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お待たせしました。「羽生くんに救われたお話③」です。①②で、突然「貴女は認知症です」という宣告を受けた私が失意のうちにも、長男の結婚式を無事済ませ、その直後に夫にカミングアウトするまでを語らせていただきました。『羽生くんに救われたお話、その①』ご無沙汰しています。🙇♀️2023年9月6日以来です。7ヶ月以上もブログを更新することが出来ないままでした。それまで当ブログにおいでくださっていた皆さま、申…ameblo.jp『羽生くんに救われたお話、その②』お待たせしました。「羽生くんに救われ
先日友人と草津温泉に泊まりで行ってきました。草津温泉まで我が家から渋滞しなければ3時間半ほどで到着する。宿のチェックインは14時以降。それまでどうするかプランニングしてましたが、どうもお天気も良くなく観光もイマイチ。なので、まずは万座温泉目指して万座の最高の温泉で日帰り入浴を楽しむプランにしました。日帰り入浴の場所に選んだのは「日新館」。ところで、私、以前に万座温泉に来てるんです。抗うつ薬SSRIのアクチベーションで自殺未遂を繰り返し、精神科閉鎖病棟に1ヶ月半入院。入院
「精神科の薬がわかる本」2008年から発行を定期的に重ね、今回は最新版の2024年2月出版本です。第三章は「抗うつ薬」がわかる。ちなみに、この本の筆者であり精神科医の姫井昭氏は「うつ」の原因は未解明。薬による治療は対症療法と言ってます。しかし、メンタル不調の多くが、シナプス間の信号が外界からの刺激に対して強すぎたり弱すぎたりして不適切な信号伝達となることで引き起こされることが、数多くの脳科学の研究結果からわかってきました。と書かれてます。いやいや、これ、ずっーと以前
おばあちゃんの知恵袋で知恵を付け、リハビリによって弱った体力を回復したほたて退院後はしばらく、旦那にご飯を作ってもらい、育児に専念する事にしました。リハビリで行っていたウォーキングも朝番続ける事にしました。そして、久々の美容院(8ヶ月ぶり)や、長らく会えなかった友達や職場の人との再開を果たしたのでしたもとの世界に戻ってきた感がありました。うつがひどい時は自分でも人が変わってしまったようで、世界も変わってしまった感じでしたそして、やるべき事を一つづつやって行き(結婚後の手続きなど)生活
Wおばあちゃんのヘアアレンジによって自信を取り戻したほたて女性にとってお洒落する事は大事な事なんですねしかし、息子の病棟にいくようになると、ほたて旦那の機嫌を損ねてしまう事が度々旦那はちょっとした事ですぐ不機嫌を発症する人なのですそうなると3日は口を聞いてもらえない事も閉鎖病棟に戻り、WおばあちゃんとKさんに話を聞いてもらいました。もらったアドバイスは、相手が怒ったら感謝する、違う所があると教えてくれたから。でした。旦那が怒った時は反発していたほたて。この言葉で旦那が何を怒っている
大学病院病院の精神科を遂に受診旦那や助産師さんに引っ張られて行き、服もおかしな格好でサンダルのまま診察は初診の為、診察前に問診があり、その後診察です。言葉の抑揚もなく、ロボットのようでうまく喋れないほたて先生の質問は全て旦那に代弁してもらいました思えば症状が出て来てから4ヶ月も経過しています‥相当にこじらせてしまったほたて結果は重度のうつ産後5ヶ月、3件目の受診にて、ようやく診断が下されました薬でしっかり治療して行きましょうとなり、家では常に私を見守るように言われ、入院も勧められま
こうして、ほたての閉鎖病棟での入院生活が始まったのでした保護室から普通の病室へ移ってからは、はるかにQOLが高く、これが普通なのでしょうが保護室と比べると、格段に快適な毎日朝6時に起床して、夜9時消灯。3食ご飯を食べ歯磨きをし、お薬もきちんと飲むよう管理され、規則正しい生活昼間はデイルームで塗り絵をしたり、テレビを見て過ごしました。塗り絵は単純作業に集中できるので、自分と静かに向き合うのにはうってつけの時間でした旦那がほたてつわり中に買ってくれた大人の塗り絵セットほとんど塗ってなかったけ
