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以下は昨日の文章に関連した内容です。先日の話し合いで町内会長から知らされたことですが、私たちが使っているゴミ置き場は、隣接するマンションの敷地内なんだそうです。ずっと昔のマンションの管理人の好意でゴミ置き場になっているのです。だから美観を損ねるような使い方をすると、廃止される恐れさえあるとのこと。これは知りませんでしたね。怖いですね。おそらくほとんどのゴミ置き場の使用者は知らないでしょう。もちろんそういう事情を知らなくても、きれいに使うのは当たり前ですが、知れば意識が一層高まる
2共生社会を推進する取組について(3)ともに生きる社会かながわの実現を目指す取組について(副団長)「「ともに生きる社会かながわ憲章」の理念を普及し、ともに生きる社会を実現していくためには、企業や学校など様々な主体と連携し、普及啓発の工夫を重ね、フィールドを広げながら取り組んでいく必要がある。令和8年は事件発生から10年の節目を迎える。「ともに生きる社会」の実現に向けて、これまでの県の取組や今後の方向性について、改めて注目が集まるとともに、追悼式も含め、次世代に思いがつながるような
★まだ第1章の途中である。*どのようにして「土」ができるのか?まず、土の材料として「花崗岩」と「玄武岩」が必要である。*中学校理科では、マグマがゆっくり冷え固まってできる岩石(深成岩)の代表として花崗岩を習う。このことよりも本書としては「陸地を支える地殻の多くは花崗岩である」ことの方が重要である。花崗岩の主成分はアルミニウムとケイ素だが、カルシウムやマグネシウムは少なく、カリウム(肥料の三要素の一つ)、ナトリウム(食塩に含まれる)が多いのが特徴である。この花崗岩からなる大陸地殻
言葉の審問官です。「風化」です。いろいろな風化があります。自然界での風化では、大きな岩が風雨によって削られたりしますね。人間の造った人工物でも侵食によって風化してしまいます。記憶の風化は深刻です。関心がなくなると途端に記憶からなくなります。津波の被害。地震の記憶。原発の事故。どれもまた起こってもおかしくないものばかりです。普段から不断に考えていないと記憶にとどめておけなくなる事ばかりです。次回更新は、10月20日です。またのぞいてみてくださ
長崎市を歩く23放浪日:2017年9月17日“大人になってからの平和学習”を始めて、多くの被爆証言で学習しましたその多くは文字や声からが多いのですが、あもんはもうひとつ、被爆証言に耳を傾けることにしていますそれは、被爆建物を眺めて、耳を傾けてみることです当たり前の事ですが、建物は声を発することはありませんしかし、建物の前や建っていた場所に立ち、耳を傾けることで感じることがありますそれは、人それぞれで違う感想かも知れませんが、建物の前で耳を傾けて、当時を偲ぶことも大事な平和学習と
80回目の敗戦記念日はやはり朝から暑く…☀️あの時…至る処で…悔し涙を流した人々はもう殆んど遺って居ない…某撮影監督の還暦会へ仲間に祝って戴く事は大変嬉しいし有り難い彼の人間性なんだろう此方もほんのりした夜私の還暦会は…同級生集って少人数で小ぢんまり開催した『赤いちゃんちゃんこ』は着ずに済んだのは幸いその帰り道…M大前駅乗り換え00:23M大前発新宿行最終電車には疎らな人々が乗ってるケータイ弄ってる男賑やかに会話する男女化粧直してる女熟睡状態
🐉松下輝志㊙️摩訶不思議の世界〖実写🖼️写真〗誘いようこそ🌺👼【御神仏に~出逢い巡礼~神秘旅路】《峠の祥龍🏕️》(ごしんぶつに~であいじゅんれい~しんぴみち)【神秘世界🗾日本の文化】の誘いようこそ❢❢此処は、広島県広島市に所在する~~【原爆ドーム】です。訪れた際…犠牲になられた方々の御供養の為に『般若心経(はんにゃしんぎょう)』唱えてたら~異様な蠢(うごめ)く⚡波動を察知❢❢良く観たら「石碑」下部に長年の「🌀風化作用」によって浮き出て御出現される~御慈悲の【不動明王様】と
今朝も40年前の日航機事故の話題をやっていましたがあの日は私が住んでいた近くではないか長野県と群馬県で情報が交錯していましたそれこそ近所の人も外へ出て空を見るほどでしたあれほどの大きな機体なので外へ出れば・・・という感じでした翌朝になってニュースを見て実家近くで買い物をしていた人が搭乗していた話に驚いたりなんとも言えない気持ちになりました翌年高校に入学し体育館が遺体安置所になった人も同じ
「太き骨は先生ならむそのそばに小さき頭の骨あつまれり」歌人の故正田篠枝さんが原爆で犠牲になった子どもと教師の無念を詠んだ短歌が石破首相により2度も読み上げられた。首相は続けた・・「その光景を想起しただけで悲惨で悲しくて辛い思いが一気に迫って来る」広島の平和記念式典でのこれまでの首相の挨拶は官僚作成の原稿棒読みが多かったが今回は少し違っていた。石破さん個人の思いが滲んでいた。自民党の”石破おろし”にも屈しない石破さんの意
