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うわっ❣こんな手水所初めて見た❣句碑は「恵栄なもしお椿まいり道後の湯」河本南牛史(賑わい栄えているではありませんか椿さんと道後温泉は)という意。ちなみに右側の蒼い句碑に刻まれていたのは正岡子規「賽銭のひびきに落る椿かな」うしろは、女の狸の神様が住んでいるという楠の御神木です。やっと拝殿が見えました。斜めに配置された不思議な参道ですね絵馬は、椿の花の形をしています。室町時代末期の狛犬一対が見えます。児守神社(椿神社の境内社の一つ)です。毎月
【Q19558】誕生日は、かみなり歴53年14月25日。カミナリの国で生まれた、雨が嫌いな、やんちゃな8才の3つ子の兄弟で、サンダースクールに通っているという設定の、1982年に誕生したサンリオのキャラクターは何?【ゴロピカドン】【Q19559】「綴る」の読み方は「つづる」ですが、「啜る」の読み方は何?【すする】【Q19560】ナポレオン、ルイ14世、ルター、マーラー、野口英世、加藤清正、大岡越前、松尾芭蕉、正岡子規、夏目漱石らも患い、漱石の未完の小説『明暗』の冒頭「医者は探りを入れた後
お疲れ様です。今日はちょっと散歩に出掛けたサラリーマンです。佐倉城址公園にやってきました。こちらが城址公園の中にある国立歴史民俗博物館。今日は博物館の中には入らず公園内を散策。佐倉城とは、徳川家康の命令で、土井利勝さんが1610年に築城したそうな。江戸時代、佐倉藩の藩庁が置かれていた。今はいわゆる城、天守などは再建されておらず、城跡のみとなっております。本丸の入り口。一の門の跡。ここは基本的に山を切り開いたような地形です。ここが本丸があった場所。山の上に広く作られた開けた
若人のすなる遊びはさはにあれどベースボールに如く者はあらじ(わこうどのすなるあさびはさわにあれどベースボールにしくものはあらじ)正岡子規今日は一つだけ仕事して、昼ごはんの為の駅前スーパーに行く。気温は20度ありそうだが台風並みの大風が吹いている。まったく気づかなかったが、今日は海辺でマラソン大会が行われたようだ。「北下浦ふるさとマラソン大会」という大会で、最長でも10キロマラソンという気軽なマラソン大会である。毎年、「来年こそトレーニングして参加しよう」と思
1.「子規」という筆名の由来正岡子規は、わずか35年の短い人生でしたが、それまでの伝統的な和歌に対して、近代的な短歌を提唱し、俳句においても近代的改革を目指しました。子規は、若いころは野球を日本に普及させるのに熱中していたのですが、若くして結核を患い、野球は断念せざるを得なくなります。そして、ときどき喀血をするようになったことから、「鳴いて血を吐く」というホトトギスにちなんで、ホトトギスを意味する「子規」を名乗るようになります。「子規」の筆名を得たことは、彼にとって大きな喜びだったようで
2024年4月29日(月)【季語】のどか/春のどかさや杖ついて庭を徘徊す正岡子規(まさおか・しき)1867〜1902年。俳人、歌人。昨年の4月29日の句→やすやすと『やすやすと〜正岡子規』2023年4月29日(土)【季語】夏近/春やすやすと青葉になりて夏近正岡子規(まさおか・しき)1867〜1902年。俳人、歌人。昨年の4月29日の句→行く…ameblo.jp岡崎弥保HP「言の葉」ブログ「言の葉つむぎ」
玉川町鬼原には、「五人衆さん」と呼ばれるお墓があり、地元では以下の言伝えが伝わっています。(写真は玉川地域活性化推進委員会より)天正7年(1579年)、幸門城主・正岡家の家老であった鳥生石見守は松山の予州家(湯築分家方)寄りに変わった幸門城を、今治の府中家(来島方)寄りに戻そうと企み、鷹ヶ森城主越智通能と相談して経政を討ち取る手筈を整えました。しかし、実行に移す前に事が露見してしまい、石見守は経政に城に呼び出されたところを討たれ、その妻子はそれを察知して逃げましたが鬼原境で追いつかれて家族
