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こんばんは今日はなんだか眠れなくて。桜の開花のニュースを聞き春を感じるこの季節2年前のこの時期を思うと、眠れなくなる夜があります耳下腺癌cT2N2bMO第1に唾液腺導管がんを疑いますそんな表記から始まる同意文章でした強そうで、怖そうな、そんな名前・・・既にリンパ節に複数転移しており絵には大きな印が複数ありました全摘、そしてS字切開の説明図私はかなり大きく開かなくてはならず頸部郭清と顔面神経麻痺再建術は可能な状態であればとの注釈付き、気管切開の可能性など様々書
コロナ禍に重なり始まった、私の闘病少しずつ思い起こしながら、書いていきたいと思いますリンパの腫れに気付いてから宣告を受けるまでの期間が約3か月宣告から手術までの期間が約10日余りある朝いつものように起きて洗面所に向かい歯磨きをしながらふと鏡を見ると・・・「あれ?首筋のリンパが腫れている。何これ??昨日はなかったのに」枝豆大の腫れを見て直観的に「これは・・・」と思った、忘れられないあの朝でも、もしかしたら感染症や炎症による一時的なものかもしれないそう信じたかった私は
2020年5月19日皮膚科にて薬疹の原因を調べるため、血液検査を行う。UFT、サワシリン、カロナールについて。その後、頭頸科へ。首のしこりの検査結果を聞きに行く。MRIの結果、大きさも小さく問題ない。また、血液検査の結果、先生が注目していたLD、CRP、SCC、可溶性IL-2レセプターの値も基準値より少し高い程度でほぼ正常範囲。触った感じも小さくなっているため、炎症と思われるとの診断。前回の先生の、ほぼ悪性だろう発言は何だったんだ…この数日間の沈み切った感情は…
①大学病院口腔外科の、もう少し詳しい先生に同席してもらう。②大学病院の医学の頭頸科にセカオピ。(耳鼻科からかなぁ)③当大学病院の息のかからない耳鼻科からアプローチしてみる。④国がんや有明、地方も調べる。たかが、高度異形成といえ、切ったら終わりの保証がどこにもないことと、女医さんに、あなたはお母さんの舌癌しか見てないから、とか、切るのが何で嫌?とかショックなことを言われたので、さすがのMのMOおじさんも、しょんぼりしています。臨床で何人患者見てきたのか知らないけど、貴女が目指した医学は、そ
がんセンターの主治医の病状説明に驚きました。大学病院では脂肪の塊と初めは言われ、その後病理結果ははっきりしないと言われました。ところが、転院先の主治医の口からでた病名は「巨大細胞腫」でした。「巨大細胞腫」は悪性腫瘍ではありませんが肺に転移する厄介な病気だということをネットで調べて知っていました。ですが、いつ?巨大細胞腫という病理の結果が出たのか?不思議に思いました。「どこにその
の頭部CTの画像には右側頭部に7CM大の腫瘍が写っていました。本物ではありません。こんな感じですが、脳内ではなく硬膜の外側でした。大学病院の耳鼻科を紹介されました。そこで脂肪の塊だと言われ半年間、経過観察となりました。腫瘍は大きいままでした組織の一部を摘出して病理診断に出しました。病理診断は埼玉大学に出しました。国内で一番進んでいるそうです。結果は「不明」でした。
6/27朝方トイレに行った時、大量下血して緊急ボタンを押した所で気を失ったらしい。直ぐに看護師さんが来てくれて、意識を戻したと。世の中のコロナ対策が緩和されても、◯病院は面会禁止。外来で会うのも禁止。荷物は病棟前のドアの前で、看護師さんに渡して帰るだけ。どうしよう様子が気になる。病院に電話してみるか?うるさい身内と思われて、塩対応になるのは嫌だ。周りにも、連絡来るまで待ちなさい。一番安全な場所にいるんだから、何かあれば知らせてくると。ラインは出来てる、大丈夫なのか?私が