皆様こんばんは。今から八十年前の今日、広島に原爆が投下されました。毎年この日が来るたびに、同じことが二度と起きてほしくない、そう願うばかりです。気が付けば戦後八十年。今の世界情勢を考えると尚更、あの日のことが風化しないことを願うのみです。
7月6日は何の日か?と言うと松本智津夫(別名、麻原彰晃)が処刑された日です。2018年でした。(死刑確定が2006年9月)麻原や主催した教団については今さらボクが評価や注釈を入れる事もないでしょう。2018年7月6日までの時の流れをどうこう言う事はありません。しかし(死刑が確定する前の)どういう刑罰が下るかが?世間で撮りだたされてた時(ほとんどの人は死刑を予測してましたが)一部の人々による「麻原の死刑を反対する」見解もありました。何を主張してたかと言いますと、死刑
下のグラフ(当方で作成)を見れば一目瞭然に分かることだが、2022年の年間死亡者が激増し、2023年、2024年と、2022年に激増した数値は元に戻らないままにさらに増え続けています。これまで、何度もこのグラフを投稿しています。なぜしつこく同じ投稿を繰り返すのか?絶対に風化させたくないからです!絶対に忘れたくない、忘れてもらいたくないからです!なぜ年間死亡者がこんなことになったのか、政府側の説明が行われるまで、今後もまた投稿を続けます。2018年日本人死亡者数1,
大谷石は擁壁には使えないと聞いていたが、こういうことか!風化して、粉がいっぱい落ちている。
お転婆ーさんの大好物。のぞくギリギリからちょっとグランドャニオンぽい⁇違うかな風化してますな30年前のあたくしの記憶が
秋葉原殺傷事件が起こってから17年目の6月8日の秋葉原17年前と同じ曇り空の朝朝イチで現場となった交差点で、手を合わせよとしましたがメディアが溜まっていて、とても直で合わせることが出来ず離れた場所から合わすのが精一杯街を歩いていても、当時の凄惨さや何とも言えない空気感を知らない人ばかりとなり、事件の風化を心配するばかりですよ🥺当時、利用していたはてなブログ(旧はてなダイヤリー)には、その日の様子が残ってます日々、ぶらりぶらり/秋葉原通り魔事件秋葉原通り魔事件-日々、ぶらりぶらり
絶対に忘れちゃいけない事あの日あの時1985年(昭和60年)8月12日お盆の入りを迎えた群馬県上野村・御巣鷹山で日本航空のジャンボ機が墜落した機内はほぼ満席で520名もの尊い命が失われる悲劇に見舞われたが奇跡的に4名だけが救出された急激に降下し続ける中で綴られたのが乗客が残した「最期のメッセージ」マリコ津慶知代子どうか仲良くがんばってママをたすけてくださいパパは本当に残念だきっと助かるまい原因は
5月25日(日)に観た北村総一朗さん演出の演劇「フツーの生活長崎編」について、『”長崎の空は青かった”劇団昴ザ・サード・ステージ公演39回公演「フツーの生活長崎編」』5月25日(日)、俳優の北村総一朗さんが演出を担われた、北村総一朗オフィシャルブログ「行住坐臥」PoweredbyAmeba北村総一朗さんのブログです。…ameblo.jp2日後の5月27日(火)夕刻の日本テレビ系ニュース番組「newsevery.」で採り上げられた時の模様が、日本テレビ報道局のニュースサイト「日
風化小芝"風花"みたいに美しいものではない。古の都の平城京でさえ、時の経過とともに、いつのまにか土に埋まり、後の農民が水田に利用していたというから驚きだ。平城京の1000年の風化に比べれば、わたしのボロ家、30年しか放置プレイされていない。それでもプチ風化は進行する❗️前回のブログで紹介した、ボロ物件に広がる蔦と樹木と草を取り除くとこうなる。とにかく切る、抜く、掘る、引っ張る、拾う💦苦しい日々が続く。いつか、日の目が出るだろうと、無心になって、来る日も来る日も、草と枝を取り除く。
2023.3.28の朝日新聞に高校登山部雪崩事故に関する続報が載っていました。記事よるとまだ刑事裁判はまだ続いていて、民事は6月に判決が出る予定となっています。事故からすでに6年経っており、裁判が長く続くことがわかります。事故は時間とともに風化していき、世間の関心度は失われていきますが、きちんと続報を掲載する新聞社というのははやりすごいと思いました。
野口です。プロ野球も開幕してしばらくが経ちます。そして、全く忘れてしまったようなものがあります。開幕前に騒がれた「オンライン賭博」問題です。本当に誰も気にしなくなってしまったようです。日本野球機構はヒアリングを実施したのにそれを公表しません。「将来のある選手を潰すわけにはいかない」ともっともらしい理由をつけていますが、是か非かと問われれば非に決まっています。そんなことも考えないファンが球場に駆け付けるのでこの問題も風化するまでそのままにしようとしています。それこ
