ブログ記事720件
【30日昼追記】夜中にこのブログ更新したのですが、事実関係等誤りがあったので一旦下書きに戻して再公開しています。さて、また緊急でブログ記事書いています。(後程写真等は追加していきます)というのは思ったより早く内藤さんとジェイクのALLTOGETHERの対戦カードが発表されたのと、これによってその後に危惧してるあることが起きる確率が高くなったと判断したからです。ついでに、前回の後編-3では触れてなかった参戦交渉の舞台裏についても書いていこうとは思います。さて、今日の鹿児島大会
2007年1.4東京ドームの第4試合は危険な8人タッグマッチ。新日本プロレスのリングにブードゥーマーダーズが登場した。長州力、中西学、飯塚高史、山本尚史VSジャイアント・バーナード、TARU、RO'Z、諏訪魔。放送席には高山善廣がいる。ブードゥーマーダーズのコールが終わるとTARUが水を広範囲にまき散らした。ゴングが鳴る前に8人が入り乱れの場外乱闘。水は放送席まで飛んだらしく、高山は「俺まで水浸しになっちゃったよ」とキレ気味。ゴングは鳴ったが延々場外乱闘
長尾迪新年度恒例で、格闘技界の巨匠長尾迪さんにスタジオ撮影を依頼した。諸事情で、ここでの撮影が最後となる今年。スタジオの敷地内には満開の桜が🌸咲き誇り、撮影には絶好の季節だった。長尾迪さんのスタジオは、あらゆるジャンルの格闘家の写真が飾られ、どこかで見たことのある写真が散見された。山本KID徳郁高山善廣那須川天心魔裟斗…要所要所の格闘家の写真は、そのほとんどが長尾迪さんの作品であることが一目でわかった。格闘技会場とは一変して穏やかな撮影雰囲気だったこの日
BGV:フラワーカンパニーズ『感情七号線』古巣である週刊プロレスモバイルの連載コラム『週モバ野郎NOW』が2017年8月28日更新分をもって最終回を迎えました。遅れ馳せながら、2011年4月より355回分もの長い間、ご愛顧いただきました皆様へ改めて御礼を申し上げます。終了が伝えられた時点で、ラストは髙山善廣さんのことを書こうと決めていました。5月4日の事故から4ヵ月が経ちなかなか続報が伝わない中で、それでも思いを持ち続けようという呼びかけです。あの時点では、誰もが力になりたいと思っ
2006年8月13日、両国国技館で行われたG1クライマックス優勝戦。セミファイナルは豪華な6人タッグマッチ。長州力、中西学、曙VS蝶野正洋、高山善廣、ミラノコレクションA.T.最初は長州と高山だ。長州コールと高山コールが交差する。気合十分の長州がロックアップしようとするとすかす高山。わざとキレさせる気か?ロックアップから高山がコーナーまで押すと、クリーンにブレイクすると思ったら、長州の頭をポンと叩く。これには怒った長州が思い切りボディにキック!高山が待っ
2003年大晦日のDynamite!!で中邑真輔はアレクセイ・イグナショフと総合格闘技ルールで対戦した。3Rにイグナショフの膝蹴りが中邑の顔面にヒットしたが、中邑はすぐに立ち上がった。ところが、レフェリーが試合を止めてしまったのだ。中邑が仰向けにダウンして立ち上がれない状態ならレフェリーストップもあり得るが、すぐに立ち上がったのに試合を止めた意味がわからない。中邑と新日本プロレスは猛抗議し、主催者側も「止めるのが早かった」と判断し、無効試合になった。納得できない場合
伝説の一戦となったドンフライ戦闘病中の高山さんのブログを見ている。試合は見に行った事は無いが渋谷109前のイベントで見たことがある。レスラーは近くで見ると本当にデカい。
