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小児外科の先生と出会い、横隔膜ヘルニアの治療や手術方法について教えていただいたので紹介しますね出生後すぐ〜翌日第8話でも触れましたが、たくさんの医師や看護師、その他スタッフが整った万全の体制で計画出産をします。私は無痛分娩を希望しました。出生後、すぐに人工呼吸器を装着します。呼吸状態を念入りに観察し、手術に備えて体調を整えておきます。生後2日目手術ですえ、生後2日目すぐすぎてびっくりでしたしかし、横隔膜ヘルニアは生後すぐに呼吸が苦しくなるため以前であれば出生してすぐ手術を行なっ
世界が僕を置いて行ってもそれでもいいと思えた待ってくれてる人が必ずいるんだと思えた。失ったものはなんだろう。数えたらキリが無さそう。手にしたものもあるよね。これもキリが無さそう。だったら手にしたものを数えよう。たくさんの涙が色んなものをくれたよね退院した足で大学病院に行ったらみんなが温かく迎えてくれて、しかも本当に喜んでくれて。これはきっと手に入れたもの。僕を待っててくれた人たちあたたかい人たち。だから世界に置いていかれても僕は焦らない
2024年9月26日ついに。この日が来ました。退院です。たくさんの人たちのおかげです。僕をここまで連れて来てくれて本当にありがとうございます。笑顔で退院したいけどいろんなことが込み上げてきちゃって…涙が止まりません。ついについに終わるんですね。褒めていいんだよな本当に本当にありがとう。
ついに明日か。退院の日が来る。どうしよう。そわそわする。本当に?終わる…?この生活が…?信じられない。正直まだまだ、と自分に鞭を打ってリハビリしてきた昨日の自分と同じで終わらないように今日の自分の方が上をいくようにそして明日の自分へバトンを渡すそうやって日々生きてきたけどそれは、まだまだ届かないと思っていたから。それが明日!?だと!?ははは。おかしいな嬉しいはずなのにいいことなのに涙が止まらない辛かったねよく耐えたそして回復した何
僕が諦めなかったから今こうして元気に退院を迎えようとしている今も思い出すのが辛いECMOがささって動けなくて。誰にもこの辛さをわかってもらえなくて孤独の闇はどこまでも僕の周りに広がりました。もし勝ち負けがあるならその日々は「負け」の連続だったと思います。だけどその「負け」は確実に今の「勝ち」に繋がっている。「価値」のある負けだったと言えます。今の僕がこうして元気なのが何よりもどんなことよりも大切なことだから。だからこそあの頃の「負け」は今、すべて
いよいよ退院が迫ってきました。もうあと2日です。思い出される入院の日々は辛いことばかり。2月29日に入院してからおよそ7ヶ月!!いよいよ外の世界に解き放たれます。嬉しい以外の言葉はあまり浮かびません。なんなら病院生活も長かったのであまり実感もありません。それでも多分泣いちゃうだろう色んなことが込み上げるだろうでもそれでいいと思う。退院の瞬間その日は僕のためにある時間だゆっくりじっくりたっぷり噛み締めていい。病気しないに越したことは
正式に退院日が決まりました。9月26日。日本の偉い人!祝日にする準備は出来てますか!?6月7日ECMO離脱記念日9月26日退院記念日まぁ、祝日になることはないんですけど僕の心にはずっと刻まれることでしょう。正直。実感がないです。ずっと夢のまた夢だと思っていたので。ついにその日か…という感じで色々思い出すと涙が止まりません。いろんな人への感謝とあとは自分の生命力の強さに感謝ですね。泣いていいですよねやっと終わるんですよ長かった入院が。やっと終わる
僕がここまでこれたのは1人の努力だろうかそんなはずはない。たくさんの人たちの1人1人の力が僕を支えてくれた。ありがとうで足りるだろうか?かと言って代わる言葉を僕は知らない。ありったけのとびっきりのありがとうをたくさんの人へ伝えないと。何度でも何度でも伝えないといけない。僕が今ここにいてこうして生きているのはたくさんの人達のサポートのおかげ。僕に人生の続きをくれた大学病院の先生方。泣いてる僕を何度も励ましてここまで連れてきてくれた大学病院の看護
