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時は帰省旅から少しさかのぼり、2025年9月。証明書の発行のために役所に立ち寄る機会がありました。夫がトイレに立ち寄っている間、百合を抱っこしながら、役所の掲示物やチラシ置き場を何気なく見ていました。そこで目に入ったのが公募美術展のチラシでした。絵画や写真、彫刻など複数の部門に分かれて市民の作品を募り、各部門ごとに著名な審査員に作品をみてもらい、入選すればホールで展示され、入賞すれば表彰される、といった企画でした。そのチラシを見た時、自分でもよく分か
百合は、1歳過ぎから療育(児童発達支援;児発)を受ける予定です。もし兄が百合のように今の時代に生まれていたらどうだったでしょうか。きっと1歳半健診にて発達の遅れがあることが市の担当者と共有されて経過観察となり、3歳児健診の頃には児発に繋がっていたのではないかと思います。診断がついていなくても医師の意見書があれば福祉サービスは利用できるので、もっと早くに児発にも通えていたかもしれません。きっと母だったら、兄が療育を受けることを希望したでしょう。も
ちーの誕生日ではなく私の誕生日です私は20歳からの誕生日は毎年誕生日は、やりたくないことや後回しにしていること、勇気がいることをやる日と決めています20歳のときは怖くて挑戦できなかった「献血🩸」に挑戦して、血の気が多い分血を抜かれてスッキリしたのを覚えてますそして、今年は⭐️支援センターに行く‼️⭐️健常児の同い年の家庭と遊ぶ約束をする‼️⭐️ブレンダーの不具合を解決する案を考える‼️として、取り組みました支援センターは、自分が落ち込みそうで乗り気になれなかったの
6歳になった長女は、数年前まで手を焼いていたとは思えないほど今は落ち着いています。3月末生まれですが、保育園や小学校の先生からも『早生まれとは思えないですよ』と言っていただき、今のところ学校でもトラブルなく過ごしています。しかし、数年前までは両親ともお手上げ状態。長女は外面はいいのですが、家族に対しては毎日癇癪をおこしていました。実母からは荒れる長女の様子をみて、同情するように『こんな子見たことないわ…』と言われたこともあります長女の乳幼児期はこん
入院先の熊本の病院は、とても古い病院でした。天井が低く、廊下も病室も狭く、小児科らしい可愛い飾りやインテリアもなく、何だか鬱屈した気持ちになりました。今回は感染症だったため百合は個室に案内されました。微熱だったのは朝だけで百合はまた高熱が出ていました。すぐに抗生剤と脱水予防のブドウ糖の点滴が始まりました。この点滴がある間は、ミルクや搾乳は口から飲めた分だけでよいと言われ経鼻チューブでの注入は一旦中断となりました。この病院では、付き添い者も柵付きの子ども用ベッ
11/10、熊本の実家を去り、大分の杉乃井ホテルに向かいました。私は初めて泊まったのですが、すごいですね、杉乃井ホテル…。もうホテルというか、アミューズメントパークでした。今回宙館に泊まりましたが、客室は驚くほど豪華だし、ホテル内にゲームセンターやお店がいくつもあるし、予約すればカラオケルームやボウリング場も使える。夏は温水プールができるし、チャペルまである。ここにずっといさせてくれえーー!!と思いましたね。そして夕食は、迷子になりそうなほど広大なビ
11月に入り、大きなイベントがありました。それは実家への帰省です。私たち家族は愛知県に住んでおり、実家は熊本。手っ取り早い移動方法は飛行機なのですが、九州旅行も兼ねた帰省にしたかったので、車が必要となりました。そこで、大阪から大分までカーフェリーに乗ることにしました。移動時間が長いと百合に負担がかかるため、大分と熊本がメインのコンパクトな旅程を組みました↓11/4大阪へ。夕方カーフェリーに乗る。カーフェリーの客室で一泊。11/5早朝大分に到着。九