2003年大晦日に開催された「INOKIBOM-BA-YE馬鹿になれ夢を持て」注目の一戦・村上和成VSステファン・レコ。K-1のトップファイターにK-1ルールで挑むとは、あまりにも無謀だ。試合前、アントニオ猪木が村上に「ぶっ飛ばせみんな!」と闘魂ビンタで気合を入れた。先に入場したのはレコ。そのあと村上が不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりと花道を歩いて来る。鋭い眼光の村上は、ベロを出して笑い、きょうもヒールに徹している。リングインした村上がレコを睨みつけた。
2003年4月23日、広島サンプラザホールで行われたIWGPヘビー級選手権試合60分1本勝負。王者・永田裕志はついに10度目の防衛戦。挑戦するのは魔界俱楽部の安田忠夫。安田はオープンフィンガーグローブを装着している。きょうもリングサイドには星野勘太郎総裁をはじめ、魔界俱楽部の面々が陣取っている。放送席には高山善廣。最初は差し合いから始まった。永田がミドルキック連打!ロープに飛ぶと安田がカウンターのドロップキック!場外に転落した永田と村上和成が睨み合いになる。
2003年3月9日、名古屋レインボーホールのセミファイナルはIWGPタッグ選手権試合60分1本勝負。王者チーム・蝶野正洋、天山広吉に挑戦するのは、高山善廣と真壁伸也。真壁の額には白い大きな絆創膏。しかしこれは敵に弱点を教えてしまうので危険だ。ゴングが鳴る前に高山と真壁が襲いかかり、真壁が蝶野にラリアット!4人入り乱れの場外乱闘。真壁が蝶野を鉄柱に叩きつけた!蝶野をリングに投げ入れた真壁が、ブレーンバスターで叩きつけ、背中にキック、逆水平チョップ!ロープに飛ん
2003年1.4東京ドームのメインはIWGPヘビー級選手権試合60分1本勝負。王者・永田裕志に挑戦するのは、ジョシュ・バーネット。バーネットがマイクを持つと日本語で「ナガタ、おまえはもう、死んでいる」ゴング直後、バーネットがいきなり左ハイキック!永田がダウン。カウント8で立ち上がった永田だが、バーネットがすぐに首相撲の体勢からボディにニーニー、腕十字固め!ロープに逃れた永田が場外にエスケープ。リング上。永田がローキック!バーネットもローキックを返す。
2003年1.4東京ドームのセミファイナルはNWFヘビー級王座決定戦60分1本勝負。高山善廣VS高阪剛。レフェリーは山本小鉄。大晦日のボブ・サップ戦で目を負傷した高山は、まだ完治していない。高阪はオープンフィンガーグローブをはめている。高阪は総合格闘技の世界では知らない人はいない強豪選手だ。ゴングが鳴ると高山がいきなりハイキックを放ったが、かわした高阪が脚を取ってアキレス腱固め!高山が苦悶の表情。ロープが遠い。高阪が逆片エビ固め!高山がロープをつかんだ。
2002年大晦日・猪木祭のメインは、高山善廣VSボブ・サップ。常に茨の道を征く高山は、強豪ファイターと真っ向勝負。高山は196センチ、124キロ。サップは200センチ、170キロ。体重差46キロ。PRIDEでは10キロの体重差がある場合、4点ポジションでの膝蹴りが禁止される。しかし4点ポジションでの膝蹴りを体重が少ない高山が認め、拍手がわいた。プロレスラー魂が燃える。いよいよゴング前。何とサップがコーナーでアメフトの構えだ。ゴングと同時にサップが突進。殴
ぽっくんは、脊髄損傷だ。元総理大臣の谷垣元総理大臣、プロレスラーの高山善廣、大谷晋二郎は、どんな治療と回復してるんだろう?ぽっくんは、脊髄損傷の完全麻痺で回復は無い。お金のある有名人なら最先端の治療を受けれると思うんだ。谷垣元総理大臣は、総理大臣だから、スーパー最先端の治療だろうけど、高齢者なんよね。プロレスラーの高山善廣、大谷晋二郎は、有名人だし、プロレスのトップレスラー、試合会場でも治療の為とか?募金もしてると思う。高山善廣、大谷晋二郎も最先端の治療を受けれると思う。この最先端