むしろ「史実に反するエンタメ狙いのフィクション」ではない、ってところに、ポイントっていうか、問題があるんです。坂の上の雲は、もちろん小説です。松山出身の同世代の二人、正岡子規と秋山真之、それと兄の好古の三人を主人公にして、日露戦争に向かう上り坂の日本の姿を、社会と文化のいろんな側面から多面的に描いていこう、っていう意欲的な小説だったんですが。ところが、司馬遼太郎先生というのは御存知のとおり、徹底的に調べて書く人なんで、だんだん取材成果の発表のほうの比重が増えてきて、特に正岡子規が死んだあとは
最近のただの話ですベンチの下にオクラがありました道路の端っこにスイカがありました私の旦那は小峠英二さん正岡子規さんミルクボーイの駒場さんダイアンの両方ムッシュかまやつさんに似ているとよく言われるのですが先日『月曜から夜ふかし』のハロウィン仮装大賞2023を見ていたら出てきたこの人を見て、娘(5歳)がぷぷぷと笑って言いました「パパにそっくりー」㊗️空也上人さんが仲間に加わりましたミニーちゃんが手を振ってくれる車とラッパーがリズムを刻む車日本語教室で使ったYouTu
雄山閣刊、2800円+税正岡明さんの本です。加藤拓川は子規の叔父、明さんは子規の孫にあたります。拓川の子・忠三郎が正岡子規の家(妹の律の家)を継ぎましたが、忠三郎の次男が明さんです。この本、中身は写真の帯の通りです。「人が人を差別することの愚かさに我慢ならなかった」拓川を描いています。
2023年4月29日(土)【季語】夏近/春やすやすと青葉になりて夏近正岡子規(まさおか・しき)1867〜1902年。俳人、歌人。昨年の4月29日の句→行く春や『行く春や〜与謝蕪村』2022年4月29日(金)【季語】行く春/春行く春や重たき琵琶の抱きごころ与謝蕪村(よさ・ぶそん)1716〜1783年。江戸時代中期の俳人・画家。昨年の4…ameblo.jp岡崎弥保HP「言の葉」ブログ「言の葉つむぎ」
3月22日に道後温泉にある玉泉堂本舗で予約しないと購入できない温泉煎餅が入手できました。道後温泉の玉泉堂本舗です玉泉堂は明治15年創業で、正岡子規が松山中学(現松山東高校)在学中に開店したことになります。正岡子規の随筆では玉泉堂の煎餅を食べている場面が出てきます。趣のある店ですが、少し入りにくいです。温泉煎餅の入っている缶です温泉煎餅は予約して入手するに1月かかると言われていますが、私は10日で買うことができました。温泉煎餅です。50枚入りです缶からは取り出してみると地味な煎餅が出て
スターが現れる夢のアトラクション!!ピコ太郎(大久保佳代子)和田アキ子(オードリー春日)シザーハンズアンガールズ田中勝新太郎・中村玉緒夫妻(アルコアンドピース平子&横澤夏子)釣りバカ日誌(タイムマシーン3号)キン肉マンの超人(トレエンたかし・やさしい雨松崎・あばれる君・パンサー尾形)ザ・ブルーハーツ(三四郎相田・とにかく明るい安村・アンガールズ田中・ライス田所)
夏目漱石と正岡子規は畏友と呼び合うほどの友人だったという。子規の作風は、「写生」と呼ばれるように絵画を感じさせるものが多い。子規の一番有名な句は「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」漱石も俳句を詠み、絵画的というより戯画的なウィットに富んだものが多い。たとえば、春の句で、「ちとやすめ張子の虎も春の雨」や「恋猫や主人は心地例ならず」などの句があり、おしなべて彼の句は滑稽。もともと、俳句は軽妙さや滑稽を短い言葉で表現するものだった。芭蕉の句も、とり方によっては、その背後に滑
このごろ、俳句が少ぉぉしだけ身近に感じられておりまして。といっても夏休み突入の我が家は「ブラジャー買おかな」「ほんまに買えよ」かにキムチ黒岩徳将『天の川銀河発電所』おおむねこう。遊ぶか寝るかおかしな話ばかりの息子とガチャガチャした毎日です。『俳句部、はじめました』神野沙希タイトルに惹かれて手に取りました。中学生むけの俳句入門書です。作者の神野沙希さんは俳句甲子園がきっかけで俳人に。学校の試験過ぎたる昼寝哉正岡子規いくつかの句を息子に見せると、へー。正