ついに自殺未遂を起こし、措置入院となったほたて。措置入院とは、自分を傷つけてしまう可能性がある為、都道府県知人の権限による法的な入院です。旦那は泣いていました。旦那はほたてがこうなってから、何度も泣いている所を見ました。辛かったんだと思います。しかし感情が麻痺しているほたて。旦那の愛情を受け取る事が出来ず、何も感じない自分にまた、自責の念が湧くのでした病棟へ移動しました。精神科の病棟は閉鎖病棟となっており、病院内を自由に行き来出来ないよう病棟の入口に鍵がかけられます。その病棟の奥、保護室
いよいよ退院の日が見えてきたほたてでも、退院後の生活にまったく自信が持てませんだいぶ良くはなってきましたが、完全に元のほたてには戻っていませんまた、息子君の手術の日も近づいて来ていました。漠然とした不安感が‥退院の不安な気持ちについて、担当の先生の提案で、不安な事を具体的に書き出してみるという事になりました。具体的に何が不安なのか、それについて解決策を一緒に考えて行こう、という事に頭に浮かんだ事は⚫︎子供のお世話はできるか⚫︎旦那の実家やご近所に馴染めるか(けっこうど田舎です)
ほたての経験から、産後うつを克服して思う事産後うつは、産後のホルモンバランスの変化や、産後の体調不良や、慣れない育児での極度の疲労が原因で発症します。高齢出産では、年齢的に体力面に不安がありますし、親のサポートも受けにくい状況の為、発症しやすいと思われます。産後は寝れないけど、そんなもの。誰もが通る道!何とかなる、とほたても言われましたが、なんとかならない場合もあるのですくれぐれも無理しない事。産後のサポートについては十分調べておく事をお勧めします。ほたて、三件目の受診にてやっと産後うつ
前回のブログではリストカットという生々しいお話をしてしまい申し訳ありませんでした。その後、心療内科で漢方薬のみを処方されて、時に鬱々としたり落ち込んだりもしながらも、元気に平穏に過ごしてました。二人の子供の高校受験・大学受験と時は流れていきました。私は当時勤めていた職場を任期満了退職し、大学の臨時職員として働いてました。3年程勤めましたが、家庭の事情で退職し1年ちょっと専業主婦をしてました。ちょうど娘の大学が決まり、私もまた仕事をしようと就職活動を始めてま
入院生活ももうすぐ2ヶ月。病院は観光地の周辺の為、夏の夜に近くのテーマパークで花火が打上げられるので、廊下の窓から皆んなで見ました。閉鎖病棟の生活で、少し自由を感じられる瞬間でしたうつ病は1ヶ月程で退院していく人が多かった為、色んな人を見送ったほたてとKさん⑧で書き忘れましたが、HさんとRちゃんがいた頃、男性のとても絵が上手い美大出身のIさんが塗り絵に加わりました。Iさんもうつ病だそうです。Iさん、Rちゃんに恋をしたらしく、退院前に告白して去って行ったのでした‥ほたてとKさんは、ほ
いよいよ息子君の手術の日手術室へと送り出す為に、病棟外へ外出する際、看護師さんやみんなが応援の言葉をかけてくれました旦那と一緒に息子を送り出しました。手術は8時間に及び、マイナートラブルはありましたが、一応無事成功‼︎ICUで眠ってる息子君に、よく頑張ったね!と声をかけました。術後の息子君は順調すぎると言われるくらい、脅威の回復を見せてくれ、無事退院となりましたほたてもその4日後にいよいよ退院です。息子の手術が終わって、ほたての不安は霧が晴れるようになくなりました入院して来た時は
辛かった過去の日記を読み返して、泣いてしまいました。現在、回復してきて元気になった事実だけを喜べばいいと自分に言い聞かせてます。それでもやはり心の傷になってるのでしょう。嫌な記憶は蓋をして忘れて、日常を楽しいこと興味あることでなるべく満たして回復を図るのがいいのか、こうしてブログなどに整理して書いていくことが心の傷の癒しになるのか、どちらがいいのか正直わかりません。とりあえず今日は、私が何故向精神薬の断薬する決意に至ったかを書いていこうと思います。こ
退院の日が決定したほたてもうすぐ同じ病院に息子君が入院して来ます。そんなある日、新しい入院患者がやって来たのでした。のちにほたての救世主となるのでしたが、第一印象は、強烈なキャラが入って来たでした‥なんだか、元気が爆発している感じで、大阪のおばちゃんという印象こんなに元気なおばあちゃんしかし、この人もあの独房からやって来たのです。ほたての入院生活に、このおばあちゃんWさんが加わりました。そして、いよいよ息子君が入院して来ました久しぶりに会う息子君ほたての面会には赤ちゃんは来れない為
