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2026年5月高知県にて『神域に舞う』新緑の匂いを含んだ夜気に包まれながら、私は高知県のとある神社の拝殿に身を置いていました。狙うのは、森の宝石と呼ばれる小さな光の命ヒメボタルです。けれど、その夜の撮影は決してスマートなものではありませんでした。便利な機能に支えられた快適な撮影ではなく、経験と勘、そして最後は自分の感覚をどこまで信じ切れるかが試される、静かな真剣勝負でした。今回も相棒は、もはや重たい・頑丈が取り柄だけのEOS-1DX。いまのカメラのようにバリアングル機能はありませ
2026年4月大豊町大滝にて『大滝地蔵堂の彼岸桜』急峻な山々に抱かれたこの地に、春の訪れを告げる一筋の光のような名木があります。それが「大滝地蔵堂の彼岸桜」です。今回、私が目にしたのは、雨に濡れ、時折深い霧に包まれるという、まさに「幽玄」を形にしたような姿でした。晴天の下で輝く桜も美しいものですが、湿り気を帯びた空気の中で、ぼんやりと浮かび上がる薄紅色の花びらは、見る者の心を静かに揺さぶります。大気と地上の境界が曖昧になる濃霧の中、その桜はまるで現世(うつしよ)のものではないよう
2026年5月高知県にて『主役不在だけど、見事なスタートレイル』この夜の撮影テーマははっきりしていました。狙っていたのは、初夏の気配をまとって舞うホタルと、頭上をゆっくりと巡る星々、その儚さと壮大さがひとつの画面に収める、贅沢なコラボレーションです。主役はもちろんホタル。地上すれすれの暗がりに灯る小さな命の光を、夜空の星たちがそっと引き立てる。そんな一枚を思い描いて、静かな夜のフィールドに立っていました。けれど自然は、いつもこちらの期待どおりには応えてくれません。きっと、普段の
2026年4月高知県にて『山郷の春』高知県の山あいで出会ったこの満開の桜は、ただ「美しい」のひと言で片づけてしまうには、あまりにも惜しい存在でした。目を引くのは、花の量そのものだけではありません。深い山の緑に抱かれ、まだ水を張る前の棚田の脇で、淡い薄紅がふわりと浮かび上がっている。その姿は景色の一部でありながら、同時にこの土地の春を告げる“主役”でもありました。華やかなのに騒がしくなく、むしろ山郷の静けさをいっそう深く感じさせてくれる桜です。そして私は、この棚田が今年も田として使わ
2026年5月10日高知市若宮八幡宮・第12回長宗我部まつり『十人十彩・よさこい演舞』高知市若宮八幡宮で開かれた「第12回長宗我部まつり」。数ある催しの中でも、「十人十彩(じゅうにんといろ)」によるよさこい演舞は、ひときわ眩い光を放っていた。会場を包むのは、突き抜けるような初夏の青空と、踊り手の熱気だ。写真の中の彼女が見せる弾けるような笑顔と躍動する姿からは、祭りの熱狂が真っ直ぐに伝わってくる。大きく広がる袖と鮮やかな衣装のコントラストは、一瞬の動きの美しさを鮮烈に写し取り、観る者
2026年5月いの町にて『新緑の大瀧の滝』山々が若葉の息吹に満ちるころ、深山の緑の奥にひっそりと姿を現したのが、大瀧の滝である。数日前の雨を受けた影響なのかその流れは、いつも以上に水を集め、山あいの静寂を切り裂くように白く落ちていた。撮影ではスローシャッターを用い、滝の水を一本の絹糸のように描き出した。静かな森にありながら、そこには確かな水の力と、季節の生命感が宿っている。高知県いの町寺川にある大瀧の滝は、「おおたびのたき」と読み、高知県内の単独峰として最高峰とされる手箱山(標高
2026年4月4日高知市にて『春の嵐の爪痕』この日の高知市は、朝からまさに「春の嵐」と呼ぶにふさわしい荒れ模様だった。強い風と雨が一日を通して街を包み込み、各地で予定されていたイベントも中止や延期を余儀なくされた。春本番を迎えたはずの4月の景色は、祝祭の空気よりも、自然の激しさを前にした静かな緊張感に満ちていた。それでも夕方になると、西の空が少しずつ明るさを取り戻しはじめた。荒天がようやく過ぎ去ろうとする気配に誘われるように、私はふらりと外へ出て、カメラを手にあたりを歩いていた。