秋の香りが少しずつこの空に漂うけれど終わりたくない夏が最後まで燃え盛るそんな顔を見せる9月はまるで僕自身のよう。もう疲れたよ…と嘆く自分ここで終わるのかよと踏ん張る自分。いつもいつも天使と悪魔のように顔を出していた2人の自分。9月に似てるね。でもね、そんな戦いもうしなくていいもうすぐ終わるから。結果としてはさ踏ん張った方の自分が勝ったよよく頑張ったね。中秋の名月も僕を後押しするような綺麗な満月でしたねこの生活が終わります。辛く険しい道でした。想
『#64あの日の君へ』拝啓、明日が怖かった僕へ。こんにちは。具合はどうですか。悪いですよね。知っていますよ。僕は9月の自分です。明日が怖くて絶望して泣いて泣いて泣いて涙が枯れて、ま…ameblo.jpあの日の自分への手紙です。これを過去の自分が読むことはありません。なぜならもう未来にいるからです未来が「あるから」です。自分が弱くないことを自分が証明したというこの事実だけは揺るぎません。昨年の千葉ロッテマリーンズの激闘です。諦めない姿勢、プロとしての姿本当感動します。
大事故から奇跡の復活を遂げた女優さんのネット記事を拝見させていただきました。そして確信しました。やはりこのブログは勇気を与えると。そう、思いました。励みになるものだと。その方は事故ですが僕と同じく生死を彷徨ったそうです。僕もほぼ前例のないECMO患者としては数少ない成功例です。なぜならそれはみんなその後も寝たきりで記憶がないからです。僕は目覚めてそこから3ヶ月治療しECMOがはずれ、仕事にも復帰しようとリハビリに励んでます。すごいことなんですよ
大学病院のICUにいました。いわゆる、集中治療室に入院してました。1番やばかった時です。生死を彷徨ったあの時です。まさにタイムトラベルしてECMOをつけてましてや話せない地獄と揶揄されてもあまりあるほどの苦痛な日々を送ったそんなICUですが先日そこの看護師たちがお見舞いに来てくれました。ものすごく嬉しかった。言い方は変かもしれませんが苦楽を共にした仲間のような特別な存在だからです。何もできなかった死に損ないの僕をここまで元気にした立役者と言ってもいい
ご無沙汰してます。まだ入院してます。どうやら月末の退院になりそうです。それでも長かったこの生活が終わると思うととにかく嬉しいです。あとちょっといよいよなんだーって本当に本当に具体化して来ました。一時は生死の狭間を彷徨いながらも一命を取り留め、過酷なECMO治療を耐え抜いたあの日…「生きたい!」と心は叫んでたその声を先生が拾って僕を生かしてくれたそしてもうすぐ家に帰れる頑張ったよな。そうだよな。それでいいんだよな。泣いちゃうね。みんなにあり
皆様の今にとって絶望とは何でしょう?イメージしたことあります?まぁ自然災害は想定しますか?南海トラフもやばそうですし大地震は絶望そのもの。そう。コロナの時もそうかな。日常が急にロウソクの火を消すようにフッと。消えてしまう絶望。その中でどうか希望を探して生きてくれ、なんて頑張れだなんて負けないでなんてエゴですよ。生きたいし頑張ってるし負けたくないですよ誰だって。当たり前でしょうに。死ぬことを計画に入れるバカがどこにいますか!!僕だってその1人です。
毎日毎日天使と悪魔が戦います。悪魔👿「いいよ!寝ちゃえよ。あんまり変わらないよ。」天使👼「ダメよ!自主練しないと、退院が遠のいちゃうよ。」こんな感じで言い争いをしてたまに悪魔に負けます。ごめんなさい。それくらいハードなリハビリをこなしてます。全ては退院のため。貸し出されたおもり(1.5㌔)で、筋トレもなるべくやってます。無理の無い範囲でね。おかげで…退院はいよいよ近づいてます!入院生活を思い出すだけで何度も何度でも泣けます。「退院」なんてワード聞ける日が来る
