ブログ記事178件
このシリーズ続きますというか、久々のRSターボシリーズだ何故このシリーズになったかというと・・・12/8北海道三陸沖地震が発生した23時15分に、携帯からけたたましい音の緊急アラートが鳴り地震予告直ぐに部屋に行きミニカーの棚や積み重ねていたミニカー達を押さえ始めた次の瞬間、激しい揺れが結構長く続いた流石に全てを押さえることができず、落下したミニカーなど破損するミニカーが多々あったただ、ケースに入れているミニカーだけは過去の北海道胆振東部地震で教訓した
皆さんこんばんは。セルモです。今日は先日の土曜日に発売されたホットウィールブールバード135日産プリメーラJTCCカストロールプリメーラを開封したので紹介します。さすがホットウィールのリアルライダー、プレミアムだけあってクオリティがめちゃリアルですね。内装もちゃんとロールバーも入ってます!!(当たり前かwww)最初この車高で果たしてミニカーとして走る、タイヤが回るのか?と疑問でしたが、そこはちゃんと回りました。この出来はイイっすね😆後はこの間言ったカルソニック版がみたい。マ
1990年代後半に活躍したJTCCサニー&BTCCプリメーラGTです。1996年JTCCザナヴィサニー1999年BTCCプリメーラGTイギリスBTCCにて製造メーカー部門、ドライバー部門、チーム部門などを制したマシン。サニー、プリメーラGTともにエンジンはNA。SR20DE300Ps(221Kw)以上27.0kgf(265Nm)以上2台は、同じエンジンだったんですね。次回は、グループC
MAZDAランティスです。とても気さくなオーナーさんでした。ブログ友だちの"おにぎり8さん"から"JTCCのランティスは全て廃棄された"と知らされて残念でしたが、こんなに素敵なランティスに出逢えました。現在では、かなり現存数も少ないと思います。とても程度が良さそうなランティスです。オーナーさんに愛されているのが解りますよね。今回はMAZDAFANFESTA2025で見掛けた素敵な"マツダランティス"を紹介しました。
中古車オークションでえらいもん買ってしもた。アドバンカラーのEG9シビックフェリオwwそして昨日陸送届きました。実走行75000kmなのでオールペイントでもして綺麗に仕上げようと思いましたが...逆に強気でアドバンカラーで仕上げたろかなとwwちょっと物足りないのでデカールチューン大作戦しようと思ったのですがここで問題。当時のJTCCでは無いけど↓みたいに当時感出す手法でデカール施工するかそれとも自分流で↓みたいにするか。悩み中。適当なEG6で作ったからタイヤがダンロップ(笑
みんな大好きG5カローラさん。市販車のラインナップにはない2リッターの18R-G(ワークス製4バルブヘッド付)を載せ、「赤鬼」ことトムス今西氏による徹底的に軽く作られた車体と相まって、1981年の鈴鹿1000㎞ではポルシェ935K3を追い回して優勝目前のところ(結果はヘアピン進入でアクセルペダル基部が折れてリタイア)まで行ったり、1984年筑波4時間は非選手権ではあるものの数あるグループC2マシンを押しのけて3位入賞を果たしたりしました。このトムスカラーは筑波4時間のときのものですね。筑波
何度も読み返してしまう雑誌です。"autoSport"2021年2/26号・3/12号合併号。1994-2021GT技術戦史。コレは何度も読み返しても面白く奥が深いです。グループAレースが好きでしたがグループAレース終了後のハコ車のレースはJTCCとJGTCとなりました。最初のJGTCは手作り感もあって、それはそれで好きでした。そのGTレースの技術等の遍歴を知る事が出来ます。一応GT1/GT500なんですけどね。1994年→2002年が第1世代。2003年→2008年が第
