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全国お城の「石・石垣シリーズ」は、『「石」の使われ方』において「鏡石(かがみいし)」が見られるお城をお届けしています。本日は「近畿(5)」のお城「姫路城」で見られる「鏡石」を掲載します。「鏡石」というのは、お城の重要な門(城門)で良く見られる、周囲の石とはけた違いに大きい石面を嵌め込んでいる石を言います。特に、門の脇や、桝形虎口の内部に見られることが多いです。お城の城主は、入城する者に対して、権力を示したり、威嚇するような心理的効果を狙って据えました。それは、石を立てたり、複数に重ね
5/17(水)~18(木)にかけて、「青森・秋田のお城巡りの旅」に出かけました。例の「JALハッピーキャンペーン」で片道6,600円+空港利用料を使用しての1泊2日の旅でした。「伊丹(大阪)空港」を7時20分にフライトし、初めてブラジル「エンブラエル社」のジェット機でした。両横4席で細長い機種でした。JAL青森空港行(ブラジル「エンブラエル社」のジェット機)「青森空港」には、5分遅れの9時で、9時10分発の「弘前行」バスに乗れるか心配しましたが、空港自体は小さいので十分に
本日のブログは古代山城の「鬼ノ城(きのき)」(岡山県総社市奥坂)です。模擬で再現された「西門」「備中松山城」城下の高梁市街をスタートして一般道を走ること約40分、「鬼ノ城(きのき)」の資料館がある「鬼ノ城ビジターセンター」に15時5分に到着しました。当初予定では16時に到着する予定でしたから、少し時間的な余裕ができ、しかも明るいうちに周回できるのではないかと安堵しました。「鬼ノ城ビジターセンター」内の展示物や資料をザクっと見て、リュックを軽くして出発です。上空から見た
新年おめでとうございます。令和の時代ももう7年目となりまして、令和生まれ子たちがもう小学生という訳ですか。本年も彼ら彼女らが顔をキラキラさせながら、希望に満ちた将来の夢を話すことができますように。昭和生まれのおじさんは、心からそう願っておりますよ。そういえば、今どきの小学生は将来なんになりたいと思ってるんですかね。少し前には「ユーチューバー」がTOP10入りしたとかでちょっと騒がれましたけど、ランキング的にはやっぱり「スポーツ選手」とか「警察官」とか、カッコいい職業が安定して人気上
新年明けましておめでとうございます👹例によってブログの更新が滞っている中、とりあえず昨年1年の振り返りはせにゃアカン、ってコトで戻ってまいりましたww滞っているのはひとえに"やる気スイッチが迷子"だからなんですが、いちおソレには理由がありまして...昨年5月4日に、千葉県の小見川城や森山城など北東部のおシロを攻めたのですが、"その日の写真が全て消滅"しましたww例によってたくさん攻城したので、少なくても500枚くらいは撮ったハズなんですが、見事にデータが"キレイさっぱり"
「譜代大名のお城シリーズ」は、東北をスタートして一旦九州まで見てきましたが、所々抜けていたり、かなり前に訪城した際に、あまり写真を撮っていないので飛ばしてきたお城もありました。本日は関東まで戻り、「岡部陣屋」(埼玉県深谷市岡部)を見たいと思います。岡部陣屋の遺構である陣屋門(現全昌寺脇門に移築)こちらは、「徳川家康」の家臣だった「安部(あんべ)家」が、関ケ原の戦いや大坂の陣で戦功を上げたことや、「大番頭」や「大坂定番」等を務めあげ1万石を得て諸侯に列しました(大名となる)。
本日、摂津市に勤務していている友人が、阪急電車「摂津市駅」前の「コミュニティプラザ」において、「摂津市とお城」というテーマで発表会をするとの情報を得たので、昼前からそちらへ向かいました。「摂津市駅」の一つ手前の「正雀(しょうじゃく)駅」で下車して、以前から興味があった「味舌(ました)陣屋」跡(大阪府摂津市味舌)を訪れることにしました。「味舌陣屋」跡付近に「織田尚長」によって建てられた「味舌天満宮」何故興味があったかといいますと、この陣屋は「織田信長」の実弟「織田長益(有楽斎)」
