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こんにちはaruです。前回の続きですこれは、この家に引っ越して間もないころに見た夢です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー家のベランダに出ましたすると目線の先、下の方から沢山の白い鳩がバサバサッと飛び立ったのです圧倒されていると宙に青い紋章が浮かび上がりそこから何かがこちらに向かって飛んできましたバラバラバラ散らばったそれを拾い上げるとそれは薄ピンク色のストーンだったーーーーーーーーー
🐉聖鳴🍀🍀🍀🔥🔥🔥12月28日木曜日𝙏𝙝𝙪𝙧𝙨𝙙𝙖𝙮四緑木星帝釈天縁日、納め大聖不動明王不動明王ご縁日祈願官庁御用納め友引朝晩が吉正午が凶十干庚申各種金属製の入手や、購入に吉十二直成物事成就日祈願開始建築見合い婚礼種蒔き旅行引っ越し入学就職などに吉ケイ宿出張遠出旅行に吉各種仕入れに大吉❇️薬💊の服用に最適日◎◎◎🌈🌈🌈酒造関係ペットのお世話に大吉日❇️❇️❇️🌿🐈️🐕🦺🕊️🐍🐉この日は善いことを迅速に行えば最も大きい功徳が得ら
台に250年以上存続している庚申信仰。2024年は我が家の番なので今から予定をチェック。本来ならば庚申の日(2024年は6回)全てに行わなければならないのだが、いまは年に1回だけ行っている。(庚申の日とは限らない)ただ…庚申という名前がついている以上、できれば庚申の日に行うべきだと私は思っている庚申信仰-Wikipediaja.m.wikipedia.org先日「庚申グッズ」が前回庚申を行ったお宅から届けられた。青面金剛が描かれた掛け軸と蕎麦を盛る椀そして…いつ誰のお宅で庚申が行われた
栃木県栃木市大平町、庚申塔の青面金剛像さん。神社にありました。宝永五戊子天十月十八日96×41
郷照寺続きです。たぬきさん臨阿というお坊さんがその昔いらして、都へ行くことが決まり、出発する数日前に、犬に追われている子狸を見かけて助けました。傷が治るまで世話して森に返してたそうです。臨阿が都に行ってしまった後の寺は、戦乱や飢饉のせいもあり、しばしば無住になるこも。その隙に住み着こうとした悪人を追っ払ったのが化けたたぬきさん。お化け👻になり、バカしたそうです。以来たぬきを神さまとしてお祀りするようになったそうです。本堂前には6本の手を持つといわれる青面金剛と3匹の猿が座す庚申堂
【11月23日】京都市下京区にある浄土宗聖徳寺さんへ。青面金剛の御朱印。季節によって花の印が変わります。聖徳太子の見開き御朱印(書き置きのみ)年末まで。POPUPSHOP限定直書き御朱印。南無阿弥陀仏と書いて頂けた浄土宗開宗850年記念切り絵御朱印。
さて青面金剛が手にぶら下げているこの女人は何者かという疑問です。実はこの女人をショケラ(商羯羅天or商羯羅天妃)と呼ぶのですが、これは「窪徳忠著:庚申信仰の研究(S36)」による民俗学的な解釈で、仏法の準拠資料はありません。またショウケラという庚申に関係する妖怪は、前段で書いた三尸の中尸をモデルとしたもので、形態からしても女人とは全く異なり、後から意味づけられたものでしょう。よって青面金剛が懲らしめる『女人=三尸説』には十分な説得力はありません。では青面金剛に髪を掴まれる女人は誰なのか?