こんにちは。OGAWAです。またまた前回に続き、9/7idlersBMWCUPrd.3TSUKUBA2000の模様をご紹介決勝時間も迫った所で~決勝準備に。予選1位のYASU選手、少し緊張している決勝に合わせてタイヤチョイス変えたり、皆さん本気ですいざ決勝へ!!!2速ミッション抜ける最後尾スタートのZ3火の玉セイヤ選手。超絶速い彼が、何処まで前に出るか???今回自分はインカ―映像等アップしていないのですが、火の玉セイヤ選手のイ
みんなだいすきキャバリエさん。中の人はシボレーなのに、なぜかJTCCに参戦していたカローラのエンジンから足回りから移植して、アメリカ生まれ日本育ちで日本語しか喋れないハーフのタレントみたいになってましたね。そういや4ドアもありましたな。そういや、所さんがアメ車好きだというのをテレビで言わなくなったの何故だろうね?トランプ関税だとか言う前からだし。こんな姿を見たことがある方も多いんじゃないでしょうか。そこでのび犬さんがはたと気づく。「ハッ、4ドアにJTCCカローラのエンジンと足回りを移
本日のお仕事はホンダアコードのユーロRです。アライメント調整という事で、早速セッティングを行っています。足回りが車高調に代わってますが、基本的に街乗り仕様です。懐かしのCL1です。走行距離は10万キロとまだまだ元気な個体ですが…足回りのボールジョイントなどは緩めの車両でした。足回りのガタを確認してもガタは無いんですが、関節が緩めなので、アライメント測定値のにおいて0.2,3ミリのガタが見受けられます。よって、ハンドリングも少しダルな感じが残っています。お客さんにお知らせし
ドリフトが競技化されてからというもの、「誰よりも低く、誰とも被らない車で」から「脚を動かすために車高を上げ、パーツの豊富な人気車を」ってなってますね。あの「車高の低さ」にはこだわりのあったレジェンド・谷口NOB信輝選手ですら、練習機の車高を上げる方向に懐柔されてしまう始末。「ぐぬぬ…かっこ良くない!でも脚を動かすためなら仕方ない」とやむなく受け入れたようですが…そんなの言い訳じゃね?そこでコレですよ。18インチのぶ厚いタイヤを履いても、ちゃんと動く足。FFで駆動輪も兼ねているため
いつもお世話になっております、BarGEMINI店主です。先日入手したミニカー「プリメーラ」。このモデルは初代「プリメーラ(P10型)」、オースター/スタンザの後継者となる車種です。欧州車を強く意識したパッケージング/スタイリングでフロントのマルチリンクサスペンションによるハンドリングは欧州車を超えたともいわれるほど評価が高い。写真のミニカーはハイストーリーの1/43スケールのモノです。本日も皆様のご来店をお待ちしています。よろしくお願いします。「BarGEMINI
今回紹介するミニカーは京商コンビニシリーズの"カルソニックミニカーコレクションから"プリメーラ1994"です。初めての紹介です。前年まで開催されていたグループAレースが終了して1994年からJTCC(全日本ツーリングカー選手権)が始まります。カルソニックカラーを纏ったプリメーラで星野一義選手がドライブしました。人気の初代プリメーラでしたがJTCCでは苦戦していましたね。それでも第17戦で星野一義選手が優勝を飾りました。JTCCは面白かったのですが初年度の1994年のレースの人気は
日産大森ワークスの鈴木誠一選手(と城北ライダースの有志)が興したのが東名自動車。後に移転する際、近所に同じ名前の整備工場があったために「東名パワード」と改名、これをエンジン部門とし、レース活動のための「東名スポーツ」などを分社化。という流れなんですが…以前記事にもした通り、このBMW318iをJTCCで走らせていたのが「東名スポーツ」でした。この頃JGTCでもポルシェ911を走らせていましたが、何故外国車だったのかなぁ?と。おそらく当時プライベーターにも供給してくれていたのがBMWであり
