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月1本程度の更新ですが、こわくならない、意味あるものだけみなさまに、意味があるものだけ!怖くならない!そんな動画を配信させていただいております!良かったらフォローしてね☺️乳がんチャンネル乳がんチャンネル司会者は、2017年に自身の乳がんが発覚。診断、手術、治療開始までの期間に、とてつもなく強い恐怖と不安と孤独を経験しました。2018年にすべて治療を終え、寛解し、現在はおかげさまで、健康体で過ごしています☺️写真家、元看護師、ヘルスケア大学院海外留学(UNSWCommuni
そもそも頑張っている人に、「頑張って!!」は酷。もっと他に言葉のチョイスは無かったのか。。やはり、分からない人にはとことん分からない。。旦那の仕事のストレスcare子供達のcare癌告知された母のcare...そして自分自身のcare...もう十分、頑張っていませんか?私それでも頑張れと言うの?義母
最初はごく限られた人にしか自分が「がん」になったことを伝えられなかった。その限られた人に言われた言葉。「子宮頸がんって進行遅いはずなのになんでひどくなるまで分からなかったの?がん検診行ってなかったの?あー行ってなかったんか〜」確かに行ってなかった私が悪いです。でもね…今それを私に言ってどうなるのか。責められてる気分になるし一番後悔してるのは私です。そして続けて、「ステージはどれくらいなの?ステージ1でなんで抗がん剤が必要なの?抗がん剤ってすごくしんどいのにそんなに
闘病なのか死別なのか?どっちつかずの拙いブログに今回も訪ねていただきありがとうございます。再放送の放送日を見ると、、こんなハズじゃあなかったのに私にGWなんてありません。何時も通り何にもなくテレビや映画で気分を紛らわせ時間を潰す。。BSの再放送のにっぽん縦断こころ旅やローカル路線バス乗り継ぎの旅の番組をよく観ています。再放送の番組は画面の下に当時、放送された日付が出るんです。その年数を見るとあの頃はとか?まだ、夫婦共に元気やったとか?必ず振り返る癖がつきました。良き時代もありまし
続きまるで熱が出て病院にかかったら『風邪ですね』と言われるくらいの軽い流れで救急外来にかかったら『癌ですね』と言われた。突然の宣告がショックすぎてパニックにもならなかった。『はぁ…癌ですか』と答えて、すぐに『治りませんか?』と問い返していた。先生はその問いには答えなかった。テレビの中でしか聞いたことがなかった【ステージ4】という言葉が頭から離れなかった。先生は淡々と撮った画像を私に見せながら紙に『ここが胃でここに膵臓があって…』と絵を描いて私に癌の場所や大きさ
これまでの経過2023年3月胸の痛みで左胸のしこりに気付く2023年5月左乳がんの告知HER2タイプがんの大きさ3cm弱腋窩リンパ節転移あり遠隔転移なし6月〜9月EC療法4クール終了10月〜11月ドセタキセル+ハーセプチン+パージェタ4クール終了2024年1月全摘+リンパ節郭清終了HER2陽性3+ホルモン受容体陰性ki-6737%腫瘍大きさ3cm0.1cm腋窩リンパ節転移あり消失ステージⅡB1A2024年2月〜3月放
愛知県のフリーランスナース岡田です健康診断から確定診断までの看護師のつぶやきです(健康診断から確定診断まで①②あり)がん告知がん宣告より認知症の母のことが気になり途方にくれるそんな感じでしたが時間とともにがんなのか・・・確定診断はついていなくてもやっぱりがんか・・・手術も化学療法も決まっていないのに桜最後になったらどうしよう・・・家の近くの桜ですが花見に行って来ましたでもきれいとは思えず見られてよかったとも思えずがん宣告がショック?ちょっと違うけど
愛知県のフリーランスナース岡田です健康診断から確定診断までの6ヶ月のいろいろを何回かに分けてつぶやこうと思います昨年10月に健康診断一部異常あり再検査その結果を2月に聞きに行ったのですがまだ2年目?3年目?の若いドクター健診医からなんと聞いていますか?う~ん手術が必要だと思いますがんだと思うので手術した方がいいです遠隔転移があったら化学療法ですこれだ~がんの患者さんと関わることが多くなり診断告知の場面のあるあるこんなにさらりと何の前触れもなく患者ひ