2026年4月大豊町にて『大地の息吹桜~筍へバトンタッチ』苔むした地面が、内側から押し上げられるようにめくれ上がっている。土の塊が割れ、亀裂の奥から顔をのぞかせるのは、鮮やかな黄金色をした筍(たけのこ)の先端、産毛のような皮に守られた、生まれたての命です。そしてその周囲には、桜の花びらが雪のように散り敷いている。緑の苔の上、剥き出しの土の上、若草の合間にまで、無数の白い花弁が静かに横たわっています。これは偶然の構図ではありません。春という季節が、ひとつの命から次の命へと
2026年4月土佐町にて『深山に浮かぶピンクの塊』四国山地の懐深く、深い針葉樹と広葉樹の濃い緑に覆われた渓谷の岩壁。そのただ中に、まるで天から舞い降りた淡紅の雲のごとく、ひとかたまりのピンクが忽然と姿を現します。この古木は、人の手の届かぬ岩肌に根を張り、苔むした幹を渓に向かって突き出すようにして枝を広げています。誰に見られるためでもなく、ただ春の訪れを告げるためだけに、この樹は何十年、あるいは百年を超える歳月をここで過ごしてきたのでしょう。深緑のキャンバスに描かれた一筆の桜貝色は、
2026年3月高知県にてその夜、車のヘッドライトが捉えたのは、道でも、標識でもなかった。山の中腹に、ぼんやりと白いものが浮かんでいた。一瞬、雲が地に降りたのかと思った。けれど、エンジンを止め、窓を開けて見上げた瞬間、それが「桜」であると気づいた―霧に抱かれた、深夜の山桜だった。高知の山々を縫うように走る峠道。ひと気はなく、すれ違う車もない。時計の針は深夜を指していた。空気は湿り、息は白く、肌に触れる夜霧はまるで絹のようにやわらかかった。写真を見返すと、まず目に飛び込ん
2026年5月3日高知競馬場にてこの日のメインレース第30回黒潮皐月賞(高知新聞社協賛)優勝馬カツテナイオイシサ父ヴァンセンヌ母カネトシコンサイス(母父SmartyJones)雨の高知競馬場で火花散るゴール前のマッチレースをカツテナイオイシサがハナ差で黒潮皐月賞を制覇不良馬場の高知競馬場の直線で、馬体が泥しぶきを上げながら並ぶ。ゴール前ではわずかな差も見分けにくいほどの大接戦となり、観る者の視線を一気に引き込んだ。写真からも、不良馬場の重たいコンディションの中で最後ま
2024年3月仁淀川町にて『宇宙の渦に咲く』山里の夜は、たいてい静かだ。けれど本当は、静かなのではない。人の耳に届かないだけで、夜空は絶えず動き、星は絶えず流れ、時間そのものがゆっくりと巨大な円を描いている。この一枚には、その「ふだんは見えない時の流れ」が、白く、青く、無数の線となって封じ込められている。ひょうたん桜はいつだって静かにそこに立っている、夜空だけが壮大にめぐっているように見える。まるで地上の一本の古木が、夜空の光景を一身に受け止めているかのようだ。枝を大きく広げたひ
2024年1月須崎市にて『見つめる先に!』高知県須崎市の横浪黒潮ライン。その中程に立つ武市半平太像を、満天の星が包み込む。この一枚には、単なる夜景写真を超えた深い物語があります。台座の上に立つ像を見上げるローアングル構図によって、人物像は大地に根ざしながらも、視線の先を天へ向ける存在として浮かび上がります。空には無数の星がちりばめられ、右側にはオリオン座周辺を思わせる明るい星並びも見え、冬の夜空らしい澄明さと静謐さが感じられます。武市半平太とはどんな人物か?武市半平太は、正式に
津野山神楽『悪魔祓』この舞では、神話的世界観のなかで「悪魔」と呼ばれる存在を鎮め、服し、四方を平定していく様子が表現されます。四人による所作で四方をおさめる構成が特徴で、神歌をともないながら進むことで、舞そのものが祈りとなり、場を清める意味を帯びていきます。単なる芸能としてではなく、秩序を取り戻し、地域の安寧を願う儀礼として受け継がれてきたことが伝わる演目です。津野山神楽『大蛮』鬼面をつけた大蛮が、神より授かった力ある宝物を両手に携え、その威勢を四方へと示
2025年9月高知県高岡郡津野町にて『天の川銀河と、生まれ来る雲の海』四国山地の深い静寂に抱かれた夜、空と大地が呼吸を合わせるように、ひとつの奇跡が立ち上がっていた。見上げた空には、夜の中心を貫くように天の川銀河がそびえていた。無数の星々が緻密に集まり、その中心方向ではひときわ濃く、豊かに光が重なり合う。画面を縦に貫くその姿は、まるで宇宙そのものが一条の大河となって、天頂へ向かって流れ上がっているかのようだ。複雑に入り組んだ暗い筋は、星の欠落ではない。そこには「暗黒星雲」と呼ば
