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1歳1ヶ月風邪から急性脳症になりました急性期の経過はこちらからどうぞ病院を(勝手に)転院しまして、てんかんに詳しい方のいる子ども医療センターを選びました前の病院は完全に切るのではなくこれからも診断書や諸々お願いしたいと思ってるので、脳症後のフォローと体重増加不良を診てもらうことに転院した理由は色々あるのですが、大雑把にいうと家族の勧めもあり1番は専門医がいる場所で見てもらおうと思い決断!・音で1日70回くらいびっくりしてる・音で誘発されて一瞬頭がガクンと落ちる(数回)と
こんにちはあしかりあずさです息子は生後7ヶ月の頃に大きな病気をしたことで、重度の障害児になりましたある日突然息子が重症心身障害児に!息子からおそわったこと、学んだこと、息子の頑張りなどなど、障害児との暮らしをブログにしています息子の病気発症からICUに入るまでのこと集中治療室でわかった息子の病気息子が集中治療室にいる間あえて私がしなかったこと集中治療室にいる息子のために私がしたことICU5日目に体験した神社での不思議なこと2020年1月11日土曜日ハルマお誕生日♡おかげ
やはり、休日に家で一日中ちいといるのはキツイですね。昨日は朝からあまりにわがまま、理不尽、一瞬たりともゆっくりさせてもらえなくて、ずっと私の服を引っ張ってどこかに連れて行こうとする(たいていお菓子のある戸棚か2階)、要望通りにしてもすぐ覆され、ソファで休もうとしているところを目のあたり2回叩かれて(これより前にも何回もいろんなところ叩かれています)かなり痛くてつい一度キレてしまいました。キレて2階に閉じこもっている間、夫がまあなんとかなだめていたけど、そのうちやっぱりちいがギャーギャー騒ぎ始
こんにちはあしかりあずさです息子は生後7ヶ月の頃に大きな病気をしたことで、重度の障害児になりましたある日突然息子が重症心身障害児に!息子からおそわったこと、学んだこと、息子の頑張りなどなど、障害児との暮らしをブログにしていますある日突然、急性脳症という病気になり…息子の場合は何万人かに1人の割合でしかみられない、かなり重篤な症例でした。急性脳症だけでなく、急性心筋炎に腎不全。他の臓器もギリギリ機能している状態。つまり、多臓器不全寸前…。手足には血が通わず、自力で呼吸もできない
こんにちはあしかりあずさです息子は生後7ヶ月の頃に大きな病気をしたことで、重度の障害児になりましたある日突然息子が重症心身障害児に!息子からおそわったこと、学んだこと、息子の頑張りなどなど、障害児との暮らしをブログにしています病気発症から救急搬送→ICUの家族控室で待機するところまでのブログはこちらです第1話息子の病気発症からICUに入るまでのことICUに入った日のことはこちらです第2話集中治療室でわかった息子の病気買い物を済ませ、真っ先にはるまの顔を見に行く。何も変化はない
2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子病後5年・8歳、特別支援学校小学部3年生です笑顔で元気をモットーに頑張りますまとめ記事急性期治療編★回復期リハビリ入院編★就学相談編★支援級→支援学校転入編★楽しかった連休も終わり、今日から子どもたちは学校昨日は早めに寝かせて、無事に元気に登校していきました。連休中はずっと休みならいいのにと思ったけど、いつもの生活に戻るとホッとします連休後半の記録平日の3日間のうち1日は息子の
ちいが2度目の急性脳症にかかったときのことについて、少し過去に遡って書いています。だいぶ長くなってきてしまいました…。一般病棟に移ってからは、もう少し割愛します。最初から前回10日目。私は、ちいが発症した日からずっと仕事を休ませてもらっていたので、この日はなんとか行くことにしました。放置状態の仕事を処理したり、いつ復帰できるかわからないので引き継ぎのようなことをしたり。上司にちいのことを説明する時、つい涙が出てしまって、上司ももらい泣きしていました。(上司も似たような経験がある