2002年8月11日、両国国技館で行われたG1クライマックス決勝戦60分1本勝負。蝶野正洋VS高山善廣。ドン・フライに敗北した高山だが、類まれなガッツとプロレスラー魂を証明した高山は人気急上昇。しかしこの日は蝶野コールのほうが多かった。外敵・高山に初参戦・初優勝を許すわけにはいかない新日本プロレス。蝶野はもうT2000の総帥ではなく新日本プロレスの代表だ。ゴングと同時に蝶野が激走してケンカキック!高山もすぐにビッグブーツ!力比べ。高山が力で押す。ロープ
2002年6月23日、さいたまスーパーアリーナで開催されたPRIDE21でもプロレスラーが果敢に挑んだ。田村潔司はボブ・サップと対戦したが、試合開始早々、サップの重いパンチが頭部に炸裂し、脳震盪を起こしたように倒れ込み、レフェリーが止めた。無念にも田村は僅か11秒でTKO負け。ボブ・サップ。とんでもないモンスターが現れた。オリンピック予選スラムの杉浦貴はダニエル・グレイシーに1-2で判定負け。そして、いよいよエメリヤーエンコ・ヒョードルが登場。ヒョードルは強
2002年2月16日、IWGPヘビー級王座決定トーナメントで見事に優勝したのは安田忠夫だった。安田は第30代IWGPヘビー級チャンピオンになり、悲願を達成。しかし安田は4月5日、東京武道館で永田裕志に敗れ、王座転落。第31代IWGPヘビー級王者となった永田は、5月2日の東京ドームで初防衛戦を行う。挑戦者は高山善廣。相手にとって不足はない。永田と高山が1ミリの至近距離で睨み合う。ゴングが鳴った。激しい差し合い。ロープ際、永田がヘッドバット連打!怒った高山がエル
ピンポ~ンと、佐川急便が来た。この前「TAKAYAMANIA」で買ったキャップとTシャツが届いた。試合中、頚椎損傷の大事故を負って、ずっとリハビリを続けるプロレス界の帝王、高山善廣サンのグッズ!キャップのエベレストジャーマンの柄がええな!ほんでTシャツ!書いてる文字は、もぉとっくに現役を引退なさってるが、やはりこのフレーズが似合う、格闘王、前田日明サンが高山サンに向けた熱いメッセージ。「プロレスラーの体は神経で動くんじゃない!魂で動くんだ!」的な事が書いてある。もぉ試合はでけんやろ
こんな記事をみつけました。脊髄損傷で闘病中の高山善廣さんを鈴木みのる選手がお見舞いされたようです。二人の友情、素晴らしい。(涙)プロレスラー・高山善廣さん鈴木みのるさんがお見舞いに来たことを報告「スーパースターはカッケェなぁ〜!!」(msn.com)
2001年5月27日、横浜アリーナで開催されたPRIDE14のメインを飾ったカードはプロレスラー同士の対決だった。藤田和之VS高山善廣。先に入場したのは高山。藤田はスローバージョンの炎のファイターで堂々と入場して来た。ワイルドな風貌。鋼鉄の肉体。背に「闘魂」の文字のTシャツ。燃える闘魂最後の継承者。試合前の睨み合い。183センチの藤田が、196センチの高山を見上げる感じだ。1ラウンド。高山がフロントキック、膝蹴りを放つが藤田が脚を取って倒す。ロープ際で膠着する
鈴木みのる「相変わらず口は達者(笑)」と“親友”高山善廣と久々に面会!「2人とも素敵な笑顔」の声-スポニチSponichiAnnex格闘技プロレスラーの鈴木みのる(55)が3日までに自身のインスタグラムを更新。“親友”である高山善廣と数年ぶりに面会できたことを報告した。share.smartnews.comいいニュースだね。『TAKAYAMANIA』も、コロナ後遺症もようやくなくなってきたことだし、ぜひまたやってほしいなと個人的には思う。ところで髙山さんがPRIDEに出
