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今朝、名古屋駅で地下鉄から近鉄へ乗り換え途中、駅の一角に展示されているF1レーシングカーに人が集まっていました。写メを撮る人並ぶ人?はい、私も並びました。並びの先には、皆さん抽選ボックスに手を入れてます。次はわたしの番になりました。東海道新幹線開業、HondaF1参戦が共に60周年!しかもそれをコラボ缶バッチにして通勤途中のサラリーマンへ大盤振る舞いしてました。この意表をついたコラボは記念になりました。桑名へ向かう近鉄の急行乗り場はいつにない列を作っていました。座れない?そこは常連通勤客
我が国・日本の国旗は〝日章旗〟、国歌は〝君が代〟、国鳥は〝キジ〟・・・では、国花は何でしょう?正解は〝菊〟・・・と、もうひとつ。百円玉のウラにも描かれ、この時期人々の目を楽しませてくれる桜で、今日・3月27日は、その〝さくらの日〟なのだそうです。3×9(さくら)=27の語呂合わせだそうですが、これは少々苦しいとしても時期はピッタリでしょうネ。一昔前の東京ではちょうど入学式の頃に満開となり、希望に胸を膨らませたピッカピカの新入生たちが花びらの舞う校庭で親子で記
26、36、ඉ̫́ඉ̀あとふたつ〜3等と4等の差も悔しい(;꒪ͧ皿꒪ͧ)きーーーー!
ビートルズの伝説が始まったあの「初登場」から60年...熱狂の中、本人たちは「卑下」していた60YearsofBeatlemaniahttps://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2024/02/post-103782.php
お化け煙突、こと千住火力発電は、かつて東京都足立区に所在した東京電力の火力発電所に建てられていたそうです。隅田川沿いに立地し、大正15年(1926年)から昭和38年(1963年)まで稼働していたそうですから、実物をご覧になった方もすでに60代半ばを越えていらっしゃるでしょう。高さ80メートル、4本もの煙突は東西南北に対して菱形に建てられ、たとえば荒川を渡る国鉄路線からは角度によって4本のままに見えれもすれば、3本、2本、1本に重なって見えたといいます。38年に渡る稼働期間よりも、すでに取り
700番台.2000番台からの115系改造JR西日本下関区の115系には初期型のクハ115形を組み込む編成やクハ111形0番台との混用車による編成があったが、115系の初期型クハは老朽化が進み、113系と115系の混用編成は半自動ドアが使えないなどサービス上の問題があった。2012年より京阪神地区への新型車両投入で捻出されたクハ111形30N体質改善車を115系に編入し、老朽取替えとサービス向上を行うことになった。クハ115系2500番台主幹制御器を抑速制動に対応したものに交換するな
165系からの改造特急形改造車と同様の事情によって改造されたものであるが、2種2両のみの存在であった。サロ110-501編集1983年11月のダイヤ改正で余剰となった165系普通車を113系グリーン車に改造したもので、サハ165-7からの改造で登場した。塗分位置の変更(165系より橙色部分が天地に広い)と行先表示器の追加を除けば後述の401と同様外観は種車とほとんど変わらない。1200番台と同等の簡易リクライニングシートを装備している。座席の間隔と窓の間隔は合っていない。165系から改
サロ110-351-362・1351-13581983年(昭和58年)から1986年に登場したサロ489形とサロ481形の改造車である。定員48名。350番台はトイレ付きだが、1350番台は改造時にトイレを閉鎖している。種車の製造時期の違いから冷房装置に差異がある。前述の302・303を含めてサロ481形およびサロ489形を出自とする車両の改造車は、元の出入台にあったステップを改造時に埋め込んでいる。356・357・359・360は、サロ124形およびサロ125形と連結されるために
