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前回「A」の続きです筋骨どおり付近の散策ですこれも水路の上に建つ家見るたびに、地震の時でも大丈夫なのかね?って思ってしまう上がってきてしまったが水路脇の道はまだ続くメイン?通りに出てきましたまだ人は殆ど見かけません再び脇道に逸れてみます「女」、「男」って書かれてますけど?ここも進んで良い道なんでしょうか?と言いつつ進む奴行き止まりに成らないかと;;まだ先が有りましたあそこで開けそう出てき
萩原町中呂にある禅寺の名刹である禅昌寺にいった後、国道41号線に戻りここから飛騨街道を歩きました。今回はは地元の人に教えてもらったコースで歩くことにしました。まず萩原町の国道に架かる円通橋をくぐって中呂交差点にいき、右折して上がり上がり切った左折し、しばらくいくと民家が点在しすぐ北側にJR高山線の禅昌寺駅があります。この前を進んで行くと、左側に田畑の間に狭い道があるのでここを下って国道41号線に合流します。国道41号線と飛騨川が平行している国道がほぼ真っ直ぐな道になります。道の右側は主に
この禅昌寺は国道41号線を下呂から少し西に進むと、右側に禅昌寺を案内する石柱があります。ここは萩原町中呂で約400mほど上がって、LR高山線の踏切を渡っていくと、臨済宗妙心寺の寺院の禅昌寺があります。平安時代、恵心僧都が桜洞(下呂市萩原町)に観音世菩薩を彫り、草庵を開いたのが始まりという。後に後円融天皇が皇后の安産祈願したところ,皇子が誕生したので、永和3年(1377)円通寺の寺号と、ともに勅願所として「天下十刹」の綸旨をさずけた。その後兵火をうけ廃絶したため桜洞城主の三木直頼が,天文元年(
前回は「船峅寺郷」に在った7村を書いたが、それに続き、大田庄(荘)内の6村を北方向から南方向(富山側から飛騨側)へと並べて見ます。太田薄波(おおたうすなみ)西笠山に源を持つ長棟川が神通川に注ぎ込む場所の集落は「うすなみ」と呼ばれていました。太田薄波は長棟川の左岸…飛騨側に位置する集落です。太田庄を伝えるため「太田」が頭に付されました。文字ではイメージしにくいので、地形図を添える。この右側から注ぎ込む長棟川が望める。ちなみに348mの山が見えるが、この吉野との境に位置する山は、昔、「姥捨て
今日は、青空が広がる1日だった。で、富山県民の常になるのだが、立山にカメラを向ける。皆様には、「またか!」って思われそうなのだが…日の出を見て手を合わせるようなものだと、笑っていただきたい。富山びとにとって、そんな行動を呼び起こしてしまうのだ。続いて、目を東から南に向ける。飛騨へと続く山並みが写る。正面は御前山。青丸を挟んで右手に笹津山が見える。青丸、オレンジ丸をふったのは青丸は神通川、オレンジ丸は黒川が立ちはだかる御前山の両脇を流れており、その川が切り刻む谷が飛騨方向へと筋をたてる
道を辿ってみよう…。この航空写真は1976年のもので、旧船峅村の坂本集落が中央に写っている。黄◯の横には船峅小学校が写る。青色◯は黄色◯と赤◯の道の合流点である。青◯から水色◯の方向に(下に)行けば姉倉比売神社や帝龍寺のある寺家の集落になる。青◯へ上の方から続く道は飛騨街道(東街道)である。布市藩の城下町、室町期の桃井直常の居城の在った布市からやって来る。赤◯を上側に進めば、やがて上熊野城のあった集落や伊豆ノ宮の集落に行き当たる。これらは古い道なんだろう。やがて舟倉用水の開鑿や舟倉台
下呂市の菅田笹洞の白山神社にいきました。金山町の袋坂峠から下ってきた飛騨街道は、旧道を少し北にいき赤い鳥居を、左折して山道の小さな峠を、下って笹洞の白山神社に行くことになります。今回は袋坂峠から下って、旧道を車で笹洞の白山神社にいきました。この白山神社は御祭神が伊邪那岐命伊邪那美命菊理姫命になります。約1300年前に泰澄大師により加賀白山より歓請したと伝えられています。明治9年に白山神社と改称され、創建以来当地の氏神として宗敬を集めています。春の例祭、春分の日の夜、地元の人に
