ブログ記事14,781件
2017年骨髄移植で入院する前に両親と弟、夫、子供たちでトンカツをお店に食べに行きました。移植に勝つ=カツ(笑)父親お店チョイスです定番勝負メシです胃が小さくなったのか?そこまで食べれませんでしたが美味しかったのを覚えています。その当時、地固め治療の間の一時退院中(1週間程)外での生活が出来る程度の免疫力外食での感染が怖く…退院中は、ほぼ自宅でのご飯でした(コロナ禍前です)お店に行くと衛生的か?席は?人との距離は離れているか?お客さんや、店員さんで咳をして
皆様、こんばんは講演・交流会のお知らせです日時:2024年2月25日(日)14時~16時場所:浜の町病院3階研修講堂(福岡市中央区長浜3-3-1-3F)参加無料・申込不要【プログラム】第一部体験発表「骨髄移植を経験して」急性骨髄性白血病経験者/慢性から急性転化(60代)第二部グループ交流会なんでも話せる場所です今回は浜の町病院でのリアぜひご参加ください当日は浜の町病院の正面玄関は使えません。北口から入りエレベーターで3階へお越しくださ
遅くなりましたが本日のしんぶん赤旗のいくつかの記事題名です(本日のしんぶん赤旗の記事題名紹介は以下のみです)。「東日本大震災13年国の支援再強化こそ岩手達増知事と小池書記局長が懇談」「能登半島1.1地震共産党が共同支援センター羽咋22日開所『被災者に希望を』」「GDP23年世界4位に転落10~12月年率0.4%減」「日本のGDP低迷内需総崩れ政治の責任で所得向上を」「コカ・コーラ缶など値上げ5月から10~52円」「ラファ攻撃やめろイスラエル
点滴室で輸血を受けているといろんな会話が聞こえてきたりします。すいませーん、骨髄バンクのスタッフです。今日は○○さんをお連れしました。よろしくお願いします。骨髄バンクの人が入ってくるのは初めて。どういうことだろうと思っているとこんにちはー、今回は本当にありがとうございます。自己血貯血でよろしかったですね?ここは病院で献血センターではないのでジュースや景品が出ないこと申し訳ないのですがご了承くださいね。では、採血をしますけど、どちらの腕にしますか
お久しぶりです骨髄移植をして昨日で丸10年が経過しましたこの10年に経験したことよくないこと・悪い方の足の骨折・間質性肺炎・食道癌(食道全摘)・下咽頭癌・コロナに2回感染(どちらも軽症)よかったこと・(胃はなくなったけど)普通に食事がとれるようになった・(足は悪いけど)海で潜ったり、泳いだりして遊べた・(以前とは同じではないけど)働けるようになった・子供の成長を見れた(後は娘の結婚だけ)もっとたくさんいいことはあるんだけど、日常すぎて書けないです
退院する時に、主治医の先生から生活についての注意事項と説明があるとの事で別室に呼ばれました。内容は、感染症対策や痙攣が起きた時の対処など、あとは私達からの質疑応答などでした。先生は「感染症対策も必要ですが、余り怖がらず娘さんと色々な所に出掛けて思い出を作って欲しいと思ってます。」と言いました。そして「娘さんの白血病の種類はとても厄介で…娘さんと同じ染色体転座と遺伝子異常だと、日本で完治された方はいません。海外だと20%くらいになります…」思わず、え…と声が漏れました。全く知り
今日は通院の日。現在、無治療の私は月一で通院し、採血するのみ。3ヶ月毎にCTやったりしてますが。採血結果は多少の上下はあっても、ほぼ横ばい。鼻血を5時間出し続けた日の翌日は貧血のせい?倦怠感が半端なく、今日の採血はいかに?と心配したけど、特に大きな変化はなかった。これから問題になるのは、もう一つの病気腹膜偽粘液腫との治療の兼ね合い。今、通っている病院では治療できないし、手術にあたっても私の持病では色々と難しく血液内科との連携が必須。そうなると2つの病院で連携を取るのは難しいので、腹
それから娘は薬を飲みながら痙攣、GVHDの治療をして過ごしていました。顔面痙攣が起きると娘がパニックにならない様に「落ち着いて…深呼吸、深呼吸して…」と言い娘が大きく何回か深呼吸します。そうすると何もしないよりは早く収まる気がしました。GVHDの主な症状は手足の湿疹塗り薬のおかげで大分落ち着いてきました。汗が出なくて熱が体にこもって発熱段々とその回数も落ち着いてきました。唾液が出にくくなり食べれない水分を多く含む食べ物なら食べれる。手のひら、足の裏の多汗症綿の手袋
