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「おいしい!」京都検定にはまる前から、今宮神社門前のあぶり餅は食べたいと思ってました。なのに行ってみたら臨時休業だったり、定休日だったりして、3度目の正直でようやく食べることができたのは、昨年の7月。シルバー女子の相棒と「千年の歴史のお餅を食べる!」と意気込んで行ったところ、平安時代からのお店「一和」(いちわ)は閉まっていて、江戸時代創業300年の歴史の「かざりや」が開いていました。はい、満足です。あぶった餅に甘い白みそのタレ。応仁の乱のときも活躍したというお餅を歴史と共に胃袋に。6
久美子(左)「あら、勉強してるの?」あすか(右)「今終わったとこ。学校で『応仁の乱』をやってるんだよ。これ大河ドラマになかなかならないねぇ」久美子「『応仁の乱』?アタシ去年やったかもだけど、覚えてないわ」あすか(右)「当時、室町幕府の将軍は8代目の足利義政だったんだけどね。将軍の補佐をする『三管領』ってのが斯波氏・細川氏・畠山氏の三家の守護大名だったんだ。その下に『四職』っていって山名氏・赤松氏・京極氏・一色氏の四家があった」あすか(右)「四職のうち山名氏の山名宗全は、6代将軍足
前回まで、上京と下京の主な建物と、室町期の京都で盛んに活動していた武将や宗教家と各宗徒、商人たちについて触れてきました。一回りしたところで、もうひとつ、この時期の京都の街の特徴として重要な施設についてお話しします。それは、「惣構」です。惣構(そうがまえ)とは、街を囲うように作られた堀や土塁・塀を指します。室町期、京の都市域は平安京の範囲を超えて北方向に拡張しました。その後、ごく限られた範囲が「惣
そうしゅうさいでございます。室町幕府推定再現ジオラマ完成!待ちに待った室町幕府再現模型が完成いたしました。制作期間は2ヶ月とイバラの長い道程でしたが…何とか無事満足できる作品として仕上がったのではないかと思っております。2ヶ月という長い制作過程を紹介致しまして、いつもこのブログを読んで頂きました読者の皆様には本当に感謝しております。皆様の応援あってこその自分自身のモチベーションを上げていく糧だと思っております。少しづつではありますが、周囲から過去の作品に対する反響も出始めておりまして