10月半ばに入り、ゆりは生後4か月になりました。最初は2週間に1回だった定期受診も1か月に1回になり、週1回の訪問PTが開始されたことで、A病院でのリハビリは終了に。訪問看護も週1回あるため、すこしずつ忙しくなってきました。体重は5.5キロ。身長は58センチ。ようやくどちらも成長曲線の中に入り始めました。二重あごと手首のわっかができ始め、体つきも赤ちゃんらしくむちむちとしてきました。足はより高く上がるようになり、うつぶせの状態で首を左右に振ることもで
9月に入りました。百合の覚醒時間が少しずつ伸びてきて、足を上げたりバタバタできるようになりました。驚いたのは、足は上がるのに手が上がらないこと。普通の赤ちゃんは自分で手や腕を持ちあげて口元に持っていき指を吸うことができますが、百合はそれができませんでした。それまであまりピンと来ていなかったのですが、筋力が弱いとはこういうことなんだなと思いました。でも日に日に反応は良くなってきていて、きょうだいが近づいてあやすと大きく口を開けて首を振り、喜んでいるの
大学の講義でも、医療福祉の専門書でも「障害受容」というワードはよく取り上げられています。百合が障害を持つとわかったとき当時の私は大いに衝撃を受けましたが、同時にどこか冷静な自分がいて、その冷静な私の頭の中に浮かんだのは専門書でよく見たこの図でした↓これは、1975年に小児科医のDrotarが提唱した「段階的モデル」という障害受容のプロセスを表す図です。出生した子どもの先天性の疾患(奇形やダウン症)に対する親の障害受容に関するものです。各段階は以下の通
初めて、竹の子の会の支部総会と懇親会に参加できました去年の今頃は、診断が出ておらず総会に申し込めなくて、もどかしかったことを思い出して、しみじみとしました今は、仲間に恵まれて孤独ではなくなりました支部の皆様に感謝、感謝私にママ友ができるなんて、奇跡ちーくん、さんきゅよ総会ではみんなで今後のイベントを考えて楽しかったです‼️PWSの重鎮の先生の講演会いつかやりたい…あとプラちゃんたちで旅に出たりみんなでタイルでコースター作ったりしたい…完璧に職業病で、レクやイベントを
百合との自宅での生活に家族が慣れ始めた頃、お盆休みに入りました。長女にとっては未就学児最後の夏。夫も育休中なので、色んな思い出を作ろうと夫婦で話していました。鉄道博物館に行ったり。ショッピングモールに行ったり。仮面ライダーのショーを見に行ったり。日本で最後のラッコを見に、1泊2日で鳥羽水族館にも足を運びました。百合はまだ経管栄養をしていたので注入や消毒に関連した様々なグッズを持ち運ぶ必要がありました。さらに搾乳もあったので、ポータブル冷凍庫も車に
退院して2週間後からA病院の定期受診が始まりました。退院前のカンファレンスにて、訪問看護が週2回程度入ってくださることになっていました。そして、2週間に1回の経鼻チューブの交換は、定期受診か訪問看護の時に看護師さんに見ていただくことになりました。A病院でのハビリテーションとして、理学療法(PT)も定期受診の度に実施されることになりました。しかしPTの間も施術を受けながらうとうとと寝てしまっている状況。A病院まで車で40分。身長体重の計測をして小児科
欠失型のプラちゃんの特徴として色素低下があります。まだプラダー・ウィリー症候群と診断される前から、上の子たちと違ってすごい茶髪ちゃんだな~と思っていました。明るい光の下では茶色というよりも蜂蜜色にも見えて、すごく綺麗な色をしていました。肌の色も、「赤ちゃん」というより「白ちゃん」という感じで、周りの新生児とも上の子たちとも違うなと感じてました。↑NICUにいた頃の百合。メラニン色素は成長とともに作られるということで、色白茶髪ちゃん姿も短い間
一歳になったちーくんですがチューブが外れる気配がなくなりました…今まではじっとしてくれるから根気で一時間飲ませて、200ml完飲‼️ということがありましたが最近は成長ホルモンのおかげか単なる成長なのかミルクは嫌ーーー‼️‼️‼️僕は遊ぶんだーーーーーー‼️‼️‼️となって、ミルクをひどい時は20mlしか飲みません(今はこのロディちゃんが大のお気に入りで、エンドレスで乗馬🏇して、大量の汗をかいております…ロディ>積み木>ミルクです…)よくわかってはないけど…ちーくん、