アドバンカラーのBMW318。実は東名スポーツが走らせていたマシンなんですよね。ワークスであるシュニッツァー参戦時はともかく、撤退後もオリジナルを保たなければなりませんでした。元々そういう契約内容だったのかもしれないですね。オーバーフェンダーやウイング解禁後の「スーパーツーリング」になってからは、主に一ツ山レーシングが露骨なモディファイをしていましたね。さて、アドバンカラーといえばつちやエンジニアリング。土屋さんだったら、あのBMWをどうモディファイしたのかな?と思うんです。つちやエン
これ、何だか覚えてます?そう、プログレ。キング・クリムゾンでもピンク・フロイドでもない方のプログレwで、バンパーの角やらリアドアをゴリゴリに擦っているコイツ()がイオンなんかの駐車場で停まってますが、5ナンバーサイズの高級車をコンセプトに作られたFRセダンなんです。時代的にはFFのセダンばかりが増えた結果、それらでレースを始めるありさまで()FRといえば、レクサスに代表される高級車ばかりに追いやられていたんですよね。「FFセダンだけでやるもの」だと決めつけたうえで始まったBTCCなりJT
VR-4がヒットし、N1耐久ではGT-Rを撃破して波に乗っていたものの、代替わりして少し丸いデザインになったら売れ行きが落ちた三菱のギャラン。テコ入れ策としてJTCCへの参戦が検討されていたらしく、エンジンをV6からランサーなどに搭載されていた直4の4G9へと載せ換えるなど、具体的な策も挙がっていたようです。しかし、それは実現することなく計画は頓挫。販売店の違うエテルナや空力的に優れているエメロードなども候補に挙がっていたようですが、ギャランよりも売れてないのでそちらの案もボツになったよう
みんな大好きJTCCのインプレッサワゴン。みんな大好きすぎてプラモで再現するプロモデラーさんまで出てきてしまうわけですが、そもそも「何でワゴンなのさ?」って話なんですよ。そりゃBTCCでのボルボ850がワゴンボディーで出てきた衝撃プラス空力効果うんぬん…なんでしょうけど。そもそも競技に出るためには、自動車メーカー(生産者)がJAFに競技車両の公認を得なければなりません。過去に日産がJTCCへ使う気だったのか、Y33セドグロやシーマなんかも公認を得ていたことがありました。インプならセダンが
1989年のWSPCに出ていたスパイス・コスワース(C1扱い)。ペスカロロ御大と組むのは、後にJTCCでファミリアに乗せられる()アラン・フェルテなんですが…メディアが完全に無視。そういや、JSPCにAOスパイスが出ていたのに無視していたのも同じく「メーカーがらみでない」からですかね?そういうとこなんすよ。「読者離れ」が止まらない原因って!金が絡まないと取材すらしないから。
現在病院で点滴打ってるので()、ブログ更新しまくろう!!ということで、ランエボ6に続いてこっちも紹介しましょう。以前制作したアオシマビーマックス・JTCCコロナをノーマル戻ししたときに使わなかったスポンサーデカールを使って、アオシマのKbreak14マジェスタを仕上げてみました。アオシマお得意のVIPカーキットで純正のボディにエアロを被せるという方式です。今回はデカール以外は素組です。強いて言うならクリアテールにしたくらい…?初めてのシャコタンでしたが、なんと素組みでこの車高
こんにちは、MP935Tです。本日はこちらホンダアコード1996とフリートストリート(積載車)ですホットウィールのカーカルチャー、チームトランスポートシリーズですねこれが欲しくて今回箱買いで抑えました(笑)正式名称は「カストロール無限アコード」※ホンダ公式サイト(HondaCollectionHall)よりホットウィールで同車種の製品化が決まった時、世界のJTCCファンが真っ先に脳内に浮かべたであろう、鉄板中の鉄板ツーリングカー仕様です!ローマウントされたシンプ