サロ124.125形老朽化が進み、取替時期に来ていたサロ110形およびサロ111形の置換えにあたり、乗客の着席需要が旺盛なことから同時期に登場した211系の2階建グリーン車サロ212形およびサロ213形と同じ車体を採用して座席定員の増加を図ったものである。サロ124形これにより定員はサロ110形1200番台の60名に対して90名と30名増となり、実に1.5倍に増加している。車掌室付きでトイレなしのサロ124形が1989年3月から1991年2月にかけて29両、トイレ付きのサロ125形が1
111・113系は、東海道本線東京口や横須賀線・総武快速線、京阪神地区など大都市近郊で使用されたことからグリーン車が製造されたことも特徴となっている。111・113系用として新製された車両のほか、数多くの改造編入車が登場している。京阪神地区は1980年10月1日国鉄ダイヤ改正で運用が消滅し全グリーン車が首都圏に転属。静岡運転所所属車は1986年11月1日国鉄ダイヤ改正で国府津区に転属。JR東日本のみに引き継がれた。1962年にはサロ111形が新造車として登場し、1965年からはサロ153
JR四国の改造車両保全工事、冷房改造JR四国の111系は使用開始にあたり塗装が白地に水色帯の四国色に変更され、本四備讃線(瀬戸大橋線)用の無線アンテナが設置された。継承された12両は車齢が高いため、構体の補修や側窓のユニット窓化、トイレ撤去などの保全工事が1987年度に施工された。保全工事によりクハ111形のトイレは撤去(本州直通用とされた。クハ111-27・29のみトイレ未撤去)され、モハ110形には2両分しかホームがなかった無人駅で車掌が集札を行うために車掌用設備(放送装置や車
115系混用車の抑速ブレーキ制御対応改造編集下関区に在籍した115系と編成を組むクハ111形については、115系と113系の混用では抑速ブレーキの使用ができず、混用編成は広島所属時代には山陽本線海田市-岩国間と呉線・可部線で、下関転属後は山陽本線岩国-下関間限定での運用がなされていた。2003年3月のダイヤ改正で下関の115系C編成と共通運用が行われることになり、クハ111形の主幹制御器を抑速制動に対応したものに交換するなどの改造が行われた。この結果、実態としては115系の制御車と
耐寒耐雪改造車編集京都総合運転所で運用されている5700番台・7700番台が、編成変更により先頭車が不足したため、2002年に体質改善工事施行済の網干電車区(現在の網干総合車両所)のクハ111形7000番台が耐寒耐雪改造され、7700番台に編入されたうえ、京都総合運転所に転属した。対象車両は以下のとおりクハ111-7121・7139→クハ111-7707・7708クハ111-7021・7036→クハ111-7757・7758改造内容は耐寒耐雪改造のみ、シャッター付きタイフォンカバー
体質改善30N(想定寿命30年)改造費用の面や車両の使用期間(残耐用年数)の面から2002年以降は費用節約のため工事を簡略化した「体質改善30N」と呼ばれるメニューに移行し、対象車も経年の浅い7X00番台のみとなった。外観は窓が従来のユニットサッシのままであり、雨樋の張り上げも行われていない。車内は天井の平天井化を行わず、室内灯のカバーもなく、車内放送スピーカーも従来型である。側扉は半自動ドアボタンが設置されたが、ドアエンジンは施工前同様のTK4系であり、扉上部のカバーの出っ張りも残ってい
体質改善工事国鉄時代から施工されていた特別保全工事の内容に加え、新型車両に合わせた接客設備の改善や新型車両との部品共通化によるコスト低減、検修の効率化を目的として、1998年から施工されている。40N体質改善工事は1998年度から2002年度にかけて、網干総合車両所、宮原総合運転所、京都総合運転所所属の5000・7000・7700番台計106両に、30N体質改善工事は2002年度から2004年度にかけて、京都総合運転所所属の7000・7500・7700番台計44両に施工された(2004年度は
クモハ112.113形3800番台への再改造福知山線笹山口-福知山間および山陰本線福知山-城崎(現在の城崎温泉)間の輸送力適正化と2001年3月からの一部列車のワンマン運転化のため、800番台のうちモハ113形+クモハ112形のユニットから再改造されたグループである。2000年度に2両編成9本が改造され、福知山電車区にN編成として配置された。クモハ113-3800番台改造前の800番台ではクモハ112形を含む3両編成にクハ111形を1両増結した4両編成で運用されていたが、モハ1
