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朝からパニック発作がすごすぎて娘の元に着くか心配でまた発作で病院の敷地内に着いたら少し落ち着きインターホン(´-ω-)σピンポーン♪裏口から入るんだけど娘が下痢の感染症が完治するまでは部屋に直通の窓?から入って欲しいと言われ場所移動してやっと愛する我が子の元へ(߹ᯅ߹)この前は不安そうだったけど今日は大好きなアンパンマンをちょうど見ていて病棟担当師長さんが来て色々と謝罪をしてくれたので謝罪はいらないから情報共有や不安にならない対応をしてくだされば
日々会えない寂しさを掃除に向けて断捨離中今の自分に必要か?と考えて整理とても気持ちよく断捨離できる(`・ω・´)毎度の事ながらアルバムや手紙が出てくると涙で掃除がすすまない←そして自分が今まで生きた人生を作文にするコンクールを旦那さんが見つけてきたので今それを毎日書いてる私の生きた人生原稿用紙50枚以上いるらしく5月末が締切娘もきっとリハビリ頑張ってるからママも執筆をがんばろうかなと作文にしていると当時がフラッシュバックしてなかなか書けない時が多々あるんだ
なんだかやっぱりパニック発作が前より頻繁(›´ω`‹)ゆずはストレスにいいらしいので環境が変わって慣れないのは娘もママも同じだね
⚠︎私の娘の治療記録になります2023.7月発症40度前後の高熱が続く7/30ステロイドパルス療法開始8/8ステロイドパルスの副作用により敗血症性ショック、気管挿管、人工呼吸器管理、ステロイドパルス2クール目にて中止8/10血漿交換療法消化管出血の副作用合併により2日目に中断(十二指腸、胃、食道の出血多量)8/25気管切開術10/17リツキシマブ週一回4クール副作用なしで無事終わる11/28右卵巣奇形腫摘出術(良性だった為婦人科のフ
早朝からソワソワして目が覚めたママついに転院の日が9時前に病室に行くとすやすや寝てる愛しい娘本当によく頑張ってくれた(߹ᯅ߹)たくさんたくさんありがとうを娘に伝えてたらコンコンっ看護助手さんがお母さん転院よかったですね、でも寂しくなるぅー(߹ᯅ߹)と泣いちゃってたくさん手浴のお湯もらったり世間話したりお世話になりましたと感謝を伝えて2人であぐあぐ:(´⊃ω⊂`):え退院準備してストレッチャーに乗せたら娘はストレッチャー気にいったみたいでイビキかき
【4/19救急病院救命救急センターに入院】意識障害、39℃を超える高熱、時々手足の痙攣、顔の不随意運動が見られ、刺激に対しての反応がない。神経内科の先生から説明がある。『脳のCTとMRI検査では、異常は見られなかった。全身のCT検査で、右卵巣に腫瘍が認められた。精神症状から意識障害に移行したことなどから、自己免疫性脳炎(抗NMDA受容体脳炎)という病気を考えている。治療方法は腫瘍の切除と免疫療法(免疫グロブリン大量療法、ステロイドパルス療法)になる』→若年女性が多い、自己免疫性脳炎(抗NM
娘は12歳になるまで特段大きな病気もせず発熱しても半日で毎回解熱していた娘自閉症もあるけど天真爛漫でダンスが大好き最近やっとご飯くださいおなかすいたとか2語文を話し出していてゆっくりだけど成長している姿にママは嬉しかったこの日昼過ぎに学校から娘が嘔吐したと連絡がありすぐ駆けつけた嘔吐自体あまりしない子なのでどうしたのだろうと心配しながら到着ぐっすり寝ていたのでこのまま収まるかなと思ってたけど嘔吐が続き近くの病院へ「熱中症ですね」と診断吐き気どめを処方されて帰宅途
年間パスポートを前回買いましてまたまた水族館息子は水族館で1番エイが好きなのでずっと2時間エイを触りまくりビッチャビチャになり着替えが無かったのでクソ高いエイのTシャツを買いお着替えおっきなエイのぬいぐるみもGET(*˙ω˙*)وグッ!甘やかしな気もするけれど娘がリハビリ病院に転院するまでのこの10ヶ月たくさん我慢させてしまった先週と今週たくさん貢がせていただいので次からはお土産屋さんは1000円までにしてもらおうエイもにんまり