先日日産ヘリテージコレクションの見学へ行ってきまして『日産ヘリテージコレクション見学』先日日産ヘリテージコレクションの見学へ行ってきましたここは日産の座間事業所内にある施設で、日産が所有している約400台の歴代の市販車やレーシ…ameblo.jp(見学の模様はこちらから↑)ヘリテージコレクションがある日産座間事業所から車で2分かからない場所にイオンモール座間があるんですが、ここにもヘリテージコレクションからの展示車両が2台程貸し出されてい
JTCCで多少卑怯な手も使いながらバカ勝ちしたアコード。そのエンジンは2リッター4気筒ながら、一説には320ps出ていたとも330ps出ていたとも言われており、無限の開発者いわく「このエンジンがF2やってる頃に欲しかった」とのことでw確かにF2のエンジンは直4よりも重たいV6でパワーも300psそこそこでしたから、そりゃ開発者からしてみれば喉から手が出るほど欲しかったでしょうwで…だ。JTCCであれだけ猛威を振るったエンジンが「その後」他のカテゴリーに転用されなかったのはなぜか?←坊やだ
JTCCに出ていた近藤レーシングガレージ(マッチとは無関係)のR33。そもそも軽量コンパクトなR32でJTCCに出るべく、2台の解体車を購入して製作していたものの車両公認が得られず、泣く泣く鈍重なR33へと路線変更したんですよね。R32の車両公認が得られずブチ切れて「2台とも切り刻んで捨ててやったよ!」と近藤代表が語っていますが、それをかわいそうと思ったのか日産は4ドアのR33を公認申請。車両公認ってメーカーしか出せないから…これってニスモが製作したってことなのか?とはいえ、トラク
JTCCを戦ったAE100カローラ。いまだにマネしたい1台ではあります。そんなFETカローラさん。海外へ流出し…今はインドネシアにいるようです。どことなくdocomoエクシヴとかJACCSみたいなカラーリングですね。タイヤとか消耗品の調達はどうしてるんだろ?
今日10/9は「トークの日」だなんて、NTTだか電電公社だかが言ってましたが…どっちだっけな?ということでdocomoEXIVですw今やフォーミュラではトップコンテンダー(らしいけど興味がないので知らない)のダンデライオンが走らせていました。サーキットって山あいにあるので、ピットとの電波状況やら高速走行をしても途切れないかを確認するため、ルーフにはなが~いアンテナをまとめてお盆状の容器に収めていました。白いお茶菓子の容器みたいなのがそれですね。ドライバー名前のところには「もしもし」「
横山コーナーで弾き飛ばすメディアが大好きなハコスカ。ワークスによる活動当時は富士も6キロのフルコース。特にバンクへの進入はラインがひとつしかないために、ライン争奪戦が酷かったそうです。この頃はフェンダーミラーでしたが、最初っからそれが付けられていない。誰よりも先にレコードラインに就くため、相手にぶつけてコース外へ弾き飛ばす…なんてこともザラだったようで。特にラフファイトをしたがる選手は1コーナー進入やバンク出口の通称「横山コーナー」で、わざと接触したりしていたようです。後年、JTCC
初めてアメブロを利用しますが、私の活動を全て紹介していきたいと思います。ThisismyfirsttimeusingAmeblo.Iwouldliketoshowyouallmyactivities.
マーカースケッチESSOTOM'Sチェイサーを描きました。
JTCC壊滅後にスタートするはずだったSTCC。20ソアラにJZX100チェイサーの灯火類を移植した魔改造マシンだと揶揄されていましたね。「4ドアのチェイサーを無理やり2ドアにしてwwwバッカでぇ~wwww」なんて、どいつもこいつも言ってましたが。そもそもブタ目の頃までは「マークll・チェイサー兄弟(クレスタはまだ生まれていません)」に2ドアがあったんすけどね。「バッカでぇ~wwww」なのは、お前らの方だよ!って笑っていましたが。STCCのあの感じ。基本的なところは共通化して、灯火