袋坂峠の嶽見桜と言われる袋坂峠の桜を見にいきました。この袋坂峠は飛騨街道で、加茂郡七宗町を離れ、下呂市金山町に入ることになります。この峠エドヒガンザクラの、樹齢300年もの古木の木にがあります。樹高22mもの桜で今年もきれいな花を咲かせました。この峠から御嶽山が北の方向に望めます。かってむかしはこの峠に茶屋があった。この時期桜の花を見ながら、遠くの御嶽山を見る旅人を想像したくなるような、満開の桜と御嶽山を見ることが出来ました。林道でここまでが七宗町
太田橋を渡り「中山道・太田宿」をめぐります。「中山道太田宿」に入りました。中山道は江戸時代に整備された五街道の一つで、江戸日本橋と京都三条大橋を結び、六十九の宿場を持つ街道で、ここ太田宿は江戸から数えて51番目の宿場でした。しかし、江戸時代初期からすべての宿場・道筋が定まっていたわけではなく、このあたりの初期の中山道は土田宿から犬山をへて鵜沼宿に渡っていました。その後土田の渡しが開設された寛永17年(1640)頃に太田宿が創設(当初は土田宿と合宿だったようです)された
夕方の下呂駅に降り立つと駅前には特急の到着時間に合わせ各旅館の送迎車がずらりと並びプラカードでのお出迎えこの昭和レトロな懐かしい感じ久しぶりに味わいました駅近の旅館を予約していたので全然歩ける距離でしたが…せっかくなので送迎車でチェックイン昭和7年開業のこちらの旅館は4館が連なる形で建っていて広くて迷子になりそうでしたがその分探検しがいもありますね趣の異なる大浴場が3つありお部屋の浴室にも源泉が出ます展望風呂野天風
高山市高根町の国道361号線を、高嶺大橋手前で左折して野麦峠、さらに長野県松本市までの道を野麦街道といわれています。今回はこの道を野麦峠までいきました。この道は山岳道路でヘアピンカーブ、アップ、ダウンがあって所々で狭い道になり大変な道になります。国道361号線からの道は最後の野麦集落があります。奥深い集落で約15軒ほどの民家が点在しています静かな山村です。現在住んでいるのは5軒ほどと聞いています。この集落を歩きましたが、静かで人にに会うことはないが、畑では野菜が栽培されていました。この野麦の
2023.10.08(日)積雪でノープランとなった4連休。3日目は、飛騨古川を訪れました。道の駅「飛騨古川いぶし」で車中泊。昨晩の飛騨牛焼肉丼は美味かったな♪でも、車内が焼肉臭くなった。窓を全開にしても、全然匂いが取れない。やっちまったなあ~。道の駅には奥飛騨名物を揃えた食堂あり。まだ営業前なのが残念。店の前には熊のはく製小さくて、可愛い表情の熊さん。今年、苗場山で襲ってきた熊は、こんなに小さくなかったし、めちゃくちゃ恐ろしい表情だった。笹から熊が飛び出してきた瞬間、自
(2023年度-No.49)行った日:2023.7.24(月)~26(水)ブログ作成日:2023.8.4(金)*****************お付き合いに孫達との旅行にと忙しい日々が続きブログから遠ざかってしまいました今日から数回にわたって7月に行った2泊3日の旅行記を綴っていきます今回のドライブ旅行は飛騨街道を北上し飛騨古川から神岡に入って越中東街道を北上富山から金沢に行くルートですまずはひるがの高原SAで休憩毎度楽しむことがで
2023年5月15日(月)千国・飛騨街道8日間のつまみ食い街道の旅の7日目の後半は、飛騨街道「国府・上広瀬~高山」(3)「十字路」(高山市国府町上広瀬)(11:12)ここが、「飛騨街道西道と飛騨街道東道の追分」とみた。その先、高山までは、「飛騨街道」とした。西道から東道から右折して、JR高山本線を横断。(11:13)国道471号に合流して、左折。(11:15)ここに「バス停追分」と「お堂」がたつ。宮川沿いを行く。(11:21)
2023年5月11日(木)千国街道・飛騨街道9日間の旅の6日目の前半1は、飛騨街道「笹津散策」(2)富山~JR高山線~笹津駅飛騨街道は、笹津で、西道と東道に分かれる。その追分を探して、笹津散策。(6:307:30)JR高山線・笹津駅。県道69号を行く。「山口時計店」のあるY字路。ここが「飛騨街道西道と飛騨街道東道の追分」とみた。飛騨街道西道は、右折して県道69号を行く。「旧笹津橋」(神通川)を渡り、県道41号で、神通川左岸を行く。
