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先日友人と草津温泉に泊まりで行ってきました。草津温泉まで我が家から渋滞しなければ3時間半ほどで到着する。宿のチェックインは14時以降。それまでどうするかプランニングしてましたが、どうもお天気も良くなく観光もイマイチ。なので、まずは万座温泉目指して万座の最高の温泉で日帰り入浴を楽しむプランにしました。日帰り入浴の場所に選んだのは「日新館」。ところで、私、以前に万座温泉に来てるんです。抗うつ薬SSRIのアクチベーションで自殺未遂を繰り返し、精神科閉鎖病棟に1ヶ月半入院。入院
いよいよ息子君の手術の日手術室へと送り出す為に、病棟外へ外出する際、看護師さんやみんなが応援の言葉をかけてくれました旦那と一緒に息子を送り出しました。手術は8時間に及び、マイナートラブルはありましたが、一応無事成功‼︎ICUで眠ってる息子君に、よく頑張ったね!と声をかけました。術後の息子君は順調すぎると言われるくらい、脅威の回復を見せてくれ、無事退院となりましたほたてもその4日後にいよいよ退院です。息子の手術が終わって、ほたての不安は霧が晴れるようになくなりました入院して来た時は
こうして、ほたての閉鎖病棟での入院生活が始まったのでした保護室から普通の病室へ移ってからは、はるかにQOLが高く、これが普通なのでしょうが保護室と比べると、格段に快適な毎日朝6時に起床して、夜9時消灯。3食ご飯を食べ歯磨きをし、お薬もきちんと飲むよう管理され、規則正しい生活昼間はデイルームで塗り絵をしたり、テレビを見て過ごしました。塗り絵は単純作業に集中できるので、自分と静かに向き合うのにはうってつけの時間でした旦那がほたてつわり中に買ってくれた大人の塗り絵セットほとんど塗ってなかったけ
私は、子供2人と夫と4人家族で関東で暮らしていました。うつ病の治療を始めて、闘病生活に突入したわけですが、次第に料理や家事ができなくなり、日中も不安定なことが増え、昼間に1人で家で過ごすことができなくなり、夫に実家に行くように言われました。そして関西の実家で療養することになりました。幸い母親はちょうど68歳まで働いてましたが退職した後で、父親も退職生活しており両親も健在だったこともあり、そのような恵まれた環境で治療することができました。大阪の個人の心療内科で、
Wおばあちゃんのヘアアレンジによって自信を取り戻したほたて女性にとってお洒落する事は大事な事なんですねしかし、息子の病棟にいくようになると、ほたて旦那の機嫌を損ねてしまう事が度々旦那はちょっとした事ですぐ不機嫌を発症する人なのですそうなると3日は口を聞いてもらえない事も閉鎖病棟に戻り、WおばあちゃんとKさんに話を聞いてもらいました。もらったアドバイスは、相手が怒ったら感謝する、違う所があると教えてくれたから。でした。旦那が怒った時は反発していたほたて。この言葉で旦那が何を怒っている
関東の家族の元に戻っての生活も1ヶ月ちょっとしか持たず、またしても関西の実家に愛犬マロンと一緒に戻ることになりました。私が不調すぎて、夫も子供達もお手上げになったようです。結局ジェイゾロフト・セロクエル・メイラックス・レキソタン・ユーロジンでの治療が続きました。抗うつ剤SSRIを飲むようになってから、早朝に目覚めるようになり睡眠薬が処方されました。当時は不安と焦燥感が強く、動悸にも苦しんでました。とにかく気持ちが滅入り、やる気が起きない。特に午前中
こんにちは。うつ病回復期(多分)の、はなはなです。今、抗うつ薬の離脱症状でしんどいです7月16日から抗うつ薬・レクサプロを飲んでません。その離脱症状がまた出ています。「また」というのは、2021年2月にサインバルタが1カプセルに減った時に「シャンビリ」があったからです。その後の減薬や断薬では特に離脱症状を感じなかったのですが、今回は症状があって、しかも酷い症状1⃣シャンビリ頭の中で「ザッ、ザザア」という音みたいなものを感じます。鳴るというより感じるというほうが