電気連結器取付と撤去による改番編集山陰本線園部-福知山間電化開業(1996年3月)より、編成の増解結が園部駅で行われることになるため、京都配置の山陰線用車両に対して、1994年度から自動解結装置と電気連結器の取付がTc車に実施された。施工車は改番が行われ、7500番台が奇数向き(7100番台改造)、7600番台が偶数向き(7000番台改造)である。番号の対象は以下のとおりクハ111-7136・7115・7113・7116・7120・7114・7134・7142・7135・7140・
トイレ撤去車編集北陸本線・東海道本・山陽本線.京阪神地区と湖西線では、トイレは編成中西(偶数)向き先頭車のもののみが使用されるようになっていたため、1991年より東(奇数)向き先頭車の不要トイレが撤去された。トイレが撤去されたクハ111形2000番台まず施行されたのがトイレ付きで製造されたクハ111-2100番台。その後カセット式汚物処理装置未装備の0'、700番台車のほか、初期車のクハ111-5177も改造された。当初はトイレを撤去した跡は客室とされ、窓と座席が設置された。なお、初期
113形800番台の電装解除編集1991年、福知山線で発生した衝突事故でクモハ112-801が事故廃車になったのに伴い、ユニットを失った1両(モハ113-818)が1992年電装解除を受けて改造。本グループ初のサハ111形が発生した。対象車両は以下のとおりモハ113-818→サハ111-5801改造時に高速対応工事が施工されたため、+5000の5800番台となった。網干電車区(現在の網干総合車両所)に配属された。サハ111形は全て押込型通風器で製造されたため、唯一のグローブ型通風器の
113系800番台の追加改造編集1995年には当時奈良電車区に配置されていた113系が運用廃止により余剰となった。この中からクハ111形3両が800番台に転用された。対象車両は以下のとおりクハ111-432・435・470→クハ111-826-828対象車は全て偶数向きでWAU102形冷房装置搭載。偶数向きでクモハ112形の前部に連結され4両編成化された。このためクハ111+モハ113+クモハ112+クハ111という編成が誕生した。改造されたクハ111はカセット式汚物処理装置装備
高速化改造編集1991年から最高速度120km/hの221系が投入されたこともあって各線の快速・新快速がスピードアップするのに伴い、1992年より向日町運転所(のちの京都総合運転所、現在の吹田総合車両所京都支所)・宮原運転所(のちの宮原総合運転所、現在の網干総合車両所宮原支所)・網干電車区(現在の網干総合車両所)・日根野電車区(現在の吹田総合車両所日根野支所)に配置されていた全ての113系に対し、最高速度を100km/hから110km/hへ引き上げる工事が行われたモーターは継続使用
JR西日本の改造車編集京阪神地区で多く使用されていたが、後継形式の投入に伴い、廃車が進んでいる。また複雑な改造や転用も多い。京阪神地区での110km/h運転に伴う高速化改造が行われ、山陰本線京都口や舞鶴線・小浜線の電化、広島地区等への運用拡大が行われる一方、一部線区では輸送力適正化のため先頭車化改造による短編成化・ワンマン化も実施されている。延命N・NA工事編集特別保全工事にアコモデーションの改良を含めた延命工事として、延命N工事が施工された。製造から30年の使用を目指し、特別保全工
1998年3月改正では、国府津電車区(現在の国府津車両センター)に横須賀・総武快速線からの転用車を使用して付属編成が増強されたことに伴い、捻出された一部は静岡地区内での運用が増加した。2000年には後述のように3本がT編成を解かれ、先頭車が元番号に戻された。2002年12月改正では、伊豆急行200系増備に伴い伊東線・伊豆急行線内運用が消滅。出庫列車(360M)の終着駅が国府津に変更された。2004年10月改正ではE231系の投入により国府津の113系の置き換えが開始され、さらにJR東日