世の中には凄い人がいるものです。所謂マニアと呼ばれる人々で、庚申信仰に関して、私は二人の方の研究を参考にさせて頂いています。一人目は庚申フィールドワークの達人である「ブナの森」(川崎市)さんで、『東京・神奈川の庚申塔』と言うブログを主催されています。検索されるとわかりますが、関東近県で17,000基の庚申塔が詳細に紹介されており、おそらくはこれに勝る蒐集など今後あり得ない偉業ではないかと尊敬しています。二人目は横浜市にお住いの大畠洋一さんで、定年退職後、趣味として郷土史・東海道・石仏研究
以前、バスの中から見かけて気になってたマウンド。10月29日、見に行ってきました↑南東側よりこちらを見かけた後、『ちば情報マップ』で調べたら、近くに「川栗台古墳群」の●が。円墳5基、2基消滅との記載なので、川栗古墳群のうちの1基かもしれません。場所はこちら:35.762761,140.346177↑南側からキレイにされています江戸時代の庚申塚という可能性もあります。↑庚申塔が2基、右は青面金剛王です。↑南東側より
如来、菩薩、明王、天、宿曜、本地垂迹、羅漢、祖師・・仏像の世界は一生をかけても網羅することが出来ない「劫」の時間軸にあります。1辺が2,000kmある立方体の岩に、100年に一度天女が舞い降りて、羽衣で一撫でして岩が消滅しても「劫」に満たないと仏教の注釈書に書かれています。また、1辺2,000kmの城にぎっしり詰まった芥子粒を、100年に一度1粒ずつ取り出して完全になくなっても「劫」に満たないとも書かれています。たった80年程度しか寿命がない人間にとって宇宙スケールは認知外のこと、まずは
世田谷区深沢の医王寺門前にある庚申塔群。板状駒形庚申塔は延宝八年(1680)奉納。この板状駒形庚申塔②は享保十七年(1732)奉納。この庚申塔③は天明五年(1785)奉納。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村プロレスランキング
人間の顔をしたサルが顔を寄せ合っているというおかしみのある庚申塔なのに、青面金剛は稟としています。石工さんは何を訴えたかったのでしょう。その1から続きです。大別当あたりの集落にも庚申塔群。貞享3年1686年素朴さが素晴らしい庚申塔渋い青面金剛の庚申塔右足のそばにおサル。筆塚多いです。姫川の対岸にも同じように小さな集落。こんな景色をいっぱい見ました。すばらしい。源長寺三十三観音。この観音群は最高でした!なんともふくよかで口元の魅力的なこと!き
2日目は来馬温泉から白馬駅を目指します。今日も長い道のり、予定の電車で帰れるようにヘッドライトつけて出発です。二日目も絶景続き。古道の道標に薙鎌道と書いてあります。薙鎌とは諏訪大明神の神器のひとつで、古来より御柱神事の前年に行われてきた薙鎌打ち神事というのがあるそうです。諏訪大社の神威の及ぶ範囲を示して信濃の国の無事を祈るために丑年には戸土中股の小倉明神、未年には戸土境の宮の御神木に諏訪大社から運ばれてくる薙鎌を打ち込む神事でその運ばれる道が薙鎌道ということらしい。今回は御神
深澤不動教会門前にある地蔵尊と庚申塔。地蔵坐像の造立は宝暦13年(1763)、土台が道標になっている。右面には江戸みち、正面はさがみ海道、左面はせたかや道とある。地蔵坐像の後ろに庚申塔。文政三年(1820)の造立。地蔵堂。地蔵菩薩の造立は不明。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村プロレスランキング
【10月28日】京都市下京区にある浄土宗聖徳寺さんへ。ムラサキシキブ。11月23日のイベント予定。限定御朱印も授与されます。青面金剛の御朱印(ムラサキシキブ印)
万地の石塔群(満地のせきとうぐん)宮崎県延岡市北川町川内名久々に石橋・万地橋の確認に寄ったので、まずはこの「万地の石塔群」にご挨拶です。前回は2016年10月8日(土曜日)だったので、7年ぶりの再訪です。当時は並べてあったので何気なく撮影しただけだったのですが、帰ってから調べるとかなりの年代物だと気づきました。機会があれば再訪したいと思っていました。1番古い庚申塔が257年前の1766年(安永五年)で、新しい猿田彦大神でも181年前(天保十三年)とかなりの年代物です。石橋・万地橋
大田区矢口にある真言宗の円応寺にある庚申供養塔は大田区指定有形民俗文化財。寛文12年(1672年)建立で、大田区最古の区指定文化財。円応寺境内には十三仏が並ぶ。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村プロレスランキング
当山の正面金剛は2008年時に発見されたときは、一塊の炭のようになっていた。内容はリブログに書かれている通りで、バラバラにして洗って組み立てた。バラバラにして組み立てて、彩色した。見ざる言わざる聞かざるの3猿やその他足りないものは新たに作ったようだ。青面金剛は別に庚申さまとも言われ、道教から来た神さまと言われている。現在の姿は下記写真の通り。
仕事で徒歩移動の道。新宿の追分あたりを歩いていたら、いつもその前を通る「天龍寺」というお寺。普段はなんとなく通り過ぎるだけですが今日は、あれ?もしかしたらって思って、境内に入って見ました。すると・・・・。庚申塔がありました。しかも三塔が並んでいます。思わぬ場所で凄い発見をした感じ。この庚申塔はノーマークでした。庚申塔検索ではひっかからないし、新宿区の「ガイド」にも載っていない、無名の庚申塔かな。風化が酷いのですが、キチンと並べられています。真ん中は青面金剛像となんとなく三猿が