書いてはいけない日本経済墜落の真相森永卓郎帯:2023年12月、ステージ4のがん告知を受けた。「命あるうち、この本を完成させ世に問いたい」私はそれだけを考えた。⭐︎勝手な読書メモ⭐︎先に『JAL123便』の青山透子さんの本繋がりで、ベストセラーの本書も手に取ってみた。森永卓郎氏について私の印象は、ミーハーな人なのねとインプットされていた。それは昔、冬ソナのチェ・ジウが来日した際、森永氏が彼女の大ファンだったそうで対面は叶ったものの、チェ・ジウがあまりにつれないので、ガッカ
2022/9/29(木)昨日のDr.の説明より…やはり卵巣がん、だと。…でしょうねぇ…。もう1週間前から耳にしてる病名。改めて聞いたところで自分の中では何ひとつ変わらない。動揺もショックも何もない。卵巣がんには変わりはない。じゃ、どうするか!でしょ。昨晩…この話を長女にTEL。こちらが淡々としてるからなのか、娘も思ったよりも冷静に思えた。思ったより、…なだけでやはりショックは伝わってくる。「ママがこれだけ元気やのに落ち込んでどうするん!」って励ましておいた。◕‿◕
写真の説明などテキストを入力本文テキスト2月末日乳癌を告知され人生が急転直下。まさかの癌人生の幕開けです。これまで病気とは無縁で風邪すらひくこともなく、子供がコロナやインフルエンザになってもうつらない元気が取り柄と思っていた自分が…毎週10キロ以上走り運動もして、食生活も気をつけていたのに…どうして…。気持ちがぐるぐる回ります。1週間後紹介状を持って乳腺クリニックから手術を受ける病院へ。紹介状の結果とエコーをしての判断はルミナールAおそらく7〜8年前からあって、ちょっとずつ
生検の結果を聞いた時に渡された病理診断のペーパーには、診断と所見にGS7の線癌と記載してあった。これを見た時、オレはGS7か。4+4が1本あるけど1ミリだし、ほとんどが4+3だからGS7の診断なんだな。がん細胞が出たのは残念だけど、高リスクじゃなくて良かったかも。と思っていた。こんなふうにGS7とGG3しか書いてなかったら中リスクだと思いますわ!普通…。ところが、転移の結果を聞きにいった時、ノモグラムでいろいろと計算してくれたが、
薬局巡りしたわ婦人科の処方加味逍遙散、女性には活力が出ます。飲むと調子が良いため内服しています。これが街の薬局では現在、品薄らしく、処方箋提出しましたが在庫がないと!え?ー漢方全般的にどこも品薄なんですって!取り寄せも難しいと言われてしまいました。あーというわけで大病院前の薬局の前をたまたま通りかかったのでそこで処方箋を提出!加味逍遙散は無事にゲットできました☺️処方箋の命は4日間ですので、ギリギリ間に合いましたが
2024年の3月初めに、スペインの病院で乳がんの診断を受けました。告知を受け止めた時は、ある程度予想もしていたこともあったし、冷静で、そして、担当の先生が「それはがんですか?」という私の質問に、「そうです。がんです。」と答えてくれたことが、ある意味幸せに思えたのです。父は1990年にがんにより亡くなりました。当時はまだがん告知がそこまで一般的ではなかったし、がん=死というイメージも今とは違う大きさだったと記憶しています。父ががんと診断された際は、お医者様の意思により本人には知らされ
がん告知の時にもらったデエビゴ錠効能効果:覚醒を促す伝達物質(オレキシン)の働きを抑えることにより脳を覚醒状態から睡眠状態に移行させ睡眠を誘発しますだって。昨夕、生まれて初めて眠剤と言うものを飲んでみた。手術前の夜にも飲んだことあるのかな?5〜10分ぐらいすると眠くなってきた。と同時に暗闇に引きずり込まれるような恐怖を感じ飲まなきゃよかったと思いながら、いつの間にか眠っていた。ぐっすり4時間ほど眠れた。効能効果に驚いた。でも、あの寝入る前の怖さが怖い😱慣れてくるのかな?