なし崩しに悪化の一途を辿るほたてこの頃、産後の脱毛が始まっており、髪の毛がごっそり抜けて恐怖でした骨盤はまだグラグラで足の痺れも出て、血圧も高く体も心もガタガタですこの頃、服が選べなくなる、という症状も出てきたほたて。たくさん服はあるのに、頭が回らずどう組み合わせるのか分かりません家では同じ部屋着をずっと着続け、外出着は服の組合せが考えられず、家に引き篭もるように旦那には友達を家に呼んだら?人と会った方がいいよと!言われましたが、こんな状態で誰にも会いたくありませんこの頃はもう、一生
引き続き閉鎖病棟入院中に出会った人達です。ゆうき君ゆうき君は30代半ば位の男性。外見は少しワイルドな感じで、お腹の大きい奥さんが時々お見舞いに来てました。ゆうき君とは比較的仲良しになり、一緒のテーブルで食事をする仲間でした。普段は気さくでいい感じの男性ですが、時々突然凶暴になり叫んだり、持っている漫画本を床に投げつけたりしてました。ヘビースモーカーらしくよく喫煙スペースでタバコを吸ってました。後で直接彼から聞きましたが、薬物中毒で入院してるとのことでした。2年程前ま
病気ではないと言われたほたて一睡も眠れない日も多く、眠れても悪夢を見て目覚め、疲労はつのって行きました神経が高ぶって、じっとしていられず、家の中を歩き回ったりして落ち着きがなくなって来ました。とてもしんどかったです旦那にはしっかり休んでほしいと言われましたが、ソワソワして座っていられませんそして、遂に感情が麻痺してしまいました。子供への愛情も旦那への愛情も感じない。感情麻痺という症状です。音楽を聞いても心が動かない。言葉の抑揚がなくなり、話し方もおかしくなって、まともに喋れません
梅雨明けした8月1日、全向精神薬を断薬して丸1年経ちました。長かったようで、過ぎるとあっという間の1年間でした。酷い離脱症状に苦しみ、泣いた日々も数え切れないぐらいありました。精神症状も出たので、かなりヤバかった日も数え切れないくらいあります。まだ身体に症状は残ってますが、なんといっても1番嬉しいのは、精神的に落ち着いてることです。今月1日から、上高地白骨温泉旅行に来てます。そこそこ重いリュックを担いで、昨日も今日も歩きまくりました!平地を歩く分にはかなり歩ける
今回で2回目になる母の入院の大きな目的は、電気けいれん療法を施行することでした。今の病院に来て最初の診察からずっと進められていた処置でしたが、決意をし踏み切るまで約1年半かかりました。頭に電気?!なんて怖くてたまらなくて母がやりたいと言わなかったら、今もできていなかったと思います。ドクターに言わせると、薬剤による体への影響を考えたら電気けいれん療法は安全性が高くまたある意味薬剤よりも高い効果を示すとのこと。薬が使えない妊婦さんやご高齢の方にも行われるのだとか。専門家が言う
前回に続き入院中に出会った人達です。みさえさんみさえさんは30代前半くらい。拒食症の産後うつのママさんでした。本当に出産直後?と目を疑うくらいガリガリに痩せてました。常に手に点滴を打っていて、点滴スタンドを押しながら歩いてました。何度か優しそうな旦那さんがお見舞いに来てました。何度かみさえさんが産んだ赤ちゃんも一緒に連れてきてました。まだ赤ちゃんは首が座ってないようなホニャホニャの小さな赤ちゃんでした。人生で一番幸せな時期だろうに不思議です。みさえさんの食事は
こんにちは。うつ病回復期(多分)の、はなはなです。今、抗うつ薬の離脱症状でしんどいです7月16日から抗うつ薬・レクサプロを飲んでません。その離脱症状がまた出ています。「また」というのは、2021年2月にサインバルタが1カプセルに減った時に「シャンビリ」があったからです。その後の減薬や断薬では特に離脱症状を感じなかったのですが、今回は症状があって、しかも酷い症状1⃣シャンビリ頭の中で「ザッ、ザザア」という音みたいなものを感じます。鳴るというより感じるというほうが
