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子供がついに自宅にやって来た!そこから先は昼も夜も無い育児生活。2週間の育休もあれよあれよのうちに終わり、土日もどこかに行くことなど考えられないまま6月も中盤に入りました。このまま流れにまかせると、いつまでも歩きに行けないかもしれません。というわけで、新しいスタイルを模索するべく歩きに行くことにしました。今回歩く路線は北総鉄道。北総鉄道は京成高砂駅と印旛日本医大駅までの32.3kmの路線です。千葉ニュータウン居住者の都心方面へのアクセスを担う路線ですが、印旛日本医大
あれ車輪だの機器だのにひっつきまくって全然取れないのよ俺ん時は夜でしかも駅間だったけど、昼だと太陽に照らし出されてまぁ余計に地獄みんな死ぬなら鉄道はやめてね—じぇみん(@Jaemin_model)2026年8月13日
(その13からの続き)-国分寺台(仮)(17:41着・17:50発)-海士有木(18:13着)山田橋(仮)駅予定地から山倉貯水池目指して東へ南へ歩きました。山倉貯水池を後に、次の駅予定地へ向かいました。貯水池を離れると、まもなく国分寺台の住宅地に入りました。大通りに合流して、西へ。こちらは国分寺台のニュータウンを東西に横切る市役所通りです。東国分寺台1丁目の交差点に到達しました。このあたりが国分寺台(仮)駅予定地と思われます。辰巳台と
(その12からの続き)-山田橋(仮)(16:46着・16:55発)-辰巳台市街地を抜けて、さらに南へ下っています。途中の角を右折して小道へ。沿道には民家もちらほら。四つ角を左折して再び南へ。交通量は多くない道でしたが、歩道付きでした。少し進むと、歴史博物館の入口が見えてきました。近くには武道館もある公共施設ゾーン。ここから五井駅へ向かうバスが発着していますが、平日のみの運行とのこと。あれ?なんで今日バス止まってるの??
今年は特に台風と実害が予測しにくい。台風直撃ではないが、かなり近くにくるから出社やめて→テレワーク…あれ~弱ってる。出社出来たやん。交通機関なんともなかったし(笑)台風近く来そうだが、弱ってるから出社(予定変えず)でいけるやろな。…通勤途中で豪雨により電車止まる→の巻き添えで2、3時間駅間で動けず(逆もまたしかり)→動いて乗り換え駅に着いた...出社出来たけど午後やん(泣)今度は15号が逆からやってくる→勢力は弱ってるみたいだが雨☔🍬が未知数→出社予定&計画運休ないからgo一択やけ
(その11からの続き)-辰巳台(仮)(15:50着・15:55発)-ちはら台駅先の工事終了地点から南へ進み、辰巳台に登りました。辰巳台の住宅地に入りました。辰巳台は1959年から事業が始まり、1960年代に入居が始まった住宅地です。最盛期は18,000人ほど居住していたそうですが、現在の人口は1万人ほど。途中の角を右折。一見すると住宅地の市道ですが、この道が辰巳台(仮)駅へのアプローチ路です。幅の広い歩道が駅前通りらしさを醸し出していますが、
「志国土佐時代の夜明けのものがたり」開花の抄に乗車。じっくりと楽しんで、高知駅に着いたのが、16:02です。次の日は「伊予灘ものがたり」ですが、松山に行く前に、高知で鉄分補給をしました。【1】日本一短い駅間夕方の高知、約2時間でできる、鉄道マニアのミッションがありました。日本一短い駅間を乗ろう!路面電車の「とさでん交通後免線」が高知市内を走っています。その「清和学園前」と「一条橋」の2つの駅(電停)間が、非常に短い距離なのです。明らかに日本一の短さでして、63mしか離れてい
(その10からの続き)-ちはら台(15:05発)-おゆみ野駅からニュータウンを南へ進み、森を越えた先にちはら台駅が待っていました。ちはら台駅の終端側。確かに車止めが設けられていますが、その先がまだ続いていそうな雰囲気ですよね。そもそも千原線の原型は、1957年に小湊鐵道が免許を取得した海士有木駅と本千葉駅を結ぶ計画でした。後に千葉急行電鉄に譲渡され、ニュータウン開発にあわせて経路が変更されています。千葉急行電鉄によって千葉中央駅-ちはら台駅間が開通し
(その9からの続き)-おゆみ野(14:10発)-ちはら台(14:45着)-学園前駅からおゆみ野のニュータウンに入り、おゆみ野駅目指して南へ進んでいます。おゆみ野駅に着きました。こちらは出発する時に撮った南口。前回も触れたように、漢字だと「生実野」と書く「おゆみ野」。長らく「あゆみ野」だと思っていて、「あ」が「お」だと知ったときは何その地名と思ったものですが、あのときは漢字があることを知るよしも無く…。千葉寺駅同様、2面2線で建設されていますが、