全摘とホルモン療法のみとした動画アップしました♪https://youtu.be/2-lrUJG2vSk?si=GbA0ojlQwp0gOIxK動画の最後に美味しいお茶のポイント解説付き🍵!とても楽しい方なので是非ご覧ください☺️抗がん剤治療、やんわりと断り!乳がん全摘とホルモン療法のみとした理由。個人の生き方や尊厳によるもの|お茶屋専門の日本茶の淹れ方や徳の解説付き!最後までご視聴してね!いしだ園(日本茶お店)https://www.ishidaen.com/由美子さんの
がん告知を受けたおとんは今日も通常運転。クロス職人として、受けた仕事をたんたんとこなしてる。会社員じゃなくて自営業で良かった。仕事で体を動かすことで、気が滅入ることもなく過ごせてるんやな、きっと。食べることが大好きなおとん。もうすぐ70歳とは思われへんほどよく食べて、よく寝て、よく働く。手術やら闘病生活やらのことを聞かされた22日でさえ、病院の後ラーメン完食、夜もぐっすり眠れたらしい。笑さすがやな、とおかんと爆笑。でもそんな前向きなおとんに、おかんとうちは助けられてる。
生き方って、なかなか変えられない。仕事中毒を自認するわたしは、捨てられないものをたくさん抱えていた。一方で、定年も楽しみにしていた、辞めたら、あれしよう、これしよう。でも、定年を一年半残した冬のがん告知で、これから手にいれる予定のものが、全部流れた、全部終わった。と、その時は思った。でも、違った。結論から言うと(これ仕事でよく使ったフレーズ)、終わったのではなく、次に行った。死の手続き関係を物心共に計画・処理して(たぶんまた計画は何度も練り直すのだろ
2024/4/15(月)おかん(=母)から朝早くの電話に「もしもーし」といつも通り陽気に出たら「あ、もしもし?」と普通の声。「はいはい?」と返すと「・・・・・」という間に電波が悪いのかと「おーい、もしもし?」ともう一度声をかけたところで「グスグス・・・」とおかんが泣いていることに気付く。自分の心臓がバクバクし出していることを感じながら「どした!?」と聞くと「父さん・・・がんやった・・・」と言って、糸が切れたように泣き出した。さっきまで頭がクラクラするほどドキドキしていたのに今度は
店舗取材、商品ご紹介動画KEA工房さま本日もお読みいただき、ありがとうございます😊読者さまが、素敵な1日を過ごされますように!✨あさこより
もしかして、貴女も?私が通っているブレストクリニックは乳がん検診の指定医療機関なのですが今は検診期間ではありません。なのでクリニックに来ているのはなしかしら心当りのある方達・・・なのだと思います。クリニックへ入る時に出て来られた方。クリニックから帰る時に来られた方。なんとなく、あぁ・・貴女も?という表情というか、雰囲気というか。お互いに“ですね”と暗黙の視線と会釈を交わしながら交差しました。入ってすぐ
お茶の十徳お茶をいただくことにより、十の徳が得られるという意味をお聞きしました!「諸天加護(しょてんかご)」「無病息災」「父母孝養」「朋友和合」「悪魔降伏」「正心修身(せいしんしゅうしん)」「睡眠自除」「煩悩消滅」「五臓調和」「臨終不乱」の十徳とする説が有力です。本日もお読みいただき、ありがとうございます😊読者さまが、素敵な1日を過ごされますように!✨あさこより
がん告知日https://twitter.com/search?q=%E3%81%8C%E3%82%93%E5%91%8A%E7%9F%A5%E6%97%A5&src=trend_click&pt=1781480959864619049&vertical=trends【病院謝罪】がん告知日に患者が来院せず…そのまま1年経過しステージ3にhttps://t.co/R0GWAwBnSM告知日に来院しなかった患者はその後、別の診療科に通院していたが、告知されないままだった。診断当初、がんはス