ワクチンを完全に接種した35歳の女性が、最後の治療を待つ間にコロナで死亡BlakeMontgomery(ブレイク・モンゴメリーレポーター/編集者2021年09月03日19時34分(米国東部時間)掲載ポートランドに住む35歳の女性が、最後の手段である治療を待つ間にコロナで金曜日に死亡しました。ヘザー・グリーリーさんは、感染して最初の1週間は軽い症状しか出なかったと、婚約者のタイラー・バークスさんも陽性反応を示していました。8月中旬、グリーリーさんが最初に呼吸困難に陥ったとき、バークス
拝啓、元気になった僕へこんにちは。今、何をしていますか。楽しんでいますか?9月の退院目前の僕です。この前、過去の僕に手紙を書いたので、次は未来の僕に書きます。未来ではどんな感じですか?すっかり元気になって仕事をしているのかな?まぁ、退院して、通常の生活に戻っているならそれでいいです。無駄にしないようにしてね。僕らの半年を。この入院を。辛かったろう?嫌だったろう?もう二度とごめんだよな。わかる。わかるよ。ECMOとかもう無理だよな。そんな絶望的な状況をさ乗り越えたわ
孤独な戦争を終わらせたいそれは僕がそれだけ外の世界を望むからそこに希望があるから今の絶望があるんだ。外の世界に希望も何も無いなら僕は今ここで絶望もしてないたくさんの約束があります。僕が中の世界に迷い込んだ半年間を取り戻すことは出来ません。他の人は楽しく過ごしたかもしれない半年を僕はもう手にできません。だけど…先の未来を描くことは今もいくらでも出来ます。だからそんな未来を約束で彩りたくてたくさんの約束が今の僕を動かします。確かに病気との戦いは孤独でした
外の世界はどうですか。暑いですか。ずっと病院にいるのでもう9月なんて実感なし!!ずっと同じですよ。同じ景色を眺めて同じような日々が繰り返されるだけ抑揚もないし楽しいこともない外の世界が羨ましいです。色んなものがあるまぁ、それもまた「当たり前」なんですよね。それさえ失うと本当に辛いし孤独です。周りのサポートは当然あります。でも病気と戦うのは僕自身であって代わってはもらえません。孤独な戦争なんです。入院って。ひとりじゃないけどvs病気に関して
声が出ないって体験ありますか?もしかしたら風邪で喉痛くて声が枯れたとかならあるかもしれませんねECMOに隠れちゃうけど声が出ないのも相当な苦痛でしたね。スピード感と言いますか。僕は面白い人間になりたいんですよ人を笑わせる人でいたいそしたらきっと僕も、笑ってるからだから会話の中でも笑いを生みたいのにメモ機能じゃそれも出来ない鋭いツッコミが出来ないまぁお笑い芸人さんじゃないのでそんなこと出来なくてもって思われるかもしれないけど、、僕の中では笑いは重
🎤:それではヒーローインタビューです!!本日はエクマー選手にお越しいただきました!!ナイス復活でした!!エ:ありがとうございまーす!🎤:2月末に入院という診断、改めて振り返っていかがですか?エ:そうですね、中々病気も治らなかったので、そこまで悪くなっていたんだなぁ、という気持ちでした。ただこれでよくなると思ったら少し気は楽な部分もありましたね。🎤:そこから1ヶ月記憶がないとうかがいましたが、その間、本当に記憶はないですか?エ:いやいや!ないですないです(笑)変な夢をずっと見続けていただ
もう9月になりました。大好きなプロ野球も佳境にさしかかり僕の入院生活も佳境でしょうか。勝負の9月になりそうですね!昨日あの日の僕に向けて書いた手紙にもあるように正直。本当に頑張ったなと思ってます。何度も何度も奇跡だとか命懸けの復活だとか騒いでますけどもメンタルを切らさず気持ちで負けなかった僕の頑張りだと思ってます。昨日その手紙を書いて自分で泣いてしまいました。それほど辛かったし退院なんて夢のまた夢だと思ってた時期もあったからここまで回復したこ
