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久能山東照宮へは、日本平からロープウェイで久能山駅へ久能山駅到着~自動販売機も久能山東照宮仕様楼門軒下中央に第108代後水尾天皇の宸筆『東照大権現』の扁額中央の蟇股(かえるまた)には鉄や銅を食料とすることから平和の象徴とされる獏(ばく)の彫刻家康公の手形東照宮創建以前から鎮座している久能稲荷神社神
おはようございます。今日は、鞠智城址について。きくちじょうは、飛鳥時代の山城跡です。中大兄皇子の命令により、九州の守りの拠点として造られ、防人が配備されていたそうです。ゆるキャラのころう君は、防人なんだよね。現地には、高床式の倉庫や八角形の鼓楼が復元されてます。説明看板は、詳しくは、WEBで、と。ちょっとだけでいいから、直接書いててくれたらいいのに。便利なようで、何だか面倒だなぁ、と思うのです。そして、山城らしく、遠くまで見渡せてとても良い景色が広がっていま
皆さぁ~ん♪今晩は~~~☆彡ご訪問くださり・・(o^o^o)あ(o^-^o)り(o^o^o)が(o^O^o)と(o^.^o)う~(^_-)-☆7月上旬、愛知県安城市にある・・本證寺へ蓮の花を観に行って来ましたぁ~♪戦国時代には本證寺を含む三河三か寺が三河一向一揆の拠点であり・・鼓楼や土塁を備え、水濠、水堀に囲まれた城郭寺院(城郭伽藍)となっている。今週も始まりましたねぇ~(;^ω^)
私は今北京にいないから。昨日の列車記事を見逃さないように。おとといより続く。宏恩观。車、邪魔!無料。入口でスキャンしたら入れる。・元元贞年间(1295年~1297年),千佛寺始建。・清光绪十三年(1887年),慈禧太后的近侍太监刘多生出资,在清净寺旧址建宏恩观。・清光绪十九年(1893年),宏恩观建成。2024年“观中”中轴线在地文化博物馆开馆。お寺→西太后に仕えた宦官、劉多生が出資し「宏恩観」建設→一部がカフェに→閉鎖→中軸線在地文化博物館開館。山門の中は展覧会。
【土佐神社を参拝しました】「鳥居・社号標」「手水舎」「境内・御社殿」「拝殿」「幣殿」「御本殿」「鼓楼(国の重要文化財)」「御朱印」まだまだ多くの境内社や見どころがありますまた是非参拝に伺いたいと思いますご覧いただきありがとうございました
2月の晴れた日に多摩市小野神社へ参拝してきました京王線聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩6分平日でしたが運良く御祈祷をされている方々がいらしてお守りやおみくじをその場でゲット(宮司さんは常駐してないから御朱印をいただきたい時は電話やサイトから問い合わせをするシステムらしい)⛩主祭神天下春命(アメノシタハルノミコト)武蔵国開拓の神で物事を切り開くということから新しく事業や物事を始める方におすすめ瀬織津姫命(セオリツヒメノミコト)神道の大祓詞に登場する罪・穢れを川から海へ流す女
講堂(左)と鼓楼唐招提寺の伽藍で、最初に完成したのが講堂(国宝)。平城京の宮殿の朝集殿を移築改修して建立されたもので、現在の姿は鎌倉時代の改造によるもの講堂(国宝):奈良時代建立平屋の入母屋造鑑真和上の来日の目的は、戒律を伝えるためで、その解説や講義をするお堂として最初に必要だった天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建築物で、極めて貴重。本尊弥勒
