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乳がんとG-CSFに関してのシステマティックレビューの1つを、興味深いポイントに絞って要約しています。『乳がんとG-CSFあれこれシステマティックレビュー』Theroleofgranulocytecolony‑stimulatingfactorinbreastcancerdevelopment:…ameblo.jp次に実臨床への応用の可能性についてです。実際に乳がん患者の血清学的invivo(生体内)分析の結果は、invitro(生体外)での観察と一致していました
Theroleofgranulocytecolony‑stimulatingfactorinbreastcancerdevelopment:AreviewMolecularMedicineReports,21,2019-2029,2020.について要約しました。『乳がんとG-CSFシステマティックレビューより』少し前にザクロについて調べてみました。『石榴・柘榴・ザクロ』ある方からご質問をいただきました。私はザクロに関して、全く知識を持ち合わせていませんでし
少し前にザクロについて調べてみました。『石榴・柘榴・ザクロ』ある方からご質問をいただきました。私はザクロに関して、全く知識を持ち合わせていませんでしたので、私なりに調べてみました。今から書く内容についての信憑性は保証で…ameblo.jp最初は軽く調べて終わるつもりでしたが、余りにも多くの研究が、しかも乳がんに対して広く深く研究されていて驚きました。今回G-CSFと乳がんについて、これまでの知識をブラッシュアップするつもりで、調べ直してみるだけのつもりでした。しかし、こちらも余りにも多く
dosedenceAC療法やdosedencePaclitaxel療法は、狭義では、G-CSF(Granulocyte-ColonyStimulatingFactor,顆粒球コロニー刺激因子)製剤を併用する場合に用いられています。G-CSF製剤は乳がんに対して安全なのでしょうか。G-CSFと乳がんには、どの様な関連があるのでしょうか。G-CSFの血漿中または血清中濃度が、早期乳癌患者や健常対照群と比較して、進行乳癌患者で上昇していることが示されています。Neutrophi
私はddACやddPTXを用いませんが、それには理由があります。①エピルビシンではなく、ドキソルビシンを用いるメリットが見当たりません。AprospectiverandomizedcomparisonofepirubicinanddoxorubicininpatientswithadvancedbreastcancerJainK.K.et.al.,JClinOncol,1985.この論文では、エピルビシン85mg/m2,ドキソルビシン60mg/m
アメリカからセカンドオピニオン外来にお越しになられた方がおられました。股関節の痛みから大腿骨のレントゲンを撮影され、溶骨性転移が発見されています。セカンドオピニオン外来受診時にいただいた画像は、片側の大腿骨を2方向撮影されたXp画像のみでした。骨転移されている方で、大腿骨のみの転移は珍しいのですが、お国柄なのか、あるいは症状がない部位の検査はしないとの考えからなのか、CTや骨シンチグラフィ画像の提供はありませんでした。従って、他の部位の骨転移のみならず、肺転移や肝転移、遠隔リンパ節転移
こんにちは。こんばんは。Sheepです次回のパクリタキセルを明日に控え、ふとDDAC治療の際に感じていたことを思い出しました。それは、トイレのChemo臭。こちらでは、抗がん剤治療をChemotherapyと言いますが、Chemo(キモ)と呼ぶのが一般的です。Adriamycinとcyclophosphamideという薬の臭いで、確かに強い薬なのですが、臭いがここまで継続するとは思っていませんでした。もう此処まで来ると心理的なものなのかなとも思っていますが、バスルームに入る度