今週は3ヶ月毎の定期検査がありました今回はファイバースコープと触診問診だけでしたが無事クリアです次回は3ヶ月後の11月にCT(造影)で丸3年経過振り返れば治療終えて退院日(R2.10.1)から数えて実に35回目の検査通院となりました最初の1年目は診察科も多く回数が増えましたが、今では3ヶ月に1回のペースで頭頸科と放射線科を同日で受けているので、仕事との調整がしやすい5年の寛解まであと2年チョイ毎度毎度ですが、担当主治医のほか同病院の医療関係者の皆さまには感謝しかありま
今日はがんセンター頭頸科の診察がありました。頭頸科と泌尿器科は同じ受付窓口なので窓口のスタッフさんのお顔ももう覚えてしまいました今日は12時30分に採血の予定でこの時間なら空いてるといいなと思ったら初めて待ち時間なしで採血出来ましたそして、13時30分予約の超音波検査も30分早く受付して、待ち時間無く終了。今日に限ってなんでこんなに空いてるの???嬉しいことはさらに続きます。14時の予約だった診察がいつもは1時間も2時間も待たされるのに今日は30分も早く名前呼ばれまし
東京は晴れ。午後10時6度。日の入り午後5時25分。コロナ新規感染者は2023年2月13日月曜日810人、前の月曜日から295人減重症者21人。死亡8人(NHK死亡8人、東京新聞死亡8人)14日火曜日2,232人、前の火曜日から899人減重症者18人。死亡12人(NHK死亡8人、東京新聞死亡12人)15日水曜日1,858人、前の水曜日から754人減重症者17人。死亡12人(NHK死亡12人、東京新聞死亡12人)16日木曜日1,454人、前の木曜日から719人
たった今、がん病院から、私の携帯に電話がかかって来ました。「こちらはがん病院です。頭頸科の先生に代わります」え?なになに??「頭頸科の主治医の○○です。先日、病院にコロナワクチン接種の件でお電話頂きましたね。いただいた記録を見て、今お電話お掛けしています」しばらく前になりますが、私、5回目のコロナワクチン接種の予約をしたので、念のため、がん病院に「接種日(11/28)と検査日(12/1)が近いのですが、血液検査に影響はないですか?」と問い合わせをしていたのでした。その時の病院側の解
東京は晴れ。午後5時17度。日の入り午後4時49分。コロナ新規感染者は2022年10月26日水曜日4,347人、前の水曜日から143人増重症15人。死亡4人(NHK死亡2人、東京新聞死亡4人)27日木曜日3,941人、前の木曜日から452人増重症者17人。死亡5人(NHK死亡4人、東京新聞死亡5人)28日金曜日3,520人、前の金曜日から680人増重症者14人。死亡4人(NHK死亡5人、東京新聞死亡4人)29日土曜日4,121人、前の土曜日から890人増重
ひと段落こんにちは。やっと戻って来られました・・・というのも、治療に専念し過ぎて・・・治療一色の生活を送っていました無我夢中とは、きっとこういうこと今年は年明けに頸が腫れて、検査を受けて告知から手術、そして放射線治療とあっという間に8か月が過ぎていこうとしています1年て早いなぁ・・・これからどうしたら良いかどうすべきなのか治療がひと段落した今、考える時にきたんだなと思います現状としては、開口障害・味覚障害・唾液がでない・涙目・角膜性乱視、皮
東京はところにより曇り。午後5時33度。日の入り午後6時48分。画像は昨日のもの。コロナ新規感染者2022年7月28日木曜日40,406人、前の木曜日から8,528人増重症者27人。死亡7人7月29日金曜日36,814人、前の金曜日から1,819人増重症者26人。死亡5人7月30日土曜日33,466人。前の土曜日から768人増重症者24人。死亡12人さて、今日は「血液検査・頭頸科・糖尿病科DLBCL治療終了30ヶ月:焦った日[付録:COCOAから
