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東圓寺から広称寺へ向かいます。東圓寺の山門の南に、来た時には気付かなかった馬頭観音像がありました。反対側にある厠に一直線だったから気付けなかったのです。観音様の中では唯一の憤怒相で、それ故に馬頭明王とも呼ばれています。文字塔が多数を占める中、これだけの彫像は貴重な文化遺産だと思います。東圓寺に程近い広称寺にやって来ました。ここには、38歳で急逝した本田美奈子さんのお墓があります。本田さんは、2005年の11月に白血病で他界した歌手です。本人はアイドルと呼ばれることを嫌がってい
川崎宿に入ります。六郷橋を渡ると長十郎梨の解説標柱があります。多摩川沿いにどこまでも続いていた梨畑、明治中頃、病害に強く甘い新種が大師河原村で生まれた。発見者当麻辰次郎の屋号をとり、「長十郎」と命名されたこの梨は川崎からやがて全国へ。六郷橋長十郎梨の解説標柱明治天皇六郷渡御碑江戸時代、東海道の往来のためには六郷の渡しは大切な要であり、幕府からの助成金によって常時10数隻の舟で旅人や荷馬を渡した。明治元年(1868)の明治天皇の渡御
次は大安寺に。ここまでくると歩いてる人もいなく、のどかな景色です。大和十三仏霊場のお寺さんで、3月は馬頭観音立像様、拝観できると知って来たかったのです。奈良時代今より何倍も何十倍も大きなお寺で、仏教の総合大学のようなお寺だったそうで、今はがん封じ病気平癒で有名だそうですね。私が思っていたより大きなお寺さんで。山門入ってすぐ、なんとなくふわ~とほっとする感じお庭も雰囲気良くぼーとしたい感じですが・・まずは本堂に。ご本尊様は十一面観音立像様。秋にだけ拝観できるそうです。不調が色々出てくるお
***前回の記事、その③より続きです***鼻と目は多少は復活しました。うどん処竹泉さんでお昼ごはんをいただきつつ花粉にやられっぱなしの鼻と目を休めて、出発です。巡見街道を歩いた時にも感じましたがこのあたり丸石使いたい放題、土地の仕切は全部丸石。どこから持ってくるのか、木曽川から?街道に戻りすぐ、石物の一角が現れました。向こう側にある石柱は・・・。読みにくいけど道標!先ほど馬頭観音道標にくらべて読みづらい、昔の石工さんに花崗岩使わないでとぜひともお願いしたいとこ
「東海道歩き日本橋から品川宿まで②」の続きです。浜川橋を渡ると右手に「天祖諏訪神社」があります。天祖諏訪神社の神明鳥居手水舎天祖諏訪神社拝殿ケヤキの大木厳島神社鳥居(境内社)日露戦役記念碑街道を進み国道15号と合流する手前に鈴ヶ森処刑場遺跡があります。磔台火炙台「火炙台八百屋お七を初め火炙の処刑者は皆この石上で生きた
馬が田んぼに沈んでいっても助けてやることはできません。供養として馬頭観音を建てたそうです。本日は悲しい歴史の実話です。
金剛寺に来ています。先に墓地に足を踏み入れてしまったので、改めて正面から参拝します。茅葺屋根の質素な佇まいの山門の前で、仁王像が三宝を守っています。仁王門に収まっているより、外に出ている方が迫力がありますね。見た感じまだ新しいので、再建されたか、新たに造られたのでしょう。参道に高尾山があります。金剛寺の開基となった高野勘兵衛が修験者だったこともあり、ここに祀られているのでしょう。高尾山は世界一の登山者数を誇る山ですが、修験道の霊山なのです。ここにも天狗の像がありますけど、天狗
上尾宿からの続きです。庚申塔(不動尊の道標)のすぐ先でさいたま市に入ります。すぐ先の右側に「河村屋」があります。江戸文化文政期に地酒「養老の瀧」を取り扱っていて、その酒粕を利用して粕漬を創り出したのが「創作漬物河村屋」の始まり。さいたま市に入ります。創作漬物河村屋500m程先に南方神社があります。旧吉野村の鎮守で諏訪社とも呼ばれたが、明治40年近隣にあった9社を合祀し、現在の名前となりました。地元では「お諏訪さま」と呼ばれている。10分程進