お久しぶりです。Sheepです前回の更新からだいぶ日が経ってしまいました。この約2か月、この人生で経験したことのない吐き気と倦怠感を感じました。私が感じたDDAC療法の副作用をここに纏めておきたいと思います。さて、私の治療は2週間に1回のペースで投薬していくもので、投薬自体は約2時間半。カナダの病院では、治療の2日前にOncologistと面談があり、血液検査の結果と、治療の進行具合、副作用についてなどを確認していきます。1回目の投与が終わり、私の投薬日は隔週金曜
ddAC4回目で、さすがにまつ毛も眉毛も全部無くなる。鏡に映った自分の姿が何かに似てるなー、と思ったら、E.T.だった、笑。そういえば子供の頃、同級生に言われたことあるなぁ。ひどいこと言うなぁと当時は思ったけど、ヤツには先見の明があったな・・・笑。腫瘍はさらに小さくなって、体感的にはMAXの4分の1だ。「すれ違う時に庇わなくなったね」と夫が言う。確かに、腫瘍に衝撃が加わるのが怖くて、人混みとか、すれ違う時とか、ずっと無意識に右胸を庇うようにしていた。今となってはもう、初め
胸部レントゲンと心電図の検査を終えて、再び先生に呼ばれる。心臓は大きくなっていないし、水も溜まっていないので、レントゲンは問題ないとのこと。「ただ、心電図ね・・・。今回、ちょっと前回と違ってる」何か所か、抗癌剤開始前に計測した波線よりも上に飛び出た波線を示して、先生が説明してくれる。「上がる方が心臓の負荷が強いことが多いんだけど」・・・やっぱり、胸痛が起きたのには原因があったんだ。心負荷マーカーのproBNPというのを確認するそうで、採血の残りでできるから、既にオーダーして
ddAC最終戦。当日の朝を迎えた。精神面では頑張ろうと思ってるのに、体が勝手に拒絶反応をおこして、耳管開放症みたいな症状が出る。耳がポコポコ音がして聞こえにくい。ストレスがたまると出る症状だ。食欲もあまりない。体重が6%も減少してしまったので、その分抗癌剤を減らしてくれないかなぁ、と思う。対戦相手は何といっても、WBC(WorldBreastCancer)ヘビー級王者として長年君臨する、最恐のddACである。対するこっちはミニマム級だ。しかもますます減量中、笑。本当
ddAC3回目投与後、丸9日。体調がようやく回復してきて、ジョギングに行く。走り出してしばらくすると、胸痛がしてくる。気のせいでは?しばらく歩いて、また走り出してみる。やっぱりまた、胸痛がしてくる。しかも、さっきより酷くなっている。まさか・・・【ドキソルビシンの心毒性:不可逆】なっちゃったのか!?抗癌剤治療を恐れていた最大の理由の一つだ。心毒性については事前に色々調べていて、アミノレブリン酸(5-ALA)に心毒性の抑制効果があるという複数の研究結果を見て、抗癌剤開始
点滴中から感じていた気持ち悪さは、どんどん増してくる。吐き気・眩暈・頭痛・・・ACの副作用か?いや、そんなにすぐ出るの?精神的なやつか・・・?とにかく体調悪くて、何だかまっすぐ立っていられない。通院治療センターを出て、エレベータを待つ。左腕しか通してないパーカーがズルっと垂れ下がり、前かがみの姿勢も相まって、マイケル・ジャクソンのMTV『Thriller』にモブゾンビの一員として加わっても違和感のないレベルだ。(ちなみに、MJと一緒に踊り狂ってる方じゃなくて、間奏部分で墓
2024年3月上旬。ddAC3回目当日。ddAC2回目で劇的な腫瘍縮小効果を実感し、これは絶対に先生に報告せねば!と勇んで診察室へ。・・・と思ったら、先生の方から聞いてくる。「効いてる?自分では分からない?」「あの、すごい小っちゃくなって!半分以下になってっ!!」興奮のあまり、唾を飛ばさんばかりの勢いで言う、笑。「え!そうなの!?まだ2回なのに!」先生もびっくり。「なんか、ショボーンって感じになってるんです!!笑」「良かったぁ!笑。そいつは良かったよー」自分でそれだ
ddAC2回目から丸10日。体調が回復してきて、ふと気付く。何か、腫瘍めっちゃ小さくなってない!?ddAC1回目で何だか柔らかくなったと思ったら、ddAC2回目後の2週間でなんと、半分くらいの大きさになったよー!!めちゃくちゃ効いてるー!!大興奮。見た目も、オラオラな雰囲気でブイブイ言わせてたのが、「しょぼーん」「ちんまり」って感じになっちゃって!あの勢いはどこ行っちゃったの?って感じだ。さすがddAC!WBC(WorldBreastCancer)ヘビー級王者