タイチ、先月から週1で訪問入浴サービスを利用しています。和室のベッド横に設置してくれての入浴🛁我が家は、お湯はお風呂にためたのをポンプで引いて、ホースでお風呂の洗い場の排水口に流す方法でやってもらってます。本人は凄く気持ち良さそう🎵スタッフさんが来て準備や体調管理、入浴、着替え、片付けまでで1時間弱。手際よくささっとこなして帰られます。毎日何軒も回ってるんだもんな~。看護師さんも来てくれてケアもしてくれるのでありがたいです。老人の方入れるとなると、身長も体重ももっとあるだろうし大
1歳1ヶ月風邪から急性脳症になりました急性期の経過はこちらからどうぞお姉ちゃんはとにかく弟に触りたい!はじめは見た瞬間泣き喚いてたのに、今や息子くんが喋る泣く、手を動かすのに夢中になってますおもちゃ🧸と遊んでは息子の元へ定期巡回の日々wしかし、触りたいけど段差が超えられません笑娘の身体能力はおそらく生後6ヶ月ほど手を伸ばしては届かず…指を咥えて見ておりますwそんなこんなしてたらなんと段差を自力で登り始めた…何回滑ってもめげずに毎日毎日頑張ってました左側がうまく動
(息子が痙攣重積型《二相性》脳症と診断されたときの備忘録です)●2/1(金)もともと予約していた時間に病院へ行く。診察の前に採尿があったので、いつものようにコップをもらいトイレへ行く。これまではトイレに行き、「オシッコして」と言えば上手にできた息子。この日は「できない」と言った。お水を飲ませ、しばらく待ってもう一度トイレへ。3,4回繰り返したが採尿はできなかった。ただオシッコが出ないのではない。出せないんだ。そう思った。結局採尿は後回しにし、診察へ行くことになった。「さぁ
先日の診察でフェノバールをもう一段減らし、45ミリにすることになった。これで最初の量から半分になる。発作の頻度はこれまでと大きく変わらず。妻も意識して午前午後と休憩を取ってくれている。このまま順調に減らせますように。
あれからずっと私は今まで感じた事の無い『痛み』の中にいます。泣いては笑って笑っては泣いての繰り返し。そんな心の置き所に嫌気もさしてきた頃…長女のお友達ママからのメッセージ…7年ほど前からまさかの読者さんでした…そして涙がまた止まらなかった…「自分をいじめないようにともう少し…と」あぁ輝空はママの『今』を見て案じてくれてるんだな…と。泣いても泣いても何一つ変わらない。でも労りながら前進しなくてはそのお友達ママのお手紙が余りにも琴線を震わせて私の鳩尾がとてつも
はじめましてあずさです過去にいろいろと模索し、迷走した時期もありましたが…恥ずかしいけど、それも私なので、そのままこのアカウントで書き綴っていこうと思いますついに、今スグできることから行動していこう!と、ヤル気スイッチが入りました以前からやりたいことが明確にはなっていたものの…動いていなかったヤル気スイッチがカチッと入るまで、約2年かかってしまいました(笑)私がやりたいこと。それは…息子から学び、息子と経験したことを、多くの方に伝えること!私の息子はある日突然、本当になんの前触
…というものに行ってきました!障害のある子もない子も楽しめるようにという公園らしいです。(残念ながら期間限定なのですが…アンケートによっては、本格導入されるかもしれません)例えば、ブランコは普通のと、肩ベルト付きのがあります。滑り台は広めで緩やかなものもあります。広めなのは、滑ってすぐ避けられない子がいても、次の子が空いている部分で滑られるようにということみたいです。ちいはブランコが特にお気に入りだったのですが、次に乗りたい子が待っているときは、ある程度乗ったらバトンタッチしないとい
2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子特別支援学級で一年間過ごし、2年生から特別支援学校に転入しました病後5年、7歳笑顔で元気をモットーに頑張りますまとめ記事急性期治療編★回復期リハビリ入院編★就学相談編★支援級→支援学校転入編★痙攣重積型(二相性)急性脳症の発症から5年。もうすぐ8歳の息子『ブログを書く理由』2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子特別支援学級で一年間過ごし、2年生