2017年骨髄移植することになりました(その時はそれしか生きる手段がなかったからです)したいから出来る訳ではないのが骨髄移植です移植する前の健康状態も様々な検査で確認されます。それによって移植に体が耐えれるか、また出来るだけ良い状態で挑めるように移植する前に何回かの地固め治療で出来るだけ、がんを叩くのも大事と先生に聞きましたまず実弟のHLA検査(遺伝子座)をしてもらうことになりました兄弟姉妹間の場合、4分の1の確率です。適合するしないでドナーになれるかが決
本日のしんぶん赤旗のいくつかの記事題名です。「靖国参拝に『実施計画』陸自の『部隊参拝』は明白衆院予算委穀田氏、通達違反を追及」「機密費松野氏退任直前に4660万円支出林官房長官『事実だ』」「『若い人や女性の力生かしたい』田村委員長NHKインタビュー『政治マガジン』」「自民の裏金は『脱税まがい』国民党大会で玉木氏」「輪島塗和倉温泉街省庁超えた復興支援こそ政府に共産党」「ラファ侵攻すれば大惨事ガザ南部『殺されたくない』訴える子ども相次ぐ懸念・警
間が開きながらのアップですいません💦骨髄移植のコーディネートは終了してしまったので今回よりタイトルをドナー候補を体験、に訂正しました※※※※※前回の記事『骨髄移植のドナー候補へ〜確認検査〜』前回のブログ『骨髄移植のドナー候補に〜意思表示後の流れ〜』前回までの記事『骨髄移植のドナー候補に』11月も終わろうとしていたある日のことショートメッセージで…ameblo.jp確認検査のため向かった大学病院コーディネーターさんからの説明が終わると次はドクターの問診だった我が子が白血病
R5-8/3予後約1.5年と宣告された市大附属病院への外来日となる。特に診察や治療無く、今後の治療の見通しの話しだった。かなり厳しい治療と、具体的な生存率の値を含め骨髄移植の前処理、移植前後の感染死、GVHDでの身体起こる障害説明だ。また退院後も人により車椅子に酸素マスクの生活等もありQOLはかなり落ちると。更に退院後、普通の生活に戻れたとしても再発、その他で5年後の生存率は30〜40%と言う事だった。この様に具体的に長い時間をかけて聞いたのは初めてで、この日が1番気持ちが落ちに落ち
2日間の発熱は扁桃腺炎とのこと。原因がわかってホッとしました。抗生剤も処方してもらったので、飲み切ります今日の通院で、入院日が決まりました1週間かけてビザーダ療法です。完治ではなく症状緩和のみの抗がん剤です私に効くといいな少し、ブログの時系列がおかしいですが…(読みづらくてごめんなさい)前回の骨髄穿刺(マルク)で色々わかりました。前回の急性骨髄性白血病の再発ではないこと。診断名は、骨髄異形成症候群(MDS)eb1と確定診断されました。そのままだと、白血病に移
『長時間ビデオ脳波モニタリング』『トラウマ』『頭部CT検査』『痙攣発作』しばらく安定剤の薬を服用し、様子を見る事になりました。娘はその薬を飲むと眠気が出るみたいで、よく眠っていました。ご飯も…ameblo.jp前回の話検査が終わり、数日すると神経科の先生が沢山のプリントを持って病室に来ました。プリントを広げて説明してもらいました。「娘さんの脳波を確認しました。顔面の痙攣があった時間に微弱の脳波の乱れがありました。」そう言ってプリントされた脳波の波の部分を指差しで教えてもらいましたが、
もともと治療を始める前に、先生から、抗がん剤の治療(地固め)のみか、造血幹細胞移植をするか…という説明があった。当初、移植をすることはそもそも考えてなかったので抗がん剤の治療(地固め)だけ終われば大丈夫と考えていた地固め療養2回目の結果後に、先生から話があった。急性骨髄性白血病と診断された時点の増え過ぎた私の白血球(がん)の一部が2回の抗がん剤で叩けてなく残っているとのことを告げられた。このまま抗がん剤だけの治療だと、今後、再発する可能性が高いので移植をした方が