こんにちはこんばんはおはようございますおこしやすこちらはこんにちは〜の時間帯です本日は60日に1度訪れる「庚申の日」です。というわけで京都市東山区にございます八坂庚申堂様にお参りに伺いました大黒山金剛寺庚申堂様(通称八坂庚申堂)は天台宗のお寺でございます。御本尊様は言わずもがな【青面金剛(しょうめんこんごう)】様でございますご真言おんでいばやきしゃばんたばんたかかかかそわか東京入谷庚申堂(現存はしてい無い様です)大阪四天王寺庚申堂京都八
甘利山から下山した続きです。荒倉山へ登ります。これはヤマシャクヤクの実なんですって。徳島堰を渡ります。釜無川を水源とする県内最大の農業用水路だそうです。寛文10年から何度も改修しながら守られてきたそうです。集落を抜けていくと秋葉山常夜灯立派な蔵も。丁石地蔵石碑右のは丸石道祖神でしょう素敵な石碑が並んでいます。丸々した馬頭観音こちらは美人さん。馬頭観音青面金剛。猿も鶏もいます。延宝八年龍珠院門前の地蔵尊色んな木が混在しています
こんにちは。立木龍です。明日10月29日を数秘術でみると新たな始まりの日。目標を定めたり計画したりするのに最適な日です。ご自身の夢を人に語るのも良いですよ(*^^*)話せば形がみえてきたり、のちのち手助けしてくれる人が現れたりすることもあります。そして、朝の5時24分に満月をむかえます。今回の満月は部分月食です。蝕の期間ですので大きな変化が訪れるかもしれません。焦らずに心を落ち着かせて向き合いましょう。また、庚申(こうしん)の日でもあります。庚申とは日本
このブログでは木下街道沿いの史跡や石造物等を紹介しています。木下河岸からスタートして鎌ケ谷方面に向かって順番に紹介し、白井地区にある白井第一小学校の木造校舎のところまできましたが、神々廻地区の庚申塔が抜けていましたので、今回紹介します。おそらく、また進んだ後に戻ることもあるとは思いますのであしからず。十余一地区から神々廻地区にかけて台地の上を直線的に通っていた木下街道は、一度坂を下って神崎川を渡り、白井地区に入って白井宿を通過しながら坂道を登って再び台地の上を進むことになりますが、今回紹介す
四国八十八ヶ所霊場第4番札所黒厳山遍照院大日寺(こくがんさんへんじょういんだいにちじ)🌼木造🌼青面金剛様(しょうめんこんごうさま)作:江戸時代文化9年(1812年)※彩色は明治2年(1869年)にされた。徳島県板野郡の木造の青面金剛様。本堂と大師堂を繋ぐ回廊に地蔵菩薩様、弁財天女様、西国三十三所の観音様と共に祀られています。こちらの青面金剛様は江戸時代の文化9年(1812年)に丹波国の方から寄進され明治2年(1869年)に地元の庄屋さんのお布施
こんにちは国立歴史民俗博物館で見た庚申塔について辿ってみました船橋市坪井町の庚申塔とありましたので調べると一ケ所該当する場所が見つかりました坪井近隣公園のすぐ近くです庚申塚車でよく通る道沿いですがこんな史跡があることを完全に見落としていました解説板が立っていますが泥で汚れていてところどころしか読めません青面金剛碑三基と庚申板碑四基が並んでいますここを基点として周辺にもいくつか立っているようですいずれも江戸時代中頃のものです青面金剛碑歴博で見たもの(下の写
続いて、越後湯沢へ。愛宕地蔵尊のお堂。愛染明王細かく彫られています馬頭観音もすらりと美しい。愛宕地蔵から線路の方を見ると、高台に狛犬が見えます。愛宕地蔵の横に鳥居がありますので、以前は参道があった所に線路を通したのだと思われます。高台へあがってみます。狛犬は勝手に線路で分断したと怒っているのでしょうか。怖い顔です。諏訪社神殿はもう少し上にあったらしいのですが、新幹線を通したのでここに移築されたらしい。三社神社の狛犬耳と鼻に雨蛙
9/22はお天気が悪くて予定の山に登れず、塩沢石打と越後湯沢で石仏めぐり。久しぶりにたっぷり石仏を楽しみました。詳細はこちら『塩沢石打の石仏群像』週末は只見町の入叶津から浅草岳に登る計画だった。ところが天気が悪そうなので峠を越えて越後に入り、ネズモチ平からの周回にしようと考えた。時間的に少し短くなるので…ameblo.jp南魚沼市から。飯士山宝林寺と石上神社山道入り口に双体道祖神肩を抱いています。手水鉢には不動明王智拳印の大日如来。今日は沢山大日如来にお会
【9月23日】京都市下京区にある浄土宗聖徳寺さんへ。青面金剛の御朱印(紫式部バージョン)青面金剛の御朱印(彼岸花バージョン)
「青面金剛は、もと病を流行らせる悪鬼だったが、改心して病を駆逐する善神になった。」とされている。(南北朝時代の仏教説話集「渓嵐拾葉集」)青面金剛の姿の原型は「ヒンズー教のシヴァに対抗して作られた仏教の将軍マハーカーラ」であるが、絵姿だけが一人歩きして中国に伝えられ、その怖ろしい外観から「病気を流行らせる悪鬼」と誤伝されて、病気平癒の祈祷の対象にされていた。この鬼(儀軌4手)は取り扱いを誤ると危険なので、高僧や修行者しか扱えない、素人でも病魔退散を祈願できる穏やかな善神青面金剛の要望が高
埼玉県久喜市江面、青面金剛像、享保十三戊申九月吉日奉造立庚申供養久喜インターの近く