暖かくなったら、気のせいか庭のラッパ水仙が元気になった、、黄砂のせい?2,3日前は蕾のままうなだれて、この世の果に佇むかのようだったのに。うなだれて生きるも一興黄水仙今朝はその黄水仙が花びら全開で日と向き合っていた。予定はないけど、これからなにか良い事がありそうな気がする。色とか形とかステレオタイプどっぷりに、子供のころ描いていた花の絵はこれだったのかな、なんでだろ?手拍子に踊り出したる黄水仙横顔はわりと凛々しい。三枚の萼は蓮弁たる花弁の後方に脇侍の如く位置して緩まず
競馬の日雑学ネタ帳「1954年(昭和29年)のこの日、日本中央競馬会(JapanRacingAssociation:JRA)が農林省(現:農林水産省)の監督の下で発足した。」馬🐴🐎について私が語れるのは2つである。①馬頭観音コトバンク「観世音菩薩の化身で,六観音の一つ。忿怒相をもち,人身で,頭が馬のものと,馬の頭飾りを戴くものとがあり,馬頭は諸悪魔を下す力を象徴し,煩悩を断つ功徳があるとされる。しかし一般には馬の無病息災の守り神として信仰され,3面8臂,4面8
小俣京丸その13行くたびに思うつねに埋もれて行くおなじみのブルドーザー帰り道なにげなく見上げたはるか上に車が待っていた小俣橋についたここから崖を登る帰り道で待っていた馬頭観音さん林道脇の小高いとこにあるこのあと気になっている石切の部落に向かう『小俣京丸その12』小俣京丸その12星は見ていた!宇宙からも埋もれた家が見える山の斜面が大崩落している(グーグルアースより)帰りに見えた埋もれた学校おまけリアカー自転車『小俣…ameblo.jp『小俣京丸その11』小俣京
朝霞水門から土手を下りて河川敷を歩き、朝霞大橋へ向かう途中にある西福寺にやって来ました。実は下内間木氷川神社の近くにあった西福寺。お寺は洪水で流されてしまい、元々観音堂のあったこの場所に什器を移したんだそうです。昭和後期頃までは留守居の管理人が常駐していたらしいのですが、現在は無人で、地元住民が清掃等を行っているとのこと。そんな訳で、廃墟っぽい印象が拭えません。でもご覧の通り綺麗ですよね。一乗院(さいたま市)の管理下にも置かれており、廃寺にはなっていないようですが、西福寺の名は敷
見返り松を後にして緑の並木道を500m程進むと左に愛宕神社があります。300m程先のヘアーサロンに庚申塔があります。愛宕神社庚申塔500m程先の左側に熊野神社参道があります。新堀(北)信号交差点から150m程先の右側に志がらき茶屋本陣跡(明治天皇御小休所跡)碑があります。熊野神社参道志がらき茶屋本陣跡碑
「中山道歩き上州・武州路を歩く松井田宿から高崎宿まで」続きです。中山道を進み上信電鉄の踏切を渡ると左に高崎アリーナがあります。上信電鉄の踏切左に高崎アリーナ上越新幹線の下を通ります。「新後関町」交差点を直進し17号バイパス下を通過。倉賀野宿まで2.3kmの表示粕沢橋を渡りすぐ左に入ります。「倉賀野町西」に出て県道に合流。左側通行碑安楽寺山門
東京から夜行バスで名古屋に到着し、そのまま日帰りツアーで奈良県へ。見たかった特別公開の仏像を巡ります。最初に訪れたのは「大安寺」。「馬頭観音立像」が3月末まで公開中。天平時代に作られたもので、首や足に蛇が巻き付いているのが印象的。説明をしていただいたのは立派な法衣の住職様、だったのでしょうか。私たちのために読経をしてくださって、1人1人お焼香もできました。雨の中「宝物殿」も案内していただき、天平時代の木彫の像7体も観てきました。東大寺大仏開眼を聖武天皇とともに行った