5人家族(夫婦、長男12歳、次男9歳、長女4歳)長男妊娠中から始めたブログ。長男の闘病記になってしまいました。いつか、日常のつまらない出来事ばかり書ける日が来るまでしばらくは闘病記が続きます。長男、2020年小3の9月7日血液検査で急性骨髄性白血病と診断され緊急入院。すぐに抗がん剤治療開始。一時退院後の骨髄検査で結果が良くなく、骨髄移植をすることに。誰かの参考になるかはわかりませんが、記録を残します。長男が2020年9月に緊急入院して46日後、一時退院(3泊)、再入院して30日、一時
『トラウマ』『頭部CT検査』『痙攣発作』しばらく安定剤の薬を服用し、様子を見る事になりました。娘はその薬を飲むと眠気が出るみたいで、よく眠っていました。ご飯も少し食べれる…ameblo.jp前回の話娘は大きな痙攣の後、恐怖心からナースコールのボタンをずっと握り締めていました。パパが帰ってから、私がトイレに行く時も「ママ…早く帰ってきてね…」と言っていました。看護師さんも先生も、娘の不安な気持ちを無くして少しでも早く安心して過ごせるようにしてあげたい…そう思ってくれて娘に寄り添っ
入院って、人生で経験しなくても良いことむしろしたくないことなんですが…私の骨髄移植〜完治までの話をしたいと思います今から6年前の37歳の時、1週間インフルエンザがなかなか治らずかかりつけ医ですぐ血液検査してもらった。次の日には父親に連れられて近くの総合病院へ即入院車椅子で診断を待っている時、深刻な面持ちで父親から白血病かもしれないと聞く。(かかりつけ医から聞いてたらしい)私は、目は回り、身体が動かない…何にも考えられない状態だったので、ショックというより、ただ…病
『頭部CT検査』『痙攣発作』しばらく安定剤の薬を服用し、様子を見る事になりました。娘はその薬を飲むと眠気が出るみたいで、よく眠っていました。ご飯も少し食べれるようになり、一番…ameblo.jp前回の話頭部CT検査をした後、娘は疲れたのかすぐ眠ってしまいました。私はずっと動悸がおさまらず、また痙攣が起きるのでないか…と娘を見つめたまま、朝になりました。もし、私がご飯を買いに行った時に痙攣が起こったら…もしお風呂に行っていたら…トイレも…何もかも…目が離せない…
『痙攣発作』しばらく安定剤の薬を服用し、様子を見る事になりました。娘はその薬を飲むと眠気が出るみたいで、よく眠っていました。ご飯も少し食べれるようになり、一番酷かったメン…ameblo.jp前回の話部屋の隅で震えて立つ私に気付いて看護師さんが「お母さんは、外で待ってた方がいいね。」と病室の外に椅子を出してもらい、娘の処置が終わるのを待っていました。脳裏に娘の痙攣した姿が焼き付いて離れません…どうして…怖い…娘は大丈夫なのか…久しぶりに大好きなラーメンを食べていた
昨日は一時退院から二回目の外来で採血、血小板輸血、診察だった。私は週一以内に血小板輸血をしないと身体はもたない。今災害や戦争で街がめちゃくちゃになり輸血が出来なくなれば生き残るすべもない。いつの間にかこんな身体になっていたんだ。昨日の診察結果は良くも悪くも変化無しで、骨髄移植の本入院まであと一週間から今月末頃になりそうだ。入院までまた少し時間がとれて良かった。幸いにして、輸血がどうのこうのと書いたが、今はまだまだメシ食い行ったり、買い物ぶらぶらしたりと普通になんとか出来る。移植やっ
しばらく安定剤の薬を服用し、様子を見る事になりました。娘はその薬を飲むと眠気が出るみたいで、よく眠っていました。ご飯も少し食べれるようになり、一番酷かったメンタルの状態からだいぶ落ち着いたように思いました。ある日、娘の顔を見ると気になる事に気付きました。右の唇横がずっとピクピクしていました。主治医の先生にも見て貰いましたが、多分ストレスではないかな?と言う事で様子を見る事になりました。しかし、そのピクピクは次第に酷くなりました。右顔面全体が、引き攣るように激しく痙攣する様になった