○中国では、多くの町の中心は『中山路・解放路』にある。それは寧波でも同様で、中山路の北が解放北路で南が解放南路になる。同じように、解放路に東が中山東路で西が中山西路となっている。○寧波ではそこが地鉄の鼓楼站となっていて、東西に地鉄1号線が走っていて、南北に地鉄2号線が走っている。2023年9月7日朝、最初に城隍廟へ出掛け、その後、天一広場を訪れ、そのまま広場を突き抜けて、中山東路へ出た。○それから、中山東路を解明街まで西進し、懐かしい永耀大酒店を見て来た。以前、このホテルには2回宿泊している
○2023年10月10日から、テーマ「貫之墓と芭蕉墓参詣旅」の話を書き始めて、もう一ヶ月以上過ぎている。その間、ブログ『貫之墓と芭蕉墓参詣旅』から前回の『唐招提寺講堂』まで、31個ものブログを書いている。なかなか、話が先に進まないのが悩みの種となっている。○しかし、大事なものを書き落とすこともできない。取り敢えず、ブログに書いておけば、必ず、芽が出て、そのうち役に立つと思うから書いている。意外なところから意外なものが出現する。まさに瓢箪から駒、世の中、そんなものである。これまでも、そういうこと
日光東照宮の鐘楼と鼓楼の製作。小さいながらも色の多彩な為、塗りの時間が掛かりますので一気には作れ無い。少しずつの製作となります。
久能山東照宮二の鳥居をくぐると、左上に鼓楼(ころう)が見えました。創建当時は鐘楼でしたが、明治時代の神仏分離の際、鐘を太鼓に替えて今の名称に改められたそうです。太鼓は明治6年旧幕臣小島勝直氏が江戸城にあったものを奉納したと伝えられているそうです。
久能山東照宮鼓楼(ころう)です。創建当時は鐘楼でしたが、明治時代の神仏分離の際、鐘を太鼓に替えて今の名称に改められたそうです。太鼓は明治6年旧幕臣小島勝直氏が江戸城にあったものを奉納したと伝えられているそうです。二の鳥居をくぐりました。
二度目の訪問となった本證寺は、大河ドラマ「どうする家康」の放送真っ只中。しかも三河一向一揆をこれから迎えるという季節だったので、本證寺さんも準備万端という感じでした。三河一向一揆の回はたしか、境内で公開視聴会が催されたんですよね。いいですよね。盛り上がりを感じます。裏手に駐車場もできていましたので、必然的に裏手の堀にも目が行きます。見た目にも窪地として残っている堀跡、いつまでもこのまま残っていて欲しいものだと思うのですが、こういう遺構が一番なくなっていくんですよねー。知らないうちに。本
新宿区西早稲田2丁目の、穴八幡宮。御神門を潜った先、右手には、手水舎。神社で手水と言えば『龍口(たつくち)』が相場だが、こちらでは布袋さん!↓そして、手水舎のすぐ隣にも、布袋さんが。↓布袋さんの腹を擦るのは基本か?↓手水舎の向かい側には、鼓楼。祭礼の時には、こちらで太鼓を打つそうだ。↓土地の記憶から読み解く早稲田江戸・東京のなかの小宇宙[ローザ・カーロリ]楽天市場2,970円関東周辺恋とお金の願いが叶う寺社詣り[運気アップ調査会]楽天市場1
髄神門の前にやってきました学生だった30年前は、月に数回府中本町駅と府中駅乗換で門前を通り抜けていたけど素通り今思えば罰当たりですね平成23年(2011年)に大國魂神社御鎮座1900年事業としてくらやみ祭での神輿や大太鼓の出入りをスムーズにする為に先ず間口と高さを決めてから全体の設計してから改築されたものだそうです鼓楼神社では太鼓を置く「鼓楼」慶長年間の造営の際に、三重の塔と相対して建設しかし正保3年(1646)の火災で焼失約200年余後の嘉永7年(1854)再建さ