ddACに強烈な遅延型の副作用パンチをお見舞いされる。夕食後、しばらくすると、吐き気が復活。調子に乗って食べたせいで、逆流してくる(またか!笑)。頭痛・胸痛・悪寒・頻脈・手足のしびれ感や浮腫み感、舌が真っ白で唾を飲み込むのも気持ち悪い状態・・・前回と全く同じ副作用の神が再降臨。うう、甘く見てた・・・。でも、明日になれば体調良くなってるかも!とにかく寝てしまえ。・・・翌朝。見事に期待が裏切られる。前日とは打って変わって、「チーン」状態。副作用がMAXの8~9割レベル
病院の駐車場に着く頃には、もう日が沈みかけている。今日は車で、行きも帰りも夫が運転してくれる。とにかく、抗癌剤の成分が手足の末端に回る量を、可能な限り減らしたい。ACでは爪の障害予防のため、パクリタキセルではしびれ予防のためだ。そのため、足はなるべく上げておく。助手席のダッシュボードの上にクッションを置いて、足を乗せて、シートはかなり倒す。お腹にジーラスタが装着されていて、ビミョーにシートベルトが引っ掛かりそうな位置で困る、笑。左腕には抗癌剤開始前から着圧スリーブを
最初の制吐剤の点滴が始まる。やっぱり頭の芯がぼんやりする感じだ。副作用なんだろうな、と思う。ドキソルビシンの点滴が始まる。しばらくして様子を見に来た看護師さんが腕を見て、痛くないかと聞いてくる。特に痛くはないです、と答える。点滴針の入ってる周辺の皮膚が赤いとのことで、心配される。そうなの?自分ではそんなに赤いと感じないけど。そのあと、シクロホスファミドが始まってからも、別の看護師さんに同じ心配をされる。もしかして私、アルコール耐性弱いのかも?今まで気づかなかったけ
通院治療センターの受付で、看護師さんに監視されつつアプレピタント125mgを飲むと、治療用ベッドに案内される。今回はリクライニングチェアでなくて、ベッドだ。看護師さんからAC1回目投与後の体調について聞き取りがある。先生の診察の時よりも色々細かく聞かれる。吐き気について聞かれる。オランザピンで3日間正体不明だったと言うと、看護師さん苦笑して、「オランザピンは、飲まないといけない薬ではないので、吐き気が酷くなければ飲まなくてもいいんですよ」うん、それ、私も後から気付いた
2024年2月下旬。AC2回目。朝起きた時から、「うおおお、やったるでー!!」と気持ちをアゲまくってX病院に到着。診察室に入るなり先生、「元気ですかぁーっ!」吹き出す。猪木か。「元気でーす!」こちらもおどけて言う。ユーモアのある先生で良かったなと思う。「2回目やれそうかい?」「やりますっ!頑張る!!」なんかランナーズハイ状態。吐き気がどうだったかと聞かれる。3日間オランザピンを飲んで、正体不明な感じでずっと寝てたと言うと、「正体不明・・・笑」先生も苦笑。でも、
ddAC1回目から丸5日。食欲もほぼ元通りだし、体も動かせる。普通にスーパーとか薬局行って買い物できる。抗癌剤治療中ずっと寝たきりになってしまうことさえ覚悟していたくらいだったから、こんなにも動けるんだ、ってことに感動。ddAC1回目から丸6日。食欲も完全に回復。3日間ほとんど食べられなかった分を取り戻すべく、ここから次の抗癌剤の前日まで、普段より多めに頑張って食べる。体調が回復してきたので、夫に任せきりだった家事を分担しようと思ってやりはじめると、夫が怒る。全部
あ〜しんどかった土曜日から1週間布団引きっぱなしでやっと今日布団干して片付けた激痛はなかったけどあっちこっち来たかな〜と思うような痛さがちょいちょい今思うと私、最後のddAC打つ前の血液検査の数値特に問題なかったから最後のジーラスタっていらんかったんちゃうかなほんだらもっと早く回復できたと思うねんけど夫がお疲れさまやったわ早朝から洗濯してお弁当作って、私の朝食のホットドッグ用意して会社行って帰りは買い物して病院の送迎、皮膚科での毎日の消毒も先週から1週おきになったけど