拝啓、明日が怖かった僕へ。こんにちは。具合はどうですか。悪いですよね。知っていますよ。僕は9月の自分です。明日が怖くて絶望して泣いて泣いて泣いて涙が枯れて、また泣いていたそんなECMO患者の僕。ありがとう。よく耐えてくれたね。よく諦めなかった!!偉い。頑張ったよ。病気してるし、褒めていいのかわからなくてさー。微妙な気持ちにもなるんだけどそんなことねぇよ本当によく頑張ったよ。すげぇよ、自分のことながら胸を張れ!9月の自分はもう退院目の前まで来てる頑張った
あの頃の僕は今の状況を想像できなかった。あの時の苦痛がしばらく続くのかなって漠然と思ってた。コロナ禍になった時目の前にあるはずの「当たり前」が簡単に崩れ去ったのを皆様も見たはず当たり前って当たり前じゃないっていつそうなるかってわからないから当たり前すぎてそれさえ出来ないなんて考えなかったけど想像を絶する辛さだから皆様も噛み締めて。2月末から入院して今日で暦は9月を刻みます約半年の期間色んなことを考えた大きなことから小さなことまでやりたいことが
僕が今こうして皆様に向けてブログを書いてる当たり前を僕は今本当に噛み締めています。医療の奇跡僕が身をもって体験しました。今こうして回復したことは本当に奇跡です。喋れない頃に使っていたメモ機能を見返してみると本当に他愛のないことも話していたり。あー、喋れなかったんだって今思い出してもゾッとしますよね。ECMOの辛さこのブログを通じて皆様にも伝わってますか?医療の奇跡であり最終兵器であるそんなECMOを3ヶ月です。ほぼ寝たきり。意識はあるけど
終わりが見えてきてこの入院生活を振り返った時、1番のハイライトはどこだろう?って考えたらありすぎて笑!!絞りきれません。でもやっぱり6月7日!ECMOが外れた日でしょう。最高にして最大のハイライト間違いなし!!個人的には喋れるようになった時primaryのKが人知れず涙したと言うそんなエピソードが嬉しかったりします。今は、あまり介助なくトイレに行けるしシャワーもできますし着替えも出来ます。それが当たり前じゃなかった数ヶ月前…。思い出すだけで涙が
大冒険も佳境にさしかかり、#60を迎えることとなりました。リハビリがハードモードになりキツイな、と思いながらもそれは栄光への架け橋ゴールは見えてる!!手渡された1.5㌔㌘のおもりで自主トレ!!ひゃあーーきっついでも。入院生活中に何度も思ったことそれは自分が!自分を!諦めないこと!周りが必死に僕のサポートをしてくれているのに僕が僕を諦めたら何も始まらないから最後で周りとそして自分を。信じて進みます。僕ならできる。できっこないをやらなくちゃ!霞んで
さっそくみっちり3時間リハビリが始まります。のぞむところです!かかってこいや!!今更もう何も怖く無いここまで元気になった僕に向かう所敵なし何より本当に退院の目処が立ったことで不確かなものが確信に変わったあとは突っ走るだけ最終章始まりの合図は高らかに鳴り響きました昨日先生がその言葉をくれたとき色んなことが頭をよぎって泣きそうでしたでも泣いてる暇もない1日でも早く退院するためいやそこまで回復したことを今は褒めるべきなんだ泣くな!笑え!嬉し
見えた!!ついに見えたぞ!!え?何が?って?ゴールですよ、ゴール退院という。ゴールが!!見えてきました。僕が勝手に9月中旬に退院したいと漠然と思っていただけだったけど今日、主治医から「いつ退院したい?」「9月中旬には。」「わかった。そこを目処に、いやそれより早く退院しよう。」そう言うお言葉を頂きました。僕が言霊のように唱えてきた9月中旬退院。現実になろうとしてます。ずっと僕だけの、気持ちだけの問題だと思っていたけど先生から言葉を頂けて9月中旬退院が
眠らされて。ECMOをつけられ懸命な治療の末一命を取り留めた。僕の命の続き今こうして振り返って本当によかったと何度も何度も思う。何度も何度も涙が流れていく本当によかった!!!!!!もしかしてこれは夢なのかな?夢から醒めたら、僕はまだ生死を彷徨ってるのかななんて寝るのが怖かったりそんなこともありました。全てが嫌になって投げ出したくなりましたでも病気して気付きました逃げられません自分の過ち自分の弱さ不甲斐なさそんなものから目を背けても無駄です