「中山道歩き上州・武州路を歩く坂本宿から松井田宿まで」の続きです。「西松井田」信号交差点から1km程先に松井田郵便局があります。松井田郵便局から100m程先を左へ入ります。前方に八幡宮の扁額が掛かる石鳥居があります。創建年等の詳細は不詳ですが鎌倉時代初期の建久8年(1197)に源頼朝(鎌倉幕府初代将軍)が参拝に訪れたとの記録がある古社です。群馬県指定重要文化財祭神は誉田別命、息長足姫命、玉依姫命。八幡宮の扁額が掛かる石鳥居境内の庚申塔中山
けろのブログにようこそ❣️3月24日成田山東京別院深川不動堂にて行なわれたペット彼岸会に参加しましたQuickは今週末に一周忌を迎えBulanは初めてのお彼岸先日、前記事鈴の音で帰って来たことを教えてくれました『鈴の音️がした』けろのブログにようこそ❣️Bulanが亡くなって5ヵ月が過ぎましたQuickは亡くなって1週間後に夢に出て来てくれました♪Bulanは亡くなって2週間後に夢に…ameblo.jp馬頭観音像に卒塔婆を奉納して僧侶5名で読経して供養して下さいまし
碓氷峠頂上で長野県から群馬県に入ります。左の空き地に赤門屋敷跡説明と胸像があります。ここには赤門屋敷跡で「加賀藩前田家」の御守殿門を倣って造られた朱塗りの門がありました。諸大名が参勤交代で追分・沓掛・軽井沢を経て碓氷峠に、また上州側坂本宿より碓氷峠に到着すると、熊野神社に道中安全祈願詣でを済ませて、此の赤門屋敷で暫し休憩し、無事碓氷峠迄来た事を知らせる早飛脚を国許また江戸屋敷へと走らせた。和宮様御降嫁の節も此の赤門屋敷に御休憩された。明治19年(1886)碓氷新道の完成、明治26年
内山南村地区の中央に位置する四ツ辻立小路(たつこうじ)にある道祖神は、男女の神様が仲むつまじく握手をしている双体道祖神の祝言像です。右には馬のお墓馬頭観音があります。右上には高橋管設工業と姉の同級生の家時計館と我が家の初代と三代目の奥方の生家であるむじなざわが見えます。
内山横道の入口には、庚申塔、二十三夜塔や三十三夜塔といった月待塔(つきまちとう)、御嶽神社碑、馬頭観音などがあります。
中山道歩き信濃路を歩く和田宿から追分宿までの続きです。分去れの先の「追分宿」交差点左側に茶屋つがるやがあります。ここは江戸時代には枡形に曲がっていたところですが、道は真直ぐ左に続いています。追分枡形の茶屋説明板によれば「寛永12年(1635)徳川家光の代、諸大名の参勤交代の制度が実施され、ここを往来する諸侯のため、宿内には問屋、本陣、脇本陣を設置し、宿の西入口、この辺に枡形の道と土手(高さ約2.5m)を築いて宿内の警備取締りをした。今、その面影を見ることはできないが、当時枡形の
21日にリフォーム終わったので、元の洗面室にあったものを、少しづつ戻してるんやけど。ちょっとだけ、まだの所にが、あるけれど、ほぼ完了に近いです。いつまでも寒くて、洗面室に立ってちんたら作業するのが、億劫。しかも、色々整理整頓の為の計画もあるし。まだ、断捨離の分別ができてない。それらが、ミックスジュースのように混在し。お尻の重ーい、この写真のような体たらく。だめじゃん😩しかも、また、新しい本読み始めてしまってる!😞😥気持ちは、早く続きが読みたい‥‥‥何考えてるのさ、私。きっと
和田宿休憩所から始めます。和田宿休憩所の向い側に本亭なが井跡あります。近年まで「本亭」という旅館でした。屋号は「なが井」で、その昔、和田郷の庄屋を務めていた。長井一族は本陣、問屋、名主を担った最有力の家門です。和田宿休憩所の隣に和田宿脇本陣があります。文久元年(1861年)3月10日の大火で和田宿内109戸を全焼した際、脇本陣も類焼した。同年11月、皇女和宮降嫁の際、和田宿宿泊のため、昼夜兼行で宿内復旧工事がなされた。この脇本陣もその時の建築です。四辻に和田宿