1/15(日)~16(月)の2日間ですが、東京・埼玉の「お城巡り」に出掛けました。1/15(日)は弟夫婦宅に初めて訪問して、大歓迎を受けて宿泊させてもらいました。色々と話をして、楽しいひと時を過ごすことができました。翌朝、弟の出社時間に併せて私も出撃開始で、奥さんに駅まで送って貰いました。天気予報では、11時頃までには雨が上がる予報でしたので、山登りを伴う「八王子城」を後にして、先に続日本100名城の「滝山城」(東京都八王子市)へ向かうことにしました。「長津田」まで「東急
譜代大名のお城シリーズは東北地方の「上山(かみのやま)城」(山形県上山市)を紹介します。二の丸跡に建てられた模擬天守築城は、「最上家」一族の「里見満長」によってこの地に入り、羽州街道と奥州街道との分岐点である交通の要所でもあったことから、戦国時代には「最上家」と「伊達家」との間で争奪戦が繰り広げられた。「里見家」は、関ケ原の戦いでは「直江兼続」軍を撃退しますが、「最上義康」殺害事件によって追放され、その後に「最上義光」の五男が入城します。しかしながら、「最上家」がお家騒動で取
明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城紹介をするシリーズです。当同盟は、「薩摩藩」「長州藩」を中心とした明治新政府が、幕末に「京」や「江戸」で受けた取締りの報復もあって、「会津藩」と「庄内藩」を“朝敵”にしました。新政府に“朝敵”の赦免嘆願するべく東北諸藩が一丸となって結成されたのがこの「同盟」でしたが、それを拒否されたことから「同盟」が軍事化していきました。本日は、「泉城(陣屋)」(福島県いわき市)をお届けします。陣屋跡内の敷地に立つ「
今年も、もう僅かになりましたね~今年は1月2日から稼働して、登城数の目標を90城に掲げてお城巡りを始めました。(2023年は75城でした)しかしながら、結論から申し上げますと、今年の登城数は82城で終わってしまいました。というのも、11月始めに首を痛め、その後首の後の筋肉異常なのか首に力が入らず、首が前に垂れるような症状が続いています。この様な状態ですので、歩くのもままならず、2ケ月間はお城巡りには全く行けない状態でした。特に、今年の11月以降の天気は青天続きで、山城巡り
今日は平日ですが急遽ツレに誘われて2人で平日ツーリング行ってきました目的地は近場の国宝犬山城あ、ワタシお城行くの好きなんです♪国宝城は特に大好き!!楽しみですでまずは高速乗って名ニ環を走って今日はとても天気良くっててか良すぎてメチャんこ暑かったはじめはメッシュジャケット羽織ってたけど家出てすぐに暑っちーってなって家に引き返してメッシュジャケット脱ぎ捨ててやったゼwてか着てられないくらい暑っちいそんな暑さの中でも走ってる間は涼しくて気持ちエがっだ♪で
10月26日(火)より3日間、JR四国の企画切符「JR四国くるりきっぷ」を使用して四国8名城巡りをしてきました。プロローグで触れましたように、訪城したお城を順番に、今回自分で設定した見所ポイントを中心に投稿していきたいと思います。「松山城」の第一見所ポイントである城内に建つすべての現存(重文)・復元の城郭建造物を、外観からと内部からお届けしてきました。『<松山城(前編)>の重文・復元全建造物を網羅しました!』10月26日(火)より3日間、JR四国の企画切符「JR四国くるりきっぷ
『①外圧で開国を迫られ、安政の大獄や将軍継嗣問題、攘夷運動等が高まる中で、幕府が威信低下し、そして、②最後の将軍”徳川慶喜”が大坂から江戸へ逃避していく、その間に起こった出来事に纏わる「お城」を採り上げる』シリーズです。前回のブログでは、「鳥羽・伏見の戦い」の現場となった「伏見奉行所」が「薩摩軍」の砲弾で燃えてしまったことを紹介しました。そして、劣勢となった旧「幕府軍」は、態勢を整える為に一旦「淀城」(京都府京都市伏見区)に引き上げましたが、旧「幕府軍」を迎え入れる為に「淀城」の門