ガイドブックに載っていない松山道後の違った楽しみ方、『道後温泉(裏)観光ガイド』。第1回目は明治時代より、「松ヶ枝遊郭(まつがえゆうかく)」として賑わっていた「宝厳寺(ほうごんじ)」前の通りです。いきなりアングラな話からのスタートです。「遊郭街」とは女郎屋が集まった地域のこと。大ヒットアニメ『鬼滅の刃』で、「吉原遊廓」の名が広まったので、ご存知かもしれませんね。「吉原遊廓」とは江戸幕府によって公認された風俗街のような場所です。遊女(ゆう
2022.5.16一日一季語柿の花(かきのはな)【夏―植物―初夏】そこまでのつもりの素顔柿の花頓所友枝柿の花言葉の1つに「自然の美しさ」という言葉があります。ありのままで気取っていない人に贈ると良い花言葉だという。作者としては、普段なら、人前に出るには、女性らしさを保っている。しかし、人には会わない、ちょっとそこまで手紙をポストに投函するといった、外出だったのでしょう。この句からは、気取らない、ありのままでも人に恥じることのない、気品さえも感じます。⇒画像
桜の花が咲く春は、新しい出会いや別れ、そして人々の心を動かす季節です。そんな桜にまつわる名言・格言を集めました。この記事では、桜に関する名言を10選ご紹介します。これらの名言に共通するのは、桜の美しさや儚さ、そして春の喜びを表現していることです。目次太宰治の名言与謝野晶子の格言芥川龍之介の名言松尾芭蕉の句橋本多佳子の詩高杉晋作の言葉林芙美子の名言正岡子規の句夏目漱石の格言釈迦の言葉1.太宰治の名言私はどんなに悲しい時でも、桜の花を見ると、もう、その悲しみを忘れてしまい
小林正観さんの心に響く言葉より…「輪廻転生」は「義務である」とお伝えしました。「魂」は生まれ変わりを重ねながら成長していきますが、「魂」が成長できるのは、「肉体を持ったときだけ」のようです。なぜか。「魂」だけで過ごしているときは、「事件」が起きないからです。「魂」は、300年~400年に一度、肉体を持って生まれ変わりますが、肉体がある分、さまざまな制約や事件にさらされます。「食べなくっちゃいけない」「飲まなくっちゃいけない」「お風呂に入らなくっちゃいけない
べた凪。ちょっと寒い。水温も上昇し乗っ込み近し。朝はこんな・・・数匹がチェイスして来ることも・・・が、なかなか釣れない・・それでも、こんなのが2匹こんなのも4匹本命は来ましたロクマルロクマルを前に置くとこんな感じヨンマルを追加したのでレイアウト変更俎板に鱗ちらしく桜鯛(正岡子規)水温が上がり良い感じですね。
さて、旅の続きです。『坂の上の雲ミュージアム』を出た私は、気になるあの建物へと足を運びました。そう、木の上から屋根の辺りがちらっと見えていた萬翠荘(ばんすいそう)です。『ばんすいそう』と打って予測変換すると『晩吹奏』になってしまって変換面倒くさいな・・・と密かに今思っております・・・。それにしても、素敵な建物ですよね。『坂の上の雲ミュージアム』を出た所で声をかけてくださったボランティアガイドさんと一緒に入りました。この建物、1階だけなら無料で拝観できるそうですが、折角なので2
伊勢土産の定番・赤福餅の包装紙に記されている正岡子規(1867~1902)の俳句「到来の赤福餅や伊勢の春」が資料研究で出所不明となっていることがわかり、赤福本店が情報提供を求めている。弟子の山本匂玉が病床の子規に故郷の赤福餅を贈った時に詠まれたと伝えられる句だが、健康な頃の子規に伊勢参りをした記録がないためだ。赤福は伊勢内宮への五十鈴川の参道に店を江戸時代から店を出し、近代に名声を築いた。伝統を強調するために、包装紙の裏側に件の子規の俳句と高浜虚子の「旅は春赤福餅の店に立つ」の二句
今回のぶらり散歩は、「椿神社」です。地元では、「お椿さん」とか「椿さん」と呼ばれています。「椿神社」は、4つの神(伊豫豆比古命(いよずひこのみこと)・伊豫豆比売命(いよずひめのみこと)・伊与主命(いよぬしのみこと)・愛比売命(えひめのみこと))が祀られていて、そのなかの「えひめのみこと」という名前から「愛媛県(えひめけん)」という県名がつけられたそうです。そして、神様の名前が県名になっているのは、愛媛県だけだそうです。全然関係ありませんが、自分の奥さんも「奈美」という名前なんですが、こ