年明けて長く歩けない私は初詣にも行っておらず、旦那が一人行き御守りを買ってきてくれていました。今日、久々に長めの散歩がてら氏神様にご挨拶。やっと行けた…😅ご挨拶終わって、鳥居をくぐる手前で涙が溢れて止まらなくなり、久々一人号泣しました。もう自分に願うことなど何もない。日々を淡々と生きていくのみ。あるがままでいい。願い事があるとしたならば、娘が幸せでいてくれること。究極そこなんだなぁと実感し、それをどこまで見届けられるのか?と思うと、自分自身に不安しかないのが正直なところでもあり、急に涙
今日の体の感じからいくと赤はなさげだなー。点滴室の看護師さんも患者のカルテを見ているので輸血の間隔もだいたい把握されてます。採血&輸血ルートをとる前に今日の体調はどんな感じですか?動悸とかしてます?もし赤がないってわかってるなら細めの針でいくんですけど。ドクターからのオーダーは赤と血小板なんでもし細めのをいれてるのに赤をいれることになったら針を刺しなおしになるんですよ。どーします??最近、私が針を刺すときに痛そうにしているので痛みを少な
骨髄採取から退院し、家で一週間ほど安静にしていました。寝返りが痛いくらいで普通に生活できる様になりました。パパの仕事の都合で娘の付き添いを交代します。病棟に入り、娘と久しぶりに会えましたが高熱が続いていました。40度近い熱が出ていて、点滴で熱を下げても数時間ですぐに上がってくる状態でした。血液検査しても特に何もなく、移植から来る熱だろうと言う事です。娘も話をする元気も食欲もなくグッタリ…移植から12日目無事に生着しました。生着すると徐々に熱も落ち着いて来ました。すると今度
2024.2.8木曜日明日は一時退院昨年8月から5クール目の入院通算150日余りの入院生活となった。8月の健康診断でこの病気、運良く見つかったけど、スルーしてたら今頃は、、と思うと、、神様ありがとう。。っておもうこの頃。。複雑な思いはたくさんあるけど、まだまだ勝負はここからである。10日もしないうちに移植前処置に突入そして輸注その後は、、色んな資料はもらったけど、実際、経験してみないとわからないし。。兎に角、準備だけはちゃくちゃくとしてる。何があっても負けない。
「○○さーん」「分かりますか?」遠くの方で看護師さんの声が聞こえました。意識が朦朧としながら薄目を開け「…はい」と答えました。個室に運ばれていました。目を開けるとパパも居ました。心配そうな顔で「どう?大丈夫?」と聞かれ「大丈夫…骨髄液ちゃんと取れた?」と聞きました。「取れたよ…お疲れ様、頑張ったな…」と言ってくれて「はぁ…良かった」と心からホッとしました。手術室に入ってから3時間ほど経っていました。トイレに行きたかったのですが、腰が激痛で動けません。「え…
おかげさまで息子coo介は寛解維持療法に支えられて急性骨髄性白血病の2度の移植(骨髄移植と臍帯血移植)を超えて5年寛解を迎えることができました発病から再発をくぐりぬけて7年間このブログを続けてきました(初発の時のブログは間違って全部消していまいましたけどこのブログのテーマ急性骨髄性白血病の経緯2018としてまとめました)始めからブログ仲間になってくれた方々途中からの方々皆さまに心よりお礼申し上げますみなさまのいいねや励ましの声が私の支えとなりひいてはcoo介の支えになってい
誕生日から一週間が過ぎ骨髄採取の前日に入院しました。大部屋に案内されました。荷物を片付けてベッドに座っていると、とても緊張してきました。全身麻酔は初めてなので、どんな感じなのだろうと想像が付きませんでした。でも初発の時、次女も頑張ってドナーになって通った道なのだから私にも出来ない訳ない。と自分に言い聞かせていました。夕方には、点滴のルートが確保されました。気持ちがソワソワしてあまり食欲もなく、その夜は寝付けませんでした。当日になり、娘の付き添いをしているパパが様子を見に来て廊下で
今後の治療スケジュールの説明の為、ご両親が揃う日にちを教えて下さい。看護師さんに言われパパに連絡し、説明を受ける事になりました。別室の中にはすでに主治医、看護師さんが待っていました。先生が「骨髄検査の結果ですが、骨髄の中に20%ぐらいの割合で白血病細胞がいました。」「まだ初期の段階ですが、いずれ血液の中にも流れてくると思います。」そして先生が「ゲノム検査の結果は知っていますか?」と聞きました。え?ゲノム検査?「いえ、聞いていません。」初発の時に検査していたみたいですが聞