2023年6月13日(火)飛騨街道(大久保道と布市道)「富山~笹津」(1)つまみ食い街道の旅(GSV)街道地図は下記クリック飛騨街道・大久保道と布市道F-Googleマイマップ飛騨街道・大久保道と布市道Fwww.google.com始めに、「飛騨街道(大久保道)「太田口通り」にある旧飛騨街道の起点。(富山市太田口通り)高山まで約21里(62.5km)とある。(おかだ歯科看板がある)「桜橋電車通り」に合流して右折。「堀川小泉の電停」手前で、右
金山宿の飛騨街道を下原旅館(陣屋)があった下原にいきました。ここから道は国道41号線の旧道に合流し、飛騨川に架かる中橋を渡って下原八幡神社にいきました。中橋の手前に下原渡しがあったが、明治34年(1901)に、この上手に木造りのつり橋が出来て廃止になりました。道は中橋を渡って飛騨川沿いにいくと、下原八幡神社があります。この神社は約1600年前の仁徳天皇の御代に創建されました。祭神は応神天皇になります。上古は中津水無神社といわれ、飛騨八神社の第一の神社でした。又ここには今から1600年前に
金山宿の飛騨街道を十王坂の手前から、馬瀬川に架かる境橋を渡って国道41号線沿いを大船渡ダムまでいきました。ここから今回は金山町渡を飛騨川沿いに、北上して飛騨川に架かる中橋を渡って下原八幡神社にいきました。まず大船渡ダムへの入口の下原町南交差点から旧道を飛騨街道を北上します。ここが下原になります。ここの下原小学校にかって高山城主金森長近の宿泊した下原旅館(陣屋)が設けられていました。江戸時代以降に高山が天領となると、この辺りが伝馬町が設けられた。飛騨の南入口で,荷継ぎや、宿場のような賑わい見せ
金山宿の大船渡の渡しから飛騨川に架かる金山橋を渡ってきた道は橋本町商店街までいきました。ここから飛騨街道へ左折して上がっていきます。この辺りは筋骨といわれるているが、これは飛騨地方の呼び名で細い路地が迷路のように絡み会っている公道になります。筋(すじ)や骨(ほね)のように絡み合う人間の体に例えれれています。この路地を入っていきましたが、中々と工夫された空間になっていました。飛騨街道の宿場といった雰囲気の中の道を歩き、金山小学校近くにある長福寺にいきました。ここは天文14年僧喜山長悦首座が創建
下呂市金山町の飛騨街道散策等で飛騨金山駅までいきました。ここから飛騨川沿いを散策して大船渡の渡し入口にいきました。この渡しは昭和3年(1928)に金山橋が出来るまで、美濃から飛騨への道で飛騨川を渡る重要な渡船場だった。この大船渡の地名については古代官道だった、ここの渡しを国司などが都から国府に行き来していました。その最初に渡ることから(大船渡)の地名になったといわれています。ここは飛騨金山駅の南に位置し、細い路地を下っていくと正面に飛騨川になります。下りて飛騨川を見ると当時の風景を感じるよう
金山町の馬瀬川に架かる境橋を渡って馬瀬川が、飛騨川に合流点にいきました。この境橋の付近で渡しによって馬瀬川を渡っていました。又どちらの岸が美濃か飛騨の境かの論争があったところになります。境橋から馬瀬川、飛騨川の山際の道を大船渡ダムにいきました。飛騨街道とはここで別れます。大船渡ダムの堤防道路を東に渡り、住宅の点在する中の道を駅にいきます。駅がちかずくに従い商店等が多くなり、家々が密集する街並みになり、やがて左側に飛騨金山駅が見えてきます。この駅は木造の駅舎になります。昭和3年に鉄道が開通
飛騨街道の下呂市金山にいきました。この金山の町は飛騨川と馬瀬川の合流点になり、美濃と飛騨との境になります。物資の集散地として栄えた宿場町になります。飛騨街道は国道41号線の、十王坂の交差点手前で太田宿からきた南飛騨南街道と、中山道加納宿からきた飛騨西街道が合流します。ここから十王坂を下って金山宿にいくのが飛騨街道です。今回は国道41号線のドライブイン飛山から妙見町の交差点近くを下って、馬瀬川沿いを飛騨街道に入り境橋を渡ります。道を少し行くと馬瀬川が飛騨川に合流する美濃と飛騨の境にある公園