6月ももう終わりますが、6月と言えば忘れてはいけない伝説一戦がございます。2002年6月23日さいたまスーパーアリーナ『PRIDE.21』PRIDE男塾21年前の今日。時を経ても語り継がれる伝説の一戦。pic.twitter.com/shRxsGsahn—LAST-MAN(@Game_Over9891)2023年6月23日殴る、殴る、ひたすら殴る…伝説のドン・フライvs高山善廣から20年、「頬骨が軋む音」を聞いたカメラマンの証言《本人コメントも》(長尾迪)20
子供の兄弟ゲンカって結構激しくて見てて心配になるほど全力なんだよね全力で殴り合う様を見てると毎回コレを思い出すPRIDEFCFreeFight:DonFryevsYoshihiroTakayama(2002)Thisweekmarksthe13yearanniversarysincethefinalPRIDEFightingChampionshipevent.Takealookbackatoneofthemostmemorab
高山善廣伝説の試合vsドンフライ
BGM:Beatles『HelterSkelter』ゴールデンウィークがやってきて、高山がケガをしてからちょうど丸六年たちました。小五だった息子は高二になり、七年目に突入です。変わらず応援して下さっている皆さまには高山ともども、心から感謝しております。高山も色々とありますがひたすら諦めることはせず、努力しております。これからもよろしくお願いいたします。5月2日更新分「髙山善廣オフィシャルブログ」にて、奥様の奈津子さんはそう綴っております。今年も5月4日がやってきて、プロレス
快晴ですね!これだけ休みが多いと、今日はなんの日で休みなのか分からなくなりますね(笑)そろそろちまき買ってきて食べようかな(笑)プロレスラーの高山さんという選手、以前、怪我で脊髄損傷か何かで動けなくなった、と聞きましたが、6年間闘病というかリハビリ続けてられるそうです。近況の写真がアップされてましたが、闘争心のない、なんと穏やかな顔になるものなんですね…ご回復をお祈りします。京都市右京区嵯峨嵐山駅から徒歩20秒楽しく上達できるぶーちんギター教室と尺八教室です。初歩
にほんブログ村後が無ければ前に進むしかない!こんにちは夢を実現させるために常にあなたと向き合っていくコーチングTêteàtête(テタテットゥ)です。後が無いと感じたら前に進むしかないのです。崖っぷちならば、その崖を這い上がるしかないのです。前に進めば違った景色が見える。崖を這い上がれば違った世界がそこにある。自分のバックギアを壊して前進するのみですよ。総合格闘家・プロレスラー/高山善廣(たかやまよしひろ)の言葉高山善廣-Wikipedi
。ぽっくんは、詳しくは知らないけど、プロレスラーの高山善廣選手。同じ脊髄損傷だね。誤嚥性肺炎で入院中?退院?よく分かんないけど、誤嚥性肺炎になったみたい。ぽっくんと同じ脊髄損傷の仲間になる。ただ、場所が違う。高山善廣さんは、ぽっくんより悪い首の脊髄損傷なんよね。なんか、家ではなく施設に入ってるみたい。誤嚥性肺炎も、半端無く苦しいと思う。レスラーで、たくさんの強烈な技を受けてきたのに、誤嚥性肺炎の方が辛いと思う。根本的に首の脊髄損傷だから、何も出来ない。苦しいだけ。高山善廣
武藤・全日本を見ていなかった私にとって、実に貴重なこの番組。特にこの2009年当時はプロレス自体を見ていなかったので、まずそのラインナップを見ただけで何とも不思議な感覚になった。カズvs,近藤の世界ジュニア戦は、当時の同戦線を代表する看板カードということで、試合こそ見たことはなかったが、その噂だけは知っていた。そして小橋が古巣・全日本に里帰り参戦したということも、髙山が三冠王者だったということも、すべて私にとっては噂話で聞いていただけの世界であり、実際に映像を見ると何とも新鮮で刺激的な