浜崎氷川神社に来ています。木の生命力って凄いですよね。アスファルトから芽を出す植物もそうですが、鉱物ですら押し退けてしまう。氏子さんが敷石をずらしたんだとは思いますが、ここは土をコンクリートで覆っていないので、根にも十分に水分が行き渡っています。そういう意味では、街路樹って気の毒で、見る度に少し悲しい気持ちになります。拝殿の奥にある御嶽神社です。ちょうど電車が通過していきました。気にしていれば、車窓から氷川神社が見えるってことですね。電車が行き交う時以外は、とても静かな境内で
今日は、北海道北斗市の、追分稲荷神社を紹介します。<所在地>北海道北斗市追分5丁目3-30<祭神>・稲荷神※実を言うと、ここの神社に関する情報が少なく、祭神の詳細な事は、分からなかった😓境内に土俵がありました。<石碑>・馬頭観音※馬が草を食べるがごとく、人間の煩悩を、取り除く菩薩。・庚申塚二三夜塔・ここから先は、少々長い解説となります。興味の無い方は、スルーして下さいm(__)m・・・・・・出来たら興味は、持っ
昨日の風の強さから一転、穏やかな日差しだった東松山からこんばんは!午前中は少し曇りがちでした19日といえば馬の日!馬の日といえば上岡観音妙安寺・馬頭観音での馬の観音参りですね!小雪を先頭に、今月はお二人が馬と一緒にお堂の周りをぐるぐるぐると三周し、方丈さんにご祈祷いただきます。そのあとは朝から集まってくださった皆さんとお焼香。みなさんの馬ライフに幸あれ。そして先日の記事でもご紹介したように、牧場の周りでは菜の花が満開です!循環型牧場を目指す当牧場の畑でも、馬糞堆肥で育った白菜の菜
JR贄川駅前の水場をすぎ1km程進み案内板に従い左に入ります。坂を上ると坂を上ると右側に道祖神、観音大士、青面金剛(庚申塔)などのせきとうがあり、左側に諏訪神社があります。若神子集落があり、ここにも水場があります。国道の合流し50m程先の左側擁壁上に「若神子一里塚」があります。説明板によれば若神子一里塚は、中山道に設けられた一里塚のうち楢川地域内の5か所の一里塚のうちの一つで、江戸時代には道の両側に2基あり、それぞれに榎が植えられていたが、明治43年の中央線の鉄道敷設時に1
大平町の、「チャレンジ大平」という熟年チームが、トロミルの水車を、復元しました。通りかかったら、水車が動いていて、びっくり。山から水をとり、水路で水車の上まで導き、樋で水車に導き、水車を回して、川に戻します。川に戻すための水路は、まるで、滝のようです。苦労して、作ったのでしょうね。四角い花崗岩の二つの石は、おそらく、トロミルの台座、深い穴は、沈殿槽だと思います。@@@トロミ
東舞鶴駅からタクシー🚕に乗りました。小浜線の松尾寺にひと駅なのに1時間待ち極力、お金をかけないようにしてるけど、しょうがなく、時は金也り。仁王門。青葉山。日本遺産勅使門手水。鐘楼。本堂、修理工事中残念。令和8年完成予定。大師堂が、仮本堂となってました。馬頭観音競馬関係からも信仰を集めてるって桜花賞(G1)、当たりますように馬頭観音(本より。)松尾寺境内からの仁王門。御朱印をいただきました。池。梅が綺麗に咲いてます。日露戦争記念磐座。トイレの神様
久しぶりの参拝です。富士市間門(まかど)の浅間さんに御挨拶させていただきました。1年かそれ以上、御挨拶してなくて・・・ふと思うと、来なさいと言われます。神社横の山道に車を置いて・・・鳥居をくぐろうとすると、なんだか、向こうからも呼ばれているみたい(^_^;)馬頭観音様が並んでいます。「こんにちは」と、本当にひとこと挨拶だけです。余計なことかもしれませんが、馬頭観音様を粗末に扱ってはいけません・・・ありがとうございます。