高山市久々野町にあるあららぎ湖にいき、ショウブが群生する湿原から、左回りにあららぎ湖を散策します。クマザサの中の遊歩道をあららぎ湖の南側までいきました。ここから道を西側の樹木が多い道になります。程なく橋を渡って長い堤防の道になります。ここは久々野防災ダムになり、このあららぎ湖は久々野防災ダム湖になります。このダムは治水専用のアースダムになりますが、アースダムとしては規模が大きく堤頂の長さが338mあります。特徴としてはダムはゲートはなく,自由越流式洪水口があるだけです。この長い堤防道を歩
千国・飛騨街道つまみぐい街道8日間の旅2023年5月9日(火)(第1日)自宅~電車~八王子~電車~松本~電車(大糸線)~穂高千国街道「穂高散策」(10:3511:40)穂高神社千国街道「大町散策」(12:5014:50)大町信濃大町駅近くのBHに宿泊。2023年5月10日(水)(第2日)信濃大町~電車~安曇野追分千国街道「安曇野追分~信濃大町」(7:4515:40)池田町信濃大町駅近くのBHに宿泊。5月11日(木)
金山町菅田笹洞の飛騨街道のいきました。県道58号線が関市と下呂市の境にある袋坂トンネルの、すぐ上の袋坂峠から金山町に下っていきます。最初の集落を山間を西に進み、山道の小さな峠を越えると笹洞になります。ここに白山神社と縣神社があります。今回は峠から御嶽山を見てから移動して、笹洞の一部と飛騨街道を散策しました。むかし飛騨街道を越えてきた旅人も見た御嶽山笹洞白山神社白山神社
ということで、正月1月1日の下呂温泉合掌村を観賞後は、下呂温泉の中心地を歩いてみることに。下呂温泉を日本三名泉と記した林羅山の銅像が。本来は室町時代の詩文集にその記述があったものを林羅山が再掲載して世に広まったらしいです。なぜかチャップリンの銅像も。チャップリンも下呂温泉へ来たんでしょうか。下呂温泉は、元々は飛騨街道の湯之島宿という宿場町だったそうで、温泉地としては大正時代から栄えたようです。今もその昔を偲ぶような佇まいを見せています。街の至る所にカエルが。カエルの滝もあ
高山市一之宮町の飛騨一宮水無神社に初詣でにいきました。今年はまだ行っていなかったが、テレビを観ていたら初詣では一月の7日までは、いいとのことでしたのでいきました。行く前に雪の心配でしたが、高山市久々野町に入ると雪が積もっているのが目立つようになり、宮トンネルを出たら風景が一変して一面雪景色になった。水無神社に着くと雪が2,30cm位あり、参道は雪を除雪してあったが、杉他の木木、建物には雪が積もっていました。この水無神社(祭神水無大神)です。飛騨国の一宮だけあって豪華は建物が建ち並んでいま
下呂市から鈴蘭スカイラインで鈴蘭高原から朝日町西洞にいきました。今回のコースは2年前に飛騨川豪雨災害でこのあたりも被害がありました。昨年きた時は神社前に広がる農耕地が、土砂が流れ込む被害を目にしました。前回に被害のあった農地にはには、別の場所から運び込まれた土の置き場になってダンプがひっきりなしに出入りしていました。ここは前谷川に広がる集落で、約30軒ほどの民家がありました。山間の集落は空き家が多いようですが、ここは空き家が数軒あるのみで、新築された家、さらに新設して間がない家が建ち割と安定
以前、東海地方から遠い県出身の人と「ゲロ温泉って名前を初めて聞いたときはビックリした」という話になった。これは愛知県出身の私はとっくになくした感覚で、確かに今初めてゲロ温泉なんて聞いたらちょっとざわっとすると思う(私は同じ温泉だと乳頭温泉って口に出す方がソワソワする)。ということで全国的にはこれは面白地名なんだ、という気付きを得て下呂市へ行ってきました。詳しい地図で見る行ってきました、とはいうものの、今までの地名ネタが小字レベルの狭い範囲で証拠物件を探すのに苦労するような所が