3月7日の続き。頭頸科の診察室は二つあって奥の通路でつながっていたのでぐりぐりされている間隣の診察室の会話が聞こえてきました。「小さくならなかったねぇ」「はい…」「抗がん剤が効かないですねぇ」「はい…」「今日、私とあなたがすべき話は緩和ケアについてです」「はい…」その方は転移が広がっているらしく先生と緩和ケアについてお話されていました。聞きながら私はもしかしたら自分の未来もしかしたら家族の未来それを今学ばせて頂いているのかもしれないと思いました。隣から聞こ
2022年3月7日癌拠点病院頭頸科にて13時からエコー14時から診察検査室に入って30分。喉に強めにエコーのヘッドを押し付けられ何度もぐりぐりされたのでほんと痛くて喉が苦しくなりました。確認で技師さんが検査室を離れるとまた戻ってきて「もう一度撮りなおします!!」と、言うので何度も何度もぐりぐりされました。なんだろう変な影でも写ってるのかなやっと検査が終わって診察室に呼ばれると今度は結果を見た先生が「僕にも直接見させてください」と、診察室でぐりぐりスタート。
2022年2月25日午前の部■AM9:00紹介状をもって、癌拠点病院の頭頸科へ。以前通っていた時は年配の先生でしたがその先生がお亡くなりになり(癌拠点病院の看護師さんは先生は遠くに行かれました、とおっしゃっていました。)今度の先生は、お若くてなんでもハキハキおっしゃるタイプ。「頭頸科って、広く言うと耳鼻科なんですよね~」そ、そうなんだ…甲状腺科クリニックで血液検査はしたのですが「血液検査、こちらでもやりますね」と、再検査。今月、採血15本目
こころの開放私と今後の治療を引き受けてくれる病院と何より大切な主治医が決まった。有難い。手術に向かって3週間・・・この期間に仕事の対応や職務の配分をしなければもしかしたら、1日も早く手術ができるようにあの先生なら掛け合ってくれるかもしれない1週間早くなっても良いように動いていこうこうなってみて初めて自身の身体の悲鳴が聞こえるようになった「もう、これ以
動き出すやはり、結論は変わらないステージ4の耳下腺がん術後の病理検査にて確定する私のがんの種類・・・顔面神経は残せず、全て摘出するため麻痺は確定多分、神経の断端は見つからないだろうから移植は無理だろう顔の半分は動かなくなるから、表情もつくれない開口障害や味覚障害、合併症や後遺症を挙げたらきりがないさて、どうする?!悩む時間も選択肢も私には残されていないことはわかってる「手術しか方法はないのです
決断!!入院する病院=今後をお任せする病院主治医=いのちと今後を左右する存在入院=もう、後には戻れない手術=今までのわたしとの決別なんと言っても希少がん、情報がない。インターネットの情報はどこまで確かなものなのか・・・少しでも確かな情報に辿り着くために患者会や仲間を探すが、残念ながらなかなか出会えないブログを見ても、だいぶ以前から更新されていなかったり患者会を見つ
新しい主治医との出会い通い慣れたはずの病院の景色が・・・歪んで見える涙目になっているんだな、私。ドキドキしながら受付を済ませて順番を待つだって10年も前から知っていた「腫瘍」の存在良性だから問題ないって・・・大きさも変わらず変化はない主治医のことばを信じ過ぎた私。。。自分の甘すぎる判断をぐるぐると後悔しながら物思いに耽るどのくらい経ったか、呼び出しがかかったドアをノックして、さあ初対面
つづき・・・前回までの2回続いた初診外来から、今回初めて腫瘍外来に科が変更となり受診。●●さーん、●●さーん。1人しか待合にいなくなった私の顔を見ながら名前を呼ぶ医師。あ、この先生か。何度も目が合う。予約の時間からはもう2時間が経過している。さっき出てきた男性の患者さんが血相をかえて道行く看護師を捕まえて隣のベンチで質問攻めにしている「私には全く、よ、よくわからなかったのですが・・・」「あの、わかるように教えてください・・・」「あれは、どういう意味だったので
はじめまして10万人に0.3人と言われる希少がん告知され、現在追加精査中の希子(まれこ)です。そもそも患者数が少ないから希少がん。そう、それはわかりますが、情報が少なく、とにかくどうしたものかと途方に暮れながらもがく日々。初めて自分の病名を聞いてから、今日で10日が経ちました。とにかく調べるしかない!と寝ても覚めてもPCにかじりつく毎日。闘う相手の性格が非常に悪いこと、闘い方が