今日は昨日よりも蒸し暑いですねぇ~予約なしでもヘアカットをしてもらえる美容室に行ったらなんと!臨時休業!!暑い中、歩いて行ったのにあり得ない他にもお客さんが来ていて「日曜日に休業なんてあり得ないよね」という声があちこちで聞こえていました。今回は、早稲田にある穴八幡宮へ参拝した記事です法輪寺からは早稲田通りの反対側にあります。ブログ友さんが紹介なさってて、いつか行ってみたいなぁ~と思っていました。今回も、写真の枚数が多いので、2回にわけて掲載しますね~穴八幡宮正面参道の鳥居
日光東照宮鼓楼と鐘楼陽明門の前にある建物となります。五重塔はこの鼓楼よりも更に前側になります。
5月1日『静岡市の神社仏閣ー1久能山東照宮①』5月1日GWダンナが1・2日と休みが取れました一応平日なので祭日よりはマシな事期待してどこか行こうとなったのですがダンナは大河ドラマ見ていて久能山東照宮へ行き…ameblo.jpつづきです家康梅稲荷神社・厳島神社鳥居は左側の稲荷神社側にありました神厩手水舎横の石段を上り二の鳥居をくぐります五重塔跡鼓楼神饌所神楽殿石段を登ります唐門狛
<おとといより続く>钟鼓楼に到着。チャップリンみたいな帽子の婦人はばあさん1。髪の色だけ見たら、赤毛のアン。西洋に向かっていらっしゃるのか?私が写真を撮ろうとしているのは明白なのに、まったく配慮がない。ズカズカ前に出る。いつもいつも。すぐそばに「鼓楼咖啡」というカフェがあった。心動く。心踊る。旅行1日目の昼、夜、中華を食べただけなのに、もう「洋物」が恋しい。「でもまあ明日北京に帰るんだからいいかー」と買わない。コーヒーは25元以上はするよね。高すぎると言って、ばあさんひっくり返るわ。
4月30日日曜日。学生さんに連れられて、寧波観光に行ってきました。やたら動画や写真ばかりですけど、記念に貼り付けました。『中国の連休二日目、学生さんに観光地を案内してもらう。寧波「鼓楼」』2023年4月30日日曜日。中国の労働節の連休は4月29日から5月3日まで。昨日連休初日は大雨で出ていく気になれず、今日30日に延期。ありがたいことに良い天気…ameblo.jp『中国の連休二日目、学生さんに観光地を案内してもらう。寧波「城隍庙」』中国浙江省寧波市にある「城隍庙」へ向か
2023年4月30日日曜日。中国の労働節の連休は4月29日から5月3日まで。昨日連休初日は大雨で出ていく気になれず、今日30日に延期。ありがたいことに良い天気に恵まれ、気温もそれほど高くなくちょうどいい観光日和。寧波の地下鉄も無料開放で乗り放題。と、言うことで、学院の北門で二人の学生さんたちと待ち合わせして、お出かけしてきました。地下鉄一号線鼓楼駅の様子です。無料開放だからか、連休中だからか、人が多い。地下鉄一号線鼓楼駅で降りて寧波の観光地「鼓楼」を目指します。地上に出ると、多く
映画チャンネルで昨日見た映画です。2001年に日本で公開されました。監督:霍建起(フォ・ジェンチイ)父:トン・汝駿(ルゥジュン)*母:趙秀麗(ジャオ・シウリィ)息子:リィウ・イエ*トン族の娘:陳好(チン・ハオ)*カタカナ名:ネットでは検索できたのに、変換しても文字が出てこなかった名前息子に仕事を譲り退職する決心をした配達夫は、配達路の案内と息子の紹介を兼ねて、初めて父子で旅に出ます。息子とのやり取りを通して淡々と描かれる老配達夫の来し方。山間の村々で郵便を待つ人々。建
岡崎の慈光寺へ行ってきました。岡崎市下青野町柳原10。境内に紅白の梅がきれいに咲いていました。立派な鼓楼!この鼓楼、以前から一度近くで見てみたいと思っていました。聖徳太子の創建。