医師からの説明では、「身体的な動きは期間をかけて回復する傾向にあるが、知的な部分では伸び悩みがちです」と。診断後、「急性脳症」の検索などはしばらく出来なかった。子供はまだ成長段階にいるんだから"こうなんだ..."と決められたくなかったし、目の前の息子をみて理解していきたいという想いもあった。それに私達が応えて支えて、色々なことを思い出して欲しいって気持ちでいた。診断の次の日、ステロイドパルス療法が始まった。相変わらず痙攣?と心配な動き・視線の上手・手のふるえ・口をもぐもぐ
子どもたちが朝からアートスクールへ🎨桜の写真を沢山撮ってきてくれましたスマホやテレビを観てケラケラコロコロ笑う声。レゴに夢中になる横顔。学年が上がれば上がるほどやらなくてはならない事も増えてきて、サポートする側は「早く切り上げて取り掛かって」となる時もあるけれど。我が子を失った私からしたらこの声に、横顔も…失ってみれば恋しくて。何もいらないからほらまたテレビを観て笑ってよ…かわいい笑い声を聴きたいよ…と縋りつきたくなる。だから私にとって家族の全てが大事でかけがえ
こんにちはあしかりあずさです息子は生後7ヶ月の頃に大きな病気をしたことで、重度の障害児になりました。息子からおそわったこと、学んだこと、息子の頑張りなどなど、障害児との暮らしをブログにしていますある日突然息子が重症心身障害児に!息子の病気発症からICUに入るまでのこと集中治療室でわかった息子の病気集中治療室にいる間、あえて私がしなかったことあけましておめでとうございます。昨年の終わりがけから、ゆるゆるとはじめたこのブログ。多いときは20万PVをこえ…たくさんの方に読んでいた
痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子。現在5歳、年長さんです。現在就活中(就学相談活動中)息子の就学準備①教育支援説明会息子の就学準備②特別支援学校の説明会息子の就学準備③特別支援学級の見学息子の就学準備④就学相談(1回目)息子の就学準備⑤就学相談(2回目)息子の就学準備⑥放課後デイサービス見学[2]息子の就学準備⑦娘と同じ学童はどうなのか息子の就学準備⑧就学前検診放デイ見学[1]が消えてしまいました…就学相談の判定が出たので来庁し
年末年始から2カ月間ばぁば休業した後、孫娘の自宅に戻ると家がまあまあ大変なことになっていて…まあ、それはとりあえず置いといて…孫娘、ばぁばが休業中の1月下旬に今まで全くなかった意識のある短い新しい発作が出現し、2月にも数回、孫娘の元に戻った3月の初旬には学校や自宅で毎日のように起こる『いきなり怯えた顔で強ばったままこちらにしがみついて来る』その発作に初めて遭遇した時には、ばぁばも本当に驚きました大体は意識もあり短いのでそのまま何事もなかったかのように直前の動作に戻りますが、
ちいが2度目の急性脳症にかかったときのことについて、少し過去に遡って書いています。最初から前回入院5日目の朝、電話があり、ちいは一般病棟に移ることになりました。一般病棟の病室で待っているとちいが運ばれてきましたが、目を開けたものの焦点が合っていないし、手足もあまり動かさないのでとても心配でした。声をかけていたら少し目線をよこした気がしましたが、やはりボーッとしています。目線は右に偏っていました。右足はくすぐるとぴくっとするけれど、左足はしないようでした。熱は37度台になっていまし
1歳1ヶ月風邪で急性脳症になりました。急性期の経過はこちらからどうぞ最近は週4療育に外来リハ、診察と中々忙しない日々を送ってます身体手帳の更新があって1級のまま変わらず、次の更新は五年後になりました!相変わらず左腕が中々思うように動かないので座位の姿勢が取れず一人座り出来ないです手首と指先は特に問題なく動くのですが、肩と肘が硬いままなので自分から肘を伸ばすっていう事が出来ないようですリハビリあるのみずり這いはすこーしずつ進む距離が伸びて、困った時はママと言ったり、ご飯
3.11というと、みんな震災を想うのだと思うんだけど。息子と私にとっては、別の想いを馳せる日だ。3.11は、息子の、もう一つの誕生日。書こう書こうと思いながら、まだ書けなくて、今日もまだうまく言語化できる自信がないんやけど。10年という節目だから、少し書いてみようと思う。10年前の3.11。まだ1歳4ヶ月だった息子がなんだか朝から食欲もないし、おかしいな、と思ったら、40度を超える高熱に。急いで近くの小児科に連れていくと、先生が、なんだか様子がおかしいから