老いてなお好きということ。老いてなお思い出すこと。老いても老いても変わらない気持ちがある。底知れぬ想いに自分でもふと考える。年老いてなおこの想いを抱くというのはこれが恋というものなのだろうかこれが愛というべきものなのだろうか人は老いようが恋をする力は残されている。思い出とともに閉じ込めた気持ちも中に眠っているだけだ。老いてなお想う気持ちそれに応えられるそ
遠い記憶から順に消えていくのだと思ってました。でも実際は、遠い記憶はやがて砂の中から現れる。思い出せないんじゃなくて、記憶そのものが風化してるから、見てもピンとこない。でも、たまに、今の記憶みたいにはっきりしてるモノが出たりするから、その時はすごくびっくりするんだよね。今の、目の前の、この記憶。ひょっとして、過去の記憶?なんてね。そうじゃないとも言い切れない事があるんだよ。あくどきものよ。
九州の旅は、途中でハプニング(いつものような、ありえない大失敗です……また後で書きます(^^;;)に遭いながらも、周り人に助けられて何とか無事に続いています(笑)現在、福岡の小倉に来ていますが、時間を2日前の4月7日にさかのぼらせて、鹿児島の旅の続きを書きますね。知覧特攻平和会館を出て、桜並木の道を歩きます。昨日のブログの最後に書いた伊達智恵子さんの恋人の23歳で特攻隊として亡くなった穴沢利夫少尉の手記の中に、次のようなものが残されていました。家に入り
小林秀雄は「漢意」が大和魂を覆っていた、と見立てた。それまでの在り方を見出した。作った、と言うか。ヨーロッパではルネサンスがある。「カソリック」が覆っていた中世を見つける。カソリックの覆っていなかった古代、ギリシア・ローマを見つける。作る。文芸復興。現代ならば、「高度資本主義」「コーポラティズム」少し前ならば「グローバリズム」が覆っていた、と見るのか。何やら、後ろが見えるような人々の群れはいつのまにか消えていますが、過去と言う流れの中に消えていくんですね。諸行無常。※本文とは関係あり
日本で1995年3月20日に起こった地下鉄サリン事件から30年ということで、日本では、あの事件を忘れてはいけない、風化させてはいけない・・と振り返る番組や報道がなされていたようですが、フランスでもこの事件を振り返る報道が出ています。「サリン」という、当時はあまり耳慣れなかった化学物質をあの東京の霞が関を中心とした地下鉄内の数ヶ所で散布されるという驚愕の事件は、平和で治安の良いはずの日本だからこそ、余計に海外諸国には、衝撃的だったと思います。当時、私は、まだ日本にいたの
平成7年の地下鉄サリン事件から今日で30年。新聞でも大きく、この事件から30年、またオウム後継団体に走る若者について取り上げられていました。しかし、風化するのは当たり前だなと思うことが。教科書展示会で社会科の教科書を見ていて気付きましたが、そもそも歴史の教科書の年表に平成7年・1995年の出来事として「阪神淡路大震災」は載っていますが、地下鉄サリン事件が出ていない出版社がほとんどです。年表に地下鉄サリン事件書いている中学校の歴史教科書は、「令和書籍」と「学び舎」だけ。教育出
地下鉄サリン事件から、今日でちょうど30年になります。事件によって尊い命を奪われた方へ、深い哀悼の意を捧げますと共に、ご遺族の方々、被害に遭われた多くの方々に、謹んで御見舞い申し上げます。あの事件に際して、当時どれだけの人がもしかしたら自分も…といった、切実な想いで受け留めてらっしゃったか…その想いが決して他人事ではなく、私自身が恐らく、同時代にリアルタイムで事件に外部から接していた人々の中でも、格段に強い側の人間であろうと思うのは、私があの日、出勤した時間が…一時間
死者14人、被害者6000人以上という無差別テロ。オウム真理教が起こしたあの地下鉄サリン事件から20日で30年経過しようとしています。足立区役のホームページに特集記事がありました。とても分かりやすくまとめられていて、当時を知らない若い世代のかたには是非アクセスして頂きたい。風化させない、あの日のことを-地下鉄サリン事件から30年-
🌳旅人の樹🌳旅人たちと繋がりたい!3MAR/12水3071🌳樹蔭にようこそ🌈index🩵3/12水曜日today🌳❶カテゴリアラカルト🌳ご当地良品/ご飯のお供🌳❷旅、途上にて🌳ネットサーフィン/reblogafter/旅の漢字🩷3/11火曜日repeat🌳❶東日本大震災メモリアル🌳👉著作権侵害に十分注意⚠️して、お借りした画像等が含まれている記事があります不都合がありましたらお知らせください👈Nエリア北海道青森秋田岩手山形宮城福島の7道
昨年と思っている事は同じ。14年を経て、少し違ってきていると思う事がある。この日本という国が「あの時」に対して希薄になってきているのではないか。言いたい事、書きたい事、たくさんあるが・・・『あの時から13年』時間の過ぎるのは早いものである。そんなに時間が経ったとは。時間と共に、その後についての報道回数も減っている。国民の認知状況とは裏腹に、未だ多くの問題や影響が…ameblo.jpこれからも、その影は後を引くだろう。そして、これからも、想定以上の災害など、必ず起きると覚