(その8からの続き)-学園前(13:20着・13:35発)-おゆみ野(14:00着)-大森台駅から市民の森を経由して、南へ進んでいます。さらに南へ進みます。日陰が少なく、暑さを感じずにはいられません。外房線の踏切を渡り、外房線と併走する県道も越えました。このあたりから集落の雰囲気が変わったような気がしました。突き当たった少し広めの道には、駅から離れているにもかかわらず商店がちらほら。このあたりにはかつて生実(おゆみ)城が存在し、昔から集落が形
(その7からの続き)-大森台(12:11着・12:25発)-千葉寺駅から青葉の森公園に立ち寄り、大森台駅を目指しています。再び大網街道を外れて南へ進むと、住宅地の向こうに京葉道路が見えてきました。京葉道路をくぐると、まもなく左手に溜池が見えてきました。こちらは西の池というそう。その隣にはもう一つ溜池。こちらは日本池とのこと。松ヶ丘緑地を抜けて東へ進むと、やや広めの道に出ました。この道を南に進めば、大森台駅まであと少し。
(その6からの続き)-千葉寺(11:08着・11:30発)-繁華街を通って千葉中央駅から京成千原線に入り、引き続き南へ進んでいます。県道を途中で左に折れてまっすぐ進み、左手に見えてきたのが…千葉寺(せんようじ)です。寺の開基は709年といわれ、聖武天皇が名付け親になったといわれる歴史あるお寺。このお寺が「千葉」という地名の由来と思いきや、地名としての千葉は違うところに由来していると考えるのが定説らしい。本当に聖武天皇が名付け親なら、最古の使用例に
泉北ニュータウン考察泉北鉄道は何故三街区の中央部ではなく北部に偏った地域を通過する形で敷設されたのか。例えば栂・美木多地区では原山台と庭代台の接続部分を通過すべきではなかったのか。泉北ニュータウンの地形と計画の制約が主な理由です。中央部を通さず北部寄り(または各地区の配置に応じた位置)になったのは、丘陵地の自然地形・造成効率・鉄道建設の技術的・経済的合理性を優先した結果と考えられます。泉北丘陵の地形が路線を強く制約泉北丘陵は石津川・和田川などの浸食谷によって南北に細長い**3つ
熊本の地震、被災地にお住まいの皆様はご無事でしょうか。半端ない被害の報告が次から次に上がっており、心配です…。(その5からの続き)-京成千葉(9:56発)-千葉中央(10:12着・10:20発)-住宅地の中を西登戸駅、新千葉駅と進み、京成千葉駅にたどり着きました。次は京成千葉線の終点・千葉中央駅です。左はJR、右は京成の高架。JRの高架をくぐって駅前大通りに出ました。通りの反対側で長蛇の列ができているバス乗り場があったけど、どこに行くバス
(その4からの続き)-西登戸(9:17着・9:19発)-新千葉(9:31着・9:45発)-京成千葉(9:54着)-京成稲毛駅から稲毛浅間神社、住宅地のロータリーを経てみどり台駅に着きました。みどり台駅から学園通りを2〜3分進むと、こんな建物が見えてきました。こちらがZOZOTOWNでおなじみ、zozo本社とのこと。このZOZO(TOWN)という名前、某最終幻想(和訳)の6作目に出てくる、住民が嘘つきだらけ(モンスターも出る)のスラム街と全く同じ名前。本当に
(その3からの続き)-京成稲毛(8:06着・8:20発)-みどり台(8:55着・9:05発)-花見川を渡って検見川駅へ向かい、さらに東へ進んで京成稲毛駅へ向かっています。京成稲毛駅に着きました。踏切挟んだ両側に駅舎がありますが、メインと思しき西側の駅舎を撮影。ホームは2面2線の相対式。両側に出入口がありますが、駅構内でも両ホームは構内踏切で連絡しています。どことなくローカル感漂うホームです。軽く休んで次の駅へ向かいます。駅前から西に下
(その2からの続き)-京成幕張(7:15発)-検見川(7:34)-京成稲毛(8:06着)-京成幕張本郷駅から車両基地を横目に京成幕張駅へ向かいました。次の駅へ向かいます。この道は京成幕張駅と(JR)幕張駅を繋ぐ道で、こちらでは商店をちらほら見かけました。突き当たりの道を右折すると、より駅前通り感ある道に。この道を反対方向に進めば、(JR)幕張駅。利用者は幕張駅の方が圧倒的に多いため、駅前通りにも差が出てしまっていますね。千葉街道
(その1からの続き)-京成幕張本郷(6:32発)-京成幕張(7:03着)-京成津田沼駅から線路を何度も越え、京成幕張本郷駅へ向けて住宅地を進みました。JRの幕張本郷駅の駅舎を通って、京成幕張本郷駅に着きました。幕張本郷駅はJRと京成で建物は異なりますが、両者は直結しています。ホームは1面2線の島式。隣にはJRのホームも並んでいます。次の駅へ向かいます。今回はしばらく線路に沿って歩いてみます。右手には幕張車両センターが広がっています。
続いての全駅間歩きは京成千葉線・千原線です。子どもが生まれ、まだ妻は里帰り中とはいえ、あまり遠出はできません。というわけで、温めておいた近場路線を歩きたいと思います。京成千葉線は京成津田沼駅から千葉中央駅までを結ぶ12.9kmの路線です。一部時間帯に線内完結の運用もありますが、多くは本線、千原線、松戸線(旧・新京成線)と直通運転を行っています。いっぽうの京成千原線は千葉中央駅からちはら台駅までを結ぶ10.9kmの路線です。かつては千葉急行電鉄という別会社での運行でしたが
