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おはこんばんちわ~老恋ジャーシニア成龍です曇り空☁午後から雨とか八十八夜今日は八十八夜立春から88日目春の農作物の作業が行われる時期で昔から茶摘みや籾まきの目安とされてきたこの日に摘んだ茶は上等な物とされこの日にお茶を飲むと長生きするとか晩春の季語出流れの晩茶も八十八夜かな(正岡子規)夏も近づく八十八夜~今年の二十四節気の立夏は5月5日から19日に花言葉は再び幸せが訪れる大
【Q19558】誕生日は、かみなり歴53年14月25日。カミナリの国で生まれた、雨が嫌いな、やんちゃな8才の3つ子の兄弟で、サンダースクールに通っているという設定の、1982年に誕生したサンリオのキャラクターは何?【ゴロピカドン】【Q19559】「綴る」の読み方は「つづる」ですが、「啜る」の読み方は何?【すする】【Q19560】ナポレオン、ルイ14世、ルター、マーラー、野口英世、加藤清正、大岡越前、松尾芭蕉、正岡子規、夏目漱石らも患い、漱石の未完の小説『明暗』の冒頭「医者は探りを入れた後
うわっ❣こんな手水所初めて見た❣句碑は「恵栄なもしお椿まいり道後の湯」河本南牛史(賑わい栄えているではありませんか椿さんと道後温泉は)という意。ちなみに右側の蒼い句碑に刻まれていたのは正岡子規「賽銭のひびきに落る椿かな」うしろは、女の狸の神様が住んでいるという楠の御神木です。やっと拝殿が見えました。斜めに配置された不思議な参道ですね絵馬は、椿の花の形をしています。室町時代末期の狛犬一対が見えます。児守神社(椿神社の境内社の一つ)です。毎月
お疲れ様です。今日はちょっと散歩に出掛けたサラリーマンです。佐倉城址公園にやってきました。こちらが城址公園の中にある国立歴史民俗博物館。今日は博物館の中には入らず公園内を散策。佐倉城とは、徳川家康の命令で、土井利勝さんが1610年に築城したそうな。江戸時代、佐倉藩の藩庁が置かれていた。今はいわゆる城、天守などは再建されておらず、城跡のみとなっております。本丸の入り口。一の門の跡。ここは基本的に山を切り開いたような地形です。ここが本丸があった場所。山の上に広く作られた開けた
雄山閣刊、2800円+税正岡明さんの本です。加藤拓川は子規の叔父、明さんは子規の孫にあたります。拓川の子・忠三郎が正岡子規の家(妹の律の家)を継ぎましたが、忠三郎の次男が明さんです。この本、中身は写真の帯の通りです。「人が人を差別することの愚かさに我慢ならなかった」拓川を描いています。
私は、先天的音楽機能不全です。と、書くとなんか病気っぽいけど「音痴」の正式名称じゃあ音痴の「痴」ってどこからきたのさ?チャンポヨです。🎤先日気温が10℃になったと思えば、やはりまだ雪が降り積もりし北海道…🗾しかし昨日は、雪かきもせず隣町へエベツ~写真ブレブレなのは歩きながら撮ったから歩きスマホ、ダメ、絶対ゴールデンカムイのファンとして、200年ぶりに映画館へ(いつも盛っています)。最後に観た映画は、おそらく鬼滅の刃…(2020年)煉獄さーん!ハイキュー!!の公開初
3月22日に道後温泉にある玉泉堂本舗で予約しないと購入できない温泉煎餅が入手できました。道後温泉の玉泉堂本舗です玉泉堂は明治15年創業で、正岡子規が松山中学(現松山東高校)在学中に開店したことになります。正岡子規の随筆では玉泉堂の煎餅を食べている場面が出てきます。趣のある店ですが、少し入りにくいです。温泉煎餅の入っている缶です温泉煎餅は予約して入手するに1月かかると言われていますが、私は10日で買うことができました。温泉煎餅です。50枚入りです缶からは取り出してみると地味な煎餅が出て
夏目漱石と正岡子規は畏友と呼び合うほどの友人だったという。子規の作風は、「写生」と呼ばれるように絵画を感じさせるものが多い。子規の一番有名な句は「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」漱石も俳句を詠み、絵画的というより戯画的なウィットに富んだものが多い。たとえば、春の句で、「ちとやすめ張子の虎も春の雨」や「恋猫や主人は心地例ならず」などの句があり、おしなべて彼の句は滑稽。もともと、俳句は軽妙さや滑稽を短い言葉で表現するものだった。芭蕉の句も、とり方によっては、その背後に滑
伊勢土産の定番・赤福餅の包装紙に記されている正岡子規(1867~1902)の俳句「到来の赤福餅や伊勢の春」が資料研究で出所不明となっていることがわかり、赤福本店が情報提供を求めている。弟子の山本匂玉が病床の子規に故郷の赤福餅を贈った時に詠まれたと伝えられる句だが、健康な頃の子規に伊勢参りをした記録がないためだ。赤福は伊勢内宮への五十鈴川の参道に店を江戸時代から店を出し、近代に名声を築いた。伝統を強調するために、包装紙の裏側に件の子規の俳句と高浜虚子の「旅は春赤福餅の店に立つ」の二句