8年前の5月の嬉しいニュースと現在進行形の嬉しいニュースを一気にお知らせします。まずは、近日の嬉しいニュースは、高次脳機能障害『解体新書』の書籍を、長女の高校の担任の先生に【長女の取り扱い説明書】として目を通して頂くチャンスができたと、数日前のblogで発信していたのですが…。その書籍には、高次脳機能障害の困り事や対処方法がイラストも混ぜて理解しやすく書かれていた。さらにそこの各ページに、長女のケースを付箋でメモを添付して置いた。(書籍の一部をお借りしました。)担任の先生から
朝から電話が初めて話す看護師さん声色からしてベテランさんかなーCDトキシンという下痢の感染症なうな娘の衣類を病棟の洗濯機でワイドハイターにつけて洗ってくれてるらしく青い服が色が落ちてピンクになってしまいましてとの連絡だったワイドハイターじゃなくてハイター使ったんじゃ?wと思ったけど服の色落ちくらいでガタガタ言う人間ではないので週末の面会時色が落ちたのは持って帰りますよと返事をしたら着る分には使えますがというので使えるのはわかるけど色がまだらに落ちた服を娘に着せるの
注入から少しずつやわらかいPGソフトとかいう半固形の物を胃ろうにいれたり昨日からペースト食をお腹から食べさせてくれていて便が少しずつ改善されてお尻のびらんもよくなってきたようでベッドサイドリハビリが始まったみたい(߹ᯅ߹)♡ただ昨日は嘔吐があったみたいだから心配施設ではDVDアンパンマンみたり笑顔も出だしたみたいなので少し慣れてきたのかな?とはいえ知らない人ばかりだから寂しいだろうなママはかなり寂しい←本格的なリハビリが出来だしたら平日のリハビリの時間に1時
抗NMDA受容体脳炎とはNMDA受容体を介する自己免疫機序によって生じる脳の炎症性疾患症状として記憶障害、傾眠、人格変化、てんかん発作、意識障害等が現れる。従来の急性期の治療①ステロイド療法(点滴②免疫グロブリン療法(点滴③血漿交換療法(ICUにて透析の機械をつかう)第一選択として①〜③が世界的に推奨されている。軽症患者の場合①が効いて回復する場合がある。①〜③をしても効果が乏しい場合次の段階を考える必要がある「リツキシマブによる治療」リツキシマブは免疫を司るB細胞とい
お久しぶりです。つい最近、ついに三十路に突入しました!!不思議の国のありさです♡そろそろ、もう不思議の国の住人では無くなってきたような??ほぼ完全に普通の人に戻ったような気がしています。笑っ仕事もプライベートも充実した日々を過ごしています♡30歳いいスタートダッシュがきれました♪最近の出来事でいうと、入院&通院していたリハビリ病院の臨床心理の先生からご依頼いただき、グループ活動の時間に、OBとして私の経験談をお話しさせていただきました。今となっては、病気だった頃のことを思い出す機会
2016年5月の目覚ましい回復の振り返り投稿です。この先数日間、振り返り投稿になります。(2017年のblogの5月は、発病当初を振り返り発信しているのが数回ある事が私も確認できた)8年前の5月は私にとっては、毎日が奇跡の連続でした。寝た切りで目もほとんど開けず、静かな病室で長女の寝顔をただただ見つめてた。寝た切り宣告を受けてから50日経過した頃。急性期病院からの転院を促され、リハビリする病院も見出だせない、在宅介護と通院リハビリを説明されてたっけ⁉️。寝た切りの8歳の長女と4才の次女がいる生
こんにちは😃私は長かった入院のときの病名みんなに伝えるはしてなかった。わたし自身も、あんまりこの病気自体を、まだ理解がしてなくて。自己免疫性脳炎、抗NMDA受容体脳炎というのになったです。どっちでよぶのかな?。どっちも言われるです。とにかく脳炎と言われてて、。説明としては、若い女の子におおくなるらしいです。卵巣を手術になる人もいるみたいだけど、私は大丈夫でした、それはママから聞いたです。ちりょうは、ちんせいざいで眠らせられての治療をうけてたです。きかんそうかん、気管切開、ほか
ふぅ病院からLINEがきて娘が嘔吐したことや一日の様子を教えてくれたのはいいんだけど個別支援計画立てたいのでお母さんと娘さんの希望教えてくださいときて、、ん?LINEで?午前中電話してきた看護師さんはなにもいってなかったけどなぁせめて面会時行った時直接聞いたりとか無理なら電話でとかならわかるけどLINEでのスタンスはちょっとなぁ一応返事は個別支援の要望はLINEでやり取りですか?お忙しいかとは思いますが大事な要項だと思うのでLINEではなく面会時などにすべきかと