2026年4月高知市にて『地に伏せた、桜龍』その日、街は朝から春の暴威のただなかにあった。風は荒く、雨は容赦なく、満開を過ぎた桜の花びらを、枝から、歩道から、側溝から、町じゅうのあらゆる場所からさらっていった。空は低く垂れこめ、アスファルトは打ちつける雨に鈍く濡れ、世界はひととき、春というより嵐の季節に呑み込まれたかのようだった。けれど夕方になって、その激しさはふいにほどけた。まるで、見えない大きな手が空を静かに撫でたかのように、風はやみ、雨脚は消え、街はひと息のうちに沈黙へ戻っ
2026年4月高知市にて『春の嵐が去ったあとの光景』春の嵐が去ったあと、何気にない駐車場は二倍美しかった。兵どもの夢のあとというのでしょうか?ちょっと違うのか?でもそんな光景でした。この日は朝から高知市は冷たい雨と風に見まわれていた。誰もが心待ちにしていた桜の季節。しかし、その日、空は祝福の代わりに「春の嵐」という試練を高知市に送り込んだ。朝から唸りを上げて吹き荒れる風は、満開を迎えたばかりの桜の花びらを無情にも引き剥がし、叩きつける雨は、週末のために準備された数々のイベ
2026年4月土佐町にて『見よ!あれが北斗七星だ!』北斗七星を抱く、2026年4月の星景高知県土佐郡土佐町の春の夜は、驚くほど静かだった。耳を澄ませば、風が山の輪郭をなぞっていく気配さえ、ひとつの景色に思えてくる。その静けさの上に広がっていたのは、息をのむような北の星空だった。見上げた先には、北斗七星がゆるやかな弧を描いて浮かび、春の夜空の主役となっていた。足もとには、黒々とした森と、斜面に寄り添う集落の灯り、そして山の稜線の街灯はお隣りの愛媛県側。天と地が、それぞれの光で応
2026年4月黒潮町にて『樹齢400年の福泉寺の桜』山里の静けさに咲き継がれてきた、400年の春。高知県幡多郡黒潮町の市野瀬地区に、長い歳月を静かに生きてきた一本の桜があります。福泉寺の境内に立つこの桜は、推定樹齢400年。山あいの緑に抱かれるように咲くその姿は、華やかさを競う名所の桜とはまた違う、深い落ち着きと、幾多の雨風に耐えてきた満身創痍の風格を漂わせています。写真に映る桜は、やわらかな白に淡い紅を含んだ花を枝いっぱいにまとい、こんもりと広がる樹冠が春の光を受けてほのかに浮か
2026年4月高知県にて『今年も見に来たよ。』春の景色には、ときどきこちらの事情を知っているような顔をした木がある。里山の道のわき、草の斜面の先に、ひときわ大きく枝を広げた一本桜。白に近い淡い花を空いっぱいにひろげ、黒々とした幹は黙って地面をつかんでいる。背後には深い緑の山並みがあり、左には青空、右にはやわらかな雲が寄ってくる。人影のない道、ガードレール、電柱、春の匂い、そのすべての真ん中で、この木だけが「ここにいていい」とでも言うように、静かに立っていた。この桜には名前がない―
2026年4月1日大豊町栗生・定福寺にて『土砂加持法要』以下は定福寺さんのホームページから引用しました。土砂加持(どしゃかじ)法要とは光明真言によって土砂を加持し、亡くなった人やお墓にその土砂を散ずる、古くから行われているお祈りです。シルクロードの敦煌にある莫高窟217窟南壁に土砂加持を行っている様子が描かれています。日本では弘法大師が持ち帰った『不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言』という経典に光明真言があり、真言宗や天台宗で9世紀後半から広まったとされています。光
2026年3月土佐町にて『冬のダイヤモンドを見送る』星の季節の引き際冬のダイヤモンドを見送る、高知県土佐郡土佐町の夜昼の名残がようやく山の向こうへ沈み、夜が静かに始まるころ、西の空にはまだ冬の星々が席を残しています。冷え込みのいちばん厳しい季節をくぐり抜けてきた星座たちは、春の入口に立つこの時期、どこか名残惜しそうに、それでも確かな輝きで夜空を支えています。これは、冬のダイヤモンドが「見ごろ」から「見送り」の季節へ移っていく、そのはざまを写した一枚です。写真の下辺を斜めに横切る山
