明治6年(1873年)10月22日、岩倉邸を辞した西郷は、参議、陸軍大将、近衛都督の辞表を提出した後自宅を引き払って数日間、知人の別邸に身を寄せ、釣りと詩作、書の揮毫に没頭した。翌23日、岩倉は天皇に閣議決定を奏上し、併せて「今頓(とみ)に使節を発するは、臣その不可を信ず」と進言、翌24日、天皇がこれを嘉納(かのう)して事は決した。同日、政府は西郷の参議、近衛都督の辞職を認め、陸軍大将は従来通りと決定。そして25日、西郷を支持した板垣、江藤、後藤、副島の四参議が一斉に辞表を提出、政府はこれらをす