【病院謝罪】がん告知日に患者が来院せず…そのまま1年経過しステージ3にhttps://t.co/R0GWAwBnSM告知日に来院しなかった患者はその後、別の診療科に通院していたが、告知されないままだった。診断当初、がんはステージ1だったとみられるが、手術を受けたときにはステージ3になっていた。pic.twitter.com/uaAuAsVDoJ—ライブドアニュース(@livedoornews)April19,2024大腸の内視鏡検査までやって結果聞きに行かないのは患者の
自分でできることはちゃんとしなきゃダメでしょう。がん告知日に患者来院せず…そのまま1年超、ステージ3に病院謝罪(朝日新聞デジタル)-Yahoo!ニュース神戸市立医療センター中央市民病院(中央区)は19日、がん患者に1年以上にわたって告知を怠る医療事故があったと発表した。病院によると、60代の男性患者が2022年8月に消化器内科で内視鏡検査をnews.yahoo.co.jp診断結果を説明する受診日に患者が来院せず、担当医は告知をしなかった。検査を受けたのに診断結果を確認し
4月19日/CART治療実施、放射線治療#366|熊谷翼/大腸がんステージⅣ/@kumagai_tasuku#note4月19日/CART治療実施、放射線治療#366|熊谷翼/大腸がんステージⅣ/2024年4月19日がん告知から366日目昨年(2023年)4月19日から、「がん患者」としてnoteを始めました。4月20日には「がん告知」を受けまして、それから今日までnoteを書き続けてきました。書いている内容は「その時の思いつき」なので、…note.com
事の始まりは2023年秋に夫が受けた健康診断50代後半にもかかわらず前年までは全く異常なしなので少し貧血の結果が出ていても気にしないで普通に暮らしていた会社の健康保険組合から再三受診を促され渋々受診貧血の原因を探る検査が始まったその過程で撮ったCT画像クリニックからすぐにがん治療が出来る病院を紹介され生検膵臓がんステージ4の告知を受けた化学療法での治療になるとの事だった
izuminです本日は個人セッションを受けさせていただきましたがん告知から病院の治療は何もしないことを選択した私定期検査の報告をさせていただきましたその選択を出来たのも日向さんやめいちゃんやジュリさんが話を聞いてくれてしっかり覚悟を持つこと生き抜くには強い意思で立ち向かうことなどありのままの姿を見せていただけたから決断出来たことでしたそしてあの選択が間違いではなかったと定期検査を受けた時のことや病院選びの経緯先生とのやり取りなども話していくと高次元さんが導いてくれ
1人で受ける衝撃、あまりにも大きすぎるわたしの場合、がん診断と告知はすべて一人で受けましたが、相当に心がやられてしまいました。家に帰っても1人で過ごすのです。あの時、受け止めてくれるだれかが側にいたならどれだけ気持ちが楽だっただろう、、と思います。その後乳がんは再発も転移もなく、治療もなく、もう心配ない、安心して大丈夫ですといわれていました。しかし数年後に眼にがんを疑われた時、いくつもの検査を重ねて数ヶ月以上がかかりました。その結果を最終的に診察室できかなければな
ステージ4がん告知「もう桜が見られない」森永卓郎66歳の3つの転機「子ども」と「年金」と「余命4か月」https://news.yahoo.co.jp/articles/b49482507f02e1a2dc1451b605727c7237439d64