私たちが沙希さんと出会ったのは、このアメブロでした。沙希さんは、抗NMDA受容体脳炎とは何か?高次脳機能障害とは何か?わからないことだらけでした。だけど、沙希さんは前に向かって歩み続けました。ヘルプマークの普及啓発活動も、こんなに頑張っています。あなたの声がチカラになります多目的トイレにヘルプマークの掲示を!www.change.orgまた、風神雷神さんのグループLINEでも、高次脳機能障害のことをわかりやすく、伝えてくれています。出会った頃より、ものすごく、回
もやもやもやもやもや(・・*悩)。。oOふぅーε-(´Д`;)聞いた方が早いなとなり←朝早くまた課長に電話で確認個別支援計画をLINEで聞かれたのですがちょっとLINEの使い方間違えてませんか?と尋ねた所仕事をしていて電話に出れない面会に基本こないとか家族の方からLINEでやり取りしたい場合はLINEで大事なこともやり取りせざるを得ないけど新規入院の方に関しては対面で聞き取りにしてるはずだが長期継続入所の方が多いので職員の認識がズレていたのかもしれないすみません
病院に到着してパパと息子も無事合流すぐにMRIと骨髄液を検査したいと話がありすでに夜中の3時を回っていて何日も寝ていなかったせいか気づいたら寝ていて何時間も経っていてパパが先生の話を聞いていた娘が辛い中検査しているのに寝てしまった自分を責めた体が大きいから骨髄液が取れず再チャレンジしたいと話があり承諾してなんでこんなことになったんだろうと20日の体調崩してからのことを何度も振り返ってみるも早め早めに受診を繰り返していたし出来得る検査も全てしていただいていたので一体何の病気なんだ
次の治療が自己免疫攻撃型の工場を壊す治療の為同時に免疫を補うグロブリンという点滴をしたいとアレルギーが出るか試していたもののアレルギーが出てしまい投与中止明日違うタイプのを試す予定だったけどいきなり病院から電話ウトウトしてたけど飛び起きたびっくりして起きたから肩をいためた(›´ω`‹)免疫グロブリン投与中止していたが19時半に嘔吐してから血圧が下がり上がらず尿に不純物も見つかり敗血症にまたなった可能性がありますと連絡ただ処置をして血圧は今のところ安定しているので敗血症の
勾玉作りがかなりママ疲れたようであれからダウン_(:3⌒゙)_娘が泣いているならどうにか行かねばと思っていたけれど先に旦那さんが行ってくれ落ち着いているとのことで今日は付き添いをお願いすることに:(´⊃ω⊂`):死んだように3時間爆睡したらママ今生き返った転院にいる物半分しかまだ揃えれてない間に合う気がしない!wそしてふとした時になぜ我が子は最終治療までせねばならないくらい重症化したんだろうかと考えても正解は無いけれど悩む時がある大体の方は第1療法のステロイド
発熱が続き嘔吐もなかなか良くならず20日から夜間救急に2回行って点滴をして深夜帰宅が続き3回目の夜間救急で尿から少量のバイ菌検出腎盂腎炎の可能性が出てきたのでこのまま入院しましょうとなり入院入院時には症状は発熱のみ(39〜40度)で病院食も完食するしいろんな検査をするも決定的なものは出ずでなんで熱が下がらないんだろうと医師と話しながら点滴と解熱剤で様子を見ましょうと弟と私と娘、3人で個室へ入院悪いことは重なるもので2日目に弟がクループ症候群になり呼吸があまりできなかったんだ
【8年越しの花嫁】今度の土曜日TVでやるみたいですね(^^)映画館で観た時とはまた違った感覚で観れるかな??DVD買ったけど、なんかツラくなっちゃいそうで、まだ観てない。。笑っ私は2年越しだけど、病気になったときはもうずっと昔のことのように感じる。時が経つのは早いな。。確実に私、日々進化してると思う今日この頃。仕事でも上司に褒められることも増えて、自信に繋がっていってる♡病気になったことがマイナスにならずにプラスになっていく人生を歩みたい!!
