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「全部同じに見える」と話題の狂気ボドゲ「肉かるた」に新作前作の売上で焼肉を食べる↓その時食べた肉を撮影↓「肉かるた-焼肉-」として商品化←New!たくましい。■前作の収益で焼肉へ、その写真がゲームに見分け不能で話題の「肉かるた」新作登場https://t.co/sdGbBXNcT0pic.twitter.com/9n3CE5VkGr—おたくま経済新聞📰(@otakumatch)April25,2026簡単すぎるただ水を使うだけで、いつもの街が別世界みたい
本日も、豊臣秀吉公の命により聚楽第の造営(1588年/天正16年)のために上洛された島津の殿様に随行した流祖に、滞在期間は長くはありませんでしたが、源となる数本の太刀技を伝授下さった和尚様の月命日に、在京都の門人としてお参りさせていただきました。毎々のご紹介ですが、遣唐使が伝えたという、日本最古のお菓子「からいた」屋さん。お向かいの「上御霊神社」へ「応仁の乱勃発の地」の石碑が御本殿にお参りこの時節、多くの京都市内の神社では、お神輿の巡行・渡御が行われます。南門を出る
図説享徳の乱新視点・新解釈で明かす戦国最大の合戦クロニクル[黒田基樹]楽天市場戦国時代の始まりについて、応仁の乱ではなく享徳の乱起源説があります。鎌倉幕府や江戸幕府はその設立年を語呂合わせで覚えているのに、室町幕府については覚えていません。一休さんでお馴染みの、三代将軍義満やくじで選ばれた六代義教なんかは覚えているのに…。で、江戸幕府というか、家康の江戸城築城の際に太田道灌が出てくるのですが、山吹の花のエピソードしか知らなくて、温和なイメージの太田道灌が、かなりの好戦
おはようございます京都のkojiro(小次郎)です今日は2026年4月24日金曜日京都市内は今日も雲一つない真っ青な空を見ることはできそうにありません。京都観光にいらっしゃった方にとっては、京都市内の天気が良いか否かによって楽しさが大きく変わってしまうかもしれませんね。小次郎も旅行に出かけた際に、梅雨(雨季)でもないのに青空がまったく見ることができず「ガッカリ」したことが何度もあります…残念ながら旅行先のお天気は我々にはどうしようもないので諦めるしかないですね。
先月行った相国寺のちょうど裏辺り住宅街の一角でひっそり営業されてる淡海食堂キリンレモンの看板営業時間は18時半までだから暗くなったら電気つくのかな~外観ビジュの良さよこんなところにまで外国人観光客どうやって調べたんだろうね壁には誰が描いたのか夜の食堂の絵が飾られていますお品書きの札が~令和の京都でこのお値段素うどん350円とか種類が多くて迷いましたが五目そばにしてみましたこんなにたっぷり野菜が入ってて税込みたったの550円
去年、京都での桜🌸住んでいるところには桜はまだ咲いていないので…今年はまだ桜を見ていませんꕤ··················ꕤꕤ··················ꕤꕤ··················ꕤ去年の春は、息子の進学のため、家族でお引越しなどのお手伝いへ✈️あれから一年が経ったんだなぁ…北海道に比べてかなりの温度差がある、京都。…帰ってきた時の、北国の寒さが身に染みます😂夏の気温差は20度以上🤣春からの一年を振り返ると色々ありました。息子が家を出たこ
4月4日(土)、後で知りましたが、菜種梅雨季節のためか、1週間前から天気予報とにらめっこして、当日のまち歩きの時間帯は小雨になりそうと前日に予想して実施することにしました。当日開始直前(2、3時間前)の気象庁の詳細な天気予報によると午前11時30分まではポツポツ、それ以降終了予定の午後0時頃までパラパラ、午後からは本降りになって行く予報でした。こんな予報が1週間前からずっとでしたので、運営側としては、昨秋雨予報で延期したこともあり、本当に悩ましいものでしたが、まち歩き中は、ほとんどの時間帯、たま
