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監督降旗康夫原作浅田次郎JR東日本で今度始めて廃線が決まったニュースがありました。千葉の久留里線の一部だそうです。それで思い出すのが高倉健主演「鉄道員」。何度見てもジーンときますね。仕事一筋で時には家庭を顧みない、高倉健演じる乙松。「ぽっぽやだから」と。大竹しのぶ演じる妻の静枝が無くなるときでさえ病院にも来ない。それで友人の妻にも責められる。劇中でも乙松本人が言っていますが「好き勝手にやってきた」。
中国の映画監督チャン・イーモウ(張芸謀)は、1950年4月2日に中国陝西省西安で生まれました。2026年2月現在、75歳です。隊長が密かに名付けた、世界的に著名な中国出身映画監督三羽烏(ジョン・ウー、チャン・イーモウ、チェン・カイコー)の中の一人です。1968年に文化大革命で下放され、農場や紡績工場で労働に就きました。1978年、文革後初めて北京電影学院が実施した試験を受けて年齢制限に引っかかりますが、文化庁長官に手紙で訴え、撮影学科入学を許可されます。1982年に、北京電
「鉄道員」(ぽっぽや)鉄道員(ぽっぽや)予告編1999年6月5日公開。浅田次郎原作の同名小説の映画化。興行収入:20億5000万円。受賞歴:第23回日本アカデミー:最優秀作品賞最優秀監督賞最優秀脚本賞最優秀主演男優賞最優秀主演女優賞最優秀助演男優賞『鉄道員(ぽっぽや)』(降旗康男)降旗康男-『鉄道員(ぽっぽや)』岩間芳樹・降旗康男-『鉄道員(ぽっぽや)』高倉健-『鉄道員(ぽっぽや)』大竹しのぶ-『鉄道員(ぽっぽや
ランクBの中~Bの上対馬の人身売買、麻薬取引、密貿易を舞台にしたアクションメロドラマ映画です。B級大衆映画の王道を行く作品です。B級アクション映画と言えば、拳銃や決闘が定番です。この映画でも、遺憾なく発揮されています。そして、エロチシズムと半裸ダンスシーンを欠かすことはできません。(今はやりの言葉でいうならバーレスク的なダンスです。当時のキャバレーなどの定番演目なのでしょう。)見えそうで見えない乳首シ
2026年2月17日火曜日曇り気温5度6時5分現在今日は週二回の一般ごみ回収日(火曜、金曜)朝の5時半に起きて、ゴミ置き場の準備をして、至福の(^。^)y-~〜~(´ー`)y-~~、、、発売禁止にしてくれぇ〜、、、、、、(,,`・ω・´)ンンン、、、そういえば、、、日本たばこは、電子タバコへのシフトを押し上げる為5000億円?もの巨額の資金(税金)投入を決定したそうな、、、*5000円億円、、、他にもっと国民の為になる使い道はないんかぁ?*(´ー
寒天ゼリーは何味が好き?▼本日限定!ブログスタンプオレンジ味が好き。【記念日】天気図記念日【今日の誕生日】大隅重信さん(1838年~1922年1月10日)政治家、早稲田大学創設者高倉健さん(1931年~2014年11月10日)俳優逸見政孝さん(1945年~1993年12月25日)フリーアナウンサー、司会者多岐川裕美さん(1951年)女優、多岐川華子の母『連続テレビ小説カムカムエヴリバディ』(NHK総合)壮年期の雪衣役小林朝夫さん(1961年)俳優、小林亜星の長男『太陽戦隊サ
高倉健さん高倉健(たかくらけん、英︰KenTakakura)本名:小田剛一(おだたけいち)、または小田敏政晩年は親族に剛一郎(ごういちろう)と名乗った。1931年2月16日生まれ、2014年11月10日、満83歳没。福岡県中間市出身の俳優、歌手。高倉プロモーション所属。1998年、紫綬褒章、2006年、文化功労者、2013年、文化勲章を受章。1955年、東映ニューフェイス第2期生として東映へ入社。1956年、デビューで映画初主演。19