2024年4月29日(月)【季語】のどか/春のどかさや杖ついて庭を徘徊す正岡子規(まさおか・しき)1867〜1902年。俳人、歌人。昨年の4月29日の句→やすやすと『やすやすと〜正岡子規』2023年4月29日(土)【季語】夏近/春やすやすと青葉になりて夏近正岡子規(まさおか・しき)1867〜1902年。俳人、歌人。昨年の4月29日の句→行く…ameblo.jp岡崎弥保HP「言の葉」ブログ「言の葉つむぎ」
むしろ「史実に反するエンタメ狙いのフィクション」ではない、ってところに、ポイントっていうか、問題があるんです。坂の上の雲は、もちろん小説です。松山出身の同世代の二人、正岡子規と秋山真之、それと兄の好古の三人を主人公にして、日露戦争に向かう上り坂の日本の姿を、社会と文化のいろんな側面から多面的に描いていこう、っていう意欲的な小説だったんですが。ところが、司馬遼太郎先生というのは御存知のとおり、徹底的に調べて書く人なんで、だんだん取材成果の発表のほうの比重が増えてきて、特に正岡子規が死んだあとは
1.子規の「恋」正岡子規の「恋」と題する評論があります。明治32年3月に出版された雑誌『ホトトギス』に掲載されたごく短い作品です。その評論で、子規は、八百屋お七の話を取り上げている。八百屋お七とは、丙午(ひのえうま)の女性は夫を食い殺すという説のもととなった女性の話である。2.八百屋お七お七は、自分が恋焦がれる恋人に再会いたいと思って、自分の家に火をつけて捕まり、火あぶりの刑に処せられた女性です。子規は、お七の胸の中を察すると、「いじらしくていじらしくてたまらん」というのです。彼女
6月19日ブロクで、年齢差27歳の恋愛についてふれました。歌人の斎藤茂吉52歳、そして弟子の永井ふさ子25歳というふたりの関係です。あの話を聞いてから…改めてふたりはどんなふうに出会い、どんなふうに別れたのか、そして『赤光(しゃっこう)』を31歳で世に問うた茂吉という人はどんな人であったのか…ぼんやりとではありますが考えていました。茂吉の生涯を簡単にまとめると…こんな感じになります。一時期“行方不明”になっていた…斎藤茂吉さんの『赤光』、現在は、館外貸し出し可能
小林正観さんの心に響く言葉より…「輪廻転生」は「義務である」とお伝えしました。「魂」は生まれ変わりを重ねながら成長していきますが、「魂」が成長できるのは、「肉体を持ったときだけ」のようです。なぜか。「魂」だけで過ごしているときは、「事件」が起きないからです。「魂」は、300年~400年に一度、肉体を持って生まれ変わりますが、肉体がある分、さまざまな制約や事件にさらされます。「食べなくっちゃいけない」「飲まなくっちゃいけない」「お風呂に入らなくっちゃいけない
ガイドブックに載っていない松山道後の違った楽しみ方、『道後温泉(裏)観光ガイド』。第1回目は明治時代より、「松ヶ枝遊郭(まつがえゆうかく)」として賑わっていた「宝厳寺(ほうごんじ)」前の通りです。いきなりアングラな話からのスタートです。「遊郭街」とは女郎屋が集まった地域のこと。大ヒットアニメ『鬼滅の刃』で、「吉原遊廓」の名が広まったので、ご存知かもしれませんね。「吉原遊廓」とは江戸幕府によって公認された風俗街のような場所です。遊女(ゆう
桜の花が咲く春は、新しい出会いや別れ、そして人々の心を動かす季節です。そんな桜にまつわる名言・格言を集めました。この記事では、桜に関する名言を10選ご紹介します。これらの名言に共通するのは、桜の美しさや儚さ、そして春の喜びを表現していることです。目次太宰治の名言与謝野晶子の格言芥川龍之介の名言松尾芭蕉の句橋本多佳子の詩高杉晋作の言葉林芙美子の名言正岡子規の句夏目漱石の格言釈迦の言葉1.太宰治の名言私はどんなに悲しい時でも、桜の花を見ると、もう、その悲しみを忘れてしまい
みなさまこんばんは☆彡OfficeRAL山﨑晴美です信州上田今日もむわぁ~と暖かい日でしたここ数年思います4月ってこんな気候だったけか?相変わらず気温差が大きな盆地地帯ですこれは数日前私の寝室ベランダから見える里山です色加工してありますここに引っ越してきたころは徐々にあがっていく緑に混じる花の色味が今時期よく見えたので
牛島の藤(藤花園)で。埼玉県春日部市にあります。樹齢800年の藤です。垂れ下がる薄紫の藤の花房が見事です。何故か思い出す次の句。瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり正岡子規