あれから朝まで心配で寝れず電話はなかったので容体は大丈夫だったのだろうなと考えていたら主治医から電話☎️昨日の血圧低下は午前中免疫グロブリンで薬疹が出てすぐ中止していたが昨日遅れてアレルギー反応が強く出た可能性もあるし感染症の疑いがでてきたのでそれかもしれないとのことだった。昨日夜間連絡してくれた医師は敗血症の疑いだと言っていたが?と問うと敗血症も含めて今一度精査する必要があるとのことでこちらとしては医師によって伝え方のニュアンスの差がかなりあるので不安だと告げた娘の主治
面会してきました入院時汗かきの娘なのでタオルケットを用意して行ったけど施設にあると言うのでお願いしていたけれどタオルケットでなく薄い毛布顔は暑いようで赤みを帯びてママはまずタオルケットじゃないやん、、とガックシ○| ̄|_時間ピッタリに終了を告げられ状態を聞くも担当がいないから詳しく分からないと異常がある時は連絡するけどそれ以外の今週はこうだったとかの情報共有は基本ないと言われむむむでも病院に入院したてのときもこちらが聞かねば答えてくれずだったからこれから職員
無事道中吐くこともなく転院先へ娘は先に部屋に入ったと言われママ達は契約やらお話聞き取りをしたんだけどこれが長かったー5時間くらい手続きかかった療育センターの中にある療養型リハビリ施設に入院という形になったの色んな意味で安心特性のある子達のスペシャリストさん達がいるから娘にとっても大学病院よりはかなり環境が過ごしやすいと思う話し合いが始まる前に聞きなれた声がおかぁさぁぁぁぁん!って以前療育センターで作業療法を担当してくれてた先生カルテ見て胸が張り裂けそうになっ
はじめまして✩.*˚ご覧頂きありがとうございます!このブログは娘(12)の闘病ブログにさせて頂きたいと思います。2007年から治療が確立されてきたらしくいまだに症例は少ない病気になるようです。これから同じ病気に御家族が確定診断を受けた方の小さな光になれたらなと思いはじめることにしました。素直にその時その時の気持ちを書き記していきたいと思います。
治療記録まとめを先生からいただいたので次の記事にほぼそのまま転載したいと思います。娘は重症化の重い方になります。元々重度知的自閉症がありますのでコミュニケーションに至っては知的がない方とは比べようが無いかもしれませんが誰かの参考になれば幸いです。
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みんなの回答を見る久しぶりにまた病気のことを振り返ってみようかなと思います。抗NMDA受容体脳炎という珍しい病気になって3ヶ月意識が無くなり、目覚めてからもう4年が経ちました。当時のことはまったく覚えていないけれど、今に至るまでの経緯は、記憶に蓋をしたいくらい辛いこともたくさんありました。でも、こうして元気に元通りの生活に戻れたことは、たくさんの人の助けと自分の頑張りがあってのことなので、全ての記憶をまっさらにはせずに、きちんと覚えておきたいなとも思います。意識が戻らない可能性、障害が