ブログスタンプ全獲得おめでとう!▼1月のあなたはスペシャルランクでした☆ランキングに参加しています各ジャンルをクリック👇ポチッとしていただけるとありがたいですその1…その2…2月16日・似合う色の日…(No.8501)→このオジさんのカラフルな画像があったので拾ってみました…何か、みんなそれなりに似合ってるような…(ご存知、カーネル・サンダース氏)お疲れ様です放浪し続けるブロガーブログの中の多重人格(笑)bobbyです自宅療養生活?日目記念日ブログでございます
「『うちは極道に惚れたんやない、惚れた男がたまたま極道だったんや!』の極道役でも映画館を満員にした高倉健の生誕日だけど、キミにはどんな記憶が突き刺っとるんかいの?」と、ボクの記憶の案内人・ゴーストが聞く。「そうだね。浅田次郎原作の【鉄道員(ぽっぽや)】は、原作を読んでから映画館で観たよ。健さん演じる駅長の乙松が、記入する事項など何もない旅客日報を前に、【今日も一日無事に終わった】と、自分の使命を果たしたようなあの表情が良かったよ」「へぇ~、そんなところを見てるんだ。ほかの映画で記憶に残ってる
窃盗と強姦の罪に問われた検事が自身の家宅捜査に参加して、現場から堂々と逃走し、自由に歩き回りながら無実を晴らすサスペンス・ミステリー。自分の部屋のガサ入れに堂々とド真ん中を歩く杜丘冬人の姿を見ると、明らかに”高倉健は特別扱いしてます”という、当時の映画界の空気がよく分かる。東京地方検察庁刑事部検事・杜丘冬人(高倉健)は街中で、水沢恵子と横路敬二(田中邦衛)の証言で突然警察のご厄介になり、無事窃盗と強姦の犯人に仕立てられる。しかし、水沢恵子という名は偽名で、本名は横路加代(伊佐山ひろ子)とい
悪魔の手毬唄(1961):作品情報・キャスト・あらすじ-映画.com悪魔の手毬唄(1961)の作品情報。上映スケジュール、キャスト、あらすじ、映画レビュー、予告動画。宝石連載の横溝正史の同名小説を「暴れん坊一代」の結束信二と、「ひばり民謡の旅べらんめえ芸者佐渡へ行く」の渡辺邦男...eiga.com悪魔の手毬唄[DVD]Amazon(アマゾン)1961年11月公開横溝正史原作悪魔の手毬唄高倉健主演DVD東映ビデオAmazon(アマゾン)横溝正史原作の
このところの当ブログで、タカイチ早苗が進めようとしている「国旗損壊罪」について書いています。3つ前の当ブログで、『日本春歌考』(1967大島渚監督)が「黒い日の丸」を掲げたデモ行進シーンのことに触れました。こういう使い方でも「国旗損壊罪」が適用となったら「表現の自由」はどうなってしまうのかな。他に、ヤクザ映画なんかで「日の丸」に鮮血が飛び散るなんて場合は?と書きましたが、絶好の例を最近観ました。名画座「ラピュタ阿佐ヶ谷」で、任侠映画特集をやっていて、何本か未見の作品があるので出かけています
2月14日、せっかくなのでバレンタインの話を(なんかAKB系の曲にありそうなタイトルやな)小学校6年生くらいのころ。私は長いこと不登校で、小5、6くらいから、担任の先生やメンタルフレンドの先生(カウンセラーのような)のおかげで少しずつ登校できるようになった。そして、そのとき、同じクラスに好きな男の子がいた。名前はモトキくん。当時の私は、特性もあってか、自分の気持ちを表現・伝えることがものすごく下手だった。(生まれ育った家庭環境や、鍛錬不足なども大きいと思う)
先日、大好きな、中井貴一さんが登場高倉健さんとの出会い〜幼い頃に佐田啓二さんが、交通事故で亡くなられ大変でしたね。緒形拳さんとの出会いがあり、津川雅彦さんとは、仲良しだったと。本格的な時代劇が観たいですね⚔️声も大好き侍タイムスリッパーから、若い時代劇ファンが増えて欲しいです。
大変お久しぶりです。去年1年は、本当にしんどかった。ブログも、もうやめようかと思っていたのですが。去年の冬至から今日までのあいだに、大きく動きました。どうやら私、あの冬至を目指していたらしいです。あの瞬間のエネルギーを最大限に利用するために、それまでの人生の全てを使って準備してたんだなと、しみじみ実感してしまいました。今まで体験してきた全てが、あの冬至の瞬間から、私の宝物に変わってきている。先日、本を読んで感動しました。谷充代著『高倉健の図書係』ここから、少しネタバレになるの