発症から1ヶ月との比較です発症から2ヶ月(退院時)・喜怒哀楽→あやすと声を出して笑うようになった目が合うとニコ相変わらずすごい泣く笑ったのは発症して1ヶ月2日目頃声を出して笑ったのは発症から1ヶ月7日目恐らくですが、強い抗痙攣薬を大量に使っていてその血中濃度が0になったタイミングで感情が豊かになった気がします・嚥下→鼻管抜けたミルクは時折咽せる離乳食よく食べる(7〜8ヶ月くらい)先生が予想以上の嚥下回復スピードに吃驚してました何が何でも飯を食いたいという意志を感じる・
発症から約7ヶ月の状態です現在、1歳8ヶ月(脳症は1歳1ヶ月発症)身体面→娘は急性脳症後に「痙性四肢麻痺」の診断あり病後すぐに申請した身体障害者手帳は1級右足は今回の入院前の軽い検査で麻痺なしですが、左足は麻痺ありと言われました2週間4回目のリハビリ入院をして、先日再度左足をチェックして貰ったら「左足も麻痺の反応なし」との事でした麻痺ってなくなるの…?とびっくりしましたが、なくなってました…不随意運動はほぼ消失しているように感じます(主観)病後半年までが回復目安と言われてい
まずは、病気発症から順を追って、息子の様子や、心境などをアップしていこうと思います突然、急性脳症という病気になり…息子の場合は何万人かに1人の割合でしかみられない、かなり重篤な症例でした。急性脳症だけでなく、急性心筋炎に腎不全。他の臓器もギリギリ機能している状態。手足には血が通わず、自力で呼吸もできない。何度も危ないときを繰り返しながら、約1週間ICUで過ごしました。約1週間で一般病棟にうつれた息子の体力にびっくり(笑)今日は救急車で病院に着いてから、ICUの家族控室に案内されるとこ
娘は2023年4月夜に発熱し痙攣を起こしました。熱性痙攣だと思いましたが、痙攣後に意識朦朧としていたため市民病院へ入院しました。入院中熱が下がり意識の具合も良くなってきた頃、再度痙攣を起こしました。この時に市民病院の主治医から県立病院への転院を勧められ、県立病院のPICUに入院しました。なかなか発作が止まらず、抗てんかん薬を2種類使い痙攣を止める事ができました。3日間意識がありませんでしたが、その後意識が回復しました。「意識が戻りました。短時間だけど特別に面談ができます。」と病院から
ちいが2度目の急性脳症にかかったときのことについて、少し過去に遡って書いています。最初から前回入院7日目。ちいはずっと眠っています。熱は37度台をうろうろしていて、呼吸は落ち着いているもののたんがまだ多いようでした。もともと便秘気味でしたが、入院してから便がずっと出ていないので心配です。面会から帰宅したら、義母がわざわざお守りを届けてくれていました。(義母の家は車で1時間ほどです)入院8日目。面会時間前に家でうとうとしていたら、家族で電車に乗って旅行する夢を見ました。また行
バタバタしてまして、久々の投稿になりました😭次女ふうちゃんの脳症発症からの経緯ですが(^^)生後5か月の時、熱もないのに突然の痙攣が起こり、止まらず救急搬送となりました。病院についてからもなかなか止まらなかったと聞いています。原因不明、髄液検査も異常なし。頭部MRIも異常なし。ただ、脳の炎症は少し遅れてから画像に現れてくるので、一応脳を保護する薬の投与をはじめますという事でその日はICUへ、、💧その日は夜も眠れませんでしたが、次の日会いに行くとICUの外まで聞こえてくる、ふうち
ちいが1歳5ヶ月で、初めて急性脳症になったときのことを書いています。前回はこちら治療が進み、鎮静作用のある薬が減らされると、徐々に起きている時間も笑顔も増えてきました。ちいは、姉のたまが面会に来ると喜んでいました。6日目に母乳の許可が出ました。7日目、ガンマグロブリン療法が始まりました。不安があったので製剤のウイルス除去の方法など、いろいろ教えてもらいました。8日目にはプリンやヨーグルトなどの食べ物の許可が出ました。お腹が減っていたのか、あげるとペロリと完食しました。タマゴボウ