大学病院病院の精神科を遂に受診旦那や助産師さんに引っ張られて行き、服もおかしな格好でサンダルのまま診察は初診の為、診察前に問診があり、その後診察です。言葉の抑揚もなく、ロボットのようでうまく喋れないほたて先生の質問は全て旦那に代弁してもらいました思えば症状が出て来てから4ヶ月も経過しています‥相当にこじらせてしまったほたて結果は重度のうつ産後5ヶ月、3件目の受診にて、ようやく診断が下されました薬でしっかり治療して行きましょうとなり、家では常に私を見守るように言われ、入院も勧められま
自然界のネットワークにならう。森は自律して生きている。水やりしなくても枯れ果てたりしない。肥料を入れなくても成長していく。草花が生え、小さな木が育ち、大きな樹を有する森になる。ひなたの植物だけだったのが、大きな樹の木陰で守られて、ひかげを好む植物が生き生きとする。大きな樹の根は大地に水を蓄え、小さな草花のおかげで地表は潤いを保つ✨そして根っこは抱き合いながら、ネットワークを形成する。糸状菌は根と根をつなぎ、あっちからこっちへと栄養物質の循環のお手伝い。豆の窒素固定
辛かった過去の日記を読み返して、泣いてしまいました。現在、回復してきて元気になった事実だけを喜べばいいと自分に言い聞かせてます。それでもやはり心の傷になってるのでしょう。嫌な記憶は蓋をして忘れて、日常を楽しいこと興味あることでなるべく満たして回復を図るのがいいのか、こうしてブログなどに整理して書いていくことが心の傷の癒しになるのか、どちらがいいのか正直わかりません。とりあえず今日は、私が何故向精神薬の断薬する決意に至ったかを書いていこうと思います。こ
前回のブログではリストカットという生々しいお話をしてしまい申し訳ありませんでした。その後、心療内科で漢方薬のみを処方されて、時に鬱々としたり落ち込んだりもしながらも、元気に平穏に過ごしてました。二人の子供の高校受験・大学受験と時は流れていきました。私は当時勤めていた職場を任期満了退職し、大学の臨時職員として働いてました。3年程勤めましたが、家庭の事情で退職し1年ちょっと専業主婦をしてました。ちょうど娘の大学が決まり、私もまた仕事をしようと就職活動を始めてま
今回で2回目になる母の入院の大きな目的は、電気けいれん療法を施行することでした。今の病院に来て最初の診察からずっと進められていた処置でしたが、決意をし踏み切るまで約1年半かかりました。頭に電気?!なんて怖くてたまらなくて母がやりたいと言わなかったら、今もできていなかったと思います。ドクターに言わせると、薬剤による体への影響を考えたら電気けいれん療法は安全性が高くまたある意味薬剤よりも高い効果を示すとのこと。薬が使えない妊婦さんやご高齢の方にも行われるのだとか。専門家が言う
入院して翌日は一日中拘束されてました。保護室は、廊下を入るとちょっとした空間があり、更に鍵のついた引き戸の扉があり、その奥にベッドとトイレだけがある部屋がある。そんな部屋でした。鍵のかかった扉には、小さな窓がついており、時々看護師さんが覗いてるのがわかりました。扉に小さな窓がついている、まさに刑務所みたいな部屋だな、と思いました。入院した夜から、私は諦めの境地に達してたので大人しくじっと横になってました。食事は看護師さんが来て、ベッドを起こしてくれ
反跳性不眠について、少々おまけ的な記事になりますが、2019年4月にベンゾ全断薬後、離脱症状の反跳性不眠になりました。回復期に現れると言われてる悪夢期が私にも見事に現れました。不眠が始まり8ヶ月後くらいの11月の晩秋の頃に5週間くらい毎日のように悪夢を見るようになったのです。大体寝れる日は寝ついて1時間後くらいに悪夢を見て飛び起きて、汗だくになるみたいな状態でした。一番多かった悪夢は虫系の夢。身体中がゴキブリに覆われる夢。毛虫が全身に張り付いて叫んでる夢。
引き続き閉鎖病棟入院中に出会った人達です。ゆうき君ゆうき君は30代半ば位の男性。外見は少しワイルドな感じで、お腹の大きい奥さんが時々お見舞いに来てました。ゆうき君とは比較的仲良しになり、一緒のテーブルで食事をする仲間でした。普段は気さくでいい感じの男性ですが、時々突然凶暴になり叫んだり、持っている漫画本を床に投げつけたりしてました。ヘビースモーカーらしくよく喫煙スペースでタバコを吸ってました。後で直接彼から聞きましたが、薬物中毒で入院してるとのことでした。2年程前ま