そして入れるようになりました縦一列ずつ中に入る感じで私の番になりましたドキドキワクワクそして中に入ってチケット見せる感じですチケットの写真撮る時間なかったので・・・└(´ф`;;)┐=3そして受付でチケット渡しましたオカルンの金の玉付きのチケットなのか確認してましたそこへマーカーで印をつけて交換ですこれだぁ∑(。´∩`○p↓↓。*)ダンダダンゲンガテンオカルンの金の玉キーホルダーこれ意外と重いのよ(; ̄ェ ̄)ちなみに量ってみま
デコトラの鷲1042というわけで続きミスズ『お疲れ様です』カミナリ『おつかれっす!』ヒビヤン『よおマルケーツ』サイコロ『おつかれ様です』ミノリ『おつかれさま』トマミ『おつかれ~』メグ『みんな来たね、来週東京ね』みんな『はい』メグ『今日はもう帰って』みんな『はい』というわけで翌週ミスズ『すいません、消毒液出来てます?』フチコ『みんな出来てますよ』カミナリ『わかりました!』ヒビヤン『積むぞ』サイコロ『はい』ミノリ『お願いします』トマミ『あたしパーティ
ゴルフコンペが中止になった朝、ゆっくり起きて選挙結果を眺めれば自民の圧勝!気になってた岩手3区の小沢一郎も大差で落選して、比例の復活もならずかよ。まあ選挙なんてバクチみてぇなもんで勝つか負けるかだが、しかし今回ばかりは彼も最初から相当な劣勢を強いられてたな。それでも、自分のウンを知るため?に賭けに出てこの結果。高倉健が「男には、一生に一度くらい負けるとわかってる戦いに出かけて行かなきゃなんねぇ時があるんだ」と言って勝ち目のない喧嘩に出かけ、やがてスクリーンには血しぶきが・
タイトルホタル概要2001年の日本映画上映時間は114分あらすじ昭和が終わり、平成が始まったとある日、漁師の山岡秀治のかつての戦友・藤枝が冬の雪山で亡くなったという知らせを受ける。山岡と藤枝はかつて第二次世界大戦時に特攻隊員だったが…。スタッフ監督は降旗康男音楽は国吉良一撮影は木村大作キャスト高倉健(山岡秀治)田中裕子(山岡知子)奈良岡朋子(山本富子)井川比佐志(藤枝洋二)小澤征悦(金山文隆)小林稔侍(
居酒屋兆治『居酒屋兆治』(いざかやちょうじ)は、山口瞳の連作的長編小説。『兆治』(ちょうじ)と題し『波』1979年10月号から1980年11月号に連載、改題して新潮社より1982年6月に刊行された。東京・国立にある広さ5坪の縄のれんのモツ焼き屋「兆治」を舞台に、店に集う客たちのさまざまな愛憎劇を描く。1983年に降旗康男監督、高倉健主演により映画化。また1992年に渡辺謙主演により、2020年に遠藤憲一主演によりテレビドラマ化。函館で居酒屋「兆治」を営む藤野英治。不器用ながら、
その日、僕は夜勤だった。ちらほら降る雪。天気予報では、夜中に雨に変わりますってこと。AM1時、2時、3時、4時。。。。。。雨なんかにならなった。夜勤明け、外へ出ると、積雪が股間にまで達していた。人生初めての降雪量だった。家に電話。ちょうど妻が足を骨折していて、自宅療養中だった。妻『今日通院日だから、早く帰ってきて。』30分ほど、車回りを雪かきして、僕は
幾分前に購入したベータテープをブラウン管TVで見ていました。高倉健の網走番外地見た後にカムイの剣をぇえと再生時間長いですねぇ…幾分前にAbemaにてゴールデンカムイ見ていたのでカムイの剣+網走番外地見ていたら、なんとなく”ゴールデンカムイじゃね?”と思った次第ま、カムイの剣も地図やら雪山や金が出てくるしアイヌも出てくるし寒いので1日ベータデッキと共に過ごしておりました。途中Hi8デッキをいじったりコンデンサーから液漏れあったので容量測って白だったやつを逆接続して煙吹かしたり粉雪
本日は、第51回衆議院議員総選挙の投開票日。世間は選挙モード一色です。現役時代は浅からず、長年選挙業務に携わっていた身ながら、今は投票日当日にノンビリ北海道旅行。時代は変わったものです😜さて、昨日の強風から一転、網走は朝から良い天気です。本日は網走港から流氷砕氷船オーロラ号に乗り込み、沖合いの流氷見学(1時間勝負!)に挑みます。港から出て直ぐに能取岬を望みますが、流氷は何処にも見当たりません。しかし、船が気合いを入れてガンガン走り出すと、徐々に氷の固まりらしき物が見え始めて来ました。(最初