偶数向きクハ111形の方転改造編集1999年の313系投入に伴い、JR東海では多数の113系初期車が廃車となり、車齢の若い2000番台車の転配が行われた。この際静岡運転所では奇数向きクハが1両不足したため、大垣区から転属された2000番台偶数向きクハ1両を奇数向きに方向転換。新区分番台「2300番台」とした。なお車号の下2ケタは元番号から引き継がれた。番号の対照は以下のとおりクハ111-2033→クハ111-2333この車輌は1979年に静岡運転所に新製投入された2000番台車4両編成1
房総地区向け方向転換・編入改造編集クハ111形の方向転換1988年、国府津電車区所属のクハ111-173が方転改造(偶数方)され幕張電車区に配属された。1991年にクハ111-183が改造、1992年にクハ111-200が改造。予備車として国府津電車区所属のクハ111型ATS-P型取り付けによる代走を務め1993年に幕張電車区に転属。クハ111-173・183・200→クハ111-569・575・576このグループでは-576が1997年に廃車になったが、-569は訓練車として国府津
車両更新工事編集JR東日本では発足当初、国鉄時代から行われていた特別保全工事によって車両延命を行ってきたが、これを一層徹底した施工内容による延命工事に移行した。施工当初は1967年-1972年製の車両を対象に1988年から1993年まで実施されたが、後に1972年以降に製造された車両も追加された。113系では幕張区の0・1000番台初期車、幕張・大船区の1000'番台の一部、東海道本線で使用されるサハ111-1000番台が中心に施行され、のちに国府津区の113系0'番台も一部施行された。
JR東日本の改造車編集国鉄から大量に継承したが、新形式の投入に伴い現在は全車両が定期運用を退いている。AU712形による冷房改造車編集国鉄時代、非冷房車は新造車と同じAU75系冷房装置によって冷房改造されていたが、非冷房車は冷房搭載を前提とした設計ではなかったため搭載には構体の補強および電源用三相交流引き通し増設の工事が伴い、多額の費用と時間を要していた。113系では幕張電車区に所属していた房総地区の車両には大量の非冷房車が残っており、対応が急がれた。1000'番台冷房準備車はAU75によ
1986年に福知山線宝塚-福知山間および山陰本線福知山-城崎(現在の城崎温泉)間の電化開業に伴い、ローカル列車に113系が充当されることとなった。国鉄が大船・吹田・鷹取・小倉の各工場と広島車両所・幡生車両所(名称はいずれも当時のもの)で0番台に対してドアの半自動化(手動)など、700番台に準じた寒冷地対策(耐寒耐雪仕様)を施工したグループが800番台である。800番台を名乗るが、パンタグラフ取り付け部低屋根化改造は行われていない。(大船工場(AU75冷房改造も実施)と小倉工場はクモハ1
耐寒耐雪改造1984年2月のダイヤ改正で、当時高槻電車区の700番台・2700番台が短編成化により先頭車が不足するため、同じ高槻電車区配置のクハ111-2000番台8両が改造された改造内容は側引戸の半自動化とシャッター付タイフォンカバーの取付(新製車とは異形状)と予備笛の追加である。JR化後に全車体質改善工事を受けている。またJR西日本でも中間車を含め追加改造車が誕生している。サハ111形300番台編集房総各線で運用している6両編成の一部を4両編成とするために先頭車を捻出する必要があ
改造量産冷房改造編集1973年以降、113系は同年製造の1000'番台に準じて、普通車の冷房化改造工事が開始された。冷房電源はモハ112形のMGを20kVAから冷房電源兼用の160kVAのMH135-DM92に交換することで対応され、自車を含む4両に給電する方式となった。また、同時に一部の車両(初期改造車)を除いて側面行先表示器の準備工事が施工され、競合する直下の窓は上段が固定化された。またグローブ式ベンチレーターのクハ111形のうち、最前部のベンチレーターが箱型の車両は、改造時にグ