入院も2週間くらい経つと慣れてきて、毎日の生活の基本スケジュールみたいなものがわかってきました。この精神科病院は、患者は3色に分かれた手帳なる物を渡されます。皆はそれをパスポートと呼んでました。パスポートは3色ありました(3種類)最初に入院した時は皆ピンク色のパスポート。そして病状や状態が良くなるにつれ、黄色パスポート、緑パスポートと出世していきます。上の階級のパスポートになるにつれ、できること、許可されることが増えていきます。私はピンクパスポートから始まり
入院10日目9月10日閉鎖病棟内のフロアー内では自由な身になりました。この日初めて、看護師さんと一緒に病院内の敷地内にあるショップ「Daily山崎」に買い物に行くことができました。閉鎖病棟なので、フロアーから外に出るには扉が2箇所あり、2箇所のロックを職員さんが解除してくれないと出ることはできません。病院の食事はあまり美味しくなく、なんとなくずっとひもじい気持ちでした。なので、このDaily山崎でお菓子を買うのが、すごく楽しみになりました。ちょうど
みんなの回答を見る▼ニックネームは?雅子▼ブログを始めたきっかけは?4年近くうつ病、双極性障害との診断で精神科に通院して治療してきました。悪化する一方なので減薬断薬して精神科卒業しようと決意しました。激しい離脱症状で半病人生活してましたが、やっと回復してきたので記録代わりにブログ始めました。文才がないので自信ありませんが
病気ではないと言われたほたて一睡も眠れない日も多く、眠れても悪夢を見て目覚め、疲労はつのって行きました神経が高ぶって、じっとしていられず、家の中を歩き回ったりして落ち着きがなくなって来ました。とてもしんどかったです旦那にはしっかり休んでほしいと言われましたが、ソワソワして座っていられませんそして、遂に感情が麻痺してしまいました。子供への愛情も旦那への愛情も感じない。感情麻痺という症状です。音楽を聞いても心が動かない。言葉の抑揚がなくなり、話し方もおかしくなって、まともに喋れません
今朝6時前に水やりをしに庭に出たら、なんとなく空気に秋の気配を感じました。猛暑と騒いでますが、あっという間に夏が過ぎ去っていくような気もして少し寂しいです。いつも何故か夏の終わりには寂しさを感じます。よく人生は四季に例えられますが、アラフィフの私は夏はとっくに過ぎ、晩秋といった人生の時期にいるのでしょうか。実家から自宅に戻りましたので、また昔の日記を読みながら、自分の記録としてブログを書いていこうと思います。精神科に入院していた記録の続きを書いていき
↑お正月に作ったカプレーゼモッツァレラチーズと生ハム、バジルソース全部私の大好物で親戚にめっちゃ食べられちゃって少ししか食べられなかったけどね美味しかったなあ昨日のブログで、4日に1回体重を測ることにすると決めたのですが…昨日の夕方、我慢できず測ってしまいました…1週間前の診察日に測った体重より1キロ減っててめっちゃ嬉しかったこの1週間、過食した日もあったのですが、無意識に食事量を調整していて。4日に一回は私にはつらすぎるので、これからは3日に一回、体重測定をするこ
今回は、私が入院していた時に親しくなった人や印象深かった人達について書いていこうと思います。入院期間中にいろんな人と出逢いました。もう誰とも連絡を取ってませんが、みんな元気なのでしょうか。回復して精神科を卒業できてるといいのですが。ちなみに名前は仮名です。優子さん優子さんは私が保護室に入ってた時に、隣の保護室に入院していた女性です。最初の頃2人で一緒にお風呂にいれられることがあり、入浴中や入浴後にお話することがありました。彼女はどう見ても私より年上にしか見え
