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主治医の話を超ざっくりまとめると私の記憶がない間、こういうことが行われていたらしい。☟初日:救急搬送されてきた。救急車で運ばれている最中から痙攣と失神、心停止を繰り返していた。「最初は、まず心筋梗塞かと思ったんですよ。しかし冠動脈には詰まりは認められなかったんだよね。ちょっと、この段階では分からなかった。一時的にペースメーカー入れてカテーテル検査やって、この日は終了。」翌日:EF(左室駆出率)という
「ECMOって何するんですか?」世界がコロナショックの渦中の折、「ECMO(エクモ)」と言う言葉は治療の最後の砦、として耳にはしていたぞ。けど、実際、何をするものだ???んーーっとね、と主治医が話し出す。「けっこう、凄いやつでね。肺、つまり呼吸不全に使うヤツと心臓、循環不全に使うヤツとある。○○さんがつけたのは心臓の方。足の付け根に傷があるでしょ?」確かにある
救命センターの灯りがちょっと暗くなった。夜になったらしい。時計も見れないし時間は分からない。うぉーーーーーー💦寝れない。身体は動かない。ベッドの頭の方が斜めになっていて身体がずり落ちて気持ち悪く登りたいのだが手すりを掴む力もない。自分の身体だけど自分の意志ではどうしようもできない。物質だ・・・・ときどき虫ぐらいにはモゾモゾできるけど・・・・。寝たきりって想像以上だな・・・・。
こんな時に、スマホが使えないという状況から3日目。こんな事初めてだった。私も家族もau回線だったので、ICUからの連絡が取れず、実家の固定電話に連絡して頂き、私のラインで、繋いでもらう事にした。早速、午前中連絡が入り、すぐICUに駆けつけると、先生「今日は、お母さんエクモを離脱します。」説得力のある言葉に、涙が止まらなかった。肺の状態は、まだ完全じゃないけど、外せる基準にきたらしい。先生「12時からICUで離脱します。その後、めいちゃんに会ってあげてください。」やっと
「分かりますか?今日で6日目です。」主治医と思しき医師に声をかけられて気がついた時、私は口をバカッと開け、身体は何かにくくりつけられ固定された状態だった。口の中に何かメチャ太いものが入っている。喉の奥まで刺さっているっぽい。手はベッドに縛りつけられている。時々、看護師さんが「ちょっと苦しいけど頑張ってください」とゴゴゴーーーーっと吸引器みたいなもので喉の奥を吸ってくれる。あとから聞くと、この口の中に入っていたものが人工呼吸器。
「開けて開けて開けてーーーーっ!!閉じないでっ!!」「ぐわぁぁぁぁぁぁーーーーーっっ!!」人工呼吸器を抜く、という「抜管」という儀式はとにかく壮絶だった。私は目を剥いて、人生史上最高の苦しみを味わっていた。あんな苦しいことを何故麻酔なしでやるのか?としばらく経ってから聞いたら、抜いたあと自発呼吸ができるかどうか確認しないといけないから意識がなければ意味がない。ダメだったら再挿管しないといけない。これが俗にいう失敗だ。とのこと。
「○○さん、大丈夫そうなので8時に人工呼吸器、抜きます。」主治医の声で朦朧と目を開けた。(はい・・・)そもそも状況が半分はわかってないのでとりあえず管の入った口を開けたまま目でうなずく。・・・で、予定時刻。主治医の先生がやって来た。「じゃあ、今から抜きますね。抜くのはいいんですけど、思ってるより苦しいんで頑張りましょう。」(ん???・・・・)と思ってるや否や、先生の手が近づいて来た次の瞬間、口から気管の中に
こんにちは〜ちぃたまんです!!!前回の記事の件ですが情報提供や拡散をしてくれた皆さま、本当にありがとうございます。まだ病院も決まらず苦しい状態は続いていますが、教えていただいた病院に受け入れのお願いをしてまいります。皆様のサポートは本当に力になります。ありがとうございます!➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖引き続き、のんちゃんと肺移植の未来の会拡散希望で記事にしていきます私の近況報告はまたブログ更新させていただきますのでそちらも宜しくお願いしますではでは。
ガッツリ人工呼吸器が入りナースコールを握りしめひたすら天井のダウンライトを見ながら寝たきり状態に耐える。どれぐらい経っただろう・・・・。ふと気がつくと主治医が横に。「一時期ほんとに大変でしたけど、一番危ない時は脱したと思います。うまくいけば明日、人工呼吸器、その口に入ってるやつね、それも取れるかもしれません。」朦朧としていて半分はわかってなかったけど良い方に行ってるんだと言うことはわかった。これが人工呼吸器とい
ご訪問いただきありがとうございます。かいマムと申します3人兄妹と共働きアラフォー夫婦のドタバタ珍道中を書いております。2023年登場人物紹介はこちらからどうぞこんにちは、かいマムです。以前ブロ友さんからシェアしたのんちゃんの記事ですが、その後ちゅけが入っている某腎臓病の子供の親の会の方で直接のんちゃんの親御さんと繋がる機会があり、のんちゃんのことがyahooニュースで取り上げられた、とお知らせを受けましたので、微力ながらこちらでもご
拝啓、元気になった僕へこんにちは。今、何をしていますか。楽しんでいますか?9月の退院目前の僕です。この前、過去の僕に手紙を書いたので、次は未来の僕に書きます。未来ではどんな感じですか?すっかり元気になって仕事をしているのかな?まぁ、退院して、通常の生活に戻っているならそれでいいです。無駄にしないようにしてね。僕らの半年を。この入院を。辛かったろう?嫌だったろう?もう二度とごめんだよな。わかる。わかるよ。ECMOとかもう無理だよな。そんな絶望的な状況をさ乗り越えたわ
入院!?「入院が必要です。」「…!!!?」内科の先生に言われたのは衝撃の一言でした。えーーっと…って遡ると、入院は幼稚園児だった頃にして以来です。それが35歳(あ、そうです。僕は今年36歳になる1988年生まれです。)になって、え!?入院!?と驚く気持ちと、だけどこの症状がよくなるならもう入院でもいいか…?という2人の自分が戦ってるような、そんな気持ちでした。ただ、先生の様子を見る限り、ちょっと慌ただしい感じがしました。あれ?このまま病室に運ばれるんだよな?…まだかな?なんて思っていたら
欠勤まさかのバレンタインデーに救急車で運ばれると言う何も楽しくない日を過ごしたのも束の間。なかなか症状が回復せず、僕は仕事をしばらく休みます。痛み止めを処方されて飲んでるものの、あまり効き目があるように思えないくらい、痛みは引きません。都度、店長に病状を報告し、休ませてもらいました。シフトに穴を開けてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいですが、もちろん、それを考えてる余裕はあるはずもなく。痛みは全然引くこともなく。八方塞がりでした。途中、蕁麻疹も出てしまい、一体これのどこが「筋肉の炎症」なの!?