京都市中京区)に総勢7人で訪城しました。12時になって一旦解散した後で私はそのまま残りました。というのも、重要文化財「台所・御清所(おきよどころ)」の中で「KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭」が開催されていてデザイナーで写真家の「高木由利子」さんの写真が展示されているそうでした。重文「台所」「KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭高木由利子」の案内私はその写真家「高木由利子」さんの事は全く知りませんでしたが、「台所・御清所」の部屋(間)を全部使
三重県お城廻りの五番目は、「久居陣屋」(三重県津市久居町)です。久居陣屋城下図(「高通公園」内に掲出、公園は左下の赤い地点)事前調査では、「久居駅」からは歩くと25分位だったのでバスで最寄付近まで無いか調べると、三重交通榊原温泉線の「新家バス停」が最寄ということが判り、バスの時間も少し待てば乗れそうでしたのでそのように計画を立てていました。バス時間待ちの間に、駅から少し離れていますが藩主の菩提所である「玉せん寺(ぎょくせんじ)」に行きました。このお寺の「長屋門」は美しい形
前回のブログで、「”現存三重櫓”を色々な方向から顔・姿を見る」を番外編含め、合計12基+1基で終了しました。「現存三重櫓」(12基+1基)は、下記をクリックしてください。https://ameblo.jp/highhillhide/theme-10112595030.htmlしかし「三重櫓」は、現在でも「天守」にも勝るとも劣らず魅力的な建造物が、数多く存在しているのを見てきました。江戸時代通じて、「三重櫓」を備えた「お城」は、今回紹介してきた「お城」の「三重櫓」以外にも存在し
昨年(2022年)4月より開始しました『全国お城の「石・石垣シリーズ」』は、途中「お城紀行」等の投稿もあって、約1年2ケ月を要してやっとのことで終了しました。回数的には、このシリーズで約230回にものぼる投稿を行っていることから、「石垣」の奥深さを実感せざるをえませんし、「石垣」に対する人気が高いのも頷けます。お城の中において使われている「石」の加工程度や積み方、「石」の使われ方、「石」の素材や状態、「石垣」の使われ方という切り口で分類した一覧表に基づいて、私が訪城したことがあるお城のモノ
攻城日:2018年7月14日↑主郭Ⅱ郭間堀切①↑上入野城は、茨城県東茨城郡城里町にある城跡デス♪↑小松寺入口↑城跡は、JR東日本常磐線内原駅の北およそ7.5kmにあり、現在は山林となっています。↑"小松寺"解説板↑城跡へのアクセスは、北東側麓にある古刹小松寺から道があります。小松寺は、寺伝によると天平17年(745年)行基によって開山されたとされますが、この寺院が有名なのはあの"平重盛"のお墓があるコトでしょう。↑小松寺唐門(表)↑"平清盛の嫡男"として活