出産から退院までの話を連続で書いてきましたが、ここからは少しプラダー・ウィリー症候群の話を挟みたいと思います。生後1か月で自宅に帰ってきた百合。今まで育ててきた赤ちゃんと違う点が沢山ありました。①夜の睡眠まず、夜はひと泣きもすることなく、眠り続けていました。目が開いている時間もあったと思いますが、全く声も発さず、じっとしているうちに再びトロトロと眠りにつくような感じでした。百合が何も訴えないので、夜はタイマーをセットして、寝過ごすことがないように
百合の退院日は、生後28日目。ちょうど生後1か月を迎えた日でした。セレモニードレスは、私の兄のために実母が買ったドレスで、40年前のものでした。実母がずっと大事に取っておいたので、シミひとつなく、アンティークなデザインがとても可愛いドレスでした。まるで本物の天使のような姿で、本当に尊かったです。退院時、身長は47.5センチ、体重2540gの小さな天使でした。NICU・GCUのスタッフさんに最後の挨拶をして、病院を出ました。百合は初めて外の光を浴び
以前、プラママさんから「欠失型には2つのタイプがあるらしいよ」と伺い、育て方の参考になるのでは?!と思ったのでプラちゃんに詳しい病院で「MSMLPA」という検査を受けてきましたメチレーションスペシフィック…なんだっけ…ごめんなさい…この検査は、マイクロアレイよりも狭い範囲で量(染色体の15番の一部の量)の多い少ないを見る検査だとのこと。そこに、メチル化を組み合わせたものだそう(難しい噛み砕いてくださる主治医の先生、大好きです私の解釈が違っていたらごめんなさい🙏)検査の結
早期の退院を希望してから、11日後に退院日が決まりました。GCUに移り、経鼻チューブも再び復活。注入のやり方、経鼻チューブの交換の仕方など、家に帰ってからの医療ケアの手技を教わりました。百合も少し声を上げることができたり、周りを見ようとしたりする仕草が増え、着実に成長していました。病院に向かう道のりは気が沈むけど、百合に会うと可愛くて仕方なくて、早く連れて帰りたいと感じました。NICUもGCUも喧騒から隔離されて時の流れがすごくゆっくりに感じます。抱かれ
昨日より多少は軽い足取りでNICUへ。睡眠がとれたので、自分のメンタルがそこそこ安定しているのを感じました。この日は日曜日。担当は何度かお会いしたことがある看護師さんで、ほっとしました。早期の退院を希望ということで、今後は訪問看護を設定する話などを教えてくださいました。~~~~~~~~~家に帰ると、いつも通り子どもたちがはしゃいで走り回っています。今まで自分の子どもたちのことは、自分のリソースを割いて与えて世話をするばかりの対象と思っていましたが、初
まだ検査の結果は出ていませんが、絶対プラダー・ウィリー症候群だという確信がありました。ネットでありとあらゆる情報を検索し、内容によっては気が少し楽になったり重たくなったりを繰り返していました。今まで頭の中で思い描いていた理想の3人兄弟、5人家族の生活のイメージが浮かんでは消えていく…。何も知らない子どもたちの前では泣きたくなくて、ひとりの時に涙を流していました。それでも、できるだけいつも通りにしようと、時には泣きながら搾乳し、いつも通りNICUにも面会に行きまし
誕生日🎂のちーくんスマッシュケーキをしたところケーキを潰すのに、大興奮最後のほうは叫びながら顔面からケーキにつっこんでいきおもしろすぎましたそんなちーくんは、誕生日の次の日に療育手帳の検査へ検査は個室で、ゆったりと会話をしながら答えていくスタイルでした結果は本人の様子を見るのと親からの聞き取りで判断されるそう検査のときに聞かれたことは(言い方は違いますが💦大体こんな感じ!)⭐️出産前の様子、出産後から診断が出るまで⭐️持病とかかりつけの病院⭐️入院した回数⭐️市
面談が始まる前から何となくいつもの医師2名がいつもより少しだけ緊張しているように見えました。まずは百合の経過について話がありました。『おなかの中にいた時から身体が小さく、出産後は哺乳不良、呼吸や筋緊張の弱さが認められました。SGA(在胎週数に対して身長体重が小さい)に該当しますが、原因は不明です。胎盤も病理検査に回しましたが、異常な所見はありませんでした。』上記ようなことをゆっくりと、丁寧に話してくださいました。そして、一呼吸おいてから、同意書が提示されま