もう少し、投稿しているイメージがあったのですが、この夢をテーマとしたブログは、おおよそ半年ぶりの投稿となりますその間も気になる夢を見ては、忘れないうちに、スマホのメモアプリに入力しているのですが、もう、10個以上、ネタが貯まっていました昨年は娘が生まれて、部屋こそ別にしてもらっていますが、ベビーモニターを設置し、夜な夜な娘の状態を監視しています早朝、その画面から娘の姿が見えなくなっていた時には飛び起きました(画面の外に消えるだけでなく、頭と足の位置が180度回転し、200度両足を開脚して
先日、西陣のエリアに個人的見解がある、と書きましたが、私が思う「西陣」はまさにこの辺だと思うのです(この辺じゃわからんよね)こんな感じで細い路地の向こうに町家が見えると、お~って思うその突き当りにあった町家の壁にこのようなプレートが・・・「世尊寺」って藤原行成ゆかり。行成の書は「世尊寺流」「景愛寺」は尼五山第一位、開山は無外如大尼(⇒本隆寺・千代野井)「大舎人座」は平安京朝廷所属の機織り集団なかなか面白い・・大きな町家もありましたその先に児童公園があって、銅像
常栄寺雪舟庭。瑠璃光寺五重塔と並んで、当県が誇る国の史跡です。今から500年ほど前、大内政弘の別荘として建てられ、雪舟により築庭されたと言われています。もうかれこれ半年近く前のことになってしまったんですが(汗)、ライトアップされると聞いて、行ってみました。実は、常栄寺には、雪舟庭の他にもう一つ、東福寺のお庭でも知られる重森三玲氏により作庭されたお庭があるんです。まずはそちらから。こんな感じです。そして、本堂を通って。今度は雪舟庭へ。雪舟庭は、お昼は本堂からはこんなふうに見えてる
令和8年1月11日は草野球チームの新ユニフォームを受け取るために御所の今出川グランドに行きました。この辺り中々来ないので、ついでに相国寺周辺を散策しました。まずは東周りから攻めました。本満寺ここには何故か山中鹿之介のお墓がありました。山中鹿之介は山陰地方の覇者尼子氏に支えた武将です。尼子氏が毛利元就に敗れ、滅亡した後、京都にて僧となっていた尼子勝久を還俗させ、旗頭にし尼子氏復興と山陰奪回を目指しました。織田信長配下になり、播磨の上月城をあてがわれ守備しました。しかし謀反した別所氏の三木城攻
・呉座さんの「応仁の乱」に再度かじりついている。少しはあたりが見えてきた気がする。中で、「なるほどね」と感じ入ったのは、1)興福寺の有力な塔頭の一乗院と大乗院の門主(もんす)の地位を巡って摂関家が激しく争った。摂関家(もともと藤原家だね)はまず近衛家と九条家に分裂し、後年、近衛家から鷹司家が、九条家から一条家と二条家が枝分かれした。これら摂関家が門主になれたのはいわゆる門跡寺院。何でもこの摂関家の出身者は、「貴種」とよばれ、摂関家より家格の落ちる清華家、名家出身の僧侶は「良家」、それ以外の出自の
おはようございます、京やの勝也です。室町時代後期京の都で11年にも及ぶ戦、「応仁の乱」がありました。東軍は細川勝元。西軍は山名宗全。宗全の西軍の陣地が、今の「西陣」です。現在でも京都の人の中では「まえの戦争では」というとき「第二次大戦」ではなく「応仁の乱」を指すときがあるそうです。(第二次大戦での被害がほとんどなかったため…)この戦で焼け野原となった都を復興させるはずの幕府は機能せず遅々として進みませんでした。疫病も流行り惨憺たる状況の中、町衆
同年輩のご夫婦が営まれる理髪店が、高齢のために店仕舞いをされるとのことで、最後の散髪をしていただくために、油小路仏光寺の交差点にあるお店へ。なかなか、京都の縦横の通の名前を暗記できず、辿り着くのに難儀し、お店の方に迎えに来ていただいてたりしてて、やっと暗記できたと思った途端で残念です。閉店日まで、長年のお客さんの予約がぎっしりで、名残を惜しむ時間もままにならず。跡は、息子さんが喫茶店を営まれるとのこと。幼い頃に、亡母が、「お前の右の額の上の髪がカールしてるところが良い
安心せよ!戦はもう終わったのじゃ!と、民の前でお金をばらまく秀吉団一向京の都は、応仁の乱以降荒れ果てており足利義昭を擁した、信長が京都を制圧再興を目指した一環として、これこそ本当のバラマキです笑美濃での楽市楽座など武功だけではない内政面でも、評価される信長公ですねそして将軍に謁見せよという命が、全国に戦国時代の豪華な役者たちが揃い踏みしましたよ高嶋政伸さん、鶴見辰吾さんトータス松本さん竹中直人さんは、元秀吉〜///美しく濃い皆さん^_^