「受け継ぐ」という行為には、技術以上の“想い”が宿る。多くの乗馬クラブでは、馬は乗り物として扱われ、騎乗できなくなると「稼げないから」と処分されてしまう現実が否めない。騎乗技術を磨くためには、時間もお金も惜しまない人が大勢いる。一方で、その技術を支えるために、身を削って働いている乗馬たちの心と体を癒すことに課金する人は、驚くほど少ない。それでも、騎乗できなくなった乗馬を、養老馬主として引き取る人や、養老施設をつくり、維持し日々悩みながらも「終の棲家」を守り続けている、ほんの少数派
高倉健さんの言葉「何をやったかではなく、何のためにそれをやったかである」高倉健さんがこの言葉に込めた想いは、極めて静かでありながら、深く鋭い。昭和から平成にかけて、日本映画界の象徴であった高倉健さん。彼は派手な演出や饒舌なセリフではなく、沈黙と所作で語る俳優であった。決して多くを語らず、むしろその背中で、生き方を示す人であった。この言葉は、結果や表面的な功績に囚われがちな現代への警鐘でもある。どんなに立派な行為でも、その動機が自己満足や打算によるものであれば、そ
タイトルあ・うん概要1989年の日本映画上映時間は114分あらすじ昭和12年の春。寝台戦友の門倉修造と水田仙吉は20年来の付き合い。水田が3年半ぶりに東京へ帰って来たことで彼らの家族ぐるみの付き合いは再開する。スタッフ監督は降旗康男音楽は朝川朋之撮影は木村大作キャスト高倉健(門倉修造)富司純子(水田たみ)板東英二(水田仙吉)富田靖子(水田さと子)山口美江(まり奴)真木蔵人(石川義彦)大滝秀治(番頭)
網走番外地放送禁止歌高倉健高倉健のヒット曲「網走番外地」同時に、日本の代表的放送禁止歌でもありました映画については、お世話になっているhiropooさんが、丁寧に記事にされていますこれ→網走番外地放送禁止歌になった網走番外地昭和40年(1965年)♪春に春に追われし花も散る酒(きす)ひけ酒(きす)ひけ酒(きす)暮れてどうせ俺らの行く先はその名も網走番外地替歌・タカオ・カンベ作曲者不詳採譜・編曲・山田栄一youtu.be
岡田くん中井貴一さんが徹子の部屋で高倉健さんから贈られた時計を岡田くんに贈った話をしてくれています「岡田くんは、日本の文化みたいなものを大切に考えている方」「高倉さんが生きていたらきっと時計を渡したくなった」ありがたいお言葉「あの方、いい俳優よね」と徹子さんも言ってくれていて嬉しかったです日本文化への想いは受け継がれていく高倉健さんの話にも泣けましたまだ観てない方は、ぜひ!テレビ朝日「徹子の部屋」〈中井貴一〉俳優人生45年!敬愛する先輩との出会いで今が…
〇2月4日今年は年明け早々から、精神的ダメージが有った為、映画をゆっくり見ているような気分に離れず、ものすごく落ち込んでいました。2月になり、やっと落ち着きを取り戻してきたので、また昔のように、見た作品のお話を。今回は方が2本と、洋画3本です。1997年公開の「幸福の黄色いハンカチ」を観た。原作は、1971年に「ニューヨーク・ポスト」に掲載されたピート・ハミルトンのコラム「GoingHome」がベースの「黄色いリボン」。監督は山田洋次。脚本は山田監督と朝間義隆。
今日のハガキ絵、上州屋のアジの開き。干物の歴史は縄文時代まで遡り、保存食として誕生し、奈良時代には税や朝廷への献上品となり、平安時代には貴族の酒の肴に、江戸時代には庶民にも広がった。一宿一飯の食事作法(やくざの仁義)は、山盛りご飯を完食するのが礼儀とされる。魚の食べ方は、焼き魚などの頭や骨は残さず、懐紙に包んで持ち帰る。この通りの作法で食事をしたのが、東映のヤクザ映画の高倉健だった。きれいに身を食べつくして、後は骨だけだった。私の焼き魚の食べ方は、