(その12からの続き)-新伊勢崎(18:05着・18:17発)-伊勢崎(18:38着)剛志駅から西日を受けつつ北西へ、いよいよ伊勢崎市街地に入りました。歩道付きの広い市道に合流して北へ。そこから北へ進んで、新伊勢崎駅へのアプローチに入りました。お店もちらほら見かけましたが、駅前まで周囲は基本的に住宅地でした。新伊勢崎駅に着きました。2013年に高架化され、現在の駅舎となりました。伊勢崎の中心市街地は、場所によっては伊
(その11からの続き)-剛志(16:59着・17:10発)-昭和の雰囲気漂う境市街地を通って、境町駅に到達。さらに西へ進んでいます。引き続き県道14号を北西へ。西日がとにかくまぶしかった…。主要県道沿いだけあって沿道には民家が続いていましたが、そこから外れると、このあたりも一面農地が広がっていたようです。西日の影響もあってか、この時間になってもまだ暑さを感じました。すでに40km以上歩いていることもあって、正直ちょっとだるさを覚えていま
(その10からの続き)-境町(15:59着・16:10発)-木崎駅から農地と工場地帯を抜け、世良田駅に立ち寄りました。世良田交差点を右折して、県道14号に。昔の地図を見ても街道の表記はありませんが、明治期の地形図にはすでにある道なので、何かしかの街道がベースの道と思われます。早川を渡って、伊勢崎市に入りました。いまはこの川が市境ですが、明治に世良田村が成立した当初は、この対岸も世良田村だったそう。川を渡ると道幅が広くなり、歩道も
(その9からの続き)-木崎(14:20発)-世良田(15:08着・15:15発)-途中、通行止めに行く手を阻まれながらも木崎駅に到着しました。次の駅へ向かいます。木崎駅は特急停車駅ですが、駅前やその近くに商店街が続いているような雰囲気ではありません。実は木崎の中心部は、駅から1kmほど北を走る日光例幣使街道沿いです。もともとの中心部から外れているため、駅を離れるとまもなく周囲は住宅地に。国道354号を越えて、南へ進みました。
(その8からの続き)-木崎(14:05着)-昔の面影を残す路地を抜け、太田市街地を南東へ進み、細谷駅に立ち寄りました。細谷駅から始まる道を今度は南へ進みました。高山彦九郎宅跡の案内につられて、右折すると右手に石碑が。この先に広がる農地が高山彦九郎の旧宅とのこと。高山彦九郎は幕末の尊皇思想家のひとりで、吉田松陰などの幕末志士の思想に影響を与えた人なんだそう。幕末史はあまり強くないので、このあたりの話は全く知りませんでした。旧宅跡から
(その7からの続き)-細谷(13:55着)-スバル本社とその城下町を横目に見ながら、太田駅に到着しました。いったん県道2号の大通りに出ましたが、このまま進まずに、ひとつ南側の道を歩いてみることにします。ひとつ南側の通りは一方通行。中小の店が点在しており、商店街のような雰囲気です。今ではすっかり裏通りですが、かつては太田の中心市街地を構成する繁華街のひとつだったのかもしれませんね。その一角に特徴的な煙突。えっと思って建物を
(その6からの続き)-韮川(10:51着・11:10発)-太田(11:49着・12:05発)-野州山辺から韮川駅へ向かう途中で何度も県境越えしました。韮川駅に着きました。自動改札機はありませんが、自動券売機は設けられています。コンパクトながら、ここの駅舎も味がありますね。ホームは1面2線の島式。電車の到着は少し先でしたが、学校帰りの高校生の姿がちらほらと。まだ昼前だから、部活の朝練帰りだったのかな?ここから先もあまりゆっくり休めないので、今
(その5からの続き)-野州山辺(9:57着・10:07発)-韮川(10:51着)-足利市街地を北へ進んで足利市駅に到着、足利市駅から浅間山を登りました。県道253号に合流したところで左折して南へ。このあたりは昭和の商店街の雰囲気が残っていますね。今も営業している店をちらほら見かける一方、近くには新しい民家も確認できることから、昔はもっと商店街が続いていたのかもしれません。途中の角を右折して野州山辺駅へのアプローチ。曲がる角を一つ間違え
(その4からの続き)-足利市(9:04着・9:15発)-道に迷いつつも足利市街地に入り、東武和泉駅を通過しました。そのまま西へ進むと、左手に市民プラザと文化ホール。市民プラザの先の角を右折して、県道38号を北へ。この通りが足利市駅の駅前通りです。駅前通りとはいえ、もともと南側は駅の「裏側」ということもあり、駅前らしい雰囲気にならないまま足利市駅が見えてきました。というわけで、足利市駅に到着。中心市街地は川向こうのJR足