手術台に上がって約1時間後。甲高く短い産声が聞こえ、生まれてきた赤ちゃんは胎脂でおおわれて青白い姿をしていましたが、無事に生まれたことに安心して涙が出ました。2100g台の小さな小さな赤ちゃんでした。出産前から低出生体重児と分かっていたので、予定通り赤ちゃんはNICUに引き取られていきました。出産当日は一目見ただけでしたが、NICUに向かう道のりの間に夫が撮ってくれた赤ちゃんの写真を眺めながら、幸福感に浸っていました。約5年半前に第1子として迎えるつもりだった
4月にひたち海浜公園に行ってきました。ネモフィラはまだ満開ではなかったけど、とても綺麗でした!ローカル電車を楽しみたかったので、車ではなく電車で行ったのですが、これが大正解!電車は30分に一本くらいで、反対のホームに行くためにはこのように線路を横切ります。普段できないことだらけの楽しい体験でしたでも、今年のGWはお天気が不安定ですね。毎年GWには(年末年始だけでなくGWにも笑)富士Qに来ているのですが、雨だと絶叫マシンが一切動かないのですうーん、、、今年は本当に雨が多い、、、昨
3人目にして初めて妊娠悪阻になり、7キロ体重を落としたこと、甲状腺機能低下症を発症したこと以外で大きな妊娠中のトラブルはありませんでした。雲行きが怪しくなってきたのは28wを過ぎた頃の妊婦健診でした。チラーヂンを服用し始め、母体には問題ありませんでしたが、胎児の推定体重が伸び悩み、発育曲線の下限ぎりぎりにあることが分かりました。また、逆子が継続していることや上の子2人に比べて胎動を感じにくいことも気になっていました。当時の医師からは、『生まれつき、体質として
生まれたばかりなのに、一人で入院して、泣きもせず、目を開ける力すらなかった、ちーくん。夜中にオンラインでちーくんの寝顔を見せてもらって、可哀想で涙が止まらなかったあの頃。ちーくんが生まれたころを思い出すと、今もまだ胸がきゅってなって、泣けてくるかーちゃんでごめんね。来年はもっと強くなるからね!「プラダー・ウィリ症候群」という言葉に辿り着いた産後3日目。身体の震えが止まらなかった。息が上手く吸えなかった。知らない病気・障がいを息子がもって生まれてきたことが、怖くてたまらなかった。満腹中枢が
夫とは、結婚した時から子どもは3人くらいほしいと話をしていました。しかし、第1子をなかなか授からず。元々月経困難症もあり、自分の妊孕性に自信がなかったため早めに不妊治療クリニックを受診。諸々の検査に大きな問題はなく、人工授精ですぐに授かると思いきや、4回連続で全く着床もせず失敗。当時私は20代後半、夫も30を超えたばかりでしたが、人工授精に見切りをつけ、体外受精にステップアップしました。その結果、胚盤胞にたどり着いたのは3つで、それぞれのグレードは4BBが1
最初に、今の百合の現状を記しておこうと思います生後10か月・体重:8900g・身長:70センチ・身体面の発達:首すわり(生後5か月)。寝返り(生後8か月)。お座りやずりばいはまだ。・離乳食:10か月に入ってから3回食へ。食形態はまだ滑らかでもったりしたペースト状のもの。ささみなど繊維があるものはえずくので、すり鉢で繊維をほどいてライスシリアルのようなとろみの強いものと混ぜれば食べられる。コップ飲みはまだ。水分補給はストローマグ
我が家には、生後10か月になるプラダー・ウィリー症候群の娘がいますもうすぐ1歳になる娘のこと、家族のことを文章でしっかり記録しておきたいと思い、このタイミングでブログを始めようと思いました。元々ブログを始めるかどうかずっと悩んでいたのですが、性格的に三日坊主になりそうで取り掛かれずにいました…でも百合のことなら続けられるかもしれないと思ったので、やってみることにします今の状況と、今までの成長も振り返ってゆっくり書いていこうと思います。これからよろしく