翌日のお昼少し前、抗癌剤投与から丸3日。目覚めて、気持ち悪さがずいぶん軽減されていることに気付く。レベル3~4って感じか。頭痛もほとんどなくなって、すっきりした感。食欲が戻ってきたのを感じる。いつもよりは少なめだけれど、味噌汁・納豆・目玉焼き(半熟)・ライ麦パン・バナナ・コーヒーという毎朝の食事を摂ることができた。外出もできそうな感じだ。午後丸山ワクチンを打ちに行く。夫が心配して付き添うが、一人でも全く問題なさそうだ。夕方には軽めの筋トレを再開できた。おお~回復してる
次に起きたのは午前11時頃。しゃっくりはどうやら落ち着いたようだ。昨日の朝ごはん以来何も食べていない。「気持ち悪いけど、なんかちょっと食べたいな」と夫に言うと、「良かったぁ~。ずっと心配してたんだ~」と涙を流さんばかりの喜びよう。大袈裟だなぁ、笑。「何食べる?」何なら食べられるんだろう・・・。「取りあえず、バナナと、パン」毎朝食べているものにしておこうと思うが、野菜たっぷりの味噌汁、目玉焼き、納豆はやめておく。バナナを1本の半分くらいと、パンを一口食べる。パンはい
どうにかこうにか家までたどり着いたものの、体調の悪さは既に最高潮。めちゃくちゃ気持ち悪い。やたら寒い、というか、ほとんど悪寒。頭の芯に響くような感じの頭痛。「もお、寝る!」ずっとからえずきが続いていて、部屋着に着替えるのも難儀な状態だ。あれだ、あれ飲んで、もう寝よう。例の、オランザピン。飲んで倒れるように眠る。その後の記憶は皆無。夜の10時くらいになって、おしっこしたくて目が覚める。目覚めた瞬間から、しゃっくりが出始めて止まらない。気持ち悪さも全く軽減せずに復
ACは数時間後から気持ちが悪くなる人が多いと、オリエンテーション時にMさんから聞いている。今日は電車だから、片道2時間かかる。衆人環視下で後悔する展開になる前に、とっとと家に帰った方が良さそうだ。手足の冷却と氷を舐めるのを止めて、会計手続き。会計待ちの間に、夫だけ病院内のコンビニで買ったおにぎりで軽く腹ごしらえ。ふと腕を見ると、点滴針が入っていた周辺が何だか赤い。まさか・・・血管外漏洩!?一旦心配になりだすと、もうダメ。壊死を起こした腕の画像が脳内を席巻。通院
制吐剤の点滴の残りが半分くらいになった頃から、手足の冷却を開始。氷も舐めはじめる。あっという間にドキソルビシンだ。なんか発音からしてドキドキする、ドキソルビシン、笑。赤い液体は、点滴の管を通ると蛍光オレンジみたいな色だ。「毒をもって毒を制する」と心の中で念仏のように唱える。点滴は全開で5~10分で完了だ。危険だから早く終わらせるってことみたい。ドキソルビシンが終わったらそのままエンドキサン。Mさんが手際よく点滴バッグを交換していく。タイマーが色々なタイミングでセットされて
あ〜しんど骨痛来たか〜と思って痛み止め飲むと治る軽めやなムカムカは相変わらずそやのに食欲はある昨日は尼崎のあんかけチャンポンが食べたくて食べたくて味覚治ったら絶対食べに行きたいそれとウナギの白焼味覚異常で変な味やからめっちゃ食べ物に執着するつわりで食べられへんかったときみたいにこれ太るやつや〜昨日の夜は夫が焼飯を使ってくれた白ご飯はあかんけど焼飯なら食べれる食べたくて我慢できひんでしんどくてもサンマルクへモーニングのパン食べ放題食い意地張りすぎやわ今更や
通院治療センターの受付に行くと、本人確認用のバーコードが腕に巻かれ、名前と生年月日を確認される。「38」とマジックでバーコードに書かれているのを、なぜか自分の年齢のことだと早とちり。「そんなに若くないです」と言ったら、看護師さんが困惑顔。数字は治療ベッドの番号だった、笑。超強力制吐剤アプレピタント125mgを掌の上に載せられて、看護師さんの見ている前で飲まなくてはいけない。薬デカいなー。喉に引っ掛かりそうだ。映画「カッコーの巣の上で」のシーンを思い出す。さすがに口腔内まで
初抗癌剤、当日の朝。きちんと目覚ましの時間で起きる。予報どおりの降雪で、外は一面銀世界だ。雪だから行けませんでしたー、って言って逃げたいような気持ちが、一瞬頭をよぎる。いいや、そうはいかない。もう私は、覚悟を決めたのだから。首都高は案の定、雪で通行止めだ。電車はどうにか動いてる。持ち物を最終確認したら、物置から引っ張り出したスノーブーツに足を入れる。いざ、はるばる行かん、北の国から。待っとれよ、ddAC(ドーズ・デンス・AC)。早めの電車に乗ったけど、それでも雪の影