「精神科の薬がわかる本」2008年から発行を定期的に重ね、今回は最新版の2024年2月出版本です。第三章は「抗うつ薬」がわかる。ちなみに、この本の筆者であり精神科医の姫井昭氏は「うつ」の原因は未解明。薬による治療は対症療法と言ってます。しかし、メンタル不調の多くが、シナプス間の信号が外界からの刺激に対して強すぎたり弱すぎたりして不適切な信号伝達となることで引き起こされることが、数多くの脳科学の研究結果からわかってきました。と書かれてます。いやいや、これ、ずっーと以前
こんにちは私、、、普段はこのようなお仕事をさせてもらっているのですが十年ほど前産後うつ体験をしたことがあるのです最近思い出したことがあるので書いてみます・・・・・・・・・・・・・・妊娠出産の方のホルモンバランスはジェットコースターすごくグルングルンしてる体調が整わないのはある意味自然ともいえるのかもそんな中私が第2子を出産した病院は第一子とは別の病院で母乳指導にを入れていました(ありますよね)
ついに自殺未遂を起こし、措置入院となったほたて。措置入院とは、自分を傷つけてしまう可能性がある為、都道府県知人の権限による法的な入院です。旦那は泣いていました。旦那はほたてがこうなってから、何度も泣いている所を見ました。辛かったんだと思います。しかし感情が麻痺しているほたて。旦那の愛情を受け取る事が出来ず、何も感じない自分にまた、自責の念が湧くのでした病棟へ移動しました。精神科の病棟は閉鎖病棟となっており、病院内を自由に行き来出来ないよう病棟の入口に鍵がかけられます。その病棟の奥、保護室
ベンゾに対して真実をついてると思います。ベンゾが原因で出てる心身の様々の不調なのに、なかなか気づけない。減薬断薬すると辛い諸症状が出る、すぐ再服薬するとそれらの症状は消える。なので必要な薬と思い込んで再服薬して飲んでしまう。私も何回かその罠にハマりました。覚醒剤とアルコールと比較するのは悲しいけど、とてもよく似てます。禁断症状というと響がよくないので離脱症状と表現するけど、医学的には全く同じこと。酒キレ違法薬キレベンゾキレどれも辛いのでしょうね。ベンゾジアゼピ
↑大好きなサラダラップ大好きなんですちなみに、スタバでご飯を食べる時は、サラダラップの根菜チキンしか頼みませんちょうど200キロカロリーで、そこまで食べるのが怖くなくて生ハムとモッツァレラのサラダラップも、美味しそうだなあといつも思うんですが…300キロカロリー近いので買ったことはないです摂食障害になってから、外で食べるときは、いつも以上にカロリーが気になって、好きなものが食べられないようになりました一人でスタバに行った時も、テイクアウトでも。仕事終わりに、丸亀製麺の
初めまして。雅子と申します。8年程前に精神科以外で処方されたデパス、リーゼを飲んでました。毎日でなく不調なときに頓服で。その後心療内科に通い、そこの医師に、デパスは危険ドラッグだからやめなさいと言われ服薬をやめ、しばらくは漢方薬を飲んでました。漢方薬を飲みながら元気に過ごしてましたが、4年ほど前に転職や人間関係で抑うつ状態になり、抗うつ剤・メジャートランキライザー・ベンゾジアゼピンを服用し始めました。その後、抗うつ剤でアクチべーションシンドロームをおこし、閉
いよいよ退院の日が見えてきたほたてでも、退院後の生活にまったく自信が持てませんだいぶ良くはなってきましたが、完全に元のほたてには戻っていませんまた、息子君の手術の日も近づいて来ていました。漠然とした不安感が‥退院の不安な気持ちについて、担当の先生の提案で、不安な事を具体的に書き出してみるという事になりました。具体的に何が不安なのか、それについて解決策を一緒に考えて行こう、という事に頭に浮かんだ事は⚫︎子供のお世話はできるか⚫︎旦那の実家やご近所に馴染めるか(けっこうど田舎です)
退院の日が決定したほたてもうすぐ同じ病院に息子君が入院して来ます。そんなある日、新しい入院患者がやって来たのでした。のちにほたての救世主となるのでしたが、第一印象は、強烈なキャラが入って来たでした‥なんだか、元気が爆発している感じで、大阪のおばちゃんという印象こんなに元気なおばあちゃんしかし、この人もあの独房からやって来たのです。ほたての入院生活に、このおばあちゃんWさんが加わりました。そして、いよいよ息子君が入院して来ました久しぶりに会う息子君ほたての面会には赤ちゃんは来れない為