4月12日に職場復帰して、週末はかなり体調が悪そうでした。職場の課長から、奥さん同席で情報共有しませんかと提案がありました。今週末に課長と主任と旦那と私の4者で面談の予定です。そんな調整をしていた矢先ですが、先ほど旦那から電話がありました。やはり仕事がしんどくて出社できないということでした。電話では「もう僕はダメだ」「なんでこうなったんだ」といった趣旨の訴えを暗い声で話していました。とりあえず今日は休んだらいいよとだけ伝えました。私から休んだらいいよという言葉を聞いたせいか、電話の
みんなの回答を見る▼ニックネームは?雅子▼ブログを始めたきっかけは?4年近くうつ病、双極性障害との診断で精神科に通院して治療してきました。悪化する一方なので減薬断薬して精神科卒業しようと決意しました。激しい離脱症状で半病人生活してましたが、やっと回復してきたので記録代わりにブログ始めました。文才がないので自信ありませんが
初めまして。雅子と申します。8年程前に精神科以外で処方されたデパス、リーゼを飲んでました。毎日でなく不調なときに頓服で。その後心療内科に通い、そこの医師に、デパスは危険ドラッグだからやめなさいと言われ服薬をやめ、しばらくは漢方薬を飲んでました。漢方薬を飲みながら元気に過ごしてましたが、4年ほど前に転職や人間関係で抑うつ状態になり、抗うつ剤・メジャートランキライザー・ベンゾジアゼピンを服用し始めました。その後、抗うつ剤でアクチべーションシンドロームをおこし、閉
今回は、私が入院していた時に親しくなった人や印象深かった人達について書いていこうと思います。入院期間中にいろんな人と出逢いました。もう誰とも連絡を取ってませんが、みんな元気なのでしょうか。回復して精神科を卒業できてるといいのですが。ちなみに名前は仮名です。優子さん優子さんは私が保護室に入ってた時に、隣の保護室に入院していた女性です。最初の頃2人で一緒にお風呂にいれられることがあり、入浴中や入浴後にお話することがありました。彼女はどう見ても私より年上にしか見え
2019年4月、それまでもリボトリールやサイレースの断薬で離脱症状に苦しんでましたが、最後のベンゾ、メイラックス1錠を断薬した後、多分10日間から14日間くらいしてから、激的な離脱症状に見舞われました。やっと、私の精神科卒業までのブログも、減薬断薬に入り、離脱症状との闘いバージョンに突入できました。うつ病という診断名を受け入れて治療をし、精神科病院の閉鎖病棟に保護入院し、病名はうつ病から双極性障害2型と変わり治療してきました。(何度も書きますが、うつ病から双極性障
ベンゾに対して真実をついてると思います。ベンゾが原因で出てる心身の様々の不調なのに、なかなか気づけない。減薬断薬すると辛い諸症状が出る、すぐ再服薬するとそれらの症状は消える。なので必要な薬と思い込んで再服薬して飲んでしまう。私も何回かその罠にハマりました。覚醒剤とアルコールと比較するのは悲しいけど、とてもよく似てます。禁断症状というと響がよくないので離脱症状と表現するけど、医学的には全く同じこと。酒キレ違法薬キレベンゾキレどれも辛いのでしょうね。ベンゾジアゼピ
関東の家族の元に戻っての生活も1ヶ月ちょっとしか持たず、またしても関西の実家に愛犬マロンと一緒に戻ることになりました。私が不調すぎて、夫も子供達もお手上げになったようです。結局ジェイゾロフト・セロクエル・メイラックス・レキソタン・ユーロジンでの治療が続きました。抗うつ剤SSRIを飲むようになってから、早朝に目覚めるようになり睡眠薬が処方されました。当時は不安と焦燥感が強く、動悸にも苦しんでました。とにかく気持ちが滅入り、やる気が起きない。特に午前中
↑お正月に作ったカプレーゼモッツァレラチーズと生ハム、バジルソース全部私の大好物で親戚にめっちゃ食べられちゃって少ししか食べられなかったけどね美味しかったなあ昨日のブログで、4日に1回体重を測ることにすると決めたのですが…昨日の夕方、我慢できず測ってしまいました…1週間前の診察日に測った体重より1キロ減っててめっちゃ嬉しかったこの1週間、過食した日もあったのですが、無意識に食事量を調整していて。4日に一回は私にはつらすぎるので、これからは3日に一回、体重測定をするこ