【三河一向一揆の舞台、本證寺】昨日は『三河一向一揆』の中心舞台となった『本證寺(ほんしょうじ)』を訪ねました。『本證寺』は鎌倉時代に慶円上人(きょうえんしょうにん)が開いた真言大谷派のお寺です。戦国時代の三河一向一揆で徳川家康を大いに悩ませましたが、ついには戦い敗れました。その後寺院は家康によって全て破却されました。しかしながらその20年後に許しを得て再建。江戸時代には200ヶ寺以上の末寺を持つ中本山として繁栄いたしました。現在、境内には江戸時代に再建され
世界遺産・日光東照宮で初詣の記事の最後になりました。初詣というよりは東照宮大撮影会になりました。これまで主要な建物を優先していましたので紹介から漏れていました国宝・陽明門の左右の回廊の彫刻や陽明門前の奉納物の朝鮮鐘、オランダ製回転灯籠、鐘楼、鼓楼について触れておきます。鎖国中であった江戸時代に海外との親交のあった証の奉納物などは興味深いです。にほんブログ村世界遺産部門のランキングに参加しています。このブログが気に入ったら1日1回、こちらに応援クリックして頂けると嬉しいです。
中国浙江省寧波市の地下鉄1号線の鼓楼駅と東門口駅の間には地下街がある。飲食店、パン屋、寧波の名物のお店、衣料品店、ゲームセンター、オタクの店が並んでいる。ぶらぶら歩くと面白い。少し前の時代がかったお店や、イベント会場もある。今回は春節、元肖節が終わった後なので、元肖節に使うランタンが飾ってありました。スタートは地下鉄一号線の東門口駅から、寧波市内の一番賑やかなところ、ショッピングの中心と言える天一広場につながっている地下鉄駅です。今年の干支のうさぎちゃんがお出迎え。
今日の一言「本證見たり」「どうする家康」にあやかって観光PRにチカラを入れている安城市ですが、もらったパンフレットを見ていくつか巡ってきました徳川家康と争った三河一向一揆の寺院勝鬘寺に続いて安城市の本證寺へ本證寺は、鎌倉時代後期に慶円上人によって創建されたと伝わる真宗寺院三河一向一揆の拠点になった本證寺は家康との戦いに敗れて、寺院は破却されましたが、20年後に許され再建現在でも鼓楼・水濠・土塁などが残り城郭伽藍としての面影を見ることができます(国指定史跡)
石鳥居より、1,159段の石段を登ってきて、いよいよ「久能山東照宮」を拝観します。見事な楼門がお出迎え。1617年の建造。入母屋、銅瓦葺、三間一戸、楼門形式。軒下中央に「後水尾天皇」の宸筆、「東照大権現」の扁額が掲げてあります。中央の蟇股に獏の彫刻があります。獏は、鉄や銅を食料とすることから、平和の象徴とされています。表側左右の格子戸内に随身像、裏側左右の金剛柵内に狛犬が据えら
広大な敷地の鞠智城「きくちじょう」と読ませます。いわゆる戦国の城ではなく白村江の戦いで敗走した大和朝廷が高句麗の攻撃に備えた古代山城となります。百済の影響を色濃く受け、シンボル的な建物である鼓楼は八角形大変希少です。その他にも米倉や兵舎などの復元施設が忠実に再現されていて散策も楽しくなります更に礎石も多数見られてここにどのような建物が存在していたのかと想像するだけでワクワクします高台の灰塚からは遠く普賢岳も見通せて古代ここが防衛の拠点であったことを伺わせます。入口に
縁結び子授け安産無病息災アップでε=ε=(ノ≧∇≦)ノ長居しましたはい、登りまーすε=ε=(ノ≧∇≦)ノ二の鳥居くぐると、拝殿見えますでも、まだ下です鼓楼唐灯龍拝殿見えますがここから真っ直ぐ登ることは出来ませんなのでまだ、下を撮影中アチコチひっかかっては、止まるポッポちゃんですε=ε=(ノ≧∇≦)ノ