2026年4月高知県にて『幽玄の櫻』高知県の奥深い山間部で出会った春は、平地のそれとは少し趣が違う。明るく華やかに訪れるのではなく、雨と霧をまといながら、静かに、気配のようにやって来る。この写真に写る桜もまた、春の到来を高らかに告げる花ではない。むしろ、山の呼吸とともに現れては溶けてゆく、ひとときの幻のような存在である。満開の薄紅は、晴天の下で見る桜とは異なり、冷たい空気の中でかすかなぬくもりとして立ち上がる。その姿は、見る者の心を強く揺さぶるというより、深いところへ静かに沁み
2026年4月1日高知県長岡郡大豊町栗生・定福寺にて『雨の山寺に祈りの列をなす』土砂加持法要の日4月の山は、春のただ中にありながら、なお冬の気配を少しだけ残している。高知県長岡郡大豊町栗生の山あいに建つ定福寺も、この日ばかりは、花の明るさよりも雨の静けさに深く包まれていた。濡れた石段、しっとりと色を増した庭木、重たい雲の下で鈍く光る瓦屋根。その寺院を、クリーム色の傘の行列がゆっくりと本堂へ向かって進んでいく。2026年4月1日、土砂加持(どしゃかじ)法要のために歩む僧侶たちの姿は
2026年3月、高知市にて『永遠ではないからこそ、この景色は人々を魅了する。』高知市の中心部から車を走らせ、山あいの懐深くへと分け入ると、そこには春がいちばん純粋なかたちで待ちかまえていました。谷を縫うように流れる清流。その左側の斜面を埋め尽くすように咲き誇る桜は、遠目にはまさしく、命の絶頂にある「満開」の姿でした。けれど、この景色の本当の物語は、枝にしがみつく桜の花にあるのではありませんでした。風にほどけ、空気の震えに揺れ、ひとひらずつ空へと解き放たれていく「桜の花びら」のほうに、
📷ヤフオクでEOS-1DXを買うときの完全ガイド(個人の見解です。)〜レリーズ回数・地雷ストア・リコール機まで〜🔥1.「レリーズ回数未記載」は“ほぼ地雷”発売から10年以上経過した1DXは「プロが酷使してナンボ」のカメラです。20〜40万回シャッターが切られているのが当たり前で、10万回以下の個体はまさに絶滅危惧種。すでにメーカー修理対応は終了しており(※後継機MarkIIも2026年7月終了予定)、壊れたら自力で直すかオブジェにするしかありません。ヤフオクのスト
2026年4月高知県長岡郡本山町にて『天空の棚田に咲く桜』こんにちは、私は2026年4月高知県長岡郡本山町にいます。四国山地の懐に抱かれたこの山里では、春は、平野よりも少し遅れてやって来ます。高知平野では、田に水が入り、早苗の季節の気配がにぎわいを増してゆくころ。ここ嶺北の棚田には、まだ鏡のような水面はなく、山の斜面に沿って、大地の色が静かに連なっています。空は、どこまでも青く澄んでいました。雲は足早に流れ、風は、絶えることなく山を渡ってゆきます。
2026年3月高知県吾川郡仁淀川町にて『満開のひょうたん桜』こんにちは、2026年3月私はいま、高知県吾川郡仁淀川町のひょうたん桜公園にいます。山里には、人の暦(こよみ)とは少しちがう、もうひとつの時間が流れております。山また山の折り重なるその中腹に、土地の人が親しみをこめて「ひょうたん桜」と呼ぶ一本の古木が立っています。樹齢、およそ五百年。風雪に耐え、谷を渡る風を聞き、幾たび春を迎えてきたのでしょう。エドヒガンの古木であるこの桜は、蕾の頃に
2026年3月、仁淀川町にて。『無月の夜、暁を待つひょうたん桜』午前3時半だったと思います。高知県吾川郡仁淀川町の山あいは、まだ夜の深みに抱かれていました。月はなく、夜空には無数の星だけが、冷えた大気の向こうで静かに瞬いていました。その下に立つひょうたん桜は、本来なら闇に溶けてしまうはずの存在でした。けれど、この夜は違いました。ストロボを手に、少しずつ立ち位置を変えながら花と枝を照らしてゆくたび、巨木は闇の奥から少しずつ姿を取り戻していきます。まるで暁の訪れを前に、自らの輪郭を確
2026年3月仁淀川町にて『ひょうたん桜の下で』山の斜面に立つ一本の古木は、その日、ただ「咲いている」というだけでは足りないほどの存在感で、春そのものを空へ押し広げていた。推定樹齢約500年ともいわれるひょうたん桜は、淡い花の雲をまとい、見上げる人の時間までやわらかく包み込んでいた。空はよく晴れ、青は深く、流れる白い雲はおおらかで、まさに絶好のお花見日和。斜面には黄色い菜の花が明るい帯のように広がり、そのあいだを歩く人々の姿が、この春景色にあたたかな物語を添えていた。この日の花見