応仁の乱は応仁元年(1467)〜文明9年(1477)まで起こった、日本全国を巻き込んだ最悪な内乱であった。事の起こりは、河内・紀伊の守護大名であった畠山家の跡目相続からであった。畠山義就(よしなり)と畠山政長との対立であった。将軍足利義政は、畠山政長に家督相続を許した。これに異を唱えたのが、畠山義就であった。江戸時代ならば、畠山家は確実に改易で義就は切腹か打首もあり得る大罪であった。何故なら公方様の最低に否を唱える者など、日本国内では存在しなかった。しかし、前回も書いたが、室町
・2018年に刊行された新書に第9章「豊臣兄弟と軍事」を(大河ドラマで話題に・・)加え、加筆修正も加えて再度発刊した・・というもの。前著を読んでないので、新鮮な気分で読みとおした。・「リアル」なので、現実の分析に光るものがある。何点か面白かった「分析」を紹介しよう。○戦争の三要素、(1)戦術、(2)戦略,(3)兵站がある。(3)まで気を配ったのは、信長ではなかったのか?(p.90)○文官、武官の力関係(pp.104-106)○(二頭政治が行われた時も)結局、軍事を握る人が天下人(p.
「お彼岸2日目」今日は、応仁の乱ですみなさんおはようございます彼岸の2日目ですご先祖様との会話を楽しんでいますかしっかりと声を聞いてあげてください(笑顔で)やや上を向く、弥生、3月子孫を想ってくださっている(笑顔で)「小川翔護とハタラク仲間たち(OHN)」ご参加いただいた皆様、いつもありがとうございます3月18日は応仁の乱の西軍の大将山名宗全が亡くなりました赤入道と言われるくらい気性が激しかったようですそして1
皆様、こんばんニャース🌆🌆🌆🌆🌆本日は大森町と東大島にてレッスン大森町のシェイプステップは若い女子がチャレンジ継続中このまま続けて平均年齢を下げてクレイジー常連メンバーは口々に!「やっぱさぁ~」「若いからキャッチ早いよね〜」「うちらも20代から踏んでれば」「完璧なんだよなー」とそこは負けおしみですか?とは言わずにですよね~と激しく同意しておいた。大森町の後は東大島にてオリジナルケアこちらも最近、新しい参加者も増えてるのでボールの追加を検討中正直、4
室町時代のナンバー2「管領(かんれい)」になれるのは「斯波氏」「畠山氏」「細川氏」の3つの家がありました。名付けて「三管」。室町時代のナンバー3「侍所所司」になれるのは「山名氏」「赤松氏」「京極氏」「一色氏」の4つの家がありました。人呼んで「四職」。「三管四職(さんかんししき)」の「信長が登場するまで」の歴史語りも、今回で7回目。最後は「一色氏」を、いつものように好き勝手に語り散らかして、このシリーズを〆たいと思います。一色氏は、「四職」の中で唯一の「足利
2026-02-28時代がタイムスリップしたような空気が流れてます建物の前にお花がさいていたのだけど、お天気が悪くてなかなかええ感じには撮れません入りまーす展示〜こちらも入ってみますん?鎌倉時代の?なかなか珍しいね京都だと、平安とか室町時代のが多いと思ったんだけど⋯とスタッフさんが、「こちらの品は珍しいので、普段は箱を被せてあるんです。時々しか見られないのですが、今日は見られるようにしてあるんです」あ〜やっぱり、珍しいんだぁ〜龍谷大学の持ってるお品なんだ⋯なかなかやりま
3月12日(木)石原比伊呂著『北朝の天皇「室町幕府に翻弄された皇統」の実像』中公新書2020年7月25日初版建武三年(一三三六)、京都を制圧した足利尊氏は新天皇を擁して幕府を開いた。後醍醐天皇は吉野に逃れ、二帝が並び立つ時代が始まる。北朝の天皇や院は幕府の傀儡だったと思われがちだが、歴代将軍は概して手厚く遇した。三代義満による南北朝の合一以降、皇統は北朝系が占めた。一見無力な北朝は、いかに将軍の庇護を受け、生き残りに成功したか。両者の交わりをエピソード豊かに描き、室町時代の政