先日は2ヶ月ぶり?の頭頸科と婦人科受診いつもより混んでる採血後婦人科(卵巣癌)気になる腫瘍マーカー今回も?今回は?セーフ[卵巣癌は]私、数値に出るタイプCA125前回より多少上がってるけど横ばいCA19-9相変わらす高いけど横ばい(持病の肺MACの影響?)気になってたクレアチニン&尿素窒素もあまり高くなくて安堵胃の辺りと食道辺りの鈍痛?圧迫感?が良くならない事を伝えると内科の予約を入れて
東京は曇り。午後4時17度。コロナ新規感染者4月15日木曜日729人、前の週の木曜から184人増重症者37人。16日金曜日667人、前の週の金曜日から130人増重症者43人。さて、今日は「血液検査・頭頸科・糖尿病・循環器」を書き留めます。午前中はGセンター、午後は循環器の病院🏥、と、本日はダブルの病院スケジュール。うっかりこんなスケジュールになってしまった。午後も血液検査が入ってるので、両側の手からそれぞれ採血の予定。右の腕は抗がん剤の影響で血管が潰れて
いつもありがとうございます♪いいねしてくださりとても励みになり嬉しいです。今日、これから主人の引っ越し荷物が搬入されます。(おかえりー)これから少しずつ片付けねば。庭で咲いたラナンキュラスですオプジーボ投与間の診察日(2021.3.22)午前中早めに行き採血し結果が出てから午後イチの診察。結果が出るまで時間があるのでちょっと外に出てウロウロ。以前より使っている無印良品の手帳3月始まりなので新しい今年度版をゲット。さてとそろそろ戻ろっと。主治医keiさ
いつもご訪問くださり、ありがとうございます。『いいね』いただけると、励みになります。これからもよろしくお願いします!やっと2018年の気管切開術までを記録に残せました。約2年後の2020年12月に孔を閉鎖することができました。閉鎖したことによって声は出るし、誤嚥はしないし、水分も夏までにはごくごく飲めそうです。まぁ、今となっては、あと半年~1年は気管孔を保持した方が良かったと思っています。せめて、コロナが落ち着くまで。最近は、マスク無しだとずいぶん呼吸が楽になりました。けれ
呼吸が苦しかった時のことを書き起こしていたら、なんだか悲しくなってしまった。2年以上経つのに、意外と記憶が蘇るもので。この時の経験によって第一優先は『呼吸が苦しいのは嫌だ』となる。かと言って症状が良くなるとQOLも確保したいとなる。日々是好日。2018年10月(41才)10月19日金曜日(術後1日目)夜、呼吸が苦しくてナースコールを押す。看護師さんが駆けつけるも、声も出ない、目も開けれない、反応出来ない状態。しかし!耳は聞こえ、意識はあった。看護師さ
2018年10月(41才)10月19日金曜日(術後1日目)記憶が曖昧な日。対応してくれた医師が誰だったか覚えてない。6:00検温、採血、抗生剤点滴この頃には酸素マスクは取れていたと思う。朝の処置室・・・には、行けなかった。頭頸科は決まった時間に放送が流れて、患者さんは全員処置室の前に並ぶ。呼ばれたら自動スプレーで手を消毒する。→室内は2つに分かれていて、空いている方に入る。→医師と看護師さんがいて、椅子に座り、傷を診てもらう。(リストバンドで症状把
2018年10月(41才)10月18日木曜日(手術当日)看護師シズさんと手術エリアに入り、オペ看護師さんと対面する。この時身に着けていた眼鏡を預けたと思う。裸眼で歩けるけれど、人の識別はできなくなる。自分の手術室に入ると、青の手術着姿のスタッフが数名いた。知らない人ばかりで少し不安になる。手術台に案内され、横になると一人が近づいて声をかけてくれた。ナン先生「小法師さん、ナンです。頑張りましょうね」小法師「はい!よろしくお願いします」直前に優しく頼もしいナン先生の目