昨日、”あじさい寺「頼光寺」”(兵庫県川西市)に「あじさい」鑑賞に出掛け、その帰宅の際に、一駅歩いて着いた「一の鳥居駅」の正面に聳える城郭形式の建造物が、「大阪青山歴史文学博物館」であることを、昨日のブログ最後に1枚の写真で報告しました。昨日、「一の鳥居駅」から見た城郭形式の「大阪青山歴史文学博物館」(「山下城」の模擬天守?)あじさい寺「頼光寺」https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12602824090.html『大阪北摂の”あじさい寺”は清
ドラえもん福袋、ありますよ。可愛い〜ドラえもん福袋[2025食品お菓子新春スイーツ送料無料長崎カステラ詰め合わせキャラクター送料無料グッズプレゼント限定お取り寄せおすすめ新春ネタばれ中身がわかるランキング長崎心泉堂]BG12楽天市場10,000円人気ですよ〜急いでゲットローズエクスポーズドアイアンドリップセット|tomfordbeautyトムフォードトム・フォードローズエクスポーズドアイカラーアイシャドウ
12月22日(日)織田信長さん満開の岐阜県から愛知県名古屋市へ移動今度は徳川家康さんち名古屋城~初めてです天守閣には入れませんのですっていや、お城は外観を拝めれば良し‼では入城お天気良好中は金ピカ江戸時代のお殿様はこんなキレイなとこで生活してたんやーという安易な感想でも、命の危険と隣り合わせやったんでしょうね単純にでっかいお城を見られて感激でした
11月11日(木)と12日(金)の2日間、JR西日本の企画切符「関西どこでもきっぷ」を使用して5城巡りをしてきました。今回は11月12日(金)に訪城した3番目のお城「有子山城」(兵庫県豊岡市)をお届けします。「有子山城」は「出石城」で記載したように、「お城坂」の延長上にありますが、一応「稲荷曲輪」跡の脇から「有子山登山口」となり登山に関する注意事項の表示と杖の用意がされています。「有子山登山口」に立つ「史跡有子山城跡」碑日本城郭協会では、「有子山城」と「出石城」セット
昨年(2022年)4月より開始しました『全国お城の「石・石垣シリーズ」』は、途中「お城紀行」等の投稿もあって、約1年2ケ月を要してやっとのことで終了しました。回数的には、このシリーズで約230回にものぼる投稿を行っていることから、「石垣」の奥深さを実感せざるをえませんし、「石垣」に対する人気が高いのも頷けます。お城の中において使われている「石」の加工程度や積み方、「石」の使われ方、「石」の素材や状態、「石垣」の使われ方という切り口で分類した一覧表に基づいて、私が訪城したことがあるお城のモノ
皆さま、お久しぶりですコメントやメッセージで「続100名城はやらないんですか?」「続100名城やってください!」とちょくちょく声をかけて頂きました(ありがたやー)続100名城はアクセスが微妙なとこが多い。。。しかも運転免許取得から約10年、一度も運転してない、ペーパードライバーの私レンタカーは無理なので、余計巡るのは大変なので続100名城はやらないと心に決めてました思い返してみれば、元々100名城制覇も無理なのでは?と思ってた私でも無事制覇出来ましたし、やっぱ挑戦する事って
みなさんこんにちは。今回は滋賀県米原市、枝折城をお届けします。この枝折城(しおりじょう)は別名、土肥城とも呼ばれております。枝折の集落南側丘陵上に築かれたこのお城は、鎌倉時代から続く土肥氏の城であったようです。知名度が低い割に明瞭な遺構が残るお城を攻めます。JR醒ヶ井駅の有料駐車場に車を停め、徒歩で林蔵坊を目指します。林蔵坊には、土肥氏が鎌倉から移したと伝わる不動明王像が安置されています。お堂の傍の斜面を通路に沿って登っていきます。(兎の絵看板方向ではありません)尾根の上に出ま
昨日(4/30)、「龍野城」「龍野古城」「姫路城」を訪城してきました。当初は城友と、4/29(土)~30(日)にかけての一泊二日の「西播磨山城4城巡り」を予定して、ホテルやレンタカーも予約済み、しかも私は、夏用山登り用のスラックスと新しいリュックも購入して備えていました。しかし、なんと!事前の天気予報では二日間共に雨になるとのことで、急遽全てキャンセルして雨の影響が少なそうな4/30に「龍野城」「姫路城」にだけ行くことに予定変更をしました。当日、私が家を出る時には小雨でしたが、