言い訳になっちゃうんですけど、「信長までの室町時代の歴史」シリーズ、最初は本当に「織田氏」だけのつもりだったんです。それが、時事ネタ絡みで「斯波氏」をやり、「じゃあ三管だけやるか…」で「畠山氏」「細川氏」に手が伸びて、ここで本当に終わり!…というつもりが、「応仁の乱」の東軍「細川氏」をやったら西軍の「山名氏」もやらないとね…となり。ならば山名氏と張り合った「赤松氏」も…と、気が付いたら芋づる式に「四職」も2家をやってしまってしまいました。こうなってしまっては仕方がありませ
先日は、「応仁の乱」で西軍の総大将を演じた「山名氏」について語りました。その際、山名氏に討伐され、また討伐し返す「赤松氏」についても触れました。「山名氏」と「赤松氏」は、ともに室町幕府ナンバー3の「侍所所司」になることができる「四職」の家柄。というわけで、「赤松氏」もやってしまおう!と。そんなブログでやってみたいと思います。これまでの「三管」はすべて足利一族で、「山名氏」は足利氏の親戚筋の新田一族でした。それに対し「赤松氏」は、実は足利氏とはほとんど全く関係
・呉座さんの本には、途中で読むのをあきらめてしまった「応仁の乱」(中公新書)がある。「応仁の乱」は身近に戦争を感じた「この前の大戦」と関西の人々に受け取られているそうだ。京都あたりでも「この前の戦争」と言ったら、「応仁の乱」らしい。まあ、戦禍のあと、上京と下京が室町通りでかろうじてつながった状態で、京の街は残ったのだった。この「応仁の乱」を一次資料の奈良の坊さんの日記に基づき描いたわけで、歴史学者とはすごいことができる人たちだね・・と感心した。また気を取り直して、「応仁の乱」を読んでみよう。
2月3日に訪れた三重県鈴鹿市の古墳、続きです。今日アップするのは「丸加運輸鈴鹿物流センター」さんのすぐ北側にある小さな古墳。↑姫塚古墳、西側の様子直径9.2メートル×5.8メートル、高さ1メートルの円墳。↑地元自治会さんによる「姫塚古墳」の案内板ここには百二代後花園天皇の第一皇女が眠っておられます。姫は百二代後花園天皇(1419年~1470年)の第一皇女としてお生まれになりました。当時の人々は、うら続く戦乱(応仁の乱)と飢饉により、苦しい世界つを送っていました
去年の今頃の話ですが、「シャトレーゼ」に行ったら"金平糖"が売っていまして。「信長が好きだった金平糖じゃん」と購入して、久しぶりに食べてみたら美味しかったんです。でも、次に行ってみたらもう売っていなくて、ションボリ。それ以来全く見なくなったのですが、先日行ってみたら、また販売していたのです。どうやら、ひな祭り時期だけの、期間限定販売・催事物扱いみたいですねー。さっそく購入しました…が…ひな祭りにコンペイトウって常識なん…?聞いたことないような。まぁ、家庭円満・子孫繁
「室町幕府」のナンバー2「管領」を務めることができる3つの家「三管」。これまで「斯波氏」「畠山氏」をやってきたので、今回は最後の「細川氏」について語って行きます。なお、「細川氏」といえば以前、こんなブログをやったことがありました。系図で見てみよう(細川家/細川護熙サン)(参考)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-11750197395.html「日本新党」党首にして内閣総理大臣・細川護熙サンまでやるのは、さすがに行き過ぎでもあり(笑)
DSカバール同士の縁を切りますだから彼らの仲間割れと同士討ちが始まります。日本における令和の応仁の乱がやってくる。その後に黄金時代がやってくる皆さんの目を覚ますための恐怖イベントが、世界でも国内でも起こって来るようです。巻き込まれないように、見守りましょう。
以前にも語りましたが、「三管四職(さんかんししき)」とは、室町時代の家柄を表す言葉。室町幕府のナンバー1は「将軍」で、ナンバー2は「管領(かんれい)」。「管領」になれる家は「細川」「斯波」「畠山」の3家だけ。人呼んで「三管」(「三管領」)。管領に次ぐ重職、室町幕府の軍事機構「侍所」の長官「所司」になれる家は「京極」「山名」「赤松」「一色」の4家だけ。名付けて「四職」。で、先日「三管」の一角である「斯波氏」を特集したので、どうせなら他の2家もやってしまおうよ…と、思い立ちま