2024.11.4.~6.今回は、以前より行ってみたかった甲斐の国へ(甲府)お泊り遠征~計画を立ててる時に、移動で悩んでいたのだけど新幹線と電車移動で甲府行きだと、片道5時間半かかるので往復でほぼ1日無駄になってしますそこで!一日有休を取って2泊3日の遠征にそして、道中で掛川を挟み、掛川からはレンタカー移動としました4日。朝一の新幹線で掛川へ9:07ここからレンタカーで出発です掛川のマンホール先ずは、掛川城🏯へ復元された大手門
昨日のブログで「現存三重櫓」12基を全てお届けしました。「弘前城丑寅櫓・辰巳櫓・未申櫓」「江戸城富士見櫓」「名古屋城清洲櫓(西北隅櫓)」「彦根城西の丸三重櫓」「明石城巽櫓・坤櫓」「福山城伏見櫓」「高松城月見(着見)櫓・艮櫓」「熊本城宇土櫓」以上12基は、下記URLをクリックしてご覧ください。https://ameblo.jp/highhillhide/theme-10112595030.html本日は、番外編として、「会津若松城御三階」(福島県会津若松市)という
昨年秋よりお届けしてきました「天守台シリーズ」ですが、年末年始にかけて訪城した「お城紀行」を優先して投稿しましたので、暫しの間中断していましたが、第67弾「鳥取城」から再開いたします。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケ
全国お城の「石・石垣シリーズ」を再開します。本日は、『「石垣」の使われ方』において「笠石銃眼(石狭間)」が見られるお城をご紹介しています。「笠石銃眼(石狭間)」というのは、石垣の一番上の石(天端石)を直方体の長い「笠石」して、その「笠石」に穴を開けて鉄砲狭間としています。その笠石の上には「土塀」が建っていたり「建物」の壁になっていたりします。一般的な「土塀」に△や□を施した「鉄砲狭間」とは違い、「石狭間」とも呼ばれています。現在見られるのは、「大坂城」「二条城」「江戸城」「岡山城」の
現在進行中のシリーズは本日お休みにして、一昨日訪問しました「丹南陣屋」(大阪府松原市)をお届けします。「旧丹南藩高木主水正陣屋址」碑一昨日は、久々に「難波」に用事(歯医者と髙島屋で買い物)があったので、前日に簡単な計画(乗車する電車とバスの時間を選定、陣屋の内容、跡地周辺の情報収集)を立てて臨みました。当日、髙島屋でお歳暮ギフトと食料品で頼まれ物を済まして、乗ろうとする電車・バスの時間まで余り時間がなかったので、食料品売場内にある「サンマルコ」のイートインでサッと食事を済ませて
次回からのブログテーマを「櫓」に絞ってお届けしようと計画しています。昨年のブログで「各方向から見た現存三重櫓」12基をお届けしましたが、「現存二重櫓」もかなり存在するのではないだろうかと思い、ネットで調べたものの代表的な「櫓名」は掲載されていますが、全て網羅されてはいないようです。また、「復元、復興、模擬」の各「二重櫓」数となると皆目見当がつきませんでした。私の好きな「二重櫓」の一つ「金沢城菱櫓」(重文)「各方向から見た現存三重櫓」各方向から見た現存三重櫓の顔・姿|シロスキ
昨日の午前中に、天満橋で用事があったので、それを済ましてから「淀城」(京都府伏見区)と「勝龍寺城」(京都府長岡京市)に行こうと数日前から計画を立てていました。訪問する時は必ず、ネットや持ち本で「縄張図」を探してそれがあればコピーし、見所の投稿記事を確認してから、大体のタイムスケジュールを立てて臨むようにしています。昨日は、昼食に「マクド」の「チキチ」を食べて(年齢の割には、マクドが大好きオジサンです)、京阪電車の特急と準急に乗り継いで「淀駅」まで行きました。「淀城」への訪問は、
引続き、旧「関八州」内に譜代大名が構えたお城(陣屋)を訪問します。「徳川吉宗」が将軍となって江戸に入った時に、彼の懐刀で「享保の改革」を「吉宗」とともに推進した「加納久通」の子孫である「加納久儔(ひさとし)」が、江戸時代後期である1826年に、戦国時代の「一宮城」跡に「一宮陣屋」(千葉県長生郡一宮町)を設けました。戦国時代の「一宮城」は、「里見家」と「北条家」の境に位置していたことから、絶えず戦火の中にありましたが、「秀吉」の